第5話『人造龍』
「……器用だな、お前」
ケール洞窟の一角、岩盤をくり抜いて制作した一室でダイモン・パンドーは胡坐を掻いていた。
頬杖を突き、視界の内には無腕の少女を捉える。
思わず呟いた言葉は腕がないにも関わらず、涎がつかないようにゴムを取りつけた舌と口を使って本を捲るモスト・バビエンテの姿に対して。
彼女の左右を囲うように積まれているのは、読み切った魔物に関する資料。
「あら、それは成果の上がらないことへの皮肉かしら?」
顔を上げたモストの言葉には、僅かな苛立ちが伺えた。ダイモンへ注がれる紫の眼光に普段よりも鋭利な切れ味が突きつけられた。
その間、魔物や盗賊による勇者や軍への脅威提供に滞りはない。彼らから不満の声が漏れたことはなく、報奨金に支払いも順調。裏切りの気配もなく、軍に捕縛された盗賊も順調に出所を繰り返していた。
なれば、問題は組織の利益ではなく裏の目的。
「どの国もドラゴンに関する基礎知識は概ね統一されてるわ。
純粋な魔素の集合体。極限定空間に強大無比な魔素を注ぎ、それが具現化して意志を持った存在。他の魔物と違って別の物体に定着させることはないが故に、魔王以外にドラゴンを生み出すことは不可能。
……どこもかしこもそこまで研究が進んでるのに、その先がないッ」
炸裂した怒気が空気を揺らす。
一方でダイモンは雇い主の苛立ちを欠伸混じりに聞いていた。
彼女が語る先の研究が行われているはずがないのだ。
方法が確立されていれば、後は実行に移すのみ。そして、魔素の取り扱いを誤った国や組織は例外なく暴走事故に巻き込まれる形で崩壊している。
単に他の物質に魔素を定着させるのとは、訳が違うのだ。
「ハァ……」
嘆息を一つ、幸福を逃がす。
このまま苛立ちを蓄積させれば、彼女は間違いなく強硬策に出る。そうなってしまえば、洞窟諸共に誰も彼もが生き埋めか塵と化すかの二択。
故にダイモンなりに助け船を出すべく、腰を上げる。
「……ドラゴンの研究が煮詰まってるなら、別の研究成果を流用して何とかならねぇのか。こう、要は器に沢山の魔素を注げばいいだろ?」
「その方面での工夫は五か国は行ってる……結果はワイバーンやアークデーモン、一線級の戦力には繋がってるけど、そこ止まり。
ドラゴンには至ってない」
「ひとまず、その方面での手段ってのはなんだ?」
「読みなさいよ、そこの左三段目の本に書いてるから」
「いや、俺は字が読めねぇので」
暴力装置としての側面しか期待していなかったとはいえ、まさか識字の段階で問題があるとは思わなかったのか。次はモストが呆れた表情を浮かべる番であった。
溜め息を一つ零し、少女は暗記した内容を諳んじる。
「……ワイバーンの例でいえば、予め魔素入りの食料をトカゲに食べさせて耐性を持たせ、その上で限界まで魔素を注ぐ。生贄は捧げる直前まで丹念に育てましょうってことよ。
因みにこれを人間に行えば、アークデーモンの出来上がりよ」
「ふーん、トカゲで駄目なら人間でって訳でもねぇのか」
「素材を変える程度でドラゴンができるなら、今頃戦場の主役になってるわよ」
それもそうか、と頷きダイモンはモストの隣に腰を下す。
そして彼女が積み上げた本の背表紙を掴むと、挟まった名案でも取るかのように振ってみる。当然、何か意味がある様子は伺えない。
稚児に名書を与えた所で効果がある訳もなく、少女は再度自らの手元に置いた本へと没頭する。
「頭空っぽは羨ましいわね」
「俺の頭にはんなの不要だったんだよ」
「そ。なら、今からでも積極的に詰め込むことをおススメす……る……?」
言葉が途中で止まり、無意味に開けられた口から涎が垂れる。
そして数秒の静止を経て、モストは左に詰め上げられた本を蹴り飛ばす。
「どうした、自棄でも起こしたか?」
「ダイモンッ、その一番上の本を捲って!」
「なんだよ、人に頼るなんて珍し……」
「早くッ!」
彼女の圧に押されてか、ダイモンは無言で少女の言葉を実行する。
ページを捲る方法自体はモストの手口を見て確認済み。流石に舌と口で行うことはせず、指と手で器用に再現した。
尤も、何度も逸らせる彼女の口調にストレスが溜まらないといえば嘘になる。
「次の本ッ、さっき蹴飛ばして一番遠い分ッ」
「だったら蹴るなよ……」
やはり苛立ちをぶつける意図もあったのか。
若干効率が悪い探し方を繰り返すべく、ダイモンは腰を上げて本を拾っては、子供に読み聞かせる親のようにページを捲る。
残る四冊の本を捲る度に、モストの声音が上擦っていくのを感じた。
「そうよね、ないわよね……そういう手は取ってないわよねッ。当たり前よねッ!」
「なんだ、名案でも浮かんだか?」
「浮かんだわよ、実行する価値のある手段がッ。今すぐ通達して奴隷の何人かを準備させなさいッ!」
そこからの準備は迅速であった。
確保していた奴隷の内三名を別室に監禁。定期的に魔物化しない程度の魔素を注ぎ、そのまま放置。
そのまま、食事を取らせず水も与えず。時を経るごとに痩せ衰えていく肉体に、極少量の魔素のみを与え続ける。
初の試み故に加減が効かず、一人は餓死。もう一人は途中で魔素の配分を誤ってアークデーモンと成り果ててしまった。耐性を持たせられるというだけでも最低限の実験の価値は認められる。
が、モストの目的はそこでは終わらない。
「これで二週間。そろそろ耐性がついた頃よね」
「……」
無腕の少女は興奮を隠し切れず、頬を上気させて飢えた奴隷を見下ろす。背後に立つダイモンは痩せさらばえ、骨と皮が張りついた男に同情の念と共に自分がその立場に陥っていないことに一角の安堵を覚えた。
憔悴しきった、屍でないだけの人を前に太腿へ取りつけた試験管を掴み、モストは目を輝かせる。
喉を鳴らす様は、ともすればガラス管を噛み砕かないかと不安視させる程に。
「そろそろ飢えもキツイでしょう。でも安心しなさい……私が貴方に最高の力と飢え知らずの身体を上げるわ。
永遠に満ち足りた身体、腕が取れるようなこともない身体よ。羨ましいわねぇ、芋虫よりもずっといい……!」
無造作に放られた試験管が奴隷に触れ、砕ける。同時に興奮を隠せないモストを連れ、ダイモンは奴隷を監禁した部屋から脱出。
奴隷に異変が起きたのは、その直後。
肉体が一瞬で変色し、即座に液状化して床に四散。
「は?」
モストが不安を抱いたのも一瞬。
液状化した紫は徐々に中空へと集合し、渦を巻く。空間に穴を空けんばかりに圧縮される高濃度の魔力が意志を持つ。
肉体を蹂躙された者の怨嗟か、もしくは魔素を産み落としし祖の意志か。
形作られるは、大翼を持つ魔物。
一国を落とす災厄。勇者をも屠る頂。
ドラゴン。
「ふふふ、盛り上げてくれるじゃない……流石は魔物の最強種……!」
広げられた大翼が巨大化を想定して確保した部屋を破壊し、振り下ろされた尾が床に亀裂を生む。
魔素が発生させる質量に耐え切れず、軋みを上げる部屋の様子は物質が奏でる断末魔の叫びかとダイモンに思わせた。
しかし、同時に彼は不審な点をも素早く発見する。
「鱗はどうした……?」
否。鱗どころか、肉が殆んど付着していない。前足二つを僅かに覆う程度の肉は、とてもではないが魔王にしか生み落とせないと称された存在には程遠い。
巨体の割りに不自然なまでの痩躯。
生物というよりも骨格標本の類を彷彿とさせる容姿は、アンデット系の魔物に多く見られる特徴であった。
そして肉体を覆う紫が弾け、骸の龍が産声を上げる。
「グオオオォォォッッッ!!!」
「ドラゴ、ン……か、これは?」
「……いや、いやいや。まだこれは実験の初歩、ドラゴンの形を取っただけまだマシよ」
頭を何度も振るモストの言葉は事実を認めるというよりも、納得できない自分に言い聞かせるような印象を周囲に与える。
目を見開いた少女の顔を横から見つめ、ダイモンは頭に浮かんだ言葉を紡ぐ。
「……
「ファ……なんて?」
「だから人造龍だよ。ドラゴンじゃないってんなら、別の名が必要だろ」
これは研究段階の産物である。
そう強調するなら専用の名が必要であろう。そして組織初の存在ならば、相応のものが必要。
用心棒が知恵がないなりに絞り出した名を、モストは幾度か繰り返す。
「人造龍……人造龍ね、いい名じゃない。ダイモン、採用だわ」
実用試験を行えないのが残念だわ。
そう呟く少女の顔は恍惚に歪み、端から見れば正気を手放したようにすら思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます