第4話『最強の魔物、ドラゴン』

 セントラル国から見て南部、他国の国境線沿いに位置するケール洞窟周辺。

 隣合う両国が魔王討伐後も緊張を深めるがために下手な活動が行えず、違法ギルドの温床となっている地域に一つの馬車が停止していた。

 布地には無地のものが採用されている。が、注視すればセントラル国の国旗を別の布で縫いつけた様子が確認できるだろう。国からの指示に従い暗部として活動するにしては杜撰な工作は、軍人個人が勝手に行っていることを指し示す。

 いつまで待たされるのか。馬車の中で待たされている面々は、外で伺える大陽を乱反射する海の輝きなど気にも止めず口々に不満を漏らした。


「うぉッ」


 変化が訪れたのは草原が波に揺れた時。

 馬車がひっくり返りかねない旋風に軍人が馬車へしがみつき、手綱を握る者は突然の事態に暴れ出した馬を落ち着かせるのに注力する。

 荒れ狂う旋風を引き連れ、上空から徐々に高度を落とすは竜の劣化個体。

 堅牢なる紅の鱗に蝙蝠を彷彿とさせる翼、そしてトカゲの面影を残す体躯を持つ怪物。人間など優に踏み潰せる巨躯の持ち主は、背中に二つの人影を乗せる。


「ワ、ワイバーン……!」


 驚愕の声を漏らす男の前に、影は背中から降りて姿を現す。

 一人は黒のスーツを纏い、眼鏡を着用した針金の如き長身の男性。どことなく漂わせる暗い雰囲気は、虚無的な印象を見る者に抱かせる。

 もう一人はスーツを羽織り、下にはワンピースを着用した無腕の少女。鋭利に研ぎ澄まされた紫の眼光は、無造作に伸ばされた白髪も相まって自信家にも挑発的にも思える。


「待たせたわね。私がモスト・バビエンテよ」

「あ、あぁ……キュマイ・ラーだ」


 握手をしようと手を伸ばしたキュマイだが、モストが視線を自らの右腕、正確には右腕が生えて然るべき箇所へ向けると慌てて腕を引っ込めた。


「済まない、悪気はなかったんだが」

「よくあることよ。気にしてたら指が何本あっても足りない」


 おっと、数える指もなかったかしら。と続ける様は、根に持っているという印象を深く植えつけた。

 モストは視線を背後で待つ少年へ注ぐと、一歩踏み出してキュマイの前に立つ。


「報酬は」

「馬車の中だ」

「なるほどな」


 親指で指された先へ進むと、馬車に乗せた報酬入りの麻袋とそれを守る軍人が三名。

 強引に奪い取れ、と言われれば赤子の手を捻る程度の労力で殲滅が叶う。そのような、取るに足らない連中を前にダイモンは右手を伸ばす。

 お前達が報酬を払え。手渡せ。

 言外に告げる威圧的な態度は、軍人をして彼へ報酬を詰めた麻袋を手渡させた。


「モスト、ここで数えるか?」

「いいえ。それじゃ相手の信頼を傷つけるわ、ここは素直に信じて上げるものよ」


 互いに無法を働いてる身。用心棒の役目も持つダイモンは警戒心を隠そうともしないが、雇い主に拒否されれば二の句も告げずに納得する。

 馬車を出る直前、勇者パーティーから追放された奴と陰口を叩かれたとしても。


「アンタらのお陰で褒賞金がタンマリ、リンゴ酒も毎日浴び放題だ。これからも末長く頼みたいもんだな」

「それは良かったわ。南部の村で行った宣伝も報われるというもの」

「全くだ」


 談笑を挟み、二人は幾つかの言葉を交わす。

 そして満足したのか。モストはダイモンと共にワイバーンの背に乗り込み、手の代わりとして頭を軽く振った。


「それではまた、一月後に会いましょう!」

「あぁ!」


 大翼を広げて数度羽ばたくことで身体を浮かべ、ワイバーンは高度を上げていく。吹き荒れる暴風は二度で慣れるものではなく、驚愕に立ち上がった馬を宥めるキュマイの姿は滑稽な宮廷道化師を思わせた。


「軍との関係は良好。アーポロは魔物狩りに駆り出されて愚痴る暇さえない。

 そして私の手元には金と魔素が大量……!」

「手元ねぇ」

「ふふ、漸く笑いどころが分かってきたかしら」


 ワイバーンの背で浴びる風は、前に座するモストの白髪が鼻を擦ることを除けば中々に心地よい肌触りであった。

 僅かに声を上擦らせたのを自らの冗談がツボに入ったと錯覚した少女は、上機嫌のままに言葉を綴る。


「魔素にも充分な余裕が生まれたし……そろそろ計画をもう一段階進める頃合いね」

「進める? なんだ、次はゴーレムでも作るのか?」


 ダイモンの脳裏に過ったのは、土塊より生まれし太陽を覆う魔物。

 どうしても殴る蹴るで対抗する他にない格闘家にとって、痛痒を感じることなく質量の強みを押し続けるゴーレムは大敵と言えた。魔王討伐の道中でも、幾度となくアーポロやタナトの手を借りた経験が蘇る。

 脳裏に浮かぶ予想を、モストは否と切り捨てた。


「違うわ。というか、ゴーレムやワーウルフは既に少数ながら生産体制に入ってるわよ」

「そうなのか」

「えぇ。勇者パーティーが率先して屠るに相応しいハイエンドの戦力として、ね」


 ゴブリンやスライムはいわば、魔素を撒き散らす環境汚染用の魔物。個体当たりの戦力では決して一線級とは言い難い。

 戦闘力を優先する場合は、魔素をある程度蓄積した少数戦力をお出しするのが正しい。それこそ今上がったゴーレムやワーウルフは、数を増やす手間に相応しい戦闘力を発揮する。

 が、今回モストが望んでいるのは、たかが勇者に屠られることを前提とした脆弱な戦力ではない。


「表ではニコニコしてる連中も、内心では果たしてどういった表情を浮かべているのか……そう思えば、次に作るべき魔物にも検討がつくというもの

 強く、ひたすらに強く、一国を相手にしても互角以上に渡り合う怪物……」

「まさか」


 モストの持ち上げように、ダイモンの脳裏を過ったのは一体の魔物。

 山と見紛う巨躯に大砲の一撃すら寄せつけぬ鱗。児戯の如く家屋を踏み潰す足に天空の覇者に相応しき大翼。吐き出す火球は日輪を彷彿とさせ、一息で万の軍勢すら灰塵に帰す絶対的強者。

 神に選ばれし勇者をして死を間近にさせる、最強の座に君臨する魔物の名をモストは口にした。


「そう、ドラゴンよ。

 滅んだ国も含めて、各国から取り寄せた資料もこの数か月で随分と集まった。魔素の研究を深めるなら今の内よ」

「待てよッ。流石にドラゴンを量産できる勢力なんざ、どの国も躍起になって滅ぼしにくるぞ?」


 対面した時の威圧感、そして己が拳を砕く鱗の堅牢さが、表情の変化に乏しいダイモンの顔を顰めさせる。秘密裏に魔王へ与する国が人為的にドラゴンを生み出そうと策謀を張り巡らせた際、アーポロ達と共に調査へ赴いた経験が自らの発言を裏づけた。

 用心棒が抱く不安を氷解させるのは、雇い主たる少女の捕捉。


「それは私も理解してるわよ。だから仮にドラゴンの量産体制が整っても基本的に伏せるつもり。

 いわば勇者や軍が裏切った時の、報復要員ね」


 モストの言葉はダイモンの不安を解消するには至らない。

 過剰な戦力はそれそのものが脅威を徒に煽り、焦燥に駆られた愚物はあらゆる合理性を無視して愚行に走る。

 ドラゴンという存在は、愚行を正当化するには充分な破壊力を秘めている。故に彼は額に手を当て、天を仰ぐように言葉を呟いた。


「ハァ……馬鹿な報復には気をつけろよ」

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