マッスルと恋とポーク

武州人也

筋肉は決してムダにならない!

 父さんの店で、友達の筋盛すじもりと飯を食っている。俺が注文したチャーハン定食が運ばれてきたとき、この友人が突然口を開いた。


「俺さぁ、筋トレ始めたんだ」


 筋盛は自分の言葉を証明するかのように、右腕をまくって力こぶを見せてきた。確かに筋肉はついている。俺の父さんには遠く及ばないけど。


 俺の父さん……立居たちいとらは身長207cmの巨漢だ。元砲丸投げ選手とあって、ものすごいムキムキ筋肉に覆われている。今はこの大衆食堂「立居食堂」を経営しているが、忙しい日々にあっても体を鍛え続け、鋼の肉体を維持している。


「しばらく見ない間にどうしてそんな。だって筋盛、体育会系は荒っぽいから嫌いとかそういうこと言うタイプだったじゃん」

「俺悟ったんだよ。男は強くたくましくなきゃ、女にソッポ向かれるって」

「え、まさかお前あのカノジョと何かあったのか?」

「別れたんだよ。というか……寝取られた」

「え、マジ?」


 友の前で、俺は無礼にもはしゃいでしまった。さすがに友達の不幸を笑うのはひどいと思って、素直に「ごめん」と謝った。


「何だよお前寝取りに食いつきやがって……」

「いやホラ、そういう話ってリアルじゃなかなか聞けないからつい……本当に悪かった」

「はは、まぁいいよ。今度オオカミウオ鍋おごってくれたら許すから」


 筋盛は笑っていたが、無理して笑っている感じだった。きっとその寝取りは相当ショックな出来事だったに違いない。筋盛の彼女は俺がハンカチ噛んで悔し涙を流すぐらいにはかわいかったから、無理もないことだ。


「で、何があったん? 間男はやっぱサークルの先輩とか? それとも下っ腹出てる中年のコンビニ店長? もしかして江ノ島で金髪サーファーに引っかけられたとか? やっぱビデオレターとか送られてくる?」

「お前全然反省してねーだろ。……そもそも男じゃねぇんだよな、寝取ったの」

「男じゃない? つまり女同士ってこと?」

「そう。鱶川ふかがわちひろって人知ってるか?」

「いや知らない……何か有名人だったりするのか?」

「とある界隈ではな」


 俺は手元のスマホで、鱶川ちひろという人物を調べてみた。騎射競技の女子選手で、健康食品会社に勤務する傍らで社会人の騎射競技大会に参加しているそうだ。

 

「浮気の兆候っていうか……なーんか怪しい感じだったんだよな。それでちょっと探りを入れてみたらあっさりわかったんだよ。で、結局「別れてほしい」って言われてさ」


 筋盛は悔しそうに語りながら、手元のビールをあおった。筋盛の悲しげな表情を見ていると、さすがに茶化す気は失せてくる。


「……それと筋トレにどんな関係あるんだ?」

「強くなるためだよ。その鱶川ちひろっていう女より」

「強くなる?」

「そう。立居のお父さんみたいになって、寝取られた綾香あやかを取り戻すんだ。男の俺なら、女よりも筋肉つきやすいだろ」


 なるほど、そういう事情か。確かにこの鱶川ちひろという人は身長もあるし、アスリートだけあってかなり鍛えられている。俺の父さんのように盛り上がったムキムキマッチョタイプではなく、無駄をそぎ落とした体にしなやかな筋肉がビシッとついている感じだ。


「あー……まぁ頑張れよ」

「見てろ。次会うときは立居のお父さんみたいな体になってるからな」


 俺は笑いながら「さすがにそれは無理だろ」と答えた。




 その日の夜……布団に入った俺は天井に向かってそっと「無理だよ」とつぶやいた。


 ……正直、筋肉で張り合ってもしょうがない、と思った。筋盛がいくら鍛えたところで、あの鱶川ちひろという人物に性的な魅力では勝てない。ダークブラウンのショートボブに、切れ上がった目尻、ルビー色の瞳……体型だけでなく、世の男性のほとんどが太刀打ちできないレベルで顔のつくりがいい。いわゆるイケメン女子というやつか。もし俺が女子高生で、同じ学校にこの人がいたら、手作りチョコレートを渡していたかもしれない。


 まぁ、鍛えると自信がついて立ち振る舞いも変わるっていうし、外見以外のプラス効果もあるだろう。寝取られた彼女はどうにもならないと思うが、これをきっかけに新しい恋を始めてほしい。寝取り云々の話で無邪気にはしゃいでしまったし、女に彼女を寝取られるという貴重体験はめちゃめちゃ気になるけれど、さすがに十年来の友人がしょぼくれていると心が痛む。


「頑張れよ……」


 純粋な気持ちで、俺は友の幸を願った。


*****


 次にうちの食堂で筋盛と食事したのは、半年後のことだった。俺の父さんみたいなモリモリマッチョマンになると息巻いていた筋盛だったが、あまり変わった様子はない。現状維持に甘んじているようだった。


「考えたんだけどさぁ、筋肉つけてもモテにつながらないだろ」


 運ばれてきたワニ肉ステーキにナイフを入れながら、筋盛は弱気な様子でぼそっと言った。


「どうしたんだよ筋盛。前に会ったときはやる気だったのに」

「もう綾香のことは諦めてさ、筋肉好きを公言してる女の子を狙いにいったわけ。でもダメだった。チキショー」

「筋肉じゃなくて他の部分に改善点があるんじゃないのか」

「そう、それだよその通り! 筋肉つけるよりいい服買ったり脱毛通ったりした方がいいんじゃねぇかと思ってな……」


 そう言って、筋盛は切り分けたワニ肉を口に運んだ。


 ……そのときだった。突然、店のガラスが割れる音と、「キャー」という悲鳴が聞こえた。


「な、何だ!?」

「おいあれ見ろ筋盛!」


 俺は騒ぎの原因をすぐに特定した。ブタだ! デッカい成獣のブタが、店に侵入している!

 

「クッソォ!」

「筋盛!」


 席を立った筋盛が、ダダッと駆けだした。ブタに向かっている。何をする気だ。


「バカやめろ死ぬぞ!……んだよアイツ!」


 ブタはバカにされがちな動物だが、全身が筋肉に覆われていて、かなりのパワーをもっている。人間が素手で立ち向かうのは危険だ。俺はすぐさまカウンター裏に引っ込んだ。


「うおおおおおっ! 筋盛マッスルパーンチ!」


 筋盛は助走をつけて腕を振るい、ブタの顔面にパンチを叩き……込めなかった。ブタの突進で、筋盛の体は宙に浮いた。跳ね飛ばされた筋盛は、そのままカウンターに背中をぶつけてしまった。


 このブタ、よく見ると普通のブタじゃない。全身の筋肉がムキムキに隆起している。マッスル・ポークだ!


 ブタはパニックを起こしているのか、やたらめったに突進して店内を荒らしている。床には倒れたテーブルやら割れた皿やら脚の折れた椅子やらでぐちゃぐちゃ。大損害だ。父さんが頭を抱える姿がありありと浮かんでくる。


 そして……ムキムキブタの鼻先が、転んで逃げ遅れた若い女性に向いた。危ない! 跳ね飛ばされる!


 ……そのとき、すでに筋盛が動き出していた。床を蹴ったブタを、正面からガッシリと受け止めたのだ。


「うおおおおおおっ! マッスルマッスル!」


 筋盛の四肢の筋肉が、真っ赤になって隆起している。血管の浮き出た筋肉を小刻みに震わせながら、筋盛は必死にブタを食い止めていた。逃げ遅れた女性を守るために……


 とはいえさすがの筋盛も、マッスル・ポークのパワーには勝てない。筋盛の足が、ズルッズルッと後ろに滑っていく。筋盛が耐えている間に、何とかしなければ……俺はカウンターを飛び越し、倒れている女性の方へ走った。


「さぁ早く外へ」


 俺は女性の手をとって引っ張り上げた。小さく頭を下げて「ありがとう……」とつぶやいた女性を外へ逃がした俺は、再び視線を筋盛へと戻した。


「うおおおおおおっ! 根性根性ド根性! 」


 筋盛は炎を吐かんばかりに奮起している。が、彼の粘りはそう長くもたない。もう筋盛の背は背後の壁にくっつきそうだ。


 ……そんなとき、ブタに迫りくる大きな影が一つあった。それは、俺が最も見慣れたものだった。


立居たちい十六文じゅうろくもんキック!」


 古臭いセンスの技名とともに、強烈なキックがブタのわき腹に叩き込まれた。その一撃で、ムキムキのブタはぶっ飛ばされて横転した。


「ふぃー……ひでぇ荒らされっぷりだな」

「父さん!」


 ブタにキックを食らわせたのは、俺の父さん、立居虎だった。盛り上がった二の腕に流れる汗が、窓から差す陽の光を受けて光っている。蹴られたブタは気を失っているのか、起き上がる気配はない。


「筋盛くん、よくやった。君もたくましく育ったな」


 そう言って、父さんは筋盛に大きな手を差し伸べた。筋盛はその手をガッチリと握った。


「服に金をかけるのもいい。脱毛に通うのも悪くはない。だけどな、一つ言わせてくれ。筋肉はお前を決して裏切らない。お前を守る盾にもなるし、倒れそうなときに支えてくれる杖にもなる。筋肉はいいぞ!」

「お、俺、頑張って鍛えます! 鍛えて……虎さんみたいな真のオトコになります!」

「ははは、真のオトコとはお世辞がうまい。褒めても何も出ないけどよ」


 父さんはカラッと笑って、筋盛の背中をバシバシと叩いた。


*****


 例のマッスルブタは、輸送中に家畜運搬用トラック逃げ出したものらしい。あの後ブタは捕獲され、所有者のところへ返された。店を荒らされた立居食堂には、後日賠償金が支払われるそうな。


 一方、筋盛といえば……


「はぁ……今年のクリスマスもお前と二人かぁ……」

「いいじゃんかよ筋盛。ホラ飲めよ」


 ビールを注いだグラスを、筋盛に押しつける。筋盛は黙ってグラスを傾け、喉を鳴らした。今日はクリスマスイブだが、こうして俺たちは立居食堂で飯を食っている。


「やっぱりさぁ……改めて思うよ。綾香は俺にとって奇跡の女の子だったんだって……」

「まぁお前にあんなかわいいカノジョができるのは今後一生なさそうだけどな」

「おい、そりゃ言いすぎだろ。っていうかお前こそ全然女っ気ないじゃんか」

「俺はいいんだよ。立居家の血統は兄貴と妹が継いでくれるし」

「そういう問題じゃねぇって。お前個人のことだよ」


 俺は「こうしてずっと、お前とバカみたいな話して笑っていたいよ」って言おうとしたが、その言葉は喉から外には出なかった。


「そうだなぁ、俺も筋トレすっかな。あの父さんの血を継いでるから、頑張ればマジでスタローンみたいになれそう」

「待ってるぞ。立居がお前のお父さんみたいな真のオトコになれる日をな」

「ところで筋盛、トレーニングの成果はどう?」

「死ぬ気でやったからな。まだまだ立居のお父さんみたいにはなれてねぇけど、結構ついてきたぞ。どうだ、触ってもいいぞ」


 そう言って、筋盛は右腕の力こぶを見せてきた。以前にもまして、上腕二頭筋がたくましくなっている。お言葉に甘えて触ってみると、「鋼の肉体」という言葉がぴったりなぐらい硬かった。

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マッスルと恋とポーク 武州人也 @hagachi-hm

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