あたらしい保育のはなし。

眞壁 暁大

第1話

    *   *

 維新を経て成立した明治新政府の初の大規模対外戦争である日清戦争で、日本人はあることに気付かされた。

 気付かされたというか、そういうものだとアタマでは自覚していたものの、実感がわかなかったことを、痛感させられるにいたった。

 自分たち日本兵の体格は、清兵に明白に劣っている。

 ともに撃ち合い、派手に白刃をまじえた白兵戦を経て、体格の劣勢を思い知らされた日本人は、体格の向上を目指す。

 これは、そんな日本人のなりふり構わぬ体格向上政策のひとつについてのお話。

    *   *


「かーかきんきん、かーきんきん♪」

 鼻歌を唄いながら田吾作は二つ割の竹でできた餌台にくず米とヒエとを撒いていく。

 平場のそこかしこに群れていた鶏がそれを見て殺到してきた。

 新芽のあるより遠い場所で若草を啄んでいた鶏は、遅れたせいで餌にありつけず先客の鶏の背にのったり尻を突いたりと騒々しい。

 それでも全ての鶏が餌場に群れたのを確認すると田吾作は柵の中に入り、一角に立ててある鶏舎の中から卵を回収する。

 兵役を終えた時の雀の涙ほどの退職金を元手にはじめた養鶏だったが、世間の鶏卵需要の高まりもあって、田吾作の老母と田吾作とを養うのには充分な収入源となっていた。


「これからは肉の時代」


 兵役中に軍曹から叩き込まれたのは飯を食え、ということだった。

 すでに育ちきった18歳の田吾作の当時の身長は五尺二寸(158センチメートル)。当時の平均と比べてやや大きいくらいであったが、同年兵には小柄なものが多く、新兵教育はそれらと分けて実施されていた。


 田吾作とともに選ばれた比較的体格に恵まれた者たちの食事は、麦飯にたまの洋食が珍しいくらいで娑婆の食事と大きく異なるものではなかったが、兵役ギリギリの五尺ちょうど(152センチメートル)くらいの多くの同年兵たちには頻繁に牛乳と卵が供されていた。

 小柄な体に田吾作たちをも上回る量の麦飯を詰め込み、頻繁な牛乳と卵、そしてなにより田吾作たちが月一でもありつけば御の字の獣肉をほぼ週一で食らうことで、同年兵は満期除隊の頃にはどの兵も漏れなく一寸(3センチメートル)は伸びていた。体力も同様に伸び、骨格も筋肉も見違えるほどのものとなった。

 

 「保育兵」と呼ばれて田吾作たちとは違う教練を受けて食事で優遇されていた小柄な同年兵は、当然のように羨望と嫉妬の的となる。

 しかし、当事者にしてみれば腹が膨れてもなおのこと食えと詰め込まれる軍隊調の保育は満足に食える喜びに勝る苦痛だった。

 軍隊に入るまではひもじい思いをしていた者であっても、満腹を通り越してなお食えと強要されるのには耐えきれず、脱走を図る者すらいたし、そもそも少食であった者などは吐くことも許されずに詰め込まれるだけ詰め込まれ、かえって体を壊して除隊するなどという笑えない話もあった。

 わずか一寸の体格の向上のために、保育兵たちは田吾作らの預かり知らぬ地獄を味わっていたのである。


 そうまでして軍が新兵の体格向上にこだわったのは日清・日露の戦役の経験があるからに他ならない。兵隊から活兵器に至るまで、本邦で育ったすべての動物は海外の同種に比べて体格が劣後していた。このことに日本人は、とくに軍人たちは強烈な劣等感を覚え、それをどうにかして克服しようと躍起になった。

 活兵器の代表たるウマについては馬体の改良計画が立てられると同時に、もはや日本馬の体格向上には限界があるとして馬体改良と並行して自動車化への予算がつけられることとなった。海外馬と日本馬、重量級では端から勝負にならないのなら勝負そのものを回避すれば良い、という発想の転換だった。

 ウマは自動車に代えればいい、ということでそれができたものの、兵隊の方はそうはいかない。体格の劣後する兵隊でもって外国兵に対抗しなければならない。

 その状況を少しでも緩和するために行われたのが軍内の食事の改善・肉食の奨励だった。結果として現場では体格向上・肉食を巡る悲喜劇が展開されるのだが、田吾作はその波乱にこそ、商売のチャンスがあると見た。


 そうして養鶏業者を立ち上げたのだが、鶏卵の販売も軌道に乗ったところでそろそろ事業の拡大を田吾作は目論み始めていた。

 鶏卵から、鶏肉そのものを売る業態への転換である。

 鶏卵の消費量は軍が牽引した結果市井でも伸びている。そこを突いて大きく成長したのが田吾作の鶏卵業だったが、誰もが「カネになる」と気づいたことで競合も増えてきて成長は頭打ちになりつつあった。

 そこで田吾作は多少の余裕を持っていたことで、思い切って食肉用の鶏の生産に着手することにした。

 食肉用の鶏には今までとはまったく異なる配慮が必要になる。特に餌は今までのように草にたまに穀類を混ぜる程度ではとても済まない。穀物飼料を購入して与えなければマトモな肉は育たないことは分かっていた。

 この飼料費がいくらになるのか。

 田吾作は不安ではあったけれども打って出ることにした。

 今までよりもずっと大きな鶏舎を建て、そこに多くの鶏を詰め込む最新の養鶏業を導入する。面積あたりの鶏の数が鶏卵業を営んでいた頃のゆうに一〇倍にもなった。

 鶏の数が一〇倍になったぶん、飼料代もうなぎ上り。穀類の消費量もぐんと増えた。それでも食肉としての販売額がどんどん伸びたことで、田吾作が予想していたよりも早く事業は軌道に乗った。

 食肉用の鶏を売って得る収益は田吾作と老母を養うに飽き足らず、人を雇い入れ、田吾作に家庭をもたせるほどの富をもたらした。

 


 順風満帆といっていい田吾作の半生であったが、それでも心に引っかかっていることがあった。

 保育兵から上官の目を逃れて差し入れられた(強奪したともいう)フライド・チキンの味が忘れられずにいた田吾作は、自家の鶏を適宜つぶしてはためしに作ったり、作らせたりしているのだがどうしてもあの味を再現できない。


 田吾作の野心は止まらない。

 食肉としての鶏の市場も、主に軍の需要が拡大し続けているので成長が止まらない。

(今やってる食肉事業が軌道に乗れば)

 田吾作は心密かに決意する。老母にも家族にも明かしていない野望であった。

(フライド・チキンを作る料理屋を始めよう)

 田吾作が飲食業へと進出し、本邦初のから揚げ店チェーンの展開に大成功を収めるのは、もう少し先のことである。

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あたらしい保育のはなし。 眞壁 暁大 @afumai

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