姫は拳で未来を拓く・中編
「
我も王家の端くれ。
魔王の心情を無視して、アンティアが恭しく頭を下げた───と思ったら、彼女は腰を低く落として見せる。
右肩と右足を引き、拳を固め、背筋を正し、顎を引いて、魔王を鋭く見据える。
「こはぁあああぁあああ───はぁっ!」
深窓の姫がしてはいけない類の呼吸法と共に、アンティアは絨毯を
誰もが呆気に取られる中、魔王だけは見逃さない。立ち上がり、咄嗟に出現させた漆黒の盾で正面から迎え撃つ。
「ぬうぅんっ!!」
───ずがんっ!!
気合と共に突き出されたのは、超重量級の拳だった。構えた盾にアンティアの拳が突き刺さり、全身が揺さぶられる程の衝撃に魔王は歯を食いしばった。
「うおおおぉぉ?!」
余波は魔王だけに留まらない。盾によって逃がされた衝撃は周囲にいる者達を巻き込み、デーモンやドラゴニュートがたたらを踏んで堪えている。広間の柱の至る所にヒビが入り、重いカーテンがばさばさとはためいた。
「…ほう。やりおるではないか…!」
魔王とアンティアの押し合いは続いている。盾の向こうで野性味溢れる笑みを零すアンティアに、魔王はつい突っ込んだ。
「魔王の盾ヘコますとか、お前本当に姫か?!」
「健常な肉体には健常な精神が宿るものよ。
毎日、腕立て千回、腹筋千回、スクワット千回、正拳突き千回をやればこそ、辛き幽閉生活も耐えられるというもの」
「深窓の姫の日課じゃないよね、それ?!」
魔王城の謁見の間で、魔王が圧されるなどあってはならない。魔王は渾身の力で盾を押し戻し、右手の内に魔力の塊を込め始める。多少乱暴でも、
───ばたんっ!
派手な音を立てて、謁見の間の正面扉が開かれた。そこにいたのは、扉を守っている悪魔の騎士だ。
全身鎧の騎士は普段にはない慌てようで走ってきて、その困惑の理由を魔王に報告した。
「大変です、魔王様! 勇者が、姫を取り戻すべく城に侵入しました!」
「な───なんだと?!」
その急な報せに、魔王は無論アンティアも眉をひそめた。
勇者───それは、魔王打倒を謳いながらも各地で魔物達の集落を襲撃する、ならず者人間の総称だ。
何の落ち度もない魔物達に襲い、金品を巻き上げ、蹂躙する勇者達は、魔王にとって目の上のたんこぶと言える。
魔物達の本拠地と言える魔王城まで攻め込んでくる事は、そう滅多にないのだが───
「気付かれるの、早過ぎないか…?」
誘拐の作戦決行を指示したのは昨日で、アンティアが到着したのは今しがただ。誘拐発生にすぐ気が付いたとしても、誰が誘拐犯で、何故誘拐したのかまでは分からないはずだ。
にもかかわらず、アンティアが魔王城に居る事を勇者は知っている。幾ら何でも不自然だった。
「我が部屋に手紙を残したからな。『魔王の嫁に我はなる』と」
「お前が原因かよっ!?」
犯人が目の前にいた。それならばバレて当然だ。
「思う所はあるが、十八年もの間姫として育ててくれたのだ。一筆
「ぎ、ぐぬ、くそっ!」
あまりに真っ当過ぎて突っ込む気にもなれない。魔王は力任せにアンティアを押し戻すと、斜め上に手をかざして半透明の巨大スクリーンを表示させた。まずは状況確認が先決だ。
スクリーンに出てきたのは、魔王城の二階だ。
緑色の絨毯が広がる廊下を、真っ青な全身鎧を着込んだ人間が走っている。目の前により大柄な女がいるから断言は出来ないが、この身の丈ならば男と見るべきだろう。
周囲に画像を展開すると、至る所に負傷した魔物達が転がっていた。惨状を見るに、剣も魔法も使える魔法戦士と言ったところだろうか。
「単身で魔王城に乗り込むか…なかなか豪気な勇者だな…」
「かなり強いですね。迎撃に向かわせている者どもが、まるで歯が立ちません」
「…あり得ぬ」
魔王と側近デーモンが今後の方針に頭を悩ませていると、アンティアが逞しい腕を組んで渋い顔をしていた。
「父王が我を救出しようなどと、天地がひっくり返ろうとも考えるはずがない」
「エルヴァスティ王だって人の子だ。血を分けた娘を取り戻そうと、布令を出したのかもしれんじゃないか」
「汝は、父王がどのような者なのか知らぬからそう言えるのだ」
魔王の言葉に失望を込めた溜息を零し、アンティアは
遠ざかろうとする姫に、側近デーモンが声をかける。
「姫よ、どちらへ?」
「勇者に会いに行く。父王の真意を知る必要がある」
こちらに向くアンティアの表情に、喜びは見られない。そもそも、魔王すら圧倒する彼女であれば、城を出ようと思えばいつでも出れるはずだ。自分から魔王城へ来ているのだから、勇者の助けなど迷惑以外の何物でもないのだろう。
魔王は頭上のスクリーンをかき消し、アンティアに近づいた。
「俺も行こう。これ程の強さならば、俺が出向いた方が損害が少なくて済む。
ちょこまか動き回る勇者の位置も、俺なら分かる」
「…礼を言う」
アンティアは窮屈そうなドレスをみしりと動かし、品のある美しいカテーシーで感謝の言葉を述べた。
◇◇◇
「我は、幼少期よりこのようなナリでな。父も母も、我を見ては苦い顔をしたものよ」
魔王城の廊下を歩きながら、アンティアの口から過去が語られる。
「時には聖職者や魔法使いや拝み屋などを呼び寄せ、我の異常を取り除こうと試みた事もあった。よく分からぬ薬も、よく飲まされた。
…徒労に終わったがな。母が落胆する度に、申し訳ないと思ったものだ」
魔王は、先程見たDNA検査の結果を思い出す。数値化された結果には感情など伴っておらず、ただただ彼女がどういった存在であるかを物語っていた。
「検査の結果を見る感じ、お前はエルヴァスティ王と王妃の子で間違いない。ついでに言えば、魔法や呪いの痕跡も見られなかった。
…ただ遠い祖先に、巨神族ティタンとの繋がりがあったようでな。大方、先祖返りってやつなんだろう」
「…ふん。呪いかと思いきや、神の系譜とはな…道理で薬も効かぬわけだ」
自嘲気味に失笑する程度に、アンティアの人生は苦渋に満たされていたのだろう。先の愚痴以上に、辛い日々を過ごしていた事は想像に難くない。
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