おかえり、ミミズク
馬場涼子
おかえり、ミミズク
クレーマーの対応があって、いつもよりいらいらしていた。
「ただいま」
涼子は部屋の扉を開ける。
同棲中の恋人の浩介がソファに寝そべってスマホを見たまま聞いた。
「今日のご飯何?」
握りしめているスマホの画面には競馬の情報が映っているのが見えた。
「今日何してたの?」
「なんにも。なんで? なんかあったっけ?」
浩介がこちらを向く。
「私、疲れてるんだけど。一日中働いてきたの。浩介はうちにいただけでしょ。ご飯作っておいてくれればいいのに。ここ私の部屋だよ。遊んでるなら家事くらいしてよ」
「じゃあなんか食べに行く?」
浩介が精一杯の笑顔を見せる。余計に腹が立つ。
「そういうことじゃないの。家事するか働いたら?」
「家事のやり方わかんないし。一応、会社員だよ。仕事させてもらえないから行ってないけど。収入もあるし」
浩介は大企業の社長の長男だ。浩介もその会社に入社したが仕事ができず、影口に耐えられず、会社に行けなくなってしまった。そんな浩介を不憫に思った父親は、こっそり会社に席を残して報酬を与えている。次期社長は浩介とは真逆の性格の弟の雄介だそう。
涼子は大きくため息をつく。
「鳥頭って知ってる?」
「鳥?」
「ニワトリって三歩歩くと忘れちゃうんだって。浩介も鳥頭だったらいいのにね。嫌なことがあってもすぐ忘れられれば会社に行けるようになるでしょ」
涼子みたいな庶民は嫌なことがあっても会社に行っているのだ。
浩介は何も言わずに部屋を出た。
持って行ったのはスマホだけだったからすぐに帰ってくるだろうと思っていた。しかし、今日はあれから三日だ。
一人暮らしには慣れていたはずなのに、明かりの灯っていない部屋に帰るのはこんなにも寂しいとは。狭いと思っていた部屋が急に広くなった気がする。
コートも脱がずにソファに座る。三日前までここに浩介がいたのに。どこに行ったんだろう。
コツッ。
掃き出し窓に何かが当たる音がした。
コツッ。コツッ。
聞き間違いじゃない。何かが当たっている。
涼子は立ち上がるとカーテンを開けた。
ベランダにオレンジ色のふわふわしたものがある。
しゃがんでよく見ると鳥だった。くちばしでガラス窓をつつき続ける。
追い払わないと。
中から窓をたたいてみたが、そのオレンジの鳥はつつき続ける。
細く窓を開け、その鳥にめがけてほうきの柄を振ってみた。
「やめてくれ。俺だよ。浩介だよ」
涼子は声の主がわからず首を振る。どこにも浩介の姿が見当たらない。
「ここだよ。この鳥。これが俺」
「何言ってるの。どういうしかけ」涼子はおそるおそるその鳥に顔を近づけてみる。
「俺、この鳥、ミミズクになっちゃったんだよ」
確かに鳥から浩介の声が出ている。
「ぬいぐるみ?」
「違う。鳥。ミミズク。R.B.ブッコローっていうんだ」
右の羽に挟んでいる分厚い本を開くとしおりのような紙が出てきた。
「このQRコード読み込んでみて。俺、動画やってるから」
涼子はその紙をつまむ。
「そろそろ生配信あるから行かなきゃ。じゃあ、また」
その鳥はバタバタと暗い空に飛んで行った。涼子は放心したように見えなくなるまで見つめていた。
我に返って部屋に戻るとスマホでそのQRコードを読み込んでみた。有名な老舗書店の動画チャンネルだった。
18時半。チャンネルにLIVE表記がされ、生配信が始まった。
ブッコローが眼鏡をかけた女性書店員と軽快なトークを繰り広げる。一時間はあっという間だった。
他の動画も見てみる。どれもブッコローと共演する人は楽しそうだった。
涼子は思い出した。涼子も浩介といる時間が楽しかったのだ。一緒にこの部屋でただ他愛もないことを話しているのがとても好きだったのだ。どうしてあんなに責めてしまったのだろう。
また窓をコツコツとたたく音が聞こえた。
カーテンを開ける。ベランダにブッコローがいた。
今度は躊躇することなく大きく窓を開けた。
「おかえり」
「いやー、今日は疲れたよ。Pが無茶言うからさ」
ブッコローは浩介であったときと同じ図々しさで部屋に入ってきた。
「寒くなかった?」
「これ結構暖かいの。触ってみる?」
「ふわふわして暖かい」
聞きたいことはいっぱいあった気がする。でも、もうどうでもよかった。
その日はブッコローを抱きしめて眠った。
また以前の浩介のようにブッコローが部屋に住み着いた。浩介のときと違うのはブッコローはときどき動画収録に向かうことだ。
そうして一月ほど経ったある朝、インターホンが鳴った。
モニターを見るとスーツを着た男の人がいる。
「雄介」ブッコローがつぶやいた。
「雄介って。弟さん?」
「どうしてここに。とりあえず出てみて。俺のことは秘密で」
涼子は部屋の扉を開けると名刺を渡された。
「高木です。高木雄介と申します。兄の浩介がお世話になっておりました」
雄介はモニター越しに見るより高価そうな仕立てのよいスーツを着ていて、きれいにお辞儀をする。
「馬場さんですよね」
「はい。でも何のご用でいらしたんですか」
「お話したいことがありまして」
「ごめんなさい。私、これから仕事に行かないと」
「それでしたら下に車を待たせておりますのでお送りします。車内でお話させてください」
「わかりました。少しお待ちください」
涼子は扉を閉めるとブッコローに声をひそめて言った。
「出かけてくる。ブッコローのことは言わないから」
アパートの下には車に疎い涼子でもわかる高級車が止められていた。その後部座席に案内され、雄介と並んで座った。運転手がなめらかに発進させる。
「突然、すみません」雄介は車内で窮屈そうに頭を下げた。「僕も突然のことで驚いているんですけど」
「何かあったんですか」
「兄は亡くなりました」
「えっ」
「昨日、警察から連絡がありまして。事故だったそうです。もう一月も前です。持ち物はスマホだけで。そのスマホも事故の衝撃で壊れてしまっていたので身元がなかなか確認できず、連絡が遅れたそうで昨日に。横浜駅前のヨコミミズクってご存じですか? あれの近くだったそうです」
数年前にイケフクロウを真似してヨコミミズクができたっけ。ミミズクなんて全然関係ないねと浩介と笑ったことを思い出していた。
「ニュースサイトを検索してみてください」
涼子は震える手でスマホを取り出すと調べてみた。
確かに一月前に横浜駅前での交通事故、被害者は20代男性と出てきた。その関連ニュースで『ヨコミミズクが消えた』というニュースタイトルが見えてそちらもタップした。
同じ一月前にヨコミミズクが横浜駅前から消え、窃盗として捜査しているというニュースだった。
「ここですね」
車はいつの間にか横浜駅に着いていた。
雄介が降りて涼子も促されるまま降りた。
ガードレール脇に小さな花束が置いてあった。
雄介が手を合わせる。
涼子は立っていられなくなってその場に座りこんでしまった。
するとバタバタと音が聞こえ、目の前にブッコローが現れた。
「ごめん。あの日、事故にあったとき、俺、すぐ涼子に謝りたいって思って。そしたらこうなってた。ごめんな。ずっと迷惑かけて。何もしないで涼子の家に居座って。涼子の気持ち、全然考えてなかった。」
「謝りたかったのは私のほうだよ。ひどいこと言ってごめん」
「会えてよかった」
ブッコローの羽が涼子の頬に触れる。涙が羽に吸い込まれていく。
何か話し続けていないとブッコローがいなくなってしまいそうだった。
「ねえ、どうしてR.B.なの?」
「涼子、ラブ。涼子のRとラブのブのB」
「何、それ。ラブのブはBじゃなくてVだし。絶対うそでしょ」
涼子は泣きながら笑った。
「笑っててよ。幸せになって。涼子ラブは本当だから」
ブッコローは飛び立つとあっという間に消えた。
雄介はブッコローが見えないようで唇を噛んで地面を見つめていた。
ふと顔をあげるとヨコミミズクが見えた。
人だかりができていて「ヨコミミズクが戻った」と歓声が上がっていた。
18時半、生配信が始まる。ブッコローがいたところには、ぬいぐるみのブッコローがいる。
おかえり、ミミズク 馬場涼子 @babaryouko5656
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