第93話 アイドルだった私、闇夜の熱い夜

 その頃迎賓館では、疲れてベッドにダイブしたものの、興奮からか眠れずにいる男……アッシュである。


 初めて舞台中央に上がった。


 とてつもない緊張。失敗は許されないのだというプレッシャーと、あの曲をリーシャだけのために演奏することへの不安。


 初めにルナウから相談された時は焦ったのだ。

『特定の相手にだけ届けたい曲を作ってほしい』

 そう、言ってきた。


 相手が誰なのかは聞くまでもなかったのだが、こちらがなにも言わずいるというのにルナウはペラペラと自分がルルをいかに大切思っているか、こんな気持ちになるのは初めてだああどうしよう、と勝手に相談を投げかけてきた。初めは面倒だったが、彼の真摯でまっすぐな気持ちは、アッシュの心を動かしたのだ。


「アッシュもさ、リーシャに向けて歌えばいいよ。その弦の音でさ!」

 そんな風にそそのかされ、つい、その気になってしまった。

 リーシャだけを見つめ、リーシャだけのために弾いた。さすがにそのことには気付いているはずだ。だが、今のところそれに関してのコメントはない。なにしろ公演終わりは忙しいのだ。リーシャはマーメイドテイルの代表としてあちこちに挨拶をしなければいけない立場だったし、自分は楽隊を指揮して動かさなければならない。


 ちゃんと通じたのだろうか。

 何度も何度も思いの丈をぶつけているが、リーシャからの反応はいつも薄い。アイリーンがよく『お姉様はご自分のこととなると鈍いのです!』と言ってはいるが、確かに反応は今日も淡白だった。

 それとも、単に自分に脈がないということなのか……。これだけ押してもダメなのだ。必要とされているのはわかっているが、結局はマーメイドテイルというものを通してだけ、求められているのかもしれない。

 考え始めると悶々としてしまう。


 コンコン


 小さな音だった。眠っていたら気付かなかっただろう。しかし、音は確かに、した。


 コンコン


 やはり気のせいではないようだ。

 アッシュはベッドから起き上がると寝着の上からガウンを羽織り、枕元の眼鏡に手を伸ばす。眼鏡を掛けながら小さくドアを開けると、そこには王室騎士団の制服を着た人物が二人、立っていた。


「夜分に失礼いたします」

「……あの、なにかありましたか?」

 何事かと目を見張る。

「このような時間に申し訳ありません。我々と一緒に、来ていたきたいのですが」

 低い声でそう告げられ、余計に訳が分からなくなる。

「来て、って……こんな時間に、どこへ?」

「王宮へ」

「……は?」


 新手の悪戯かなにかなのか? だとしたら悪質な上、リアリティに欠ける。なんでこんな夜中に王室に呼び出されなきゃならないのか。

 ……待てよ?


「……まさか、反逆罪で捕まるのですかっ?」

 アッシュの頭から一瞬で血の気が引いた。

 王家の人間であるルナウと二人で舞台に立ってしまったことが、王宮で問題視され捕まるのかもしれない!


「なにを仰っておいでか? バーナム第二皇太子様がお呼びなのです」

「……バーナム第二皇太子様が?」

 ますますもって意味がわからなかった。

「バーナム様からの伝言をお伝えします」

「あ、はい」

「『リーシャだけでは物足りない。お前も来い』……だそうですが」

 メモ紙のような文を読んでいる近衛が首を傾げながら告げる。と、アッシュの顔つきが、変わる。


「……リーシャ様が、こんな時間に?」

 ギロリ、と近衛を睨む。

「どういうことですっ?」

 詰め寄るアッシュ。

「そ、それが、私どもにもよくわからないのです。バーナム様に呼ばれお部屋に行きましたところ、男女の激しい息遣いが聞こえ、その、汗だくのバーナム様がこれを差し出しながら、アッシュ様をお連れするように、と」

 身を引きながら近衛が答える。

「リーシャ様が、第二皇太子の寝室にいるとっ?」

 胸倉を掴み、凄む。


「え、ええ、中にいらっしゃったと思いますっ。『もっと、もっとよ!』という激しい声が、そのっ」

 説明しなくてもいいようなことまで説明する近衛。

「リーシャ様っ」

 アッシュが頭を抱えその場に崩れ落ちた。

「ああ、だから言ったじゃないかっ。リーシャ様は自分で自分のことがわかっていないんだっ。どうしてああも隙が多いのか……相手は第二皇太子だぞ? このまま王都に残るつもりなのか? もう、一生戻れなくなるじゃないかっ。しかし相手は第二皇子であるわけで、これはもう自分にはどうしようも、」

「いいから、早くおいでください」


 近衛二人がぶつぶつ呟いているアッシュの両脇を抱える。そのまま廊下を引きずるように、外へと運ぶ。


「まったく、なにがどうなっているのか」

 そんな愚痴を漏らしながら、腑抜けになったアッシュを馬車へと押し入れる。

「そりゃ、あの舞台を見てリーシャ様に気が向く気持ちはわからないでもないが、夜中に呼びつけて……しかも今度はもう一人、それも男を、って」

「な。バーナム様、そういう趣味だったんだな」

「言えないぜ、これは」

「特に副隊長には言えないぜ」

 コソコソと話をしながら、馬車を走らせる。


 迎賓館から王宮までは目と鼻の先だ。裏庭近くに馬車を止めると、アッシュを引きずり下ろす。寝着にガウンを羽織った大の男を運んでいると、なにやら犯罪人のような心持ちになってくる。


 渡り廊下から別館へ入ると、バーナムの部屋に近付くにつれ、熱い男と女の吐息が聞こえ始める。


「……か……動いちゃっ」

「でも……我慢できなっ」

「まだやめないでっ。もっと激しくっ」

「これ以上はっ、リーシャ!」

 そんな声を聞き、ガバッと立ち上がるアッシュ。大きなドアの前に立つと、

「リーシャ様! リーシャ様、ご無事ですかっ!」

 と必死の形相でドアを叩く。近衛二人が止めに入ろうとした瞬間、カチャリ、とドアが開けられ、中から男と、女の腕がにゅるりと伸びた。


「ひっ」

「ぎゃっ」

 近衛二人が驚いて身を引くと、二本の手はアッシュを掴み、部屋の中へと引きずり込んで……消えた。


「……おい、どうする?」

「用事は済んだんだ。とっとと帰ろうぜっ」


 二人はドアの前で一礼すると、逃げるようにその場を後にしたのである。

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