第91話 アイドルだった私、先の見えぬ夜

「キディ公爵様」

 私は緊張をなんとか飲み込み、キディ公爵の前に立ちカーテシーをした。


「本日は、ありがとうございました」

 顔を上げるのが怖くて、しばらくそのまま動けない。と、

「とんでもないことだ」

 低い声で、キディ公爵がそう切り出す。やっぱり、お怒りのようだ。

「こんなバカげたパーティーを我が歴史あるキディ家でやられるとはな」

「も、申し訳っ」


「リーシャ、今日も素敵だったわぁ!」

 ん? この声?

 顔を上げる。と、

「ミズーリ様! 来てくださってたんですねっ!」

 いつの間にかキディ公爵の隣には公爵未亡人であるミズーリ・タルマンがいたのだ。

「お父様、面倒な言い回しはいいから、ちゃんとお話なさい!」

 娘であるミズーリにガツンとやられ、バツが悪そうにキディ公爵が咳ばらいを始める。

「あー、コホン。あれだ。馬鹿げてはいるが、その、」

 もじょもじょしているキディ公爵の言葉尻にガッツリ被せるように、


「お父様ったらね、あまりのことに圧倒されちゃってたみたいよ? なにしろほら、こんな舞台観るの初めてでしょ? それに、孫があんなにカッコよく踊ったり歌ったりするもんだから、感動しちゃったのね。まさか途中でロギッサまで披露する羽目になるなんて本人もビックリだったでしょうけど。聞いてよ、リーシャ! シンクロ聞いた時なんか足でリズム取ってたのよ!」


 弾丸トークである。


「それに、ルナウがひとりで舞台で歌ったでしょ? もうその時なんか、ルナウの歌聞きながら本気で泣いちゃってたのよ? ハーベス・キディを泣かせるなんて、大したもんよね、あの音楽家!」

「……あ、ありがとうございますっ」

 私、なんだか体中の力が抜けていく。


「……王都の貴族たちは思っていたのとだいぶ違ってたでしょ?」

 ミズーリに言われ、私は真面目な顔で深く頷いた。

「反応が全然違うものね。でも、大丈夫よ。ちゃんと届いてたと思うわ。全員にじゃなかったとしても、きっと誰しもの記憶に残る一日になっているわよ」

 ミズーリにそう言われ、心が軽くなる。


 ああ、よかった。

 間違ってなかったんだ……。


「リーシャ様」

 後ろから声を掛けられ、振り向くとジャオがいた。

「ジャオ様!」

 約束通り、大切な人を連れて来てくれたようなのだ。ジャオの後ろにいた女性が、ズイ、と前に出た。すると、ミズーリとキディ公爵が深々と頭を下げた。


 え? え? ちょっと、なにっ?


「こちら、キディ王家の第一皇女、レイラ・キディ様です」

「……へっ?」

 私、変な声が出る。

 待って。

 待って待って、今なんつったっ?

「第一……皇女、様?」

「バーナム様のお姉様です」

 はぁぁぁっ?

 ジャオの大事な人って……えええええ?


「リーシャ……さん?」

「あ、はははははい!」

 私は完全にテンパった。

「今日の舞台、素晴らしかったわ。ありがとう」

 手を握られ、お礼を言われた。

「いえ、そそそんなっ」

「あなたのおかげで、私……幸せだった」

 目にいっぱいの涙を溜め、そう口にするレイラ様と、そんなレイラ様を切なそうに見つめるジャオ。そう、か。ジャオはレイラ様に……何か大切な想いを伝えられたんだね。


「私たちの公演が、レイラ様にとってよきものであったなら私たちも嬉しいです」

 そう言ってレイラ様の手を放し、深く、カーテシーを返す。


「まさかレイラ様がおいでになるとは」

 少しばかり緊張した面持ちでそう言ったのはキディ公爵。

「バーナム様に招待状を送ったという話はルナウから聞いてはおりましたが……」

「私は別口から誘われたのですわ、ハーベス様。でも、来てよかった……」

 そう言って、胸の前で手を組む。


「確か、ご縁談が決まったのだとか」

 キディ公爵の言葉に、私、思わず

「えっ?」

 と声が出てしまう。

「まぁ、おめでとうございますレイラ様!」

 ミズーリが祝いの言葉を述べる。私は思わずジャオの顔を見てしまった。寂しそうに笑う、その顔を。


 ……やっぱり、駄目なんだ。王家の人と一介の伯爵家長男。地位とか家柄とか、そういうの、越えられないの?

 なんとも言えず黙り込んでいると、ジャオが私の耳元に口を寄せ、

「そんな顔をしないでください。リーシャ様のおかげで、私は素晴らしい時間を過ごせたのですから」

 と囁いた。

「うん……」

 やっぱり私には理解できないよ。だって王家だろうが公爵だろうが、私の中ではみんな同じなんだもん。そこにいる誰かは、階級で括れるようなものはない。みんな大切な、私の友人であり、知人。


「おい、リーシャ!」

 ムッとした顔でつかつかとやってきたのは、バーナム第二皇太子。

「バーナム様、今日はお越しいただき感謝いた、」

「挨拶はいい!」

「へっ?」

 カーテシーの途中でぶった切られる。なに? なんか怒ってるっぽいんだけど、私なにかやらかしたかな?


「ああ、お姉様はそろそろ王宮にお戻りになった方がいいですよ。ジャオ、ちゃんと送り届けろよ?」

「勿論です。では、参りましょうレイラ様」

「分かりました。では、失礼いたします」

 ジャオとレイラ様を見送り、改めてバーナムに向き合う。


「あの、なにか……」

「リーシャ、今夜このあと、俺の部屋に来い」

「……はぃ?」

 いきなりの誘い……しかも、部屋に呼ばれるというとんでもない誘いを前に、絶句する。


「部屋って……なんで?」

 思わず聞いてしまう。

「そんなこと……わかるだろうっ。俺が来いと言ったら黙って来ればいいんだっ」

 なんとも横暴な。

「バーナム様っ?」

 傍にいたミズーリとキディ公爵も慌てた様子だ。

「それはなりませんっ、いくらなんでも、」

 ミズーリが宥めるが、バーナムは聞かない。


「これは命令だっ。いいか、日を跨ぐ一刻前には絶対に来い。もちろん、独りで、だ。迎えを寄越すから部屋で待て。それと、このことは他言無用だ。いいなっ?」


 いやアンタ、いいなって……いいわけないでしょうがっ。

 私はわなわなと肩を震わせどう返すべきか迷った。が、わからない。その頬をひっぱたけばいいのか? でもそんなことしたら他のメンバーがどうなるかわからない。


「着飾る必要はない。来ればいい」

 そう言い放ち、くるりと踵を返す。

「ちょ、」

「お前に拒否権はない」

 背を向けたまま、言った。


 そしてそのまま、屋敷を去って行ったのだ。


「リーシャ、」

 ミズーリが私の肩に手を置いた。

「ミズーリ様、今のって、その……」

 男が、女を、寝室に呼んだのだ。


「ああ、リーシャ……」

 ミズーリの態度がすべてを物語っている。


 私は、第二皇子バーナム・キディの……お手付きになる、ということなのだろうか。

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