第54話 アイドルだった私、初めての膝枕

 準備にはそれ相当の時間がかかった。


 私は寝る間も惜しんで、ありとあらゆることをこなす。それは大変な作業ではあったけれど、新しい分野を開拓する楽しさの方が勝る。とはいえ……、


「……顔が疲れてます」

 アッシュが眼鏡の奥、ギロリと半睨みで私を見下ろす。

 新曲が出来上がったという知らせを受け、打ち合わせを開始して早々、怒られる。

「リーシャ様、また無理をしてますね?」

「え? いやぁ、そんなことは、」

 視線をそらし、誤魔化そうとするも、

「寝てますか?」

 尋問が、始まる。


「ちゃんと寝てるわよぉ」

「どのくらい?」

「……それなりに」

「食事は?」

「あ、それは大丈夫!」

、ですか」

 はぁ、と息を吐き出すアッシュ。


 応接室には私とアッシュしかいない。シートルの二人は新人たちのダンスレッスンを。アイリーンは自室でシャルナと共にデザイン画を描いてくれている。私の雑な絵と説明を、明確に形にしてくれる二人は、本当にすごいと思う!


「無理はしてないわよっ? 仕事はみんなに投げてるし、必要なことしか、」

「その、必要なことが多すぎるのでは?」

 詰め寄られる。

「昨日まではっ、その、ドレスの案、考えてたから多少忙しかったけど、それはもう終わったし……うん」


 次は新曲の振り付けを考えて、当日の構成を考えて、司会進行のセリフを考えて、シャルナのお友達を招いてお茶会しながら勧誘して、そっちの打ち合わせもして、それと……あれぇ? 案外やること多いな。


「今、これからやらなきゃいけないこと考えて『結構多いな』って思いましたね?」

「え? やだなんでわかるのっ?」

 心を読まれてるのかと思い、焦った。が、

「顔に書いてあるんですよ、まったく……」

 アッシュは椅子から立ち上がると、窓辺にあるソファに座り、私を振り返る。

「こっち、来てもらっていいですか?」

「え? うん」

 私も椅子から立ち上がり、ソファの方へ。向かい側に座ろうとした私に

「隣に来てください」

 と、自分の隣をポンポン叩いた。


 不思議に思いながらもそれに従い、隣に座ると、

「私との打ち合わせは、午前中いっぱいでしたね?」

「うん」

「内容は新曲の確認と、それぞれの割り振り」

「そうね、どのパートを誰に歌わせるか」

「以上ですか?」

「そう……だけど?」

「では」

 ズイ、と、何故かアッシュが私に詰め寄ってくる。そのまま、私の肩に手を回した。

「ちょ、へ? なななにっ?」


 肩に回した手が、私の体を力任せに倒した。

 私は、アッシュに膝枕される形になる。


「例え数刻だとしても、横になって目を閉じれば体は楽になります。いいから、目を閉じてください」

「でも、新曲、」

「確認ですが、私を全面的に信用してますよね? リーシャ様」

「それは、もちろんっ」

「では、新人の楽曲……パート選びと歌の稽古は私にすべて託してください。彼らが完璧に歌えるようになってから、振り付けに入りましょう。二日で仕上げます」

「えっ? 二日でそこまでっ?」

 頭を起こそうとするも、手で押し戻される。

「寝て」

「無理だよぅ……」

 男の人に膝枕してもらうとか、ないって!


「肩に頭を乗せて寝る方がよろしいですか? 私はどちらでも構わないのですがね、顔が近くにあると、なにかしでかしそうになるやもしれないので、この方が安全ですよ?」

 ふひっ?

「なっ、」

 顔に血が上る。

「だったら私、部屋でっ」

「それはダメです」

「なんでよっ。休ませたいって言うなら、私は部屋に戻って寝たらよくないっ?」

「それでは私がリーシャ様の寝顔を見られないじゃありませんか」


 えええええっ?


「……しれっとすごいこと言ったわね」

「見たいですから」

 口の端を上げ、微笑む。

「さ、どうぞお休みください」

「そう言われても」


 こんな落ち着かない状態で、眠れるわけがないじゃないかっ。


『気が付けば君は僕の中にいて

 知らぬ間に君は僕を支配してた

 君のいない日々など考えられず

 君の姿見つめては頬を緩める』


 ええっ?


 アッシュの歌声を聞いたのは初めてだ。彼が作った曲、愛のうた。そう、こんな風に歌うんだ……。ハミングするみたいに、バラードみたいに静かで、少し掠れたような、ウイスパーボイス。


『失くしたくないから

 いつもそばにいて欲しくて

 触れていたいから

 いつも手を伸ばすけど――』


 なんて心地いいんだろう。ゆらゆらと、優しく揺らされているみたいな浮遊感。それに加えて、アッシュは私の頭を撫でている。それがまた心地よくて、私は目を閉じる。


『愛なんて簡単な言葉で済ますには

 あまりにも浅はかで物足りないよ

 愛なんて曖昧な形のないものに

 この想い委ねるのはなにかが違う


 それでも伝えたくて、届けたくて

 この心、歌に乗せ君に送るよ

 これは不器用な僕からの愛のうた

 君を思って止まない僕からの愛のうた』


 私はいつの間にか、眠ってしまった。そして、夢を見たんだ。とても、幸せな夢を。


 ああ、マーメイドテイルが歌ってる。大きな舞台で、元気いっぱいに。メンバーも笑顔だし、そこにいる私……水城乃亜も笑ってた。ずっと変わることなく笑い合えると思っていた仲間たち。ごめん。


 でもね、私はアイドルを諦めていないんだよ! 今でも、歌い、踊ってる。みんなとは違う場所で、ひとりで……ううん、今はひとりじゃない。こっちのメンバーと頑張ってるんだ。だから!


 私、絶対に弱音は吐かない。吐くもんですか!


——歌が、聞こえる。


 静かに寝息を立てるリーシャ。


 アッシュは、リーシャの髪を撫でつけ、溜息を漏らす。


「いつまでこうしていられるでしょうね」

 その目は暗く、沈んでいるのだった。


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