第44話 アイドルだった私、舞台前の儀式をする
アッシュが去った部屋。
アイリーンとマルタが私を見ている。意味ありげな、にまにま顔で。
「な、なによ二人してっ」
「お姉様、顔が赤いですわね」
「これは、熱があるかもしれませんねぇ」
「大変ですわぁ」
「そうですねぇ」
絶対面白がってる!
「私、もう寝る!」
そう言って布団を頭から被る。二人のくすくす笑いが聞こえるけど、一切無視なんだからね!
「では、何かありましたらお呼びください」
マルタがそう、声を掛ける。そして、パタン、とドアが閉まる音。
私は布団からそっと顔を出し、息をついた。
「もぅっ」
心配してくれるのは嬉しいけど、あんなっ、もぅ!
アッシュの言葉を思い出し、頭に血が上る。
本当に熱が上がりそうで、私は頭を振った。
疲れが溜まっていたのだろう。こっちに来てからずっと走りっぱなしだった気がする。アイドルでいることを諦めたくなかったから。
目を閉じると、ふわりと眠気に身を委ねる。今は疲れた体を癒すことが私のすべきことだ。だから、眠る。
眠りの向こう側で、私は夢を見ていた。
アイドルになったばかりのころの夢。
舞台に立つのが怖くて、不安で、綺麗な衣装はなんだか落ち着かなくて、私は舞台の袖でマイクを握り締めたまま震えていたんだ。
『大丈夫よ、乃亜!』
そう言ってくれたのは誰だったろう?
『ほら、これを踏んで!』
そう言って紙切れみたいなものを出されて、それで……、
『大丈夫よ! みんながあなたを待ってる!』
私はその言葉を背に、舞台へと向かった。
*****
皆の心配をよそに、私の体調不良はあっという間に回復した。伊達に体力づくりしてないわよ! みんなからは『無敵か!』なんて馬鹿にされたけど、いいじゃない。健康第一!
ってわけで、とうとう本番がやってきた。
「今日は、期待しているよ」
楽屋代わりの近くの食堂に顔を出したのはマクラーン公爵。息子でもあるケインを気にしてわざわざ挨拶と称して顔を見に来たんだろうな。
「ご期待に沿えるよう、精一杯頑張りますね!」
私は元気よくそう告げると、メンバーを見る。みんなガチガチだ。研究生たちはこれが初舞台。だから緊張するのはわかるんだけど、なんで元メンまでそんな顔してるのよっ。
「ケイン、皆さんに迷惑をかけないよう、」
「それか~!」
公爵の台詞をねじ伏せる勢いで、私が声を荒げる。
「なっ、なんだいっ?」
公爵がビックリして体を震わせた。
「みんな、緊張しすぎ! 新人たちはわかるけど、ランス、アルフレッド、アイリーンはどうしてそんなに固いのっ?」
腰に手を当て、問い詰める。
「だってさぁ、」
口を開いたのはアルフレッド。
「こいつらのカバーがちゃんと出来るか、とか思うと……、」
「それに、今回は客層が今までと違うだろ?」
ランスも続ける。
「私たちの公演が受け入れてもらえるのか考えると、不安なのですわ」
アイリーンまでそんなことを口走る。
「……そうね。確かに今回は貴族相手の公演とは違う。もしかしたらヤジが飛んだり、酔っ払いが舞台に上がってくるかもしれないわ。でも、大丈夫よ。私たちの舞台は、絶対にウケる。私が保証する!」
「お姉様……、」
「あんなに頑張ってやってきたんじゃない。自信持ちなさいよ! 研究生たちもそうよ。みんな出来ることはそれぞれ違う。その違いが、私たちの強み。オーリン!」
「は、はいっ!」
名を呼ばれ、パッと顔を上げる。
「カンナ様は来てるの?」
「あ、はい。朝から張り切っておでかけの準備をしておいででした」
「じゃ、カンナ様を笑顔にすることを第一に考えて。最高の一日にしてあげなきゃ!」
「……あ、はいっ!」
「ニーナ!」
「はいっ」
「御両親は?」
「朝から大騒ぎで……。親戚一同、それに常連のお客さんたちや友人たちが」
「ニーナのダンスはきっと沢山の人の心を動かすわよ。男二人に負けない、力強いダンスを。笑顔を忘れないで!」
「はいっ」
「ルル、イリス!」
「はい、」
「はいっ」
不安げなルルと、そんなルルを心配するイリス。
「アッシュを信じて。彼の特訓を受けてきた二人の歌声、絶対に大丈夫! アイリーンの美しさを、きっとあなたたちの歌がさらに押し上げてくれるわ!」
「リーシャ様…、」
「頑張りますっ」
「そして、ケイン」
「……はい」
「ここにいるマクラーン公爵は、あなたの父親じゃない」
「え?」
「公爵は私たちの後ろ盾。私たちの雇い主よ。いいこと? これは遊びでも自己満足のためでもない、きちんとした仕事なの。あなたはまだ研究生だけど、精一杯やりなさい。雇い主に認めてもらうこと。お客さんを元気に、笑顔にすること。今までやってきたことを、失敗してもいいから全部出し切って!」
「……わかりました」
全員の顔を見る。うん、私たちは大丈夫。
「では、これからある儀式をします」
私は声を潜めて真面目な顔で言った。
「儀式……って、なんだよ?」
アルフレッドが怪訝な顔で聞き返す。
「緊張しないおまじないよ。私も忘れてたんだけど、この前ふと思い出したの。これ」
白い紙を取り出す。紙の真ん中には、漢字で『
「なんだ、この変わった模様は?」
「ランスが紙を覗き込んで首を傾げる」
「これはね、タコ。空を飛ぶ……えっと、そう! 架空の生物なんだけどねっ」
口から出まかせでいいや!
「空を飛ぶタコを、今からみんなで、踏みます」
言いながら、紙を床に置き実践して見せる。
「踏む……のですか?」
「何のために?」
アイリーンもランスも、まだ気付いてない。仕方ない、正解を教えよう!
「タコを踏む。そうすると、タコは空を飛べなくなるのです。つまり、あがらない」
「あがらない……。あ、わかりました! これは緊張しないためのおまじないですね!」
ケインが叫ぶ。
「正解! タコを踏んだら、あがらない!」
私の声に、その場にいた全員が笑った。
緊張は解けた。あとは舞台に飛び出すだけだ。行くぞっ!
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