第10話 アイドルだった私、フラグは早いうちに摘め

 五曲目を歌い切ったところで私は舞台を降りた。


 人だかりも徐々に減り、私は赤い金魚亭のマスター、オズマンの奢りで少し遅い昼食を摂ることになった。

 勿論、仮面はつけたままだ。


 カウンターに座り、料理を待つ。


「さ、どんどん食べてくれ」

 目の前に置かれたオズマンの料理は、どれも美味しかった。私は遠慮なく、残さずいただくことにする。


 夢中で食べていると、どこからか強い視線を感じた。

「ん?」

 ふと、顔を斜め後ろに向けると、こちらを見ていた男がさっと視線を外す。あれって……、

「さっきの!」

 私、思わず指をさして声を上げてしまう。男が慌ててカウンターへとやってくる。

「やっぱりそうか! あんた、更衣室の、」

 その光景を思い出したのか、男は心持ち顔を赤らめた。


「まさかこの店の歌手だったとはな。……さっきは悪かったよ。まさか人がいるなんて思ってなくて」

 素直に頭を下げられ、私も恐縮する。

「ああ、大丈夫ですので」

 あっけらかんとそう答える私を見て、男が目を丸くする。

「いや、普通なら泣き崩れるか、慰謝料請求するか、結婚せがむかの、どれかだぞ?」


 へぇ、この世界では下着姿見られるとそんなに大変なんだ。


「そうなんですか? へぇ」

 私、料理片手に生返事。

「ぷっ、なんだよその反応」

「だって、大袈裟でしょ、たかが更衣室覗かれたくらいで、」

「覗いたわけじゃねぇ!」

 男が顔を真っ赤にして叫ぶ。そして周りの視線に気付き慌てて声を潜めた。


「なんにせよ、お気になさらず」

 私、最後の一口を頬張ると、お皿を置いた。

「ご馳走様でした!」

 声を掛ける。厨房から出てきたオズマンに、顔に付けていたお面を外し、渡した。

「歌、ありがとな」

「こちらこそ! じゃ、」


 片手を上げ、赤い金魚亭を出る。

 そろそろ帰らなければ。あまり遅くなるとマルタが心配する。私は家路に着くため、相乗り馬車を探す。と、


「おい、待てよ!」


 走ってきたのはさっきの男。

「なにか?」

「あんた、あの店の歌手じゃないのかよ?」

 息を切らして聞いてくる。オズマンに「ノアの次の出演はいつか」と聞いたら「次はない」と言われ慌てて追ってきたのだという。


「ああ、私は通りすがりの歌手です。多分もうあの店には……、」

「じゃあっ!」

 男が私の両肩に手を置いた。

「あんたには、どうやったら会える?」

 赤い顔でそんなこと聞かれても、困るのだけどね……。


「申し訳ありませんが、もうお会いすることはないかと、」

「なんでっ?」

「えっと……遠くへ行くので」

「どこにっ?」

「それは言えません」

「なんでっ?」


 ……子供かっ。


 私、眉間をひくひくさせながら、ニッコリ笑う。

「個人的な事情がありますもので、これ以上は申し上げられません。失礼いたします」

 言葉は丁寧でも、言い方に目一杯の棘を含ませ、言い放つ。さすがに私が怒ったことを理解したのか、男は私の肩に乗せていた手を退かす。そして一言、

「面白ぇ、女」

 と呟いたのだ。


 、と!!


 こんなのフラグ以外の何物でもないじゃないっ! 私、慌てて走ったわ。一刻も早くこの男から離れなきゃって感じたもの。

 ところが男が追ってくる。

 冗談でしょ!?


 あっけなく私を捕まえると、彼はこう言ったのだ。


「名前と家、教えてくれない?」

「……何のために?」

「結婚を申し込みに行く」


 ほらぁ……


 面倒なことになった。

「私とあなたでは身分が違いすぎますわ。結婚など、有り得ないことです」

 この世界のことはまだよくわからないけど、それっぽい発言で場を濁そうとする私と、

「困難は乗り越えるためにある。問題ない」

 初めて女にときめいちゃった、みたいなウルウルした瞳の男が見つめ合う。

 私は深い、深い溜息をつき、言った。

「では、明日、改めてここで会いましょう。それでよろしいですか?」

 観念した私を見て、男がパッと顔を紅潮させる。

「よし、わかった!」


 私はこうして、体よくことに成功したのである。


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