第3話 聡子は悪役令嬢

 言葉はなくとも通じる、まさかそんなわけもなく第一声を開く。

「どなたですか」

 冗談めかして行ってしまった風で申し訳ないのだが、本当にそう思っているので、言ったまでだ。聡子さんはこちらを向いて一礼した。

 隣の澪子が、何か手で仕草をしているがよく分からない。

 そもそもコロナが始まってからというもの、澪子の顔をよく見たことがない。

「というわけで、聡子です。小さい時に会ってはいると思うけど、今年から編入になったの」

「そうなんだ、よく似てるね」

「マスク越しでそんなことわかるわけないでしょ」

 二人して、そう言ったので少し引いてしまった。とはいえ、図書委員が増えるのはいいことである。

 中国関連の書籍が多いこの図書館では、澪子の管理能力は絶大な力を発揮する。

 IDでも全ての登録ができているわけではないから、澪子の独断である程度管理されている。少なくとも今は。

「聡子さんは、編入されたばかりですよね。この図書館の知識はありますか?」

「ないですが、これから覚えていくつもりです。ぜひ色々教えてください」

 美人姉妹が二人揃ってこちらを向いているので何となく目のやり場に困った。けれど何を言ってもしかたなさそうなので黙っていると、澪子の方が、

「とりあえず今日から図書委員が増えるからよろしくね」

 それから聡子の方に向き直って、「こいつはこき使っていいから」と言い放った。

「ちょっと待ってくれ。こき使うとは言ってもできることは限られているだろう。具体的に何をすればいいんだ?」

「それはもちろん。本の整理が主な業務よ。けれどあなたほとんど中国語できないわよね」

 なぜかそこで、少し半笑いになったような気がしたが無視し手続きを促す。

「それで?」

「これからは聡子の助手になりなさい。いいこと?聡子は優秀な生徒だからミスは許されてない。それをあなたは弁えて彼女に接すること」

 澪子はそう言い切って一旦後ろを向いた。

 何をするのかと思いきやいきなり、聡子に何か本を手渡した。

「これは御厨という男を手懐けるための指南書よ。よく読んでおいて」

 おいおい、そんなもの作っていたのかよ、『謝謝』。

 などと言っている場合ではない。

 もう少しだけ聡子について知る必要がある。

「次は何だ?」

 身構えていると、澪子が右手を上げた。

「あとはよろしく」

 そういう残してその場を去るかに見えた。しか十歩ほど進んだところで停止してまた振り返る。

「私よりは大事にしてあげてね」

 そのことの意味するところはわらなかったが、なにか『重要的』であることを伝えたがっていることはわかった。

 俺はさっそく家に帰り、聡子に関する情報をリストアップした。まず背が低いので、その点澪子は違う。

 澪子は背が少し高いので、見下ろす感じになるが聡子は基本的に見上げている。

 姉妹なのにも関わらず、似ているのは容姿だけでなく声音もそっくりで、おそらくIDを通したやり取りでは判別できないだろう。なので、一旦はIDから澪子に確認を取ることにする。

 「聡子さんは中国語ができるの?」

「できるも何も、私と同じくらいの実力はあるわ。中国国籍だもの」

 でました、中国国籍マウント。この学校では中国国籍であること自体が最強のマウント剤、それに匹敵するものはない。

「そうでしたか、よろしくお願いします」

 およそと年下であるにも関わらず、敬語である、「御厨啓介、ここにシス」となりそうだった。


 その日の晩、誰からの通知ともしれず、なにやら端末が光っていた。おそらく聡子かなと開いてみたら日下部だった。

「図書委員が増えたらしいじゃないか」

「お前も図書委員だろ」

 日下部との会話において中国語が入り込む余地がないのが救いだ。

「で、聡子さんってどんな人なんだ?澪子さんの妹らしいけど」

「それはお前の想像通りで、中国語堪能、眉目秀麗といったところだね」

「難しい案件だ」

「全くな」

 いやちょっと待て、こんなところで意気投合している場合ではない。別に日下部と意気投合するために、聡子と会ったわけではない。

 けれど、妙に気になる女子だったのは事実だ。まず澪子と違って髪が短く声は低かった。

 それだけの情報でなにがわかるのかという向きもあるかもしれないが、それに加えて中国語も堪能だとくればやはり学園内でも人気が出てもおかしくないだろう。

 まだあまり話したことはないけれど今後に期待したい。野球の監督ではないけれど。

 風呂から上がってから、なにやら通知が光り輝いているのが見えた。女子からの通知は光り輝いて見えるように設定してある。もちろん嘘です。

 何のことはない澪子からだった。

「日下部くんとはどういう関係なの?」

 あまりに普通に日本語で書かれていたため度肝を抜かれた。よほど知りたいらしい。

「普通に中学からの同級生だよ『沒什麼特別的』」

 意味は「特になにもない」

 俺はある程度中国語の例文をストックして会話に応用しているため、自分で中国語を書くことは少ない。

 それでも澪子の相手をするには苦労しないから、しばらくはこの路線で行く。

「日下部こと好き?」

 素直な疑問をぶつけてみると、しばらく返事が返ってこなかった。

 それはそれでいいとして、今度は聡子さんからなにやらメッセージが届いた。

 「最近の姉はどうですか、図書委員ではどういう立ち位置なんですか?」

 こればかりは、稲葉先生に聞いてみないとわからない。稲葉先生とはIDのシステムエンジニアであり、俺の直属の上司でもある。

「結局のところ、それは稲葉先生に聞いてみないとわからないよ」

「どうしてですか?あなたの意見を聞きたいのですが」

「僕の意見なんてどうでもいいんだ、問題はIDがどう機能しているかなんだ。単なる中国語を翻訳できる機械としてではなく、コミュニケーションツールとしての」

「なるほど、わかったようなわからないような」

「わからないままでいい、そういうこともある」

「そうなんだ、ところで本題に戻りますけど姉さんの振る舞いはどうですか?」

「それはもう素晴らしいとしか言いようがないよ。中国語があれだけ話せれば図書館内部の執務も一気に進む。重宝しています」

「それはよかった、では一つあなたを試させてください。青海省に発し渤海湾に注ぐ、中国第二の大河は何か?」

「それは少しわからないな。中国史は疎いんだ」

「それではダメですね。失格です」

 とはいえそれで引き下がるわけにはいかない。

「そんなこと言ったって、わからないものは仕方ないじゃないか。けれど、中国語なら君より詳しい自信があるぞ」

「あらそうですか、ではまず私に向かって姉様が好きですと言ってみなさい」

「ちょっと待ってくれ、もし仮にそうじゃないとしたらどう責任取るつもりなんだ?」

「そんなことはどうでもいいのです。さあ早く」

「わかったよ。『我喜歡澪子』」

「だめですね、発音がなってない。文節の切れ目がおかしいわ」

「そんなこと言ったって仕方ないだろう。俺はまだ勉強を始めて一年かそこらだ。よくやってるくらいだと思うがな」

「始めてからの時間なんて問題ではありません」

「必要なのは、お姉さまへの忠誠です」

 中世と言ったって、できることといえば勉強の手伝いぐらいだし(まあ大抵は教えてもらう側だが)役に立っているとは思えない。それでもいいんだろううか。

「もう一つだけ質問させてくれ、IDを君は持っているか?」

「持っていません」

「なに?」

 そこで俺は思考停止した。この高校の生徒は必ず持っているはずのIDを持っていないだと?

「なら、普段どうしているんだ?」

「姉様のを借りています。それでなにも問題はありません」

 まさか……。俺の脳内を一つの考えが一閃した。澪子のIDは実は誤作動を起こしていたのではなく、聡子が使っていたのではないか。

 その瞬間に俺はまず先生に問い合わせることにした。

「他人のIDに無理矢理ログインすることはできますか?」

 問い合わせるとすぐさま返事が返ってきた。この先生は部下の問い合わせに対する反応がかなり早い。

「可能ではあるよ。基本的には顔認証だからそれなりの覆面なりを用意するなりすれば別に問題ない」

 この人は洒落が好きだが、こんなときにまで悠長でいてもらわれては困る。


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