第9話 クッキー狂騒曲(2)
「結局渡せなかったわ……」
黄昏迫る放課後の教室。エリシャは一人席に座って自分の不甲斐なさを噛みしめる。
机の上にはリボンを巻かれたクッキーの包み。昨日メイドと一緒に作り、色と形の良い物のみを厳選した十数枚の焼き菓子は、結局目的の人物の元には届かなかったのだ。
エリシャは決して努力をしなかったわけではない。
だが、午前中の休み時間の度に隣の教室に行くもテオドールの傍にはいつも誰かしらが居たし、昼休みに至っては彼が率先して仲間を集めて運動場で球技を楽しんでいた。午後の授業は移動教室が重なり、会えずじまい。
そして、とうとう終業時刻になってしまったのだ。
「せっかく作ったのに」
ごめんね、アミ。心の中で謝る。
既に
「あれ? エリシャ嬢、まだいたの?」
ドアからひょっこりと意中の人が顔を出した。
「テ、テオドール様!?」
あまりのタイミングの良さに、エリシャの声は裏返ってしまう。黄昏の淡い光に照らされた銀髪が優美で、逢魔が刻の幻のようだ。
「これから帰るところです。馬車が来ている頃なので」
王都在住の貴族家の生徒は馬車通学が多い。エリシャもテオドールも自分専用馬車で送迎してもらっている。
「そっか、俺も今から帰るとこ。またあし……」
別れの挨拶の半ばで、テオドールはふと机の上の可愛いラッピングに目を留めた。
「それ、なに?」
「こ、これは……っ」
訊かれた彼女は咄嗟に包みを掴むと、両手でずいっと彼に差し出した。これを逃したら後はない。
「ククククッキーです。た、食べますか?」
突然の好機に準備していた台詞が吹っ飛んでしまう。だが、挙動不審なエリシャに気づかず、テオドールは「やった!」と遠慮なしにリボンを解いた。
「丁度腹が減ってたんだ」
動物型のクッキーを一枚、丸まま口に放り込む。サクサクの軽い歯ごたえと共に上品な甘さが口の中に広がり、芳醇なバターの香りが鼻を抜ける。
「うまっ! これ、どこの店のやつ?」
宰相家の令息として数々の美食を堪能してきたテオドールだが、これは今まで食べた焼き菓子の中でもかなり上位の味だ。今度買いに行こう、と何気なく尋ねてみたのだが。
エリシャは真っ赤になって俯くと、制服のプリーツスカートをギュッと握る。
「……わたくしが」
「へ?」
「わたくしが作りました」
……。
「え? これエリシャ嬢が作ったの!?」
言葉の意味を飲み込むと同時に、テオドールは飛び上がった。
「凄いな! エリシャ嬢は料理も得意なのか」
感心しながら、今更気づく。そういえばこのクッキーは綺麗に包装されていたではないか。
「あれ? もしかしてこれ、誰かへのプレゼントだったの? ゴメン、俺食べちゃった」
真っ青になるテオドールに、エリシャはブンブンもげるほど首を振る。
「違います! それは誰かのではなく、テオドール様のために焼いた物で」
「俺の?」
訊き返す彼に、彼女はますます赤くなって消え入りそうな声で、
「昨日のジュースのお礼に。お口に合えばいいのですが……」
それを聞いた瞬間、テオドールは鮮やかなオレンジの瞳を零れ落ちるほど大きく見開いた。目が元のサイズに戻った途端、黙々とクッキーの包みを閉じるとリボンを掛け直す。
「……テオドール様?」
急に大人しくなった彼に首を傾げる彼女に、テオドールは虚ろな表情で返す。
「クッキーありがとう。じゃあ俺帰るから、エリシャ嬢も気をつけて」
「は、はい。ごきげんよう……」
素っ気ない挨拶で教室を去っていくテオドール。取り残されたエリシャは――
「わたくし、何かしてしまったのかしら?」
――彼の豹変に、呆然と立ち尽くすしかなかった。
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