第10話 クッキー狂騒曲(3)反省会
夜のオルダーソン公爵邸。
令嬢の私室では、制服のままのエリシャが自分の身の丈ほどもある狼のぬいぐるみを抱えて、ベッドの上でジタバタ暴れていた。
「どうしようどうしよう。テオドール様に嫌われたわ。一枚食べただけで逃げるように帰るなんて、きっとクッキーが不味かったのだわ。きっと気持ちが重すぎたのだわ。わたくしはなんて愚かなのでしょう。王太子様はユキノ様のお弁当を本当に嬉しそうに食べているから、わたくしの手料理もテオドール様はきっと喜んでくれると勘違いしていたの。恋人同士の王太子様達と違って、わたくしはただの『親友の元婚約者』で大して親しくもないのに……」
陰鬱なオーラを放ちながらブツブツ呟き続ける令嬢を、メイドのアミは必死で慰める。
「大丈夫ですよ、お嬢様。あのクッキーは確かに美味しかったですし、話を訊くかぎりじゃお嬢様に落ち度はありません。むしろライクス家の坊っちゃんの態度の方が問題では?」
「テオドール様を悪く言わないで!」
反射的に叫ぶエリシャはやはり重症だ。
「どうしよう。きっと私の姑息な下心を気づかれてしまったのだわ。明日からテオドール様に合わせる顔はない」
羞恥にぬいぐるみを抱きしめジタバタするエリシャだが。『意中の相手に贈り物をして喜ばせたい気持ち』を『下心』呼ぶなら、世の中に存在する『好意』の大半は下心になっちゃうんじゃないかとアミは思う。
「ねえ、アミ。明日学園をお休みしてもいいかしら?」
ぬいぐるみの影から令嬢が上目遣いにおねだりするが、
「もうすぐ定期考査でしょう? 休んでいる暇があるのですか?」
現実的なメイドが冷たくあしらう。
アミのいじわる! と狼のぬいぐるみに顔を埋めてゴロゴロするエリシャを横目に、アミはそれにしても、と眉を顰める。
(エリシャお嬢様をこんなに悩ませるなんて、やっぱりライクス家の次男はいけ好かないわ!)
……テオドールの評価はオルダーソン家の使用人の中でダダ下がりだった。
◆
一方、ライクス家では。
自室に戻ったテオドールは、クッキーの包みを両手で宝物のように抱え、片時も目を離さず見つめていた。
気が緩むと、勝手に顔がニヤけてしまう。
「エリシャ嬢が俺のためにクッキーを……」
突然降ってきた人生最大級の幸せ雷に打たれて思考が停止し、自宅までどうやって帰ってきたかも覚えていない。ただ、この手の中のクッキーだけが、今日の出来事が本物だと知らしめる証拠だ。
「明日改めて感謝を伝えよう。そうだ、お礼に家宝の翡翠の指輪を渡して……」
「そのクッキーはジュースのお礼でしょう? エンドレスお礼合戦するつもりですか。あと焼き菓子の返礼品に家宝は重すぎます」
ティーポットに茶葉を入れながら、ケントが冷静にツッコむ。うちの坊っちゃんは本当にエリシャ嬢が絡むと思考能力がゼロになる。
「それから、眺めているだけではなく早く食べてはいかがですか?
執事の助言に、令息は信じられないとばかりに目を見開く。
「食べるとなくなっちゃうだろう?」
「そりゃあ、クッキーですからね」
「せっかくのエリシャ嬢からの贈り物を喪失させる気か?」
「湿気らせたり、カビ生やしたりする方が損失ですよ」
ケントの正論に、テオドールは頭を抱えて懊悩する。
「じゃあ、どうにか保存する方法を……あっ」
令息は閃いた! と顔を上げた。
「蜜蝋で固めるか、塩漬けにしよう!」
「それ、別の食べ物になりませんか?」
どう考えても味が変わる。
「それなら、氷魔法で冷凍保存する!」
「術の効果はせいぜい二・三日では?」
「だったら、石化魔法だ!」
「二度と食べられなくなりますよ?」
ことごとくダメ出しされて、令息は髪を掻きむしる。
「あーもー! じゃあどうすればいいんだよ!?」
「だから、美味しいうちにお召し上がりくださいませ」
最初から、その結論しかない。
「うぅ……、食べてもなくならない魔法ってないかなぁ?」
「是非、開発してください。食糧難の改善にも繋がる国家的事業になりますから」
涙目でちびりちびりとクッキーを齧るテオドールに、ケントは渋めの紅茶を差し出した。
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