第3話 窓の謎

 先に帰るというメッセージをシャロに送り、荷物を持って走りだす。織姫には悪いけど、お礼はまた今度ということで。

 シャロたちを待つ俺の元に届いた一つのメッセージ。差出人は〝吾妻日和〟

 その届いたメッセージは、無視できない内容だった。

『やっぱりつらい かえってきておかあさん』

 吾妻は今日、体調不良で休んでいる。容体は聞いていなかったが、どうやらかなりヤバい状況のようだ。『間違えてるぞ』と送っても既読が付かない。何度も電話をかけているが、一向に出る気配はない。

「はぁ……はぁ……」

 普段あまり運動をしなせいか、少し走っただけで息が上がる。それでも俺は構わず走る。さっき急いで買ったお見舞い用の飲み物や食べ物などをできるだけ揺らさないように。

 今ある証拠だけで誰でもわかることだ。吾妻の家には吾妻以外誰もいない。そして体調がかなりまずいことになっている。メールを送る相手を間違えるなんてよくあることだが、内容が内容だ。どうしてもマイナスな方向へ捉えてしまう。

 息を切らしながら必死に走ってしばらく。過去に一度だけプリントを届けに行った吾妻の住んでいるマンションが見えてくる。

 マンションの4階にある吾妻の家の前まで行き、インターホンを押す。

 が、やはり反応はない。

「……開いてる」

 ドアノブを捻ると、抵抗することなくその扉は開く。

 許可は取っていないが、急を要する事態かもしれない。俺は「お邪魔します」とだけ言って玄関へと上がった。この前吾妻が休んでプリントを届けに行ったときは家の中には入らなかったので、こうして入るのは初めてだ。

 玄関には良く見る通販の段ボールが置かれている。恐らくこれを受け取った時に鍵を閉め忘れたのだろう。

「……おかあさん……?」

 そしてリビングに入ると、額に汗をにじませながら辛そうに床に倒れ、焦点の定まっていない目で俺を見上げる、パジャマを着た吾妻の姿がった。

「吾妻!?」

「じ……助手……?」

 その手には風邪薬と空のコップが握られている。薬を飲もうとして力尽きたのだろう。

「勝手に上がってごめん……大丈夫か?吾妻?」

「なんで……助手がここに……?」

「これ」

 俺は吾妻の送って来たメールの文面を見せる。

「こんなの見たら……ほっとけないだろ?」

「あ……間違えちゃってたんだ……」

「だから改めてお母さんにメール送りな」

「うん……そうする……」

 吾妻は深く息をついて、コップと薬を持ってゆっくりと体を起こす。

「それ、薬か?はい、水」

「うん……ありがとう……」

 病気のせいか、吾妻にはいつもの棘は無く、落ち着いた口調のしおらしい吾妻だけが残っていた。

 薬を飲み終えた吾妻にスマホを渡すと、今度こそお母さんへとメールを送る。

「もう……私は大丈夫だから……お母さんにメール送ったし……」

「さっきの見てそう思う奴はいないよ。とりあえず、ベッドで横になりな」

 倒れるほど体調の悪かった吾妻を放ってはおけない。少なくともお母さんが帰ってくるまでは看病してあげたい。

「……わかった」

 吾妻も本心では不安だったようで、すんなりと俺の看病を受け入れる。

 そして吾妻はベッドに向かうと思ったが、座ったまま俺に向かって両手を伸ばしている。

「動けないから……おんぶ……してよ……」

「えっと……いいのか?」

 さすがにそれは嫌がるかと思って遠慮したのだが、吾妻の方から言ってくるとは思わなかった。

 シャロが風邪を引いたときにも部屋まで運ぶときにおんぶはしていた。その時とは違う状況だが、あの吾妻がこうして俺に頼んでいるのだから仕方ない。

 俺は吾妻の前に背を下ろして、後ろから覆いかぶさってくる吾妻の身体を持ち上げる。

 軽くて華奢な体は、その細さからは考えられないほどに柔らかく、汗で湿った足の感触に思わずドキっとしてしまう。しかしその体の体温は高く、耳元で聞こえる息遣いは深く、辛そうな声が漏れている。

 俺は煩悩をかなぐり捨てて、案内された吾妻の部屋のドアを開ける。

 フローリングの床に、ふわふわしたカーペットの上のクッションやガラスのテーブル。やや大きめなベッドにはぬいぐるみがいくつか置かれている。そして部屋に入ってまず一番最初に目を引いたのは壁一面を覆う本棚に敷き詰められた多種多様な種類の本。なんだか俺の中の吾妻のイメージそのまんまな部屋だった。

 そのベッドに吾妻を寝かせ、飲み物にストローをさして吾妻の手が届くところに置く。体温計で体温を測らせてみると、38・0℃。薬の効果が効き始めるまではまだまだ時間がかかりそうだ。

 そして額の汗をタオルで軽く拭いて、氷の入った袋を乗せる。

「吾妻、今日なんか食べた?」

「……あんまり食欲わかなかったから……何も食べてない……」

「ん……わかった。でもなんか食べたほうがいいよな……台所借りていいか?おかゆ作るから」

「うん、食べ物とか鍋とかも好きに使っ……え、助手が作るの……?」

 心底驚いたように目を見開く吾妻。

「うん……簡単なのしか作れないけど……」

 俺の料理スキルは天音がご飯を作れない時のため身に着けたスキルに過ぎない。おかゆはシャロの看病の時用。

「意外だった?」

「意外だった……」

 そう答えて小さく笑みを漏らす吾妻。まだまだ熱はあるが、少なくともこうして会話ができるくらいには大丈夫なようで安心した。

「すぐ作ってくるから……少々お待ちを」

「……うん」

 俺が部屋から出るとき、吾妻は一瞬寂しそうな顔をした。

 風邪を引いたときは誰かがそばにいて欲しいものだ。俺も風邪を引いたときは結構天音に甘えてしまう。しかし体調がよくなったらいじられるので、毎回恥ずかしさの中後悔の念に苛まれている。でも、こればっかりは仕方ないと割り切っている。

 それはきっと吾妻だってそうなのだろう。

 でも、吾妻はそれを表に出せなかった。

 大方、両親の仕事の邪魔をしたくないから、一人で大丈夫だよと言ったのだろう。

 しかし無視できないくらいに体調が悪化してしまった。そんな孤独と高熱の中、母親に助けを求めた。

 それで……来たのは俺だった。

 吾妻にとって、本当に嬉しいのは母親だったのだろうけど、俺にできる精いっぱいのことをしてあげよう。

 大事な友達に、俺がしてあげられることを。


 助手が持ってきた飲み物を飲んで、またベッドに横たわる。

 ちょっとまだぼんやりしてるけど、視界もはっきりしてきて、物事を考えれるくらいにはよくなってきた。

(……助手、なんか慣れてた)

 いつも一緒に居るシャーロットと助手は幼なじみだ。たぶんあの子の看病とかしてたんだと思う。

 すっごく仲良しで、お互いが理解し合っている。一緒に過ごして来ただけじゃない、二人にしかわからない絆みたいなものを感じる。

 扉の向こうからはトントントン、と包丁がまな板を叩く音が聞こえてくる。助手が料理できたなんて本当に意外だった。思えば、私は学校での助手しか知らない。

 異常なまでに頭がよくて、なぜかゲームが強くって、いつも誰かに頼られてて……それに――

『俺は、ずっと吾妻の――――』

 ……こんな私を、受け入れてくれる。

「吾妻~……おかゆできたよ」

「……っ!?」

 頭の中にいたはずの助手が扉を開けて来て、思わず私は目をそらしてしまう。

 でもすぐに冷静になって、まだぼんやりする視界の中にそのおかゆを捉える。

 ねぎとふんわりとした卵が入った、いい匂いのするおかゆ。

 その匂いに食欲が湧いて来て、私は体を起こす。

「食べれそう?」

「うん……いただきます……」

 助手からスプーンを受け取って、おかゆをすくって口の中に――

「あ……待って」

 入れる前に、助手が私の手を取って止める。

「ふー……ふー……はい、熱いから、気を付けてね」

 助手がスプーンを持った私の手ごと自分の方へ寄せ、そうやって息でおかゆの湯気を散らす。

 私の手と比べて助手の手は大きくて、ちゃんと助手も男の人なんだなって思えてくる。

「あむ……おいしい……」

 恥ずかしいけど、それよりも食べたかったおかゆの味は、控えめだけどおいしくて、とっても優しい味だった。

「そっか、よかった」

 そう言って私を見る助手の笑顔は、ちょっとだけ……お母さんみたいだった。

 助手が助けに来てくれて、こうして看病してもらってる。

 ふわふわする頭で感じる今は、まるで夢に中にいるみたい。

 でも、触れられた手の感触だけが、夢じゃないってことを教えてくれた。

 その時、どたどたと慌ただしい足音が聞こえてくる。そして部屋の扉が開いて、そこにはお母さんが立っていた。

「日和!だいじょ――」

「あ、すいません。お邪魔してます」

 お母さんの目は、おかゆをおいしそうに食べている私を見て心配から安堵へと変わった。

 そしてその横にいる助手に視線が移って……

「えっと……あなたは……?」

「申し遅れました。あず――日和の友達の、火鉢悟です。勝手に上がってしまってすみません」

「あ、どうも……日和の母のあやです……別にそれは大丈夫……だけど……」

 初めて名前で呼ばれてドキドキする私に、再び視線を戻すお母さん。そしてまた助手にと、交互に私たちを見ている。そしてはっ、と何かを理解したような顔をした。

「あなたが助手君ね!日和からいつも話は聞いてるわ~!」

「そ……そうなんですか……助手定着してんのかぁ……」

 お母さんの突然上がったテンションに戸惑う助手。

 お母さんはこういう人で、活発って言えばいいのか、元気って言えばいいのか、そんな人。

「日和の看病してくれたのね、本当にありがとう!」

「いえいえそんな……俺は友達として当然のことをしただけですよ」

「よ……よくできた子ッ!……聞いた話だったら頭もいいらしいし、結構可愛い顔してるし、このおかゆも手作りっぽいし……日和ったら、こんな大物連れてくるなんてやるじゃない……!」

「「?」」

 何か一人でぶつぶつと言い始めたお母さん。

 そんなお母さんを、私たちは首をかしげて眺めていた。


 その後、薬が効いてきたのか、吾妻の体調はかなり良くなった。熱も微熱まで下がり、このまま順調にいけば明日には良くなっていることだろう。

 今は綾さんが吾妻を着替えさせているところだ。当然俺は部屋の外にいる。

 綾さんも帰って来たし、これでもう安心だ。メッセージを見た時は焦ったが、無事に終わってくれてよかった。

 現在時刻は午後5時30分。後は綾さんに任せてそろそろ帰ろうかと思って荷物をまとめていると、綾さんが着替えを持って部屋から出てくる。その着替えを洗濯機へと入れ、俺の座っている椅子と丁度対面となる位置の椅子に座る。

「日和は大丈夫そうですか?」

「えぇ、結構顔色も良くなってきて、今は寝てるわ。お腹いっぱいになって眠くなっちゃったんでしょうね」

「そうですか……良かったです」

 こうしてわざわざ俺の前に座ったということは、何か話したいことがあるのだろう。

「改めて……今日は本当にありがとうね。……言い訳になっちゃうけど、朝は結構元気そうで、私も夫も大丈夫そうかなって思って仕事に行ったんだけど……本当、ダメな母親よね」

「そんなことは無いですよ。今回の件は誰も悪くないでしょう……だって、こうして来てくれたじゃないですか」

 いついかなる時でも、不測の事態というものは起きる。それは誰にも予知できないし、それが起きてからどう対応したかで、人生の豊かさは決まっていく。

「日和、綾さんが来たとき喜んでましたよ。安心したのが一目で見て取れる顔してました。そんな心のよりどころみたいなあなたが……ダメな母親だとは思えません」

「……そう、ね。私が自分でこんなこと言っちゃいけないわよね」

 綾さんはそう小さく息を漏らした。

笑いとも反省ともとれる、小さな息を。

「はい、真面目な話終わり!さぁて助手君?あなた日和とはどういう関係なの?」

 ぱん、と手を打って俺に詰め寄る綾さん。

 人が変わったようなテンションの高さにたじろぐ俺。思わず目線を反らした先には、綾さんの仕事用のカバンと思われるものから、一枚の書類がはみ出していた。

「あら、急いで突っ込んできたから、空いたままだったのね」

「それ……なんですか?」

「んー……まぁ見せてもいっか」

 そう言ってカバンから取り出して俺に見えるように机の上に広げた紙は、人の顔や矢印が印刷された紙で、手書きで何やら色々と書き込まれている、ガチもんの探偵の捜査資料だった。

「これ本当に見てもいいんですか……?」

「というより、してほしいって感じかしらね」

「協力?」

「あなたのことは日和からいろいろ聞いてるわ。あの子ったら毎日あなたのことを楽しそうに話すのよ、どんなゲームだったら助手を倒せるか~だって、私達も何回かゲームを提案したんだけど、結局負けちゃうのよね」

 毎日挑んでくる吾妻のことだ。その一戦一戦は吾妻にとってよほど大事なのだろう。それを嬉々として両親に報告する吾妻の姿を想像して、なんだか微笑ましくなってしまう。

「だから、あなたがどういったことが得意なのかも知ってるわよ。?」

 ついに学校外まで広まってしまったそのあだ名を聞いて、俺は話の旨を理解する。

「乗りかかった船です。そういうことなら、俺も協力します」

「うふふ、ありがとう」

 探偵でも解けない――俺の心を揺さぶるには十分な謎だ。協力しないという道は俺にはない。

 俺が役に立つかは別問題だが、ひとまずはその内容に耳を傾けた。

 それをまとめるとこうだ。依頼を受けたのは5日前。夫と飼い犬との、二人と一匹暮らしをしている依頼人の女性の家では、度々閉めたはずの窓が開いていることがある。夫も心当たりがなく、空き巣の可能性を疑ったが、金目のものは盗られていない。鍵が壊れているわけでもない。どういうことだろう。

「それで盗聴器とか盗撮の可能性を疑ったけど、調査してみても見つからなかったの」

「なるほど……」

 窓が開いているだけだが、誰も身に覚えがないとすれば、必然的に外部の人間の犯行ということになる。

「これがわからなくてねぇ……私の旦那も頭抱えてたよ」

「……そうですか」

 現役の探偵が頭を抱えるほどの謎。俺が解けるのだろうか。

「これが解決しない限りは、家に居られる時間が少ないかもね」

 そのぽつりとつぶやいた言葉は、誰に向けた物でもないのだろう。

 しかし、俺は理解した。この謎がある限り、吾妻が両親といられる時間は少なくなる。もしかしたら明日熱がぶり返して今日みたいなことが起こるかもしれなくなる。こののせいで。

 謎には、大きく分けて2種類ある。〝ただそこにある謎〟と〝誰かが不幸になる謎〟だ。

 俺が求めているのは前者の謎だ。しかし稀に、後者の謎も俺の前に現れることがある。

 そうなった時、俺はでその謎を解くようにしている。俺にできることで、誰かが不幸にならなくて済むのならと。

「……助手くん?」

 突然考え込む俺を不思議そうに見る綾さん。

「少し――本気で考えてみます」

「……いい顔するじゃない」

 綾さんのつぶやきは、もう俺には聞こえない。

 これが俺の全力の謎解き。脳の深く、深くまで潜り込んで、目を閉じ、周りの音を遮断する。

 今俺は、思考の中にいる。

 さぁ、推理を始めよう。

 まずは窓が開いていた理由を考えよう。何故窓を開けるか。侵入のため?何かを招くため?外の空気を取り入れるため?

 何故何も取られていない?ただ家の中に入るだけというのはあまりにも意味のないことだ。これは切るか。

 となると、また新たな情報を仕入れよう。

 俺は目を開け、綾さんに質問する。

「その窓が開いていたことに気付いたのは、どのタイミングですか?」

「タイミング?」

「えぇ、外出から帰った時とか、朝起きた時、とか」

「えーっと確か、外出から戻った時だったわ」

「全てですか?」

「そうよ。依頼人さんが外出から帰った時ね」

「……その窓が開いているのを発見したのは、全て依頼人さんですか?」

「そうよ。旦那さんは気づかなかったみたい」

「それでは次に、飼っている犬について、教えてくれませんか?」

「いいわよ。名前はペロちゃん。まだちっちゃいメスのミニチュアダックスで、私達が家にお邪魔した時にすっごく吠えてきたの。前に依頼人さんの妹さんがお邪魔した時は初対面でも吠えなかったみたいだから、人見知りではないらしいんだけど、ちょっとショックだったわ」

「ミニチュアダックス……」

 犬が鍵を開けたんじゃないか、という可能性は犬種が犬種なだけにこれで消えたか。身体の構造上、到底窓の鍵には届かないだろう。もともと違うだろうなと思って聞いたことだ。別に構わない。

「では、鍵が開いていた時、旦那さんは家に居ましたか?」

「それはいいえね、二人とも仕事に行ってる時でも鍵は開いていることがあったみたい」

「なるほど……」

 俺は再び考える。

 やはり気がかりなのは旦那のことだ。しかしもし鍵を開けたのが旦那だったとしても、その意図が読めない。

 さらに旦那が外出時でも開いていることはあったらしい。

 ペロちゃんが開けたわけでもない……ん?待てよ?

 関係ないかもしれないが、ここにも謎がある。

 何故ペロちゃんは綾さん達に吠えた?……依頼人の妹には吠えなかったというのだから、人見知りというわけでもない?――いや、違う。この考え方じゃない。

 何故ペロちゃんはのか。

「綾さん、今は綾さんはペロちゃんに吠えられますか?」

「え?えーっと……そういえば最近そんなことなくなったわね」

 これは……話が見えてきたかもしれない。

 何故窓が開いていたのか、何故ペロちゃんは妹に吠えなかったのか。

 そんなの、しかありえない。

「わかった――かもしれません」

「……え?なにが?」

「何故窓が開いていたのか、ですよ」

 綾さんは目をぱちくりとし、固まっている。

「は……はやくない?」

「まぁ、間違っているかもしれませんしね」

「そ……そうね、聞かせてもらえるかな?」

 俺は考えた事をまとめ、言葉にする。

「とりあえず、窓を開けたのは依頼人さんの旦那さんで間違いないでしょう」

「言い切ったね……どうしてなの?」

「まず、依頼人さんは間違いなく違います。そして第三者の仕業とも考えにくい。そんな行いをしても、なにもメリットがありませんからね。しかし、旦那さんだけ明確なメリットがあったとすれば?」

「そのメリットって……?」

「空気の換気です」

「えぇ~……」

 綾さんは拍子抜けしたように口を開けている。

 そこで俺は付け加える。

「そして、換気の理由は――浮気の証拠隠滅のためです」

「っ――!?浮気って、どうしてそう思ったの!?」

 身を乗り出してくる綾さん。俺は気にすることなく、そのまま説明する。

「ペロちゃんの話を聞いて思ったんですよ。どうしてペロちゃんは妹さんにだけ初対面で吠えなかったのか。簡単な話です。初対面じゃなかったんですよ」

「じゃあ……その浮気相手って……」

「お察しの通り。依頼人さん……妻の妹です」

「――っ!」

「旦那さんが浮気していたなら、全てのつじつまが合います。妹がペロちゃんと初対面ではないことを依頼人さんが知らなかったことも、その妹の匂いを換気するために窓が開いていたのも。それに、旦那さんが外出の時にも窓は開いていたとも言ってましたけど、その時の依頼人さんは家にはいなかった。つまりその家の様子を知らないんです。旦那さんのミスは、依頼人さんの注意深さを甘く見ていたことでしょうね。まさか窓の鍵に着目するなんて、思ってなかったんでしょう。そのためつい知らないとはぐらかしてしまった。換気だとは、言えなかった」

 久しぶりに本気で謎を解いた疲労感を感じながら、俺は綾さんの目を見る。

「これが、俺が解いた謎の全てです」

「……」

 綾さんは顎に手を当てて考えこむ。

 そしてすぐにスマホを取り出し、電話をかけ始めた。

「もしもし、あなた?今時間いい?」

 綾さんは、俺の推論をそのまま伝えた。

 そして電話を切り、綾さんが資料を見続ける無言の時間が流れる。どうしようかと困ること数十分、再び電話がかかってくる。

「もしもし……そう!わかった!また後で!」

 嬉しそうに電話を切り、再び俺に向き直る綾さん。

「全部、君の推理通りだったわ。さっき丁度浮気現場を押さえられた所よ」

「そうですか……よかった」

 これでこの謎は一件落着だ。これで後釜なく家に帰れる。万が一のことを考えてここに来る前に天音には遅くなるかもとメールをしているので、今から帰っても何ら問題はない。

「待って」

 しかし帰ろうとした俺の両肩を綾さんが抑え、強制的に椅子に座らせる。

「えっと……どうしたんですか?」

「あなた……探偵になってみない?」

「……はい?」

 思わぬスカウトを受け、一瞬思考がバグる。

「だって!私わかんなかったもん!そんな犬のことなんて気にしないでしょ!?」

「えっと……違和感がありましたから……」

「――本当に、面子丸潰れね……全然わかんなかった問題が5分で解決されるなんて」

「あはは……ありがとうございます」

 俺がそう答えると、玄関のドアが開く音がした。

「あっ!ゆうくん!」

 そこに立っていたのは、深く帽子をかぶった男性で、吾妻家のお父さんだった。

「綾!浮気の証拠渡したぞ!あっちは修羅場、お前はお手柄だよ!」

 とんでもないブラックジョークをぶちかましてきながらリビングに入ってくる優さん。

「えっと、それなんだけどね?あれ全部この子が考えたの」

「え?」

 そこでやっと俺に気付いた様子の優さんに、まずは自己紹介をする。

「こんばんは、火鉢悟です。娘さんの看病に来たんですけど、こんなことになっちゃいまして……」

「あぁ、助手君か!」

 助手やっぱり決定なのね……

「ねぇ、優くん、この子欲しくない?」

「……確かに」

 何やらこそこそ話を始めた。時々視線が俺に向くのがとても怖い。

「あのー……一体なんの話を……?」

「「気にしないで!」」

 わぁぴったり。お似合いの夫婦だな。

「そうですか……えっと、そろそろ帰らないと姉が心配すると思うので、俺はこれで」

「あ……そうなの?ごめんなさいね引き留めちゃって……」

「車で送って行こうか?」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。歩いて帰ります」

「そう……気を付けてね~」

「今日は本当にありがとう」

「いえ――〝謎〟の提供、ありがとうございました」

 俺が帰るときの二人の表情は、誰でもわかるくらいに何かを企んでいる時の顔だった。俺は見ないふりをして、そそくさと吾妻家を出る。

珍しく晴れている夕暮れの空を見ながら、家へと続く道を歩く。

 そういえば不審者がらみの件で寄り道せずに家に戻りなさいと学校側から言われてるんだった。

 ……あれ?これ天音にめちゃ怒られる?

 そう考えた途端、俺の足取りは重くなり、歩幅が縮む。

「……風邪、うつされたかな」

 そして帰宅すると、案の定天音に怒られました。

 でも吾妻の看病のためだと言ったら褒めてくれました。

 ……なんか、今日は色々疲れる一日だった。

 でも――結構楽しい一日だった。

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