第2話 ビブスの謎

「さて、と」

 翌日の朝。俺は誰よりも早く学校へ行き、今も尚俺の首についているチョーカーの持ち主を探るべく、教室に何か手掛かりがないか調べていた。

 正直その可能性は0に近い。教室全体を調べてみても昨日と変わったところがなかった。

 さらにクイーンの候補は俺に好意を持っている女子生徒……

 俺は恋愛については苦手分野だ。一度だけ恋のキューピットになったことはあるが、それは双方の好意がはっきりしていたからだ。不確実な情報で結論が出せない俺は、不確実そのものと言っていいような恋愛沙汰に関してはからっきしだ。

 仲のいい女の子は何人かいるが、好意を向けられているなどと考えた事は無い。

「まだ情報が少ないな……」

 今俺の手元にある手掛かりと言えば、あのラブレターしかない。なぜこのチョーカーをつけられたのかについてはまだ謎だ。

「それにしても……早く来すぎたな。暇だ」

 わかってはいたことなのだが、どうしても体がここへ行きたいと言ってきかなかった。始業まであと50分はある。グラウンドから響く朝練中の声も少数だ。

 適当にその50分を潰すべく、俺は学校をふらふらと歩いてみる。

 昨日とは違って、久しぶりに青い空が見える。窓から差し込む陽の光が廊下を照らし、朝という雰囲気をより引き立てる。こんなに明るいのに人の気配がない廊下というものも新鮮だ。

 全帰宅部を代表して、朝練中の生徒たちに心の中で敬礼を送っていると、人気の無い廊下に、どたどたと大きな足音がどこからか聞こえてくる。

(この足音……全力疾走だな。何かあったのか……?)

 やがてその足音は近づいて来て、俺のすぐ近くで止まる。立体音響のように響いていたため、どこから聞こえているかはわからなかったが、どうやら目の前の曲がり角にその足音の主はいるようだ。

 そして俺の疑問に答えるように、一人の女子生徒がそ~っと顔だけを出す。

「はっ、いました……」

 小さな声でそう言う女子生徒。あの全力疾走を用いての探し主は俺だったということだ。

「あ……あの~……」

 ためらいがちに俺に向かって話しかける少女の襟についている校章とリボンの色は、1年生であることを示すものだった。

 身長は年相応な高さで、顔立ちも幼さを持った純粋なかわいらしい顔立ち。しかし1年生とは思えない……その、えーっと、あ、発育を持っている。これが噂に聞くロリ巨乳……空想上のものだと思ってばかりいたが、まさか実在していたとは。……濁した意味ないなこれ。

 しかしそんな邪な事を考えていては失礼なので、俺はあくまで平静を貫く。

 するとその女子生徒がおずおずと口を開く。

「もし間違ってたらすいません、悟りくんさん……ですか?」

「……んー?」

 緊張しているのか、やや早口でそう尋ねるこの子が探している人は、俺で間違いないようだ。

 ……この呼ばれ方は初めてだけど。

「悟りくん……とは呼ばれてるけど、君は?」

 俺が肯定し、逆に尋ねると、その子ははっ、とした表情を浮かべた後、姿勢を正す。

「も……申し遅れました!私はちょっと前ここに入学してきました。虚木うつろぎ織姫おりひめと申しますっ……!」

 自己紹介をし、深く頭を下げる彼女。多分いい子なのだろうが、どこか空回りしているような印象だ。

「こちらこそ申し遅れました……俺は火鉢悟。……よろしくね、虚木さん」

「はい、よ……よろしくお願いしみゃっ!はわわ……」

 あたふたおろおろ。目をぐるぐるとまわしている虚木さん。

「大丈夫?虚木さん……体調悪いの?」

「い、いえ、大丈夫です!それより、私は火鉢先輩にお願いがあって探していたんです」

「お願い?どんな?」

 俺に何か頼みごとがあるだろうとは予想はしていたが、あんな全力疾走までするほど必死なお願い……一体?

「――私たちバスケ部のビブスの謎を解いて欲しいんです!」

「……ビブスの謎?」

 それからの虚木さんの説明をまとめるとこうだった。

 虚木さんの所属する女子バスケ部にて、ある不思議な事案が発生したらしい。

 主に練習時などに、バスケ部はビブスを着用するが、そのビブスの洗濯を誰かがしてくれていたというのだ。

「部員の皆さんに聞いても誰もやってないって言ってましたし、顧問の先生も違うとおっしゃってました」

「……確かにそれは謎だけど……何で俺の所に?」

 俺はバスケ部の部員ではない。中高一貫の帰宅部だ。

 もしかして……

「皆不安がってるときに、シャーロット先輩が……『これはサトルに相談デス!』って言ってたので……」

「あー……なるほどね。やっぱりそこからか……」

 シャロはバスケ部に入っている。それもレギュラー入りするほどの実力だ。

 そのシャロには、俺が今日早めに学校へ来ることは伝えておいた。そこから聞いてこんな時間に虚木さんは俺を探し回っていたのだろう。

「――そういうことなら、俺も協力するよ。シャロの後輩の頼みだしね」

「あ……ありがとうございます!」

 どうせここで断っても後でシャロに頼まれるだろうし、それに……

(この謎は、どうも穏やかじゃないしな)

 俺は一息ついて、改めて脳を働かせる。

「本当なら朝練中なんですけど、今日はお休みっていう連絡があったので、早速部室に案内しますね!」

 だからこの子はこんなに早く学校に来ているのか。

「部室は知ってるよ。よくシャロを迎えに行ってたから。それより、昨日のことを教えてくれないかな?」

 何度か中に入ったことがあるが、スポーツ用品やらユニフォームやらボールやらが所狭しと並んでいて、部員の更衣室としても使われるため、個人のロッカーが設置されている、いかにも部室といったような部屋だった。

 ここから部室まではそう遠くない。話を聞いているうちにすぐに着くだろう。

「はい、いつも通り練習しようってなって、軽くパスなんかの練習をした後、試合をしてみることになったんです。その時に初めてビブスが洗濯されてることに気が付きました。その時の時間が……確か5時ぐらいでした」

「まず質問、シャロが一昨日は部活があったって言ってたけど、その時はビブスを着たの?」

「日曜日でしたら……はい、昨日と同じように練習試合をしました」

「ふむ……洗濯されたっていうビブスは全部?」

「はい、全部洗濯されてました。いつもなら使ったビブスだけ洗濯するはずなんですけど……」

 なぜか洗濯されたビブス……それも全て。

 日常に当てはまらない事、それを謎というが、その謎に不正な感情が混ざっている場合、それは事件となる。

 これは……かなり急を要する事態かもしれない。

「虚木さんは、今日部室に行った?」

「え、はい、朝練があると思ってたので、早めに来たんですけど……部室に誰もいなかったのでなんでだろと思いまして、部室に張ってある練習メニュー表を確認してもあってますし、それでスマホを確認したら、朝練が中止になってたんです」

「……なるほど」

 ビブス、練習メニュー表、そのどちらもが部室にある……か。

 仮説の一つが俺の中に浮かぶ。他の可能性を探ってから行動するのが俺のいつものやり方だが、今はその一つがあまりにも

 曲がり角を曲がると、少し先には部室が見えてくる。

「最後に――部室にほうきは置いてあった?」

「え?あ、はい。2本ほど置いてありましたけど……それがどうしました?」

 ――確定だ。

「え……!?火鉢先輩!?」

 俺は部室へと走り、すぐにそのドアを開ける。

 そして電気をつけ、部屋の中を見渡す。

 前見た時とほとんど変わらない部室。確かに虚木さんの話の通り、ほうきが2本壁に立てかけてある。

(誰のかわからないけどごめん!)

 俺は急いで近くにあった制汗スプレーをの穴の中に噴射する。

「ぐあっ!?」

 そのロッカーの中から聞こえたのは、おおよそ女子とは思えない低い声だった。

 その声が聞こえると同時に、全身の力を使ってロッカーを倒し、扉を塞ぐ。

 ロッカーの倒れる音は思ったよりも大きく、中から聞こえた低い声はかき消された。

「なんかすごい音がしたんですけ……って、何やってるんですか!?」

遅れて部室へと入って来た虚木さんは、俺が倒れたロッカーを押さえつけている光景を理解できないでいる。

「説明は後だ!できるだけ早く先生を呼んできて!ここに不審者がいるって!」

「――っ!は、はいっ!」

 状況を呑み込めていない虚木さんだったが、俺の様子で急を要する事態であると理解してくれたようだ。

 虚木さんが走っていった後、俺は改めて、押さえつけているロッカーの中でもがいている人物に話しかける。

「よう、不審者。無駄な抵抗はよせよ」

「くっ……そがっ!……このクソガキ!!」

 必死にもがいているようだが、俺は全体重をかけているのだ。下側に付いた扉がこの程度で開くわけがない。

 事情を聞いた先生達が到着し、この不審者を拘束するまでの時間は数分にも満たなかった。


× × ×


 その後、警察が到着して、不審者は連行されていった。これで今回の件は一件落着となった……と思ってたんだけど……

「悟……こんな無茶して!もしやり返されちゃったらどうするつもりだったの!」

 他の教職員、虚木さんまでもが聞いている中、俺は職員室で天音からのお説教を受けていた。

心配してのことなのはわかる。もし俺が天音の立場なら同じように説教しただろう。

 でも、今回は、何を言われようと同じ行動をとったと思う。

「ごめん……天音。もし犯人逃がしたら……シャロや虚木さんが安心できないだろうなって思って……それに」

「こんな事したやつが許せなかった……でしょ」

「……はい」

 俺が自分の危険を顧みず動くときは、大体が感情のままに動いたときだと、天音は誰よりも知っている。

「結果的に誰もケガしなかったし。今回は許してあげる……でも、もうこんな事やめて。悟が優しいのは知ってる。人のために本気になれる子だってことも。……それでも、悟が危ない目に遭うのは嫌だよ」

 天音は嗚咽交じりに、俺を抱きしめる。

「ごめん、天音……心配かけるような真似して」

 そんな天音の抱擁を俺は受け入れる。天音がこうするときは、本気で俺を心配している時だ。どこにもいかないでと、もう離れないでと、言葉にせずともそう言っているようで。拒絶なんかできない。……したくない。

「……うん、次からはまず大人に相談すること。わかった?」

 抱擁を解いた天音は、俺に言い聞かせるようにそう言う。

「次があるかはわからないけど、わかりました」

 その言葉を聞いて、安心したように天音は俺から離れ、周りでその一連の流れを見ていた教員たちに向き直る。

「……時間を取らせてすいませんでした。今から詳しい話を聞いて――って、何泣いてるんですか……」

「あ……あぁ、ごめんね、ちょっと……ぐすっ……もう大丈夫よ。何があったか、聞かせて頂戴」

 元々俺と虚木さんがここに居る理由は、この不審者騒動の詳しい話を説明するためだ。そのため、天音を含めた何人かの教師が職員室に集まっている。他の教師は保護者への連絡や、ホームルームでの学生への連絡、そして校内にまだ不審者がいないかのパトロールなどを行っている。

 それで職員室に入るや否や天音の愛のお説教が始まって、話を聞くに聞けないでいたようだ。

 ちなみに泣いていた優しそうな顔の女性の先生は梅沢うめざわ文江ふみえさん。この学校の校長先生で、うちの母の恩師でもあり、卒業しても母と仲が良かったり、家が近所だったりしたこともあってか、俺たちのことを子供のころから知っている。まだ二人とも小さい頃は、海外を飛び回る母の代わりによく遊んでくれていた記憶がある。

 そんなこともあってか、さっきの天音の俺への想いは文江さんには来るものがあったようだ。

 ……それはさておき、俺と虚木さんは一連の流れを説明した。

 虚木さんがビブスの謎を俺に相談した事。そしてその内容から俺が不審者がらみのことだと推理したこと、そして部室のロッカーの中にいる不審者を押さえつけていたこと。

 それを聞き終えた文江さん達は、なんだか難しい顔をしていた。

「大体のことはわかったわ。でも、なんで悟ちゃ……火鉢君は不審者のせいだってわかったの?」

 子供のころからの呼び方が出かけた文江さんの疑問に、他の先生たちも頷く。

 一連の流れと言っても、時間にすると数分の出来事だったので、交わした会話を再現し、その時の様子を説明しただけだ。そこでは俺の考えていたことまでは話してはいない。

「私も気になってました!どうしてビブスの話から……あんなことになったのか」

 隣に座る虚木さんも興味津々といった様子で聞いてくる。

「これが悟りくんってやつか……火鉢先生の言ってた通りだな……」

(それ本当に教師間でも広まってるのか……)

 俺はこほん、と仕切り直して、いつもやっているように推理の説明をする。

「まず、ビブスが洗濯されていたって話に、俺は違和感を抱いたんです。ビブスが無くなった、とかならまだ理解できます。しかし洗濯されていた……それも部内の人間ではない。普通はビブスの洗濯なんかボランティアではやらないでしょう。もしやったとしても、部の人間には連絡するはずです」

「それはそうですね」

「そして洗濯されたのは使ったビブスだけではなく、全てのビブスだった……その話を聞いて、俺は一つの仮説を立てました。ビブスは洗濯されたんじゃなく、新品にすり替えられた。という仮説です。となると誰が、何のためにビブスをすり替えたのか。俺の知る限り……その候補となる人間に、邪な考えを持っていない人間はいません」

「そこまではわかったわ……でも、何でその犯人が部室のロッカーに隠れてるってことが分かったの?」

「部室には、ほうきが2本立てかけてあったんです。バスケ部の部員に一人、シャーロットという真面目な子がいます。もしほうきが外に出てたなら、その子は絶対に掃除ロッカーの中にしまうはずです。なのにそのほうきは出ていた……そこで俺は掃除ロッカーに隠れようとした何者かが、邪魔なほうきを外へ出した。と考えたんです。そして試しに制汗スプレーをロッカーの中に吹きかけてみたら、男の声がしました。そこで俺はすぐにロッカーを倒してあの状況になったってわけですね」

 学校の生徒という可能性もあったが、それならわざわざロッカーに隠れている必要なんかない。そして相手はビブスなどというマニアックなものに手を付ける変態だ。直接侵入してくる可能性も高かった。

「そして何故犯人はそこにいたのか。それは部室に張ってある練習メニュー表を見たからでしょう。朝練をする部員たちの着替えを覗こうと思ってロッカーにいたんでしょうけど、その朝練は急遽取りやめになってしまった。しかしその取りやめを不審者は知らない。なので、ずっとロッカーに隠れてたってわけです。もし見つかっても強行突破するつもりだったんでしょうね。その不審者はビブスを盗んだ時の潜入成功で調子に乗っていたでしょうから」

 話し終えた俺は、落ち着くように一呼吸し、推理の幕を閉じる。

「これが……俺が解いた謎の全てです」

「「「「……」」」」

 職員室を沈黙が包む。全員が何も言わずに俺を見ている。

 ただその中で、天音だけがおかしそうに微笑んで俺に語り掛ける。

「やっぱり悟の推理はいつ聞いてもすごいね~……その短時間でよくそこまでわかるもんだね」

 天音に推理を聞かせたのは久しぶりだ。なので、こんな天音のどこか誇らしげな顔を見るのも久しぶりだ。

「うん、事情は理解したよ。……あー、もう1時間目始まっちゃってるだろうけど、教室戻っていいよ。そうでしょう?校長先生」

 天音にそう言われ、文江さんははっ、と慌てて言葉を紡ぐ。

「え……えぇ、後はこっちで警察の方々には話を通しておくから。行ってらっしゃい。悟ちゃん、虚木さん」

「はい、ありがとうございます。校長先生」

「……し……失礼しました」

 すっかりいつもの呼び方になってしまった文江さん達に軽くお辞儀をし、虚木さんと共に職員室を後にする。

 ……謎は良い。しかし、事件は嫌いだ。

 人の醜い部分に触れるのは、いつだって気分が落ちる。そんなことを改めて認識した。

 授業中を受けている生徒が、廊下側の窓から俺たちをちらりと見て、ひそひそと話す。その会話の中では、悟りくん、事件、なんて単語が聞こえてくる。

 あ、これすぐ広まるやつだ。

 なんて思いつつ二人で階段を上っていると、踊り場に上がったところで、虚木さんに呼び止められる。

「あの……火鉢先輩……」

「ん……どうしたの?」

 俺が振り返ると、虚木さんは大きく頭を下げ、

「さっきは本当にありがとうございました!そしてすいませんでした!」

 よく響く声で、そう叫んだ。

 事件を解決してくれてありがとう、危険な目に遭わせてしまってすいません、そんな意味を含んでいるであろう虚木さんの言葉に、返す返事は決まっている。

「こちらこそありがとう。教えてくれて……被害をこれ以上出さないようにしてくれて……俺がいきなりロッカー倒しても疑わずにすぐに先生呼びに行ってくれて……」

「え……ちょ……っと、火鉢先輩?」

 俺の感謝の言葉に、予想外といった様子で面食らっている虚木さん。

 この子は今負い目を感じているんだ。無関係な人間を巻き込んでしまったことへの負い目を。そんな人には、こうして俺の素直な気持ちをぶつけてやるのが正解だ。素直な俺の、感謝の気持ちを。

「君のおかげで、不審者を逮捕できた。だから……本当にありがとう」

「い……いえ、こちらこそ……じゃなくて!それでは私は納得できません!何か恩返しを!私にできることを何かさせてください!」

 ぶんぶんと首を振り、俺を見上げる虚木さん。

 この子はいい子だな。そんな事を思いながら、再度口を開く。

「じゃあお願い、また謎を見つけたら、俺に教えて」

「はいっ!……はい?」

 きょとん、と首をかしげる虚木さん。

「えっと?そんなことで良いんですか?」

「うん、謎解きは楽しいからね。謎はいくらあってもいいものだよ」

「……ふふっ……そうですね!わかりました!」

 そう言った虚木さんは、無垢な子供のような、屈託のない笑みを浮かべていた。

「さっきの火鉢先輩、なんだか子供みたいで可愛かったです」

「そ……そっか……そう言われると恥ずかしいな……」

 初対面では緊張するものの、打ち解けてくると意外と物怖じしない子だなぁ。

「それでは!私はこれで!」

 階段を上り切った後、笑顔で手を振って1年生の教室に向かおうとする虚木さん。俺も手を振り返して、その背中を見送ろうとしたが、ふいに彼女が振り返ってとてとてと駆け寄って来る。

「火鉢先輩!聞き忘れてました!」

「なに?」

「火鉢先輩は、シャーロット先輩のことをどう思ってるんですか?」

 シャロの事、かぁ……

「大事な大事な幼なじみだよ。で、それがどうかしたの?」

「……あー……えっと、シャーロット先輩に聞いてもそう言いますかね?」

「まぁ……そうなんじゃない?」

「……わかりました」

 虚木さんの浮かべている表情は、なんというか、困惑というか呆れというか、なんとも言えない表情だった。

「推理の時はあんなに頭いいのに……どうしてでしょうか……多分わかってないですよね……大変ですねシャーロット先輩は……」

 何やらぶつぶつ言っているが、その真意まではわからない。

「それでは、私の教室はあそこですので。また放課後、先輩の教室に行きますね」

「うん――え?……何で?」

「それはもちろん……助けてくれたお礼のためです!」

「さっきのお願いでチャラじゃないの?」

「それは不審者の騒動に巻き込んでしまったお詫びです。これは私が依頼したビブスの謎を解いてくれたお礼です!」

「……それ別料金なんだ」

「もちろんそうです!……なので、待っててくださいね!――悟先輩!」

「っ……うん、わかった。待ってるよ――織姫」

 先に名前呼びしてきたのはあっちなのだが、俺がそう返すと、虚木さん――いや、織姫は嬉しそうに顔をほころばせる。思わず呼び捨てしちゃったけど、まぁ嬉しそうだしいっか。

 会って間もなくても、その過ごした時間の濃さが俺たちの関係を深める鍵となった。共に不審者を捕らえた仲間である織姫とは、これからもずっと一緒に居たいと思った。この気持ちが何なのかは知らない。恋愛感情ってこともあるのかもしれない。はたまた友愛か、親愛か、それはわからない。

 でも、ありえないことだけど、ちょっとだけ、このチョーカーの持ち主が彼女だったらいいなと、そう思った。

「最後に、俺も言い忘れてたことがあった」

「はい?なんでしょうか?」

 俺は改めて彼女に向き直り、誠心誠意を言葉に込める。

「――〝謎〟の提供、ありがとうございました」


× × ×


 俺が教室に入った時、授業終了まであと10分ほどであり、ほとんどその授業の内容は頭に入ってこなかった。

 しかし優しい友達を持った俺は、ノートを写させてもらう約束を取り付けることに成功した。

 ……織姫は大丈夫かなぁ。

「はい、今日の授業はここまで。ごめんね?火鉢君。事情は聞いてるから、出席に問題はないよ」

「……わぁい。ありがとうございます」

 波乱続きでかなり疲れた俺は、なんとも適当な返事になってしまう。

 そして休み時間。授業のノートを写していた俺の元に、わらわらとクラスメイトたちが集まってくる。

「悟りくん!聞いたよ!女の子と一緒に不審者逮捕に協力したって!」

「詳しいことは聞かされてないんだけど、どんな感じだったの!?」

「え……えーっと……」

 困った。こうなることは大体予想していたのだが、あまりの勢いに気圧されてしまう。

 ……その時、不穏な気配がした。

「サトル……」

「シャロ……おはよう」

 一応挨拶をしておくが、多分シャロの話はそういうことではないのだろう。

!怪我とかないですか?変なこと、されませんでしたか!?」

「大丈夫だよ、シャロ。見ての通りだから」

 カタコトが抜けるほどに俺を心配してくれるシャロ。そんなシャロをなだめながら、俺は今まであったことをかいつまんで話した。

 興味津々な者や相槌をうつ者。反応は様々だ。

 しかし話を聞き終えたシャロだけが、何やら難しい顔をしていた。

「サトルの話に出て来た……バスケ部の後輩の女の子って、ウツロちゃんのことデスか?」

 ウツロちゃん、というのは織姫の苗字を指してのことだろう。

「うん……シャロはいい後輩を持ったね」

「え……えーっと……さ、作戦会議!」

 シャロの号令で、何人かの女子たちがシャロの周りに集まり、ごにょごにょと密談を始める。

「危機から守ってくれたセンパイって、皆さん的にはどうデスか……?」

「悟りくんの態度によるね……話を聞く限りではラブには至ってないと思うよ!」

「ナントっ……!」

「でもライクではあると思うよ!頑張って!」

「セーフッ!セーフデス!……ふぃぃ」

 作戦会議とやらは終わりのようで、シャロたちは各々解散して自分の席に戻る。

 何やら盛り上がっていたようだったが、真相は謎だ。気にならない謎だ。

 説明にかなり時間をとってしまい、まだノートの半分も写せていないことを告げると、俺の周りから皆が離れる。自分の席に戻ったと言っても、シャロの席は隣なので、カリカリとペンを走らせる俺に構うことなく話しかけてくる。

 ……まぁ、ノートは後でも写せる。別に返すのが遅れてもいいって言ってたし。

「ね、サトル。ずっと気になってたデスけど、何でチョーカーつけてるデスか?」

 そう言われ、俺は首元に触れる。

 つけていることを忘れるほどに、意外としっくりくるこのチョーカー。流石にラブレターと一緒にもらったなんてことはここでは言えないので、単におしゃれアイテムだと濁した。

「へぇぇ、似合ってるデスね」

「ありがと、俺も結構気に入ってるんだ」

 シャロはこのチョーカーを気に入ったのか、次の授業が始まるまで、つんつんと指で触ってみたり撫でてみたりなどを繰り返していた。……結構くすぐったかった。


× × ×


 昼休み。昼食を食べ終えた俺は、どうせ来るであろう吾妻を待ち構えていた。

 今朝の騒動で色々と疲れたが、今日のお弁当には俺の大好物である天音特製の甘めの味付けの卵焼き、その名も甘天(あまあま)焼きが入っていたので、どんな勝負を持ち掛けられても完膚無きまでに捻り潰せる自信がある。

 しかし待てども吾妻は来ない。珍しくやる気になっていた俺は、一人で吾妻の教室にまで見に行ってみることにした。

 大体の生徒たちが昼食を取り終えて昼休みを過ごしている時間帯の廊下は喧騒に包まれていて、その喧騒の中でもやはり今日の不審者騒動の話題が出ていた。

 不審者を警察に引き渡す時、俺と織姫が教師に囲まれながらその場にいた場面を目撃している生徒は少なくない。そこから悟りくんの名前へとつながったのだろう。俺の名前もセットで聞こえてくる。

 階段を上がり、俺たちの教室の丁度真上に位置する吾妻のクラスへと到着する。

 俺は窓から吾妻の姿を探すが、どこにもいない。

「隆二、ちょい」

 仕方ないので廊下の窓際の席でおにぎりを頬張っていた隆二を連れ出す。

 隆二と吾妻は同じクラスで、よく俺に負けた後の吾妻の様子なんかを話してくれる。

「どうしたんだよ悟。飯食ってる最中だったんだぞ?」

「知ってるよ。……今日、吾妻は?」

 廊下を歩き、教室から離れた場所で会話を交わす。

「体調不良で休み。って先生が言ってた」

 ぶっきらぼうにそう答える隆二。

「……ありがと。ご飯中に連れ出してごめんな」

「大丈夫だって、目立ちたくなかったんだろ?聞いたぜ。今朝の話」

 隆二はよく俺を理解してくれる。あのまま話していたらまた取り囲まれたかもしれない。高校生の好奇心を舐めていたつもりはなかったが、予想以上だ。

「んでお前の様子からして、いろいろ聞かれた後っぽいしな。俺も気にはなるけど、今は聞かないでやるよ」

「お気遣い痛み入ります」

「どうも」

 こうやって気兼ねない会話ができる隆二は、俺にとっていなくてはならない人間だ。こうして話しているだけでもすごく楽しい。友達とはいいものだ。

「で、ずっと気になってたんだけど……そのチョーカー何?」

「あぁ、これね」

 正直からかわれそうで迷ったが、俺は隆二にクイーンと名乗る人物からラブレターとこのチョーカーをもらった(チョーカーは借り物)ということを話した。

「へぇぇ……悟が恋愛沙汰に前向きとは……モテ期に向き合う時が来たようだな」

「モテ期……かぁ」

 高校に入って、謎を解いていくうちに、その謎解きで誰かが助かったということがよくあった。その結果、告白されたりラブレターをもらったりなんかもしたが、その時の俺は誰かと付き合う気にはなれなかった。

「それシャロさんにはもう話したのか?」

「いや……」

 もしかしたらシャロなら何か知っているかもしれない。しかし……

「なんか、言い辛くて……」

「……そうか」

 恥ずかしいというか、なんというか。とにかくシャロに相談する気は起きなかった。

「はは……シャロさんも大変だな……」

「ん?何が?」

「いやいやこっちの話。何でもない」

 何か隠していそうだが、口を割りそうにはない。

「そろそろ飯食いに戻っていいか?」

「うん……引き留めてごめんな」

「気にすんなって、じゃあな」

 朗らかな笑みを浮かべ去っていく隆二の背中を見ながら、俺は改めてこのチョーカーの謎を整理する。

 クイーンの候補は俺に好意を持っている女子……ぱっと思いつくのはシャロだ。

 シャロと俺の付き合いは誰よりも長い。もはや家族の一員として扱ってもいいくらいに。しかしそんなシャロが俺に抱いている感情はなんだ?もし仮に好意を持っていたとしても、その好意は異性に向けるモノなのか?恋愛初心者の俺にはそれがいまいち導き出せない。

 ……現状はノーヒント。新たに情報が向こうから支給される可能性はあるが、その前に君を見つけたい。

 こんな火鉢悟おれのことが好きな子相手だ。かっこいいところを見せてやろうじゃないか。

 ……ちょっと恥ずかしくなってきた。

 俺は教室に戻りながら、調子に乗ったことを少しだけ後悔した。


× × ×


 帰りのホームルームが終了し、そそくさと帰る者もいれば、部活の準備をする者もいる。そんな中俺は、放課後にやってくるという織姫を待っていた。

「サトルー!一緒に帰りましょー!」

 カバンを持って、元気にそう言うシャロ。

 女子バスケ部は今日一日部活が休みになった。まぁ、不審者が忍び込んだとなれば納得だ。

 そんなわけでシャロの予定が空いて俺を誘っているのだが、生憎俺には先約がある。

「ごめん、人を待ってるんだ。何かお礼したいって子がいて……」

「お礼……はっ!もしかしてウツロちゃんデスか!?」

「うん」

 宝石のような目を見開いて手をばたばたとさせながら取り乱すシャロ。

「そのお礼というのは……?」

「どんな内容までかは聞かされてないんだよね……ただ放課後に来るとしか」

 その時、教室のドアからこちらを窺う小さな人影を発見する。

「あっ――」

 その人影――織姫は俺と目が合うと、嬉しそうに教室に入ろうとするが、他の生徒からの視線を受けて、慌てて扉の陰に引っ込んでしまう。やっぱり初対面の人間には緊張するようだ。

「し……失礼します……」

 しかしすぐに教室に入ってくる織姫。

 他学年、それも年上の教室に入るのって結構緊張するんだよなぁなんて思いつつ、俺の席の前まで来た織姫に改めて挨拶をする。

「こ……こんにちは、悟先輩」

「……ん?サトル?」

「うん、こんにちは、織姫。いらっしゃい」

「オ……オリヒメ!?」

 なんか横のがうるさいが、織姫を招き入れる。

「シャーロット先輩も、こんにちは」

「あ、こんにちはデス……じゃなくて!」

 シャロは織姫の手を引いて、教室の外まで連行する。

「……?」

 俺は一連の流れが理解できず、意味もなくチョーカーを触っていた。


 虚ちゃんと悟がなぜか名前呼びになっていたことがどうしても気がかりで、つい虚ちゃんの手を引いて廊下まで来ちゃった。これは傍から見たらいじめになっちゃうんじゃないかって焦ったけど、今は別の意味の焦りの方が大変。

「ウツロちゃん、正直に答えてくだサイ!ウツロちゃんは今日の出来事でサトルと何があったデスか!」

 やや早口になりながらそう聞く私。そんな私に虚ちゃんはあわあわと言葉を詰まらせている。

(……本当にいじめになっちゃうかも)

 虚ちゃんを落ち着かせて話を聞くと、特に悟への恋愛感情のようなものは見受けられなかった。でも好意的には思っているようで、やや人見知りな虚ちゃんでも悟とは気兼ねなく話せるのだそう。

「なので……悟先輩には、これからいっぱいお礼したいと思います」

「お礼……デスか?」

「はい、謎を見つけたら教えるように頼まれちゃいましたから、いっぱい手助けしたいと思います!」

 まだ出会ってから二か月ほどだけど……この子はとってもいい子だということを私は知っている。

 助けてくれた人への感謝や尊重を忘れないし、悪意を人に向けるなんてこともない……そんないい子だから、部の皆に好かれていて、私もこの子のことは大好きだ。

「……あの……一つお願いがありマス」

「……?」

「オリヒメ……って、呼んでもいいデスか?……先輩として、友達として」

「――っ!……はい、なら私も、シャロ先輩でいいですよね。友達として!」

 焦りがあるのは本当。もし悟と織姫が……なんて考えたら悲しくなる。

 でも、それでも私は、織姫のことを気に入っちゃってるんだ。

「さぁ、教室に戻りま……って、サトルからメールデス」

『ごめん、急用ができたから先帰る。また明日話は聞くって織姫に言っといて』

 その後に『気をつけて帰ってね』と、私たちを心配する短い文章がくっついている。

「えぇ……!?悟先輩帰っちゃったんですか……?」

「……そうみたいデスね」

 帰宅部の悟は特に放課後に予定なんかないはずで、そんな悟の急用というのが気になるけど、悟は歩きながら携帯を見ないから、急用とは?とメールを送っても返事が返ってくるのは夕方以降だろう。

「ワタシたちも帰りまショウ、オリヒメ」

 早く帰るようにと言われている以上、寄り道なんてできそうにない。

 私たちは楽しくお話ししながら、帰路を共にした。

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