第12話 禁断の力

「奇書様。ご挨拶が遅れてしまい誠に申し訳ございません。私は魔導都市レキシコンより遣わされた、魔導司書のララ・ドゥヴネット・サンドリヨンと申します」


 ララは深々とお辞儀をした。本の申し子として奇書に対する敬意を忘れてはいけない。挨拶は基本中の基本だ。


『何人たりとも我が奇書の力を扱うことは許さぬぞ』


「存じ上げております。アダギウムであなた様の一端へと触れましたが、リカルド・ジンガレッティの魔導は想像以上に危険なものでした。血統か、魔導因子の突然変異か。彼の魔導は単に重圧をかけるだけのものではなかった。あの動揺を見るに、ヴァスコ・ベロッキオに魔導を発動した時に初めてその危険性に気づいたのでしょうね」


 アダギウムで追体験したリカルド・ジンガレッティの過去。リカルドは自身の魔導を命もろとも葬り去ったのかずっと疑問だったが、過去でヴァスコ・ベロッキオが跪いた光景と彼の様子を見たことで全てを悟った。


「リカルド・ジンガレッティの魔導が生み出した重圧は肉体だけではなく、精神にも作用していました。相手を跪かせるだけではなく、心までも屈服させてしまうのですね」


『その通りだ……人の尊厳を踏みにじり、強制的に屈服させる魔導など許されてはならない』


 リカルドの魔導の本質は重圧ではなく、標的をひれ伏させることにあったのだろう。矢や投石といった飛び道具がことごとく落下したのは、その結果に過ぎない。概念に作用する魔導は非常に強力で、物理的に標的を地面にひれ伏させるのだけではなく、反対意見や敵対関係さえも魔導一つで屈服させて覆してしまう。ベロッキオの豹変ぶりからもその異常性は明らかだった。


『己の魔導の真の恐ろしさを知り、リカルドは激しい後悔と絶望に襲われた。平和のために研究を続けてきた魔導があろうことか、倫理を逸脱した代物だったのだからな。ましてや彼の目の前には、暴君の素養を持つ領主が存在していた』


「ベロッキオの件で気を良くしたアルド・ファルコニエーリが、権威を示すために悪用することは想像に難くありませんね」


『だからこそリカルドは、自らの研究成果と心中することでその術を永劫封印した。それがまさか、魔導研究とは関係のない書物が、生前の彼の魔導の特性を受け継いだ奇書となるとは、思ってもみなかっただろうな』


「どんなに覚悟を決めようとも、人間である以上、一片の感情も残さずにこの世界から消え去ることを出来ないのかもしれませんね」


『小娘が知ったような口を。だが、それは一つの心理なのやもしれぬ。リカルドも死ぬ前に我を処分することは出来たはずだからな。お前の言うように一片の感情も残さず消え去ることに耐え切れなかったのだろう』


「誰かから理解されたいという思いは、人も本も変わりませんから」


『話の分かる娘のようだが、だからといって我が力をお前には使わせはせぬぞ。奇書としてリカルドの魔導の一端が残ってしまった以上、我は誰の手に渡らぬ用に近づく者を排除し続けるのみ。そうでなければ世界に歪みが生じてしまう』


「それでしたら尚更、私にあなた様を委ねてはくださいませんか?」


『何?』


「私は魔導司書として奇書を蒐集する任務を帯びています。それには奇書の被害拡大を防ぐと共に、奇書そのものを不埒な輩から守るという意味も含まれています」


『我を守るだと?』


「確かにあなた様の力は強大ですが、魔導耐性を持つ者や、今は敷物になっていますが、ベルナルドさんのように強靱な肉体一つでここまで辿り着くようなお方だっている。限界はあなただって感じているのではありませんか?」


「一言余計だ……」


 敷物状態のベルナルドが苦言をていしたが、オルタナティブ体からは反論は無かった。図星だったのだろう。訴えかけるのは今しかないとララは確信した。


「我々クレプスクルム魔導図書館は、決して奇書の力を利用することはありません。誰の手にも渡らぬ用、厳重に保管し続けることをお約束します!」


 これはクレプスクルム魔導図書館の総意であり、何よりもララ自身の信念であった。本を愛する者として絶対に悪用などさせない。本の申し子としての思いの丈をオルタナティブ体へとぶつける。


『貴様個人を信頼出来たとしても、貴様のあずかり知らぬところで組織間の確執やよこしまな感情を持つ者の介入が起こらぬ保証はあるまい。そんな時、貴様に責任が取れるのか?』


「そうならないことを願うばかりですが、その時は私が全力で守ります。魔導司書としてではなく、ララ・ドゥヴネット・サンドリヨンという一人の人間としてあなた様に誓いましょう」


『ふん。小娘が偉そうに』


「小娘一人が不服なら、今ならもれなくこの敷物もつけておくぜ。実力は保証する」


「ベルナルドさん」


 ベルナルドは颯爽とララに加勢した。地面に伏していて格好がつかなかったのはご愛敬。


『小娘と敷物に命運を託すなどとんだ笑い話だが、暴君の手に渡るよりはよっぽどマシには違いないか』


 青白い光の姿をしたオルタナティブ体に表情は存在しないが、心なしか少しだけ笑っているように感じられた。


『ララと言ったな。今回は貴様の口車に乗ってやろう。奇書の力が悪用されないよう、我の処遇を貴様に託す』


「寛大な御心に感謝いたします。奇書様」


 奇書との対話に成功し、ララは深々とオルタナティブ体へと頭を下げた。


『そっちの敷物。貴様の名も聞いておこう』


「……傭兵のベルナルド・ベルナベウだ」


『覚えておこう。貴様が敷物から染みになる前に解放してやるとしようか』


 その言葉に偽りはなく、直後から周囲を押しつぶさんとしていた重圧が軽くなってきた。


『今から我は一時的に眠りにつく。後のことは任せたぞ』


「はい。責任を持って私があなた様を蒐集し、クレプスクルム魔導図書館にて厳重に保管させて頂きます」


『ならば、安心して眠りにつかせてもらおう。生前のリカルドも出会いに恵まれていれば、自ら命を絶つことはなかったかのかもしれぬな』


 最後にそう言い残すと、オルタナティブ体は光の粒子となって消滅し、開かれていた奇書も自然と閉じられた。


「これからは敷物に敬意を払うことにする」


 周囲の重圧も完全に消失し、ベルナルドもようやく自由を取り戻し、体の感覚を確かめるように腕や首を回した。


「そいつが奇書の正体なのか?」


 崩壊した建物の中で唯一原型を留める机の上に残された一冊の革表紙の本。それを手に取ったララの元へとベルナルドは駆け寄った。


「薄々気づいていましたが、奇書となったのは生前のリカルドが書き残した日記だったようですね」


 ララが手にする奇書の表紙には日記帳と記されている。だからこそ、奇書が発生させたアダギウムは、過去を正確に描写した時空旅行の形を取っていた。


「人間である以上、一片の感情も残さずにこの世界から消え去ることは出来ない。だったか?」

「日記帳など、その最たるものです。強烈な感情が奇書を生み出す起因となる可能性はリカルドとて抱いていたでしょうが、それでもなお、自分がこの世界にいたことの証明として、日記帳だけは処分することが出来なかったのでしょう」


 故人に思いを馳せるように目を閉じると、ララは魔導が施された特別な布で日記帳を包み、鞄へとしまった。


「中身を確認しなくてもいいのか?」


「アダギウムという形で少し触れてしまいましたが、これ以上日記の内容に踏み込むつもりはありません。日記とは極めて個人的な書物。そこに安易に踏み込むのは無礼というものです」


「確かに。人様の日記を勝手に検めるのは野暮ってもんだな」


「ルベン氏に報告後。速やかにレキシコンへ帰還すると致しましょう。動けますか?」


「これぐらい何ともない。お前こそ疲れたんじゃないか?」


「このぐらいは何ともありません」


 胸を張ってベルナルドと対抗するララの姿は年頃の少女のように無邪気だった。こんな顔も出来るんだなと、ベルナルドはどこかホッとしたのも束の間。野生を感じさせる咆哮が周囲に木霊する。複数体の魔物が崩壊した館を取り囲んでいた。


「こいつら、懲りずに奇書に引き寄せられているのか?」


「いいえ。今の奇書様は眠っておられるので、魔物を引き付けるような魔力は発していません。恐らくは正気に戻ったものの、自分たちが今どこにいるのか分かっておらず、目の前にいた私達に本能で襲い掛かろうとしているのでしょう」


「肩慣らしには丁度いい。さっさと片づけてくるからそこで待ってろ」


 疲労感を微塵も感じさせず、ベルナルドは軽快な足取りで魔物の集団へと斬りかかった。

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