第10話 暴君の芽

「暴君とて、生まれつきそうだったわけではない。当然のことですね」


 時代は移り変わり、ララは先代領主であるアルド・ファルコニエーリの項垂れる背中を見つめていた。


「……父は偉大な領主だった。未熟な私にその責務が果たせるのだろうか」


 名君であったピエトロ・ファルコニエーリが病死し、嫡男のアルド・ファルコニエーリは急遽、新たな領主としてファルコニエーリ領を治める立場となっていた。偉大な父の背中を見てきたからこそ、若き領主は己に自信が持てないでいた。


「始めから偉大な人間などおりませぬ。立場が人を作っていくものです。焦らずとも、アルド様はアルド様なりのやり方で領主としてのお姿を示して参りましょう。私もそれを支えていく所存です」


 執務室で項垂れるアルドの右肩にリカルドは優しく触れた。リカルドはアルドが領主となるにあたり、魔導の研究を一時中断し、臣下として領主町へと戻ってきていた。病床のピエトロからは自身の研究に専念するように言われていたが、ファルコニエーリ領への恩返しの意味を込めて、自らの意志でそう選択した。


「ありがとう。頼りにしているぞ、リカルド」


 アルドは若さ故の不安を抱きながらも、己の未熟さを認め、決して驕るようなことはなかった。だからこそ、リカルドを始めとした臣下たちも若き領主を支えていこうと忠義を尽くした。ファルコニエーリ領は代替わりと経済改革による混乱期にあったが、若き領主の元に一致団結し、明るい未来へと誰もが希望を抱いていた。しかし現実は無情だ。


「……どうして何もかも上手くいかないんだ!」


 アルドはやつれた表情で執務机に拳を叩きつけた。領主となってから五年。これまでに彼が打ち出して来た政策はことごとく空回りし、ファルコニエーリ領は混迷を極めていた。決して彼の目指した方向性が間違っていたわけではないが、経験不足故の見込みの甘さや、時には予期せぬ自然の驚異にも足元をすくわれた。不運も大きく重なったが、それでも領主として土地を治める以上、全ての責任はアルドへと注がれる。先代領主であるピエトロと比較され、無能な領主と揶揄する声は日に日に高まっていった。


 それでも領主として必死に目の前の政策に取り組んで来たアルドだったが、当初は尽くしてくれていた臣下たちから冷めた態度を取られるようになってからは孤独感を強め、感情的に周囲に当たったり、酒への逃避が目立つようになってきた。そんな態度を見かねて、さらに臣下や領民たちの心が離れていく。完全な悪循環に陥っていた。


「大事なお体です。どうか己を傷つけるような真似はお止めください」


 机を叩いて腫れたアルドの手を、リカルドは魔導で冷気を操って冷やす。アルドから距離を置く臣下も増える中、リカルドは辛抱強くアルドに尽くしていた。彼だって領主として必死に領を守ろうとしていることを、一番近くで見守って来たリカルドは誰よりも理解していた。結果が伴わなければ過程に意味はないのかもしれないが、そう簡単に割り切れないぐらいには、リカルドはアルドに対して同情的だった。しかし、後の悲劇を考えればその感情こそが、彼にとっての最大の過ちでだったのかもしれない。


「リカルド。最近のベロッキオは増長しているとは思わないか? 私に対する礼節をすっかり忘れてしまっている」


「確かにアルド様に対する態度に思うところはありますが、彼の頭脳が領の運営に不可欠なのもまた事実。無碍には扱えぬかと」


 臣下の一人であるヴァスコ・ベロッキオはまだ若いが、鋭い計略眼によってメキメキと頭角を現している。主君であるアルドに対しても臆せず反対意見を述べるだけに留まらず、時には挑戦的な態度をとることもしばしばあった。そんなベロッキオを支持する動きは臣下の間にも広がり、無能なアルドはお飾りに据え、領のまつりごとは全てベロッキオに一任すべきではとの意見まで出回っており、アルド自身も根回しを進めている節がある。秘密裏の動きではあったが、権威の失墜を恐れるアルドは耳聡く、それらの情報をすでに把握していた。


「リカルド。大勢の前でベロッキオが私に屈服すれば、周囲も忠義を認めざるおえないだろう」


「お言葉ですが、屈服による忠義など品性を損ないます。忠義とは力関係ではなく、信頼関係によって示されるべきものです」


「奴との間に信頼関係など皆無だ!」


「ならばなおのこと、ベロッキオを屈服させることなど難しいでしょう」


「そんなことは私だって分かっている。心からの屈服など求めてはいない。形だけで十分だ」


「……一体、何をお考えなのですか?」


「私は奴がこうべを垂れる様を見たいだけなのだ。それで私の溜飲は下がり、多少なりとも奴のプライドに傷を与えることになろう。そのために是非ともお前の力が借りたい」


 アルドが不敵な笑みを浮かべた瞬間、リカルドは血の気が引くような心地だった。臣下の中でリカルドだけが有する唯一無二の才能を、アルドは自身の権威のために利用しようとしている。


「お前の魔導を使えば、ベロッキオを跪かせることも可能だろう。心にもない行いをさせられ屈辱に歪む奴の顔は、さぞ見物だろうな」


「……いくらアルド様のお言葉とはいえ、それだけは承服しかねます。そもそもあれは戦渦の中で敵兵の攻撃を防ぐために開発したもの。人間に向けてよい代物ではありません」


「当時はそうであっても、お前は廃村の館に籠り研究を続けて来た。威力の調整ぐらいは造作もなかろう?」


 図星故に何も言い返せなかった。アルドは狡猾だ。リカルドの研究の進捗を把握した上で逃げ道を塞いでいる。


「たったの一度だけだ。それで全てが解決する」


「……なりません。私の魔導は平和利用のために研究したもの。このような使い方はあまりにも」


「あまりにも何だ?」


 見る者に恐怖を覚えさせるようなあまりにも冷徹な眼差し。それは決して技術として会得出来るものではなく、アルドの持って生まれた才能を、皮肉なことに現在の疑心暗鬼な状況が補強した結果の産物であった。


「このままベロッキオの権威が強まれば、謀反によって我らファルコニエーリ一族は土地を追われるやもしれぬ。そうなった時、お前は父上やルベンに顔向け出来るのか? あの時ベロッキオを抑えておけばと後悔はせぬのか?」


 決して自分の名前は出さず、リカルドにとって大恩のあるピエトロや、まだ幼い子息のルベンの未来をちらつかせて圧力をかける。二人の名前を出されては、リカルドも強くは言い貸せなかった。


「……一度だけですよ」

「ああ、分かっているとも」


 この苦渋の決断が、暴君の誕生とリカルド自身の破滅を運命づけた。

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