第7話 ルベン・ファルコニエーリ

「遠路はるばるとよくぞお出でくださいました。ファルコニエーリ領の領主を務めます、ルベン・ファルコニエーリと申します。お二人を歓迎いたします」


 二日後。ララとベルナルドの乗せた馬車は、クアドラード王国東部ファルコニエーリ領へと到着。領主の館へと到着した二人を、領主のルベン・ファルコニエーリが穏やかに出迎えてくれた。ルベンは現在二十九歳だが、やつれた印象の痩躯は、さらに十歳は年齢を重ねているように感じさせる。父親の急逝により、二十二歳の若さで領主の重責を担い、冷え込んでいた領の経済を立て直すまでの間には並々ならぬ苦労があったことに加え、経済回復に水を差すような今回の奇書騒動だ。気苦労は絶えないだろう。


「クレプスクルム魔導図書館より派遣されました、魔導司書のララ・ドゥヴネット・サンドリヨンです」


「傭兵のベルナルド・ベルナベウです。自分はサンドリヨン魔導司書の護衛役ですので、どうぞお構いなく」


 魔導司書としての身分証と、魔導都市レキシコンとファルコニエーリ領が所属するクアドラード王国の連盟で発行された任務証明証を提示すると、ララとルベンは親睦の握手を交わした。


「立ち話もなんですので、応接室へとご案内します」


 二人はルベンに案内されて館の応接室へと通された。お付きの臣下の姿はなく、領主のルベンも率先的に動き、少人数で領を運営しているようだ。


「早速本題へと入りましょう。奇書の著者と目されるリカルド・ジンガレッティ氏とは、一体どのような人物なのですか? 亡くなるまでの詳細を教えて頂けると助かります」


 応接室のソファーでルベンと向かい合うと、ララはチェーンで首からかけていた丸眼鏡を着用し、鞄から手帳を取り出した。ベルナルドは護衛としていつでも動けるように、ソファーには掛けずに壁に背中を預けている。


「彼は祖父の代からファルコニエーリ家に仕えていた魔導士です。ご存じかとは思いますが、当時はクアドラード内戦の最中であり、ファルコニエーリ領も激戦地として戦渦に見舞われました。記録によるとリカルドは、領民や騎士団を守るために、防御に特化した魔導を研究していたようです。自ら最前線に立って魔導で大勢の命を救い、領民や騎士からの信頼も厚かった。当時のリカルドを知る人々は、今でも彼を慕っていますよ」


「リカルド氏の研究していた魔導というのは?」


「内戦状態でしたので、情報漏洩を恐れて公的な記録には残されていませんが、当時を知る者によると、襲い来る矢や投石をことごとく落とし、被害から守ってくれたとのことです」


「なるほど。障壁で阻むのではなく、何らかの作用で標的を落下させたと」


 ララは聞き取った情報を手帳へと走らせていく。奇書の周辺で起きている異常は、リカルドのこの魔導に由来している可能性は高い。


「戦後もリカルドは領主付きの魔導士として祖父に仕え続けました。リカルドは戦時の経験を活かして自身の魔導を、災害から人命を守る術として使うことは出来ないかと、技術の体系化を目指して更なる研究に取り組んだようで、祖父もその考えを支持していました。奇書が見つかった屋敷にもその頃から住み始めたようですね。あの一帯は戦渦の煽りで当時から廃村となっていたので、実験による周囲への影響を鑑み、人家のない場所を選んだのかもしれません」


「なるほど。リカルド氏は自身の魔導の平和的な技術として体系化を願っていたと」


 戦渦に経験した心情が奇書の根源の可能性を考えていたが、当時の経験を活かし、平和的な技術へと生まれ変わらせようとした奇特な人物であれば、その念が奇書となったとは考えにくい。当時の領主のピエトロ・ファルコニエーリ領との関係も良好だったようだし、彼に影を落としたのはやはり、暴君とされた息子のアルド・ファルコニエーリの方なのかもしれない。


「次代の領主。アルド氏との関係は如何だったのでしょうか?」

「父ですか……」


 幼少期に亡くなり、名君と称される祖父は、ルベンにとっては身内というよりも偉人のような存在感を持つが、実の父親であるアルドのことは良くも悪くも様々な面を見てきている。その感情は複雑そうだ。それでも領の有事に私情を挟んでいる場合ではないと思い直し、淡々と口を開いた。


「祖父が急逝し、混乱期の中で領主となった父を思い、リカルドも研究を中断して側近として父を支えてくれたそうです。最初の数年の内こそ良好な関係に見えましたが、父の打ち出した政策が空回りし、臣民からの評価が失われていくと共に、リカルドとの関係も冷え込んでいき、リカルドは廃村の館へと引き籠るようになった……身内だからこそ強い言葉を遣わせていただきますが、暴君とまで呼ばれた父をリカルドが見限ったのでしょうね」


 ルベンの浮かべた表情と暴君の響きは、哀れみと皮肉が複雑に絡み合っていた。彼自身も暴君の息子という立場から、不当な評価を得ることがあったのは想像に難くない。


「リカルド氏の最期は?」


「廃村近くの泉で入水を。彼が生涯をかけた魔導の研究成果の全て燃やし尽くした痕跡があり、後日に長年の友人だった退役した騎士の元へ、遺書となる手紙が届きました。遺書には『未来を思えばこそ、我が命と共に全ての研究成果を葬り去らん』と書き残されていたそうです」


「未来を思えばこそですか。平和のための研究していたはずなのにどうして?」


「それは私にも分かりかねますが、晩年の父はリカルドの研究成果が失われたことを酷く嘆いていました。そんな父に研究成果が渡ることをリカルドは防ぎたかったのかもしれません」


「技術は使い方次第ということですか」


 ルベンの証言や今回奇書周辺で起きている現象から、リカルドがどういった類の魔導を得意としていたのかはララにもおおよその見当がついていたが、果たしてそれが自らの命ごと研究成果を葬り去る程に危険な代物だったのかといえば疑問が残る。まだ何か、隠された真実が存在しているかもしれない。


「ご年齢的に、ルベン様も生前のリカルド氏とは面識がありますよね。あなたから見て、リカルド氏はどのような人物でしたか?」


「幼少期の朧気な記憶ではありますが、父とは激しい剣幕で口論をしながらも、幼い私に対してはいつだって、目線を合わせて優しく接してくれていた覚えがあります。正直なところ、彼の残した書物が領に被害をもたらしているなど、俄かには信じがたいぐらいです」


 ルベンの意見をララは首肯した。これまでの話を聞くに、リカルドは聡明で思いやりがあり、当時の領主だったアルドと反目しながらも、息子だからとルベンに対してはその感情を持ち込まないなど、分別を持ち合わせた人格者であることが窺い知れる。領に対する悪感情ではなく、もっと別の何かが、奇書誕生のきっかけとなったのかもしれない。


「事情は分かりました。ここから先は我々二人で現地調査へと移行し、可能であれば即時蒐集活動へ入ります」


 ララは手帳を折り畳み、眼鏡を外して首から下げた。実際に現地で奇書と対峙しなくては、事態の本質は見えてこない。


「早期解決はこちらとしてもありがたいですが、お二人だけで本当に大丈夫なのですか? 例の現象のせいで我では屋敷に近寄れないばかりか、奇書に引き寄せられて周辺には大量の魔物が集まっていますよ」


「私は魔導司書として特殊な訓練を受けておりますので、奇書の影響は最小限で済みます。魔物に関しては傭兵のベルナルドさんがどうにかしてくれるでしょう」


「ファルコニエーリ領に生息している魔物の種類は把握済みだ。問題はない」


「しかし、魔導司書様はともかく、傭兵様の方は奇書に近づいたら影響を受けてしまうのでは?」


「ベルナルドさんなら大丈夫です。この筋肉量ですから」


「えっ、そういう問題なのか?」


 頓狂な声を上げたのは当事者のベルナルドであった。てっきり、ララの手で何かしらの対策を講じてくれるのだとばかり思っていた。


「筋肉は全てを凌駕しますから」


「本当に?」


「少し盛りましたが、奇書のもたらす現象下でも、負荷に耐えうる肉体と身体能力の持ち主ならば、ある程度は行動可能です。より奇書の影響が強い屋敷周辺には魔物すらも近づけませんし、そこまで無事に送り届けて頂ければ私は自分の仕事に集中できます」


「ああ、そういうことなら任せておけ」


 鍛え上げて来た強靱な肉体がこういった形で役に立つとはベルナルドも目から鱗だったが、思えばアルチバルドもその辺りは織り込み済みだったのだろう。そうでなければベルナルドにララの安全を託したりなどはしない。

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