【KAC20235】ファンタジー世界の育児日記~子育てしてたらいつの間に筋肉ついてました~
十坂真黑
ファンタジー世界の育児日記
【1日目】
今日は私の人生で最も素敵な一日です。
ようやく抱くことのできた愛しいわが子。
『シュルフ』という名は、セドリック様と以前から話し合って決めていたものです。
出産を終えたばかりの私に、セドリック様は「マルナ。よくやった」と褒めてくださいました。
これからよろしくね、シュルフ。
私は生まれたばかりの小さな手のひらを握りしめ、呟きました。
◇ ◇ ◇
【25日目】
セドリック様と話し合い、子守婦などは雇わず極力自分たちで育てる方針になりました。
穏やかな表情で寝息を立てるわが子がかわいくて仕方ありません。同時に、新しい命の重みを感じる毎日です。
ほんの小娘の私に、この子を守ることができるのでしょうか。
力仕事とは無縁の、か弱い少女のような手です。赤子を抱いただけでぷるぷると震えてしまうような腕です。
……いいえ、弱気になってはいけません。私はもう母なのですから。
命を懸けて、この子を守り抜くと誓いましょう。
ところで今日、シュルフが寝ている間にびっくりするようなことがありました。
暑かったので窓を開けていたら、ドラゴニアが部屋の中に入ってしたのです。
ただの小ドラゴンですが私は半狂乱になって箒を振り回し、なんとかドラゴニアを追い出しました。
シュルフが怪我をしてしまったらどうしよう。
その時の私の中にあったのはその一念のみでした。
母の力とは恐るべきものですね。
元々、私は戦いなどしたこともないひ弱な修道女でしたのに。
ですがその代償として、暖炉の角がかけてしまったり、部屋の中がめちゃくちゃになってしまいました。
お仕事から帰られたセドリック様は、おうちの惨状に驚いてらっしゃいました。
◇ ◇ ◇
【212日目】
今日、シュルフが初めて「ママ」と呼んでくれました!
その時私は、シュルフを背中におぶり、家の前を掃いていました。
いたずらを覚えたシュルフは、目を離すと花瓶を割ったり、やんちゃな男の子に成長していました。夜泣きがひどく、夜中に何度も目を覚ましてしまうので頻繁にあやしたり授乳をする必要がありました。
おかげで私は夜もほとんど眠れておらず、ぼんやりした状態でした。
その瞬間、嬉しくって私は飛び上がってしまいました。
「シュルフ、もう一度言って?」
「まーま、まーま!」と何度もシュルフは愛らしい頬をゆらして、何度も私をそう呼んでくれました。
嬉しくって、私はシュルフに何度も頬ずりしてしまいました。
◇ ◇ ◇
【350日目】
シュルフが流行り病にかかってしまいました。
慌ててお医者さんに診てもらいましたが、治療に必要なハイリーナ草は生憎切らしてしまっているとのことでした。
「ハイリーナ草は森でとれるんだけどね。あそこは魔獣が出るから、冒険者が採ってきてくれるのを待つしかないんだよ」
お医者様は申し訳なさそうにそういいました。
セドリック様に相談しますと、「明日、俺が採ってこよう」と言ってくださいました。
けれど明日は、王宮騎士として毎日激務をこなしていらっしゃるセドリック様の貴重なお休みです。
とても申し訳なく思いました。
……私に力があったなら。
この子がこんなに苦しんでいるのに、私は何もできない。
高熱で顔を真っ赤にし、苦しそうに息をするシュルフを見ていると涙がこぼれてきました。
これではいけない。私はこの子の母親なのだ。
私はシュルフをご近所に預け、蔵にしまってあったセドリック様の片手剣を握りました。
ハイリーナ草を採取しに、森に行くためです
シュルフがあんなに小さな体で病の苦しみと闘っているのです。私も同じく闘わなくては、あの子にママと呼んでもらう資格などありません。
森の入り口に着くと、そこではお城に努める兵の方々が警備をしていらっしゃいました。
「お嬢さん、まさかここに入るつもりかい? やめときな」
「大丈夫です。こう見えても日々鍛えておりますので」
子育ては肉体労働なのです。男性の方々には想像もできないでしょうけれど。
それに、シュルフのためなら、どんな魔獣にだって負ける気はしません。
兵士の方々の制止も聞かず、私はセドリック様愛用の片手剣を携え、日の高い内に森に潜りまし
た。
長い洞窟を超えたり、目の前にそびえる崖を上ったり、森は予想外に危険がいっぱいでした。
途中、何度か大型の魔獣に遭遇しましたが、子を想う母の愛はそんなものには負けません。
魔獣を一太刀で斬り伏せ、私は先を目指します。
お医者様によると、森の最深部にハイリーナ草はあるそうです。
どれほど時間が経過したでしょう。
冒険の果てに、私はついに森の最深部にたどり着きました。
「あった……!」
草の茂みに一本だけほんのりと発光した、真っ白な花が咲いています。
ハイリーナ草です。
私は手持ちナイフで茎を切りとり、ハイリーナ草をポーチの中にしまいます。
これでシュルフの病を治すことができる。そう思ったとたん、ほっとしてその場にへたり込んでしまいました。
気が付けば、日が暮れ始めています。
早くあの子の顔が見たい。
そう強く思いました。
「遅くなってすまなかったマルナ。仕事が片付かなくて……シュルフは大丈夫か?」
その夜、息を切らして帰宅したセドリック様を、すっかり元気になったシュルフが、「パパ~」と迎えました。
「シュルフ……! ハイリーナ草が手に入ったのか?」
セドリック様はシュルフを抱き上げ、驚いた顔で私に尋ねます
「ええ。シュルフをお隣さんにみてもらって、私が採ってきました」
「なんだって!? なんて危険なことをしたんだ! 森には危険な魔物がたくさんいるんだぞ」
「大丈夫ですわ。私、セドリック様が思うほどか弱い女ではありません」
私は今日の冒険の出来事をセドリック様に話しました。
信じられない、としきりに首を横に振っていましたが、現にシュルフが元気になっている以上、私の言葉を信じざるを得ないようでした。
「いったい何をしてそんなに強くなったんだ?」
セドリック様は目をまん丸くして私に問いかけます。
「何って……私はただ一生懸命この子を育てていただけですわ」
日に日に重くなるシュルフを抱きながら家事をしたり。
背中に負ぶったこの子が目を覚ましてしまわないよう、小さな物音にも慎重に動かなくてはなりません。
その修行のような日々は、か弱い小娘のままでは乗り越えられなかったでしょう。
私の頼りなかった細腕は、いつの間に逞しい筋肉に包まれています。
「そうか……子育てとは厳しい修行に匹敵するほど、己を鍛えることができるのだな」
セドリック様は、豆だらけになった私の掌を、一回り大きなその掌で包んでくださいました。
「マルナ。今まで過酷な育児をお前に任せっきりで悪かった。これからはできる限り俺もお前たちとの時間を作るようにする。二人で一緒に育てよう」
私の目を見てそう言ってくれたのです。
これまでのセドリック様も、夫として、父としても立派な方でしたけど、そのまなざしの温かさに胸がいっぱいになってしまいました。
「セドリック様……。その言葉、マルナはうれしゅうございます」
目じりの涙をぬぐい、私は笑顔を浮かべました。
私の育児日記は今日でおしまいです。
これからはセドリック様と連名で、新しい育児日記を書いていくことになりました。
まだまだ頼りない新米ママとパパの育児日記を、大きくなったシュルフはどんな顔で読むのでしょう?
今から楽しみです。
【KAC20235】ファンタジー世界の育児日記~子育てしてたらいつの間に筋肉ついてました~ 十坂真黑 @marakon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます