第15話


 あっという間にネンドウ少年の冷静さは吹き飛んだ。

 しかし、手放してはならない情報はしかと心に留めたままだ。


 今抑えておくべき情報は、敵味方に関係なく暁ネンドウが英雄だと勘違いされていることである。


 スプーン曲げと、みんなの勘違い。

 この2つの事象を上手く制御できれば、何だってやれるはずだ!


 ネンドウ少年はそう認識し、本能の赴くまま身体を躍動させ始めた。


「フン!」


 まず、彼は天に掲げたスプーンを屈曲させた。


 ネンドウ少年は変わり果てたスプーンをフェイドの足元に投げつける。


「これが英雄の力です、フェイド先生。俺の前じゃ魔封領域は無力なんですよ」


 フェイドの生み出した魔封領域は、領域内の人間の魔力を封印するだけでなく、次第にその生命力さえ奪っていく。


 ネンドウはそもそも魔力を持たない人間だったため平然としているが、ゴドリックやルミエールなどその他多数の人間にとっては猛毒の領域だった。


「えっ英雄を見縊みくびるなよ、邪教徒共が」


 滝のような脇汗を流しながら、ネンドウ少年は微笑を浮かべて挑発するような態度を取った。


 フェイドは膝を折り、ぐしゃぐしゃに湾曲したスプーンを持ち上げる。


「ばっ、馬鹿な! 何故魔法を使えるのです!? 僕達以外の魔力は完璧に封印されているはずなのに……!」

「俺の魔法と魔力は封印できなかった。そんなことも理解できないのか」


 そして、フェイドの手のひらの上で生き物のように蠢き出すスプーン。


「ひいっ!」


 タワシのようになったスプーンが地面に落ちる。


 その金属塊はみるみるうちに形を変えていき、遂には美しい翼竜――の置物を形作った。


(あ、ああぁ……! 僕は夢でも見ているのですか!?)


 両翼を雄大に広げた金属のドラゴンである。

 その大きさは優に10センチを超える。


 サイズだけを見ればかなり小さかったが、金属が生物の形を作ったことが問題だった。


「ど、ドラゴンが……生まれた!? まさか!?」


 警備に当たっていた人間や学園の教師陣、生徒、来賓に至るまでが地に這いずり、絶望が支配するスタジアム。魔封領域の展開されたスタジアムの中央で、英雄の力が顕示されたのだ。


 倒れた人々には、金属のドラゴンが希望そのものに見えたことだろう。


 ほんの僅かに、地に伏せた人々が沸き立つ。

 だ。民衆の心の中に希望が芽生え始めた。


「ぐっ……やめるんだネンドウ! 民衆に希望を与えてしまったら、『器』が満たされなくなってしまう……!」


 フェイドの叫びを聞き逃さなかったネンドウは、彼に対して大胆不敵な言葉を浴びせた。


「ふむ……器か。聞いたことがある。邪教徒は俺の暗殺の他に、をするために動いていたんだったな」

「!?」


 ネンドウ少年は、ドラゴンのオブジェを拾い上げながら、魂のハッタリをぶちまけた。


 元々、自分を殺すためだけなら、大会の最中で大々的に暗殺しなくてもいいんじゃないかと考えていたのだ。


 自分の暗殺の他にも、何かしらの目的があるのかもしれない。勘がそう囁いていた。


 英雄暗殺に加えて、もうひとつの作戦をボロクソに破壊できたなら、きっとフェイドは引き下がる。


 真実がバレてしまう前に、敵を降参させるのだ。


 無力な少年は己の立場を最大限に利用して、最高の結果を勝ち取りに行こうと決めた。


「俺は知ってるんだよ、フェイド先生……」


 実は、スプーンを投げつけた先のタイミングで、フェイド1人を無力化することは恐らく可能だった。


 それをしなかったのは、スタジアム内に押しかけた100人の邪教徒全員を同時に倒し切ることが不可能だったからだ。


 彼が目指すのは完璧な勝利。

 フェイドを倒した上で、100人の邪教徒も倒し切る。

 後味の悪い結果には絶対したくなかった。

 そのためのハッタリだ。


「もうの遂行は諦めた方がいい……!」


 ネンドウ少年はフェイドに詰め寄りながら、更に虚言を重ねていく。


 周囲の人間の恐れと勘違いの大きさが、そっくりそのまま彼の力となる。


 ネンドウ少年は、その事実を痛いほど認識している。


 この状況は、まさに『マジックショー』と同じなのだ。


 ……タネさえ知ってしまえば、ただの嘘。


 しかし、知らなければ『まるで魔法のよう』。

 それがマジック。大抵の人は気付けない。


 という状況を作り出せば、人々は簡単に騙されてしまうのだ……。


 脇汗びっしょりの暁ネンドウが、緊張のあまりハァハァと興奮しながらフェイドに接近していく。


 フェイドは彼の貌に押され、思わずたじろいだ。


(まさか……ネンドウは魔人復活計画の『核』を知っている!? そういえば、最近は英雄を崇拝する『アルマみちびき』という奴らが僕達の邪魔をしていると言うではないですか! まさか奴らの調査によって……計画が白日の元に……!)


 この場面においては意味深な言動こそが正義。


 フェイドはヴァイオレット教団の大いなる計画を言い当てられたと思い込み、うっかり具体的な内容を漏らしてしまった。


「な、な、何故……『魂の石』のことを……!? そのことは幹部と幹部候補の僕しか知らないはずです!!」


 勝手に重要そうなキーワードを吐いたフェイドに対して、ネンドウは一度手を止めた。


 魂の石って?


「ふ。なるほどね」


 気を取り直して、少年はフェイドに語りかける。


「先生、アーティファクトは地下に隠してあるんでしょ? 俺が死んで力が暴走する前に、アーティファクトを停止させた方がいい」

「ち、力が暴走?」

「えぇ。そうなったらもう……魔法をかけた俺ですら、このドラゴンを止められない」

「っ……!」

「コイツは金属を食って成長する。際限なく無限にな……!」


 ネンドウ少年は、微動だにしない金属ドラゴンを持ち上げて白い歯を剥き出しにした。


 フェイドはそのドラゴンを「生きている」と受け取ってくれているらしい。

 微妙に動かしていた甲斐があった。唇がカサカサだ。


 そういえば、フェイド先生は近眼で有名だったっけ。


 当然金属ドラゴンは動かない。ただの美術品だ。

 極限まで薄く延ばされた生地は触れてしまえば容易く壊れてしまうだろうし、凝視すればただの置物と分かるのだろうが――


 種明かしさえされなければ、ネンドウ少年の生み出した虚実ドラゴンはあまりにも強烈だった。


(き、金属のドラゴンなんて聞いたこともないですが……! こちらを睨みつけるあのドラゴンは間違いなく生物のそれです!! もっと近くで見たいが、合金を身につけている僕が近付けば補食されてしまう!)


 思考を高速回転させるフェイド。


 かの少年は魔封領域においても問題なく魔法を使えるのだ。しかもその効果は『金属に生命を与える』『金属を自在に操る』という絶大なもの。


 世界を滅ぼす力を有する『魔人』を倒した『無力な英雄』とはいえ……人類の英知の結晶たる魔封領域を破られるとは考えてもいなかった。


(だが、今更アーティファクトを停止させることなど不可能……! 装置の停止は即ち敗北です! 魔封領域を生み出せるアーティファクトをみすみす敵に渡すことになってしまう!)


 『魔法石』のアーティファクトは、それ単体でも相当の価値を持つ兵器だ。

 所持しておくのと手放すのでは、今後の立ち回りが大きく違ってくる。


 彼を殺害するべく準備を重ねていたが、英雄の力を侮っていた。作戦が停滞してしまっている。

 フェイドは強く唇を噛み締めた。


(僕に残された選択肢は……2つ!)


 1つ。希望が芽生えた民衆では『魂の石』の計画に不都合。観衆を絶望に陥れた上で殺戮するのは一旦諦め、ネンドウ殺害に全力を注ぐか。


 2つ。アーティファクトを停止させ、敗北を認めて計画をご破算にさせるか。


(だ……ダメです! やはり2つの計画を同時に遂行しなければ、大いなる計画に大幅な遅れが生じてしまう! そうなれば真に平等な世界は創れない! これだけは使いたくなかったのですが……奥の手を使うしかありませんね……!)


 3つめの選択肢。

 奥の手を使って、『魂の石』と『英雄暗殺』の2つの計画を遂行する。


 本来であれば、より強い絶望のためにもネンドウと民衆は切り離すべきではなかったが、なりふり構っていられる状況ではなかった。


「逆立て岩盤――土の精霊よ、大地を穿て! 《ディストーション》!!」


 フェイドの魔法によって、スタジアム中央のステージが陥没し、地下に落下していく。


「ネンドウさんっ!」

「ネンドウ!!」


 落下の中、少年は地上に取り残されたルミエールとゴドリックの声を聞いた。


 観衆とネンドウが切り離される。


 地下空間に誘われたのは、フェイドと数人の邪教徒とネンドウだけ。


「計画変更です。民衆への絶望は死にゆく英雄の悲劇的な姿ではなく、英雄の首を晒すことで補うとしましょう」


 地上に口を開いた大穴が塞がれ、ネンドウは地下回廊に閉じ込められた。


 落下死直前のところで金属ドラゴンに助けてもらったため無傷だが、彼の精神は既に疲弊し切っていた。

 心理戦は苦手だ。


「皆さん、僕に英雄の首を持って来なさい。僕はキッチンの守りを固めておきますから……絶対に近付かせないでくださいよ!」


 英雄との直接戦闘を恐れたフェイドと大多数の邪教徒は、そう言い残してキッチンへと走り去っていった。


「なるほど。キッチンにアーティファクトを隠しているのか」


 ネンドウは金属ドラゴンをこれ見よがしに掲げながら、悪の手先を追う。


 目の前に立ち塞がる邪教徒を意に介さない悠然とした態度は、敵の足並みを崩していく。


「ウオオオオ!」


 血走った目の邪教徒がナイフを振り上げた。


 その声に乗せられて、他の教徒も魔法を詠唱し始める。


「やめておけ邪教徒共。その手は俺に効かない」


 ネンドウは右手を前に出し、きっぱりと宣言してみせた。

 ついでに胸ポケットに忍ばせた新たなスプーンを曲げて、不快な金属音を上げてドラゴンの咆哮と勘違いさせてみる。


 廊下に響くキリキリとした金属音。

 その音を聞いた邪教徒たちは歩みを止めた。


 そうだ。復活した英雄が言うのだから、ちんけな魔法も武器も効くはずがない。


 圧倒的な威圧感に押し潰された邪教徒達は、武器を手放して詠唱を破棄してしまった。


「そうか、戦わないのか。賢明な判断だ」


 ネンドウは邪教徒共を捨て置き、地下空間を進んだ。


 少人数の邪教徒相手なら何とか戦意喪失に持ち込めるが、幹部候補であるフェイドとその取り巻きとは戦う必要があるだろう。


 普通に戦ったらもちろん勝機なんてない。

 けれど、戦場がになるなら勝機はある。


 戸棚にストックしてある大量のスプーンを操れば、本気の殺し合いになってもワンチャンスが生まれるだろう。


 昔、ネンドウは家庭科室で友達とガチ喧嘩した時があった。


 その時のことをよく覚えている。

 怒りのあまり、家庭科室にあったスプーン全てを曲げてしまったのだ。そして、スプーンは屈曲の反動によって目にも止まらぬ速さで部屋中を飛び交った。


 下手したら死人が出ていたんじゃないかという騒動の末、ネンドウと友人は仲直りした。

 友人の心境はどうあれ、ネンドウはその時初めて力の恐ろしさを知ったのである。


 地下のキッチンにアーティファクトの隠し場所を選んだ時点で、フェイドの命運は尽きたと言っていい。

 家庭科室や厨房で戦うなら――割とガチで――世界一強いと自負できるくらいの自信がある。


 ネンドウはドラゴンをスプーンに戻した後、魔法杖のように右手に握りしめた。


 目の前にはスタジアムの地下食堂へと続く扉。昼時を大幅に過ぎて、スタッフが出払った今、この中にいるのは邪教徒とフェイドしかいない。


 ネンドウはスプーンで即席の鍵を作って食堂に侵入すると、静かに行動を始めた。


「アーティファクトはキッチンの最奥か……」


 食堂やキッチンには数え切れないほどのスプーンがある。しかも、今日は春の武闘大会ゆえ、外部からの来客を見込んで大量の食器が持ち込まれていた。


 スプーンはあればあるだけ良い。

 ありとあらゆるポケットにパンパンに詰め込んだネンドウは、金属鎧の如き音を鳴らしながら厨房へと向かった。


「し、侵入者――っ! ネンドウがいたぞぉ!!」


 音がデカすぎてバレてしまった。

 次々に邪教徒が集まってくる。


「バレちまったなら仕方ない。あっ……」


 かっこつけて手足をプラプラさせていたところ、ネンドウは足元にあった小麦粉入りの袋をぶちまけてしまう。


 勢いよく地面を滑る小麦粉。

 まるで煙幕のように広がっていく小麦粉は、邪教徒を軽いパニックに陥れた。


「な、なんだ……!?」

「英雄の卑劣な魔法か!?」


 フェイドの姿はない。

 最奥でアーティファクトを守っているのだろう。


 食堂の広間に出てきた邪教徒で雑魚は全員揃っているはずだ。

 彼らを倒せばボスに一直線だな。


 舞い上がった小麦粉によって視界不良に陥り、ザワつく邪教徒たち。そんな彼らにも聞こえるように、ネンドウはスプーンを爪で弾いて音を鳴らした。


「お前ら、『粉塵爆発』って知ってるか?」

「……!?」


 ちなみにネンドウは細かい原理を知らない。

 名前を知っているだけだ。


 すると、頭の切れそうな隻眼の邪教徒が突然叫んだ。


「ばっ――爆発するぞぉぉぉぉ!!! みんな伏せろォォォ!!!」


「昔働いてた坑道で同じような事故があった!! 火を起こすな!! 吸い込むと肺まで焼かれるぞぉぉぉ!!!」


 その声を聞いて、邪教徒たちは床に身を投げ出した。


 なるほど、勝手に深いところで受け取ってくれたらしい。


 ネンドウは地べたに伏せた敵の頭を鈍器で殴って回った。


「あれ? 爆発しない? ――オフッ!」


 最後に頭の良さそうな隻眼の邪教徒を気絶させて、雑魚の掃討は完了。


「お前の敗因は頭が良かったことだ」


 かっこいいセリフが思いつかなかったので、割ととんでもないことを言い残してしまった。


「フェイド先生含めて本当に慎重弱腰というか……そんだけ英雄を恐れてるってことなのかな」


 残るはフェイド――この計画の首謀者のみ。

 ネンドウは大量のスプーンを身につけながら、厨房の奥へと消えた。

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