第9話


 昼休みの終わり際、俺は教室の机で絶望していた。


「はぁぁ……」


 『アルマみちびき』とか、ヴァイオレット教団が俺を暗殺しに来るとか、学園内に何かを仕掛けられているとか。


 情報量が多すぎて、俺じゃなきゃパニックになっている。


 邪教徒は名の通りヤバそうだって分かるけど、どちらかと言えば『アルマみちびき』の人たちの方が怖い。


 彼女達は俺のことを英雄だと勘違いしている上、色々と暗躍してるっぽいガチの方々だ。


 暁ネンドウが本当の英雄じゃないと知った時、彼女達がどんな行動をするのか。


 今かなり良くしてくれている分、その反動で拷問とかされるんじゃないかな……。


 しかも何が嫌かって、俺への好感度がバグってそうな幹部が多いこと。

 アインスなんかが良い例である。


 あと幹部と言ったら……ノイン。

 これはドイツ語で「9」という意味だ。


 で、アインスが「1」の意味だったってことは――


「あと7人はいるってことだよな……幹部……」


 ヤバい。ヤバすぎる。

 元々詰んでたのに、更に終わった。

 なんで異世界でドイツ語? っていう疑問はナシで。


「……どうかされましたか、ネンドウくん」

「あ、あはは。なんでもないよ」


 学園ではノインという監視の目がある。

 心の休まる暇がなくなってしまった。

 どうすりゃいいんだ。


「あ、あのさノイン。邪教徒ってどんな人達なの?」

「……彼らの主である魔人を復活させるためなら殺人さえ厭わない狂った集団です。……ネンドウくんの魔法はその魔人に特効的な性質を持つため、彼らはネンドウくんの暗殺を企てているようです」


 邪教徒の方々も俺の力を勘違いしてらっしゃる。

 それとも食器会社の方々なのかな?


「学園内部に何か仕掛けられたって言ってたけど。それってどういう」

「……ネンドウくんに手を煩わせるわけにはいきません。……全て『アルマみちびき』ひいてはこのノインにお任せ下さい」


 任せられないっつーの!

 邪教徒も嫌だけどノイン達が怖すぎる。

 なんでこの人達は俺のことを英雄だと勘違いしてるんだよぉ……。


 今のところ信用できるのはルミエールさんとゴドリック君だけだ。


「……ちなみに我々『アルマみちびき』は昨日だけで5人の邪教徒を排除しています」

「気付かなかったよ。良い手腕だね」

「……もったいなきお言葉」


 とにかく『アルマみちびき』の人達の思うような英雄になりきるんだ。

 俺の生存への道はそこしかない。


 まずは敵と味方を知ろう。

 『アルマみちびき』のことはよく分かった。次は俺を殺しに来るっていう邪教徒の姿をこの目で確かめておきたい。


「ノイン、ちょっとお願いがあるんだけどさ。今から邪教徒を見せてもらうことってできるかな」

「……可能ではあります。……急ぎですか?」

「うん。すぐに見せて欲しい」

「……分かりました、こちらへどうぞ」


 俺は彼女に連れられて学外へ向かった。

 そこは現世と隔絶された血と暴力の世界だった。


「ノイン、邪教徒を捕縛しておいたぞ」

「……何人いた?」

「4人」

「……お手柄ね」


 アインスとノインが軽い調子で話しているのに、その足元にはボコボコにされた男がゴロゴロと。


 「ひえ〜」とか「大丈夫ですか」とか声掛けしそうになったが、そんなこと言ったらアインスとノインに疑われてしまう。


 膝が笑って仕方なかったけど、俺は『アルマみちびき』の求める英雄像を貫こうと思った。


 そして決意すると同時、足元に蹲っていた邪教徒のひとりがゆっくりと起き上がった。




----------




 伝承に伝わりし、世界を滅ぼす魔人。

 そしてその魔人を打ち倒すと言われる『無力な英雄』。


 魔人を崇めるヴァイオレット教団のような集団がいるなら、当然英雄を崇める『アルマみちびき』のような集団もいるのだ。


 『アルマみちびき』最古参のアインスは、ヴァイオレット教団に故郷を滅ぼされたという過去を持っていた。

 散発的な殺戮を繰り返していた邪教徒を心の底から恨み、彼らの敵である『無力な英雄』に救いを求めるに至ったのである。


 アインスはダークエルフ族。長寿の種である彼女は、長きに渡って邪教徒と戦ってきた。


 しかし、政界や権威に潜り込んだ教団と個人で戦うのはあまりにも無謀だった。


 ある日、彼女は邪教徒との戦闘によって深く傷つき、敵地のど真ん中で気絶してしまう。

 その際彼女を救ったのが、ツヴァイ2番目と呼ばれることになる幹部の少女であった。


 目覚めたアインスとツヴァイは意気投合し、共に協力して敵地から脱出した。

 直後に邪教徒の殲滅を目的とした秘密結社『アルマみちびき』が結成され、2人は同志を集めるべく裏社会を彷徨い続けることとなる。


 そして現在。『アルマみちびき』は少数精鋭ながら一大勢力と言えるほどの武力を手にしていた。

 同時に『アルマみちびき』の幹部達は、長きに渡る戦いの中で教団の狙いが「魔人の復活」であることに気付いていた。


 しかし、魔人復活の手段がいつまで経っても分からない。

 雑魚をどれだけ蹴散らしても情報を知る者がいないのだ。


 伝承から分かるのは、日食が起こった日の夜に魔人が復活するという断片的な情報だけ。

 教団の狙いを阻止するためには情報が足りなさ過ぎた。


 『アルマみちびき』は少数精鋭揃いだが、群れを成す邪教徒のトップもまたバカではない。

 ヴァイオレット教団の幹部は、その姿を彼女達に見せることなく暗躍し続けていた。


 教団に翻弄されていた彼女達だったが、苦悩の日々の中で突然の転機が訪れることとなる。


 魔力を纏わない謎の少年、暁ネンドウの出現である。


「アインス様! 大変ですっ!」

「おい、ノックくらい――」

「黒髪黒目、『無力な英雄』とそっくりの容姿をした人間を目撃しましたぁ! しかもそいつ、魔力を使わない魔法を扱っていて! 間違いなく彼が英雄ですぅ! 遂に英雄が現れたんですよぉ!!」


 秘密結社のメンバーたる歯の欠けた青年が隠れ家に飛び込んでくると同時、アインスとノインは顔を見合せた。


 尋常ではない彼の様子。並びに報告内容。

 見間違いではないかと思って期待半分に彼の話を聞いたところ、アインスとノインの表情はみるみるうちに驚愕へと変わっていった。


「アダマンタイトのスプーンを魔力無しで曲げただと!? な、なるほど……何故英雄が『無力』などと呼ばれていたのか、その理由がわかったような気がする」

「……しかも、彼は騎士団長との接触を謀っていたと。……ネンドウという少年が英雄である可能性は高いですね」


 『アルマみちびき』は民間人をヴァイオレット教団の魔の手から守ってきた。


 大部隊による村の襲撃。魔法研究施設への潜入。

 教団内に送り込んだスパイから情報を得て、これらの有事を未然に防いできたのだ。


 しかし、言ってみれば『アルマみちびき』は防御側だった。

 教団の幹部を見つけ出すことができず、いつも雑魚的相手に戦うだけ……。


 だが、ネンドウが現れた瞬間から『アルマみちびき』は攻撃側に変わったのだ。


 英雄ネンドウは邪教徒の主である魔人を打ち倒す力を持っている。

 教団の行動は大きく制限され、これからはネンドウ少年を中心に世界が回るだろう。


 これまでにない好機。

 『アルマみちびき』内部の熱は最高に高まっていた。


 いよいよ暁ネンドウと接触することになったアインスは、彼の声を聞いて衝撃を受けた。


「『魔封殺しマジックブレイカー』の名で俺を呼ぶな……」


(……なんて……美しい……)


 暁ネンドウを初めて目の当たりにした瞬間、アインスは震えるような感動に襲われた。


 漆黒の髪。闇の中から生まれたかのような静けさを孕んだ瞳。万物に無関心であるかのようにピクリとも動かない表情。

 アインスは、どこまでも深く、そして遠くを見据えたその瞳に吸い込まれそうになった。


(あぁ……貴方様は……!)


 ――恐ろしいほど、


 万物に宿っているはずの魔力が、彼の中に一欠片とて存在しないのだ。

 魔力に満ち溢れた『アルマみちびき』の幹部と違って、彼は何にも守られていない剥き出しの存在であった。


(自分の身を魔力や魔力網で守る必要すらないんだ。それ程までに強いから……)


 アインスにとっては、それが英雄に内包された根本的な強さを感じさせる要因となった。


(あぁ――ネンドウ様……まるで別世界から来たみたい……)


 アインスは、やはり彼こそ『無力な英雄』なのだと確信した。


 後からやってきたノインも、ほとんど同様の感想を抱いた。


 この人は特別だ。

 ノインもそんな予感をひしひしと感じたのである。


 少し時間が経過し、『無力な英雄』からこんな発言が飛び出した。


「ノイン、ちょっとお願いがあるんだけどさ。今から邪教徒を見せてもらうことってできるかな」


 ノインは思った。

 ――『無力な英雄』直々に力をお示しになるおつもりだ、と。


 つまり適当な邪教徒を血祭りに上げて、敵幹部に対する見せしめを行うつもりなのだろう。


(……良かった。……どうやらネンドウさ……ネンドウくんは『アルマみちびき』のことを信じてくれたみたいですね。……ワタシ達の献身が実って良かった……)


 ノインはアインスの元に向かい、丁度彼女が捕縛していた邪教徒をネンドウの足元に向けて転がした。


 さあネンドウくん、彼らを殺してください。邪教徒に宣戦布告をしてやりましょう。

 そう言おうとした寸前、ひとりの邪教徒がネンドウに向かって走り出した。


「なっ――気絶していなかったか!」

「……ネンドウくんっ!」


 火事場の馬鹿力だろうか。

 縄を引きちぎって両手を自由にした彼は、ネンドウの足に縋りついた。


「たっ、助けてくだざぃぃっ!! 命だけはどうかっ!! どうかお慈悲をぉぉ!!」


 アインスとノインは魔力網を拡げて、縋る邪教徒の魔力の動きを感知し始める。


 ……攻撃の意図はない。

 本当に助けを求めているだけのようだ。


(……もちろん、殺意を感じた瞬間に首を刎ね飛ばしますけど)


 ノインは半分抜いていた刀を収める。

 アインスもそれに続いて剣を鞘に収めた。


 邪教徒はぽかんと口を開けるネンドウ少年に対し、口八丁手八丁で説得を試みていた。


「アンタはそこの女共と雰囲気が違ぇな! おっオレは分かるぜ! アンタは嫌々ここに来させられたんだろ!」

「…………」

「な!? アンタも血は見たくねぇだろ!? オレを助けてくれよぉ!!」


(フッ、馬鹿なことを。ネンドウ様は貴様のような雑魚を血祭りにあげるためここに来られたのだ)

(……哀れ)


 ビタリとも動かぬネンドウに業を煮やしたのか、邪教徒は懐から拳大の袋を取り出した。


「かっ、金ならある! こん中に入ってるのは全て最高級の金貨だ!」

「!」

「これだけあれば一生遊んで暮らせるぜ!?」


 眉をピクリと反応させるネンドウ。

 本来ならば少女達を怒らせるような行動をしてはならなかったが、少年が現金な男であったため堪え切れなかった。


 しかし、少女2人はそのネンドウの反応を見て――烈火の如く激怒した。

 アインスとノインは、男の無礼な言動に対してネンドウが腹を立てたと受け取ったようだ。


「……この――無礼者!!」

「ひっ、ひいぃぃ!! 全部やる! あげますから命だけはっ!!」

「きっ、貴様ぁぁッ!! ネンドウ様が金に靡いて敵を助ける卑怯者に見えると言うのかぁぁ!!」


 アインスが邪教徒の差し出した金貨袋を弾き飛ばす。

 ガシャリ。重い音がして、中に詰まっていた金貨が袋の口から飛び出した。


 コロコロと金貨の転がる音が地下室に響き渡る中、英雄を金で買えると考えた大馬鹿者の首をノインが思い切り締め上げた。


 アインスもノインも、『無力な英雄』及びネンドウに心酔する者だ。

 世界の救世主となり得る彼に値段をつけられたような気がして、腸が煮えくり返る思いだった。


「2人とも、落ち着け」


 ネンドウは脇汗をびっしょりと掻きながら、アインスとノインの肩を叩いた。


「この男は俺がやる」

「ネンドウ様……」


 その言葉を受けて、落ち着きを取り戻した2人が邪教徒の男を解放した。


「すっ、すびばぜんんっっ!! でもっ、命だけは助けて欲しくてっ!!」


 額を地面に擦り付ける邪教徒の前で、ネンドウは冷たい視線を浴びせる。


「俺が金に靡いて慈悲を与えるだと……?」


 その冷え切った表情に、3人はたちまち震え上がった。


「冗談はやめてもらおうか……」


 ネンドウは袋から零れ落ちた金貨を1枚1枚丁寧に集めながらそう言った。


「……なるほど、金には靡かないが無駄にはしないと……そういうことなのですね」

「うむ」

「すっ、素晴らしいですっ!」


 心酔するノインとアインス。


「な、なんだコイツら! 言ってることが二転三転っ、イカれてやがる!」

「口答えするなっ!」

「ひぃ!」


 アインスの口撃に怯む邪教徒の男。

 金貨の詰まった袋をノインに手渡したネンドウは、ゆったりとした動作で男の傍に跪いた。


 いよいよだ。アインスとノインはごくりと生唾を嚥下した。


「……これを見ろ」

「っ!?」


 ネンドウは制服の胸ポケットからスプーンを取り出す。


「このスプーンは……お前の未来の姿だ……」

「おっ――オレの未来……ッ!?」


 その発言に困惑する邪教徒。アインスとノインは固唾を飲んで処刑を見守っている。


 ネンドウ少年は自分が何を言っているのかよく分からなくなっていた。


 無理もない。少年の後ろにはアインスとノインという、いつ爆発するか分からない核爆弾が存在するのだ。


 少年の精神はとっくの昔に限界を迎えており、冷静な思考がどこかに行ってしまったため彼は勢いと雰囲気だけで押し切る作戦に出ていた。


「これからお前は……なるんだ」

「うッ!?」

「ネンドウ七大奥義……《贖罪しょくざいへの最終審判カウントダウン》」


 一般邪教徒の耳元に囁くようにして顔を近づけるネンドウ。

 ネンドウは彼の目前にスプーンの丸い部分を突き付け、そのまま男の視線をスプーンに釘付けにした。


「……じゅう……きゅう……はぁち……」


 甘い声で囁く。男の緊張を高めていく。

 男は直感した。カウントダウンがゼロになる時、自分の命は無いのだと。


「……なぁな……ろぉく……ホ〜ラ段々頭がふわふわしてきた〜」


 その声は、まるで彼を死へと誘う悪魔のよう。


「……さぁん……にぃぃ…………いぃち…………」


 甘い声で焦らす。


「…………い〜ち…………い〜ち…………」


 そうすることによって、邪教徒の没入感を指数関数的に上げていく。


「あ、ぁ、ぁ、や、ゃめ……やめてくれ……だ、誰かっ、たすっ、たすけて――」


 ネンドウの吐息が邪教徒の耳に触れる。

 掠れた邪教徒の声が次第に小さくなっていく。


「いぃち……もうスプーンのこと以外何も考えられなくなっちゃう〜」


 敵は今、ネンドウに殺されると思っている。

 それも当然のこと。何故なら暁ネンドウは、邪教徒の主に仇なす英雄その人なのだから。


 敵はスプーンに釘付けだ。

 その食器の顛末が、己の人生の結末と同じなのだから。


 長い長い静寂の後。

 涙を流して過呼吸になる邪教徒の目の前で、ネンドウは溜まりに溜まったダムの水を決壊させるように呟いた。


「――ゼロ」


 ぐにゃり。

 スプーンが曲がる。


「――ゼロッ!! ゼロッ!! ゼロッ!! ゼロぉぉッ!!」


 二度、三度、四度、五度。

 自分に見立てたスプーンが曲がる。

 自分の肉体よりも遥かに硬い金属が容易く折れていく。


「あ、あぁぁぁあああああ……!!」


 邪教徒はネンドウの声と曲がるスプーンを見ながら、急に意識が遠くなっていくのを感じた。


 ゼロ。即ち処刑。

 スプーンがへし折れるが如く、自分の首もへし折られてしまうのだ。


 男の意識が溶けていく。


「あぁぁぁぁあああああ――!!」


 邪教徒の意識は、己の絶叫を最後に消えた。

 意識が無くなるまで、彼がどれだけの恐怖を味わったのか。


 それは誰も知る由がなかった。

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