第6話


 ネンドウ少年の部屋からドラゴンのオブジェが消えた日の夜のこと。

 ルミエール・ハーフストーンは、夜の学園の校門前で姉のセリシャと落ち合っていた。


「ルミエール。調子はどうだ?」

「うふふ、上々です」


 慈しむような視線で妹を見つめるセリシャ。自分と同じ金の艶やかな髪を撫でて、妹の温もりを確かめる。


「どうだ。『魔封殺しマジックブレイカー』については調べられたか?」


 そう質問されると、ルミエールの身体が少しだけ硬直する。

 セリシャは彼女の返事を聞くまでもなく、全てを察した。


「……申し訳ありませんお姉様。ネンドウさんのことを色々と調べていたのですけど、上手く躱され続けてしまいまして……」

「いや、気にしないでいい。ルミエールの本分は学生生活を楽しむことにあるんだからな……」


 ルミエールは、セリシャからネンドウ少年の監視を頼まれていた。

 その監視と同時並行で、ルミエールは彼の素性と『魔封殺しマジックブレイカー』の魔法の正体を探る任務を託されていた。


 姉や騎士団長に聞いた情報から、ルミエールはネンドウ少年とその魔法について以下のように記憶している。


 ――あらゆる金属を捻じ曲げ、『魔呪封印器』すら動かしてしまう操作系魔法の使用者。それに加えて、魔力というエネルギー源に頼らない特殊体質。

 これらの要素が組み合わさった結果、彼は現世の理から乖離した存在となっている――と。


(……ネンドウさんはきっと、わたくし達に魔法を見せびらかしたくないんだ。でも、学園に来る前は大通りで惜しみなく披露していたとお姉様は言っていました。どうも不可解……なんらかの巨大な思惑が絡んでいる気がします)


 しばし思考した後、ルミエールはセリシャの顔を見上げる。


「あ、そうだ。分かったことがありました。産まれた国のことです」

「なに!?」

「国の名前は分からないのですが、右の方にある島国だと聞きました」

「……右? 右とはなんだ?」

「分かりません」

「……保守的な国の出身ということか?」

「さ、さあ……」


 ネンドウ少年は日本という国を説明する際、日本が脳内で思い描いた世界地図の右端にあったので「右の方にある島国」だと発言したのだ。それが勘違いを引き起こしている。

 今更だが、少年は結構アホな方だ。


「情報ありがとう。でもその情報はあまり役に立ちそうにないな」

「すみません……。それと、この2週間ネンドウさんはわたくし以外の誰とも連絡を取っていませんでしたよ。魔力探知網で24時間監視していましたが、外部からの干渉はありませんでした」

「ふむ」


 魔法を使うと必ず空気中の魔力に揺らぎが生じる。

 魔力探知網はその震えを感知するセンサーのようなもので、周囲の人間の魔法発動を高い精度で感じられるため、魔法の使い手の間では常時展開しているのが常識である。


 ルミエールは寝ている間も魔力網を張っていたのだが、この2週間ネンドウの周囲で網の揺らぎを感じることはなかった。

 それを聞いたセリシャは、頬をトントンと叩いて考え込んだ。


「今、邪教徒の動きが活発になっている。我が国の邪教徒が学園都市に集まろうとしているのだ」

「そ、そんな……!」


 違法薬物の売買や殺人さえ厭わない謎の集団、ヴァイオレット教団。正教の教えに反するその邪教徒が、この2週間で学園都市に集結し始めているのだ。

 教団内部に騎士団のスパイがいるため、敵の動きを察知することは容易い。問題は邪教徒の数の多さだった。


 国中から邪教徒が集結するとなると、大規模な抗争が予想される。そうなれば民にどれだけの被害が出ることか。


「……団長の言う通り、邪教徒がネンドウ少年を狙っているようにしか見えない。やはり奴は『無力な英雄』で正義側の人間なのか……?」

「『無力な英雄』!? 御伽噺では無かったのですか!?」

「…………」


 否定する気のない、疲れたような態度のセリシャを見て、ルミエールは衝撃を受けた。


 御伽噺に登場する『無力な英雄』。

 代々語り継がれてきた英雄の特徴は――黒髪黒目の男であること。


 まさに、ネンドウ少年の容姿そのものであった。


(そうか……! 『無力な英雄』は灰から産まれた謎の戦士! 出身国について聞いた時に意味不明なことを言っていたのは、灰から産まれたことを言えなかったから!! そうですよね、だから下手な誤魔化し方をしたんですよね! ネンドウさん!)


 灰から産まれた『無力な英雄』の断片的な情報。出身国の謎。ルミエールの脳内で、あらゆる情報がパズルのピースの如く繋がっていく。

 ルミエールはポーチからドラゴンのオブジェを取り出した。


「お姉様! これを見てください!」

「ん? そのドラゴンのオブジェは……?」

「寮の暖炉……

「!!」


 これはルミエールが学生寮を歩いていた時に偶然発見したものだ。

 春先の肌寒い空気を緩和するために燃えていた魔法の暖炉。外に出る前に少し暖まっていこうとしたところ、炎の中に揺らめくドラゴンを目撃したのである。


「ドラゴンのオブジェか……一体どういう意図があって灰の中に置かれた物なんだ?」

「『無力な英雄』は灰の中から産まれました。一説によると、その灰は火の竜が絶命した際に遺った灰とも言われているのです」

「ッ……そ、そうか! なんとなく呑み込めてきたぞ。団長はこれを予知していたのか! 流石は我らの団長だ……!」


 姉妹は顔を見合せた。

 ――自分たちには分からぬ、巨大な思惑が働いている。世界の闇にひとつ近づいたような、ゾクゾクとした恍惚と畏怖が2人を襲った。


「……ま、待て……一旦落ち着こう。ネンドウ少年は……『無力な英雄』の生まれ変わりということで間違いないんだな?」

「ええ、恐らく……」


 滝のような汗を流すセリシャとルミエール。じりじりとした焦燥と興奮の中、ドラゴンのオブジェを眺めていたセリシャがあっと声を上げる。


「る、ルミエールッ!! このオブジェの隅を見ろ!! っ!!」

「え!?」


 ――2週間前、ネンドウ少年はケルッソ騎士団長に捻じ曲げたスプーンをプレゼントしている。

 スプーンだった物の隅に刻まれていたローマ字のロゴが、ドラゴンのオブジェの尻尾部分に刻まれていた模様と一致したのである。


 セリシャの脳の片隅にあった記憶が強烈な反動を伴って蘇り、彼女は思わず大声を上げた。


 ネンドウ少年のマイスプーンは規格品なのでロゴがあるのは当然のことだが、その文字によって2人の議論は加速していく。


「……クソぉ!! 何故私はもっと早く気付いてやれなかった!! ネンドウ少年は助けを求めていたんだ!! 2週間前からずっとっ!! 2週間もあれば何か出来たはずなのに、私は気付けずに……彼を疑い続けて……!!」

「お姉様、落ち着いてっ!」


 己の無力を嘆き、ドラゴンのオブジェを捻り潰さんばかりに握り締めるセリシャ。それを宥めるルミエールが言った。


「ネンドウさんがこんな回りくどい手段を取ったのは、きっと仕方の無いことだったんです!」

「な、なに……?」

「わたくしはこの2週間、ネンドウさんを魔力網で見張っていました。これは最も単純な監視の手段として有名ですよね?」

「……ッ! ま、まさか。敵も同じ手段でネンドウ少年を監視していたということか……!?」

「その通りです。わたくしの話を聞いてくださいますか?」

「話してくれ」


 ルミエールは己の推測を話し始めた。

 彼女の推測はこうだった。


 ――ネンドウ少年の扱う魔法は魔力を使わない。それとは反対に、世界中の人間は魔法を使う際にどうしても魔力を使う必要がある。

 つまりネンドウ少年とが魔法によって通信する際、そこに魔力の介入が生まれてしまうのだ。


 ルミエールは言う。ネンドウ少年は、ルミエールが自身を監視していることに気付いていたのだと。

 並行して、が自分を監視していることにも。


 そこでネンドウ少年は、魔力を使わない金属操作の魔法によって暗号を刻みつけたのだ。

 後は灰の中にドラゴンを隠し、ルミエールが気付いてくれるのを期待するだけ――


「辻褄が合うな……」

「でしょう?」

「やはり第三勢力……邪教徒の詮索に気がついていたのか! ネンドウ少年め、中々やる……」


 議論の中で敵が確定する。

 敵は邪教徒、ヴァイオレット教団。ネンドウ少年は彼らの『何か』を止めようとしているのだ。


「我々が彼の魔法を確認したのは5回だ。ただし、この暗号が刻まれた物は、ケルッソ騎士団長に渡したスプーンと……このドラゴンのみ」

「なんて疑り深いのでしょう……3度もカモフラージュをするなんて」


 ネンドウ少年が衆目に晒される中でも魔法を使い続けたのは、御伽噺を知る者達に英雄復活を知らせるため。そう思っていたのだが――違ったのだ。

 彼は騎士団団長に直接協力を求めた上で、この暗号を手渡していたのだ。


 ルミエールとセリシャはなるほどと手を叩く。

 手紙を使えば、政府による内容の検閲がある。魔法による通信を行えば、敵の魔力網に引っかかって動きがバレる。


 だからこそ、大通りで暗号を手渡した。

 自分が『無力な英雄』であることを仄めかしつつ、完璧な手段で。


 しかも彼は、アダマンタイトのスプーンを歯の欠けた青年に返却していた。

 セリシャは思考を高速回転させる。

 あまりにも心理を掴むのが上手いではないか。


 その行為によって、ネンドウ少年は、人に物を手渡すことの違和感を拭い去っていたのだ。

 監視の目を掻い潜って暗号を託すために……。


「彼が2度に渡って我々に託そうとしたこの暗号……何としても解明しければならぬ! 彼は騎士団やルミエールを信頼してくれているのだ!」

「でも、この暗号……何を伝えようとしているんでしょうね?」

「さあな。短い単語の羅列のように見えるが、きっとそれだけでも分かるんだろう」


 そこに刻まれた文字は『HIDDEN STONE』。

 スプーンを製作した会社の名前であった。


「とにかく、このドラゴンは騎士団に持ち帰らせてもらう。騎士団の総力を上げてこの暗号を解読するのだ」

「お姉様、お待ちください」

「なんだ?」

「お姉様……どうかご無事で」

「……我が妹ルミエール。お前こそ無理をするなよ」


 その会話を最後に、2人は別の道を歩き始めた。


 2人の今後の展望はこうだ。

 セリシャは騎士団長と共に邪教徒の動向を見守る。そしてネンドウ少年の暗号を解読する。

 ルミエールは『無力な英雄』の力もとい『魔封殺しマジックブレイカー』の詳細を明らかにする。


 セリシャは、最愛の妹に過大な任務を押し付けすぎているなと感じた。


(……恐れていたことが起ころうとしている。この街だけじゃない……セレシア王国全土が戦火に巻かれる日が来てしまうやもしれぬ……それだけは何としても……)


 いずれにしても、ネンドウ少年の魔法が敵の手に渡るのだけは避けなければならない。


「……貴様は味方なのか? 『魔封殺しマジックブレイカー』……」


 祈るように、問いかけるように。虚空に語りかけてから、セリシャは夜の闇に向かって消えた。

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