筋肉

もと

なくなっちゃった。

 いつからか、二十年ほど前だったか。

 ヒトの生活が家の中で完結するようになった。仕事はもちろん、学校も行かなくて済むリモート授業。実技もカメラの前で学校から送られてきた物でやって見せれば終わり。鉄棒もマットも跳び箱もバスケットゴールも生徒の家を順番に回るコンベアに乗せられてグルグル、親世代から見ると笑うしかないって感じらしい。

 でも、そんな体育の授業を経てスポーツは衰退しながらも一部の熱狂的なファンと選手達で細々と続いてたりする。生身なまみで新しいヒトと出会う機会があるのは、そういう『超陽キャ属性』の特権みたいになった。

 だからといって僕がそう振る舞えるってワケでもない。

 母親が水泳選手、父親がそのコーチという家に生まれちゃった僕は、自然とその超陽キャ属性に振り分けられるスポーツ選手になった。ホントは小説とかマンガ読んで皆と同じように大人しく暮らしたかったけどな。高校生の時に初めて出た大会でアッサリ優勝しちゃったのが今思えば分岐点だった。チャラくないスポーツ選手として僕は少しだけ注目を浴びてしまって、現在。


 ……無意味だなあ、って心底ダルい息を継ぐ。隣のコースを泳ぐのはアメリカの選手だけど普通に空間を合成されたっけのヒトの像だし、反対隣の中国も同じ。同時に世界各国でスタートした選手が同じ条件の違うプールで泳いでる。

 なんだろうなあ、これ。

 競泳は入賞すれば賞金も出るし、競馬や競艇みたいに賭けの対象だから全力の応援もされるし歓声も聞こえる……スピーカー越しに世界各国から『ガンバレ』と。

 僕の人生、この選手生命が尽きたら父親みたいにコーチになるのかな。それで選手と知り合って結婚、なーんて都合良くいくのか?

 そこそこの知り合いも居ると言えば居る。同じ授業を取った『クラスメイト』だったり、よく同じ時間にトレーニングをしてる『ライバル』なんかは名前も顔も知ってる。そういう知り合いと同時に同じレストランから食事を頼んで画面越しに食事をしたりもする。

 友達、なのかな。恋人、そんなの夢のまた夢じゃね? 結婚、都市伝説? ほとんどのヒトと同じように画面越しの奥さんにカプセルに詰めた精子送って子供産んでもらって実物に会うコトも無く人生終わるのかな、って。


 練習、大会、練習、大会、毎日、毎週、特に変わりもなく。


 やっと起きた変化は春に訪れた。あんまり望んでいなかった方の変化だ。僕が二十六歳になったその日に、じいちゃんが倒れた。追いかけるようにばあちゃんも。二人仲良くベッドに並んで画面越しにピースとかしてるけど起き上がれないらしい。

 ウチだけじゃない。日本中で、世界中で六十代より上の年代のヒト達がバタバタと元気に倒れた。歩けなくなったり立てなくなったりするだけで、ボケとか感染症みたいな病気のたぐいでは無い。じゃあ一体全体どうなってるんだ? 医者も研究者も学者もコメンテーターも僕も首をひねってた。

 そして夏にはまた世界が変わった。次は小中高校生ぐらいの子供達が元気に倒れた。けど、元々ウチから一歩も出ずに育っていた子供達だから特に支障は無かった。健康だから勉強も遅れる事もなく、実技を伴う体育や調理実習が出来なくなったぐらいか。


 秋。世界が論文一発で震撼した。

 ヒトの筋肉が一気に衰え始めてるよ、だってさ。

 そりゃそうだろうな。僕が小学生になる前は足で歩いて幼稚園に行ったり公園で遊んだりした。今の子供達は生まれてから家の中以外を知らない。老人は子供や孫から便利になった世の中を骨の髄まで叩き込まれ済み、しなびた身体はそれに乗っかって家に引きこもった。

 そりゃそうだろうよ。


 その冬、ついに四十代ぐらいのヒト達まで元気に倒れた。立って歩けるのは僕達二十代前後の世代と一部のスポーツ選手だけになった。

 さあ大変だ! ……と思ったけど、意外と世界はもう完成されちゃってた。寝っ転がったままでも指先一つで会社は動くし、物流も既に自動で販売元から家の中まで真っ直ぐ放り込まれる。それを開封してヒトの手元に届けるのは優秀なAI入りのロボット達。父さんのコーチ業もリモートだし、子供に教えるのもお手本の人形ひとがたロボットが横を泳いで危険を察知すれば救助も人工呼吸もやる。

 料理も掃除も何もかもやってくれるし、ベッドに横たわったヒトを入浴させるのだって『介護モード』にすればロボットでも余裕。特に困る事もなかった。いや、父さんと母さんから「そろそろ孫の顔でも」なんて言われ始めたのは少し困ったかな。僕はまだ現役選手だったけど、赤い糸もえん欠片かけらもありゃしなかった。


 で、そんなこんなで今朝。窓の外は国土交通省のロボットが1ミリの狂いもなく管理してた街路樹が芽吹き桜が舞う、気分のいい朝。

 父さんと母さんが溶けた。

 ピンク色のプルプルした丸い透明なゼリーの真ん中に脳ミソが浮かんでる。二つある、父さんと母さんのベッドにある。

 久しぶりに声が出た、いや出なかったけど叫んだ、無音で叫んだ。慌て過ぎて『溶ける』という単語を検索、父さん達は形状が変わっただけの『変態』かなフムフム、なんて思ってた。それどころじゃない。

 これは年配で動けなくなったヒト達に一斉に起きた現象らしい。世界中でヒトが溶けてる。

 ここでようやく気付いた、じいちゃん達に連絡、応答無し、カメラを起動、ベッドに仲良く並んだ二つの脳ミソ。


 ……なんじゃこりゃ? ……とりあえず……どうする?

 父さんと母さんは自力では何も出来ないっぽい。当たり前か、手も足も何も無いワラビモチ状態、たまにフルフル動くぐらいだ。SNS、テレビも久しぶりに電源を入れた、ネットニュース、コンビニから朝ご飯と一緒に新聞も買ってみた。

 SNS、みんな大混乱だ。子供の頃に接種したワクチンがー、魚や肉に寄生虫がー、空気感染のー、UFOから銀の粉が降ってー、いやいやウソ情報に踊らされてんのかノリ過ぎだろ。やっぱり僕達の世代しか残ってないみたいで、そりゃ親が溶けてたらパニックだよな、何も分からない。

 テレビ、なかなか思いきった事をやってる。スタッフだったヒトの脳ミソをスタジオに置いて生身のキャスターが実験中だ。布の上にいると徐々にピンクのゼリーが布に染み込んでいってしまう、染み込んだり蒸発して失った身体がどうなるのかは分からないけどベッドに置いたままの方は床やビニール等へ移動させた方が良いよ、だそうだ。

 よいしょ、よいしょ、と床に置いたビニールのテーブルクロスの上にベチョンと乗せた所でフト思う。呼吸は? ゼリーから直接脳ミソに酸素を送ってんのかな? だとしたら……よいしょ、よいしょ。

 風呂場にいたロボットと一緒に浴槽に浅くお湯を溜めた。そこへ父さんと母さんをひたす。半分ぐらい浸かってれば蒸発とかは防げるんじゃないかな? 二人ともフルフルして気持ち嬉しそうに見えるし。お湯の温度は三十六度、なんとなくソレぐらいかと設定してロボットに任せる。


 リビングに戻ってテレビはつけたまま、次は新聞。

 税金がー、本会議でー、選挙がー、議員としてのー、ちょっと待て一切触れてないな? 逆にスゴいよ、新聞記者が常に不足してるっていうか居ないとは聞いてたけどホントにスゴいな? 一人で感心してたらテレビから食事という単語が聞こえた。そうだ食事、父さん達のご飯はどうするんだ?

 画面の中では赤ちゃん用のバスタブに栄養ドリンクやプロテインを溶かした物をダバダバ注ぎ始めてる。脳ミソゼリーはフルフルしてる。僕の想像は当たってたのか、表面から酸素も栄養もれるらしい。

 よしよし、ウチには山ほどあるぞ、そういうの。

 テレビ有能、結構ヤルじゃん。


 やれそうな事をやれるだけやりながら数日間、僕の仕事もこんな大混乱の中でやれるワケない。しばらく休みだな、今日は曇りか。

 あれからテレビはつけっぱなし、ダラダラと情報収集。修正や訂正や誤報や謝罪も入りつつ、最初のお湯に浸けて栄養ドリンクを与えるというのが正しい感じになってきた。父さんも母さんも泳げるという事がスゴい安心する。絶対溺れたりもしないだろう、いや絶対じゃないか、脳ミソだし。


『はい、ここでアメリカの研究者がこの数日に渡ってSNSにあげた研究結果に注目してみましょうか』

「……」


『この研究者の住まいが海岸沿いという事もあり、お母様で海水を用いた実験を行っていたそうなんですよ』

「……」


『それでこのデータですね、めくりますよ! はい! なんと海水が最適なのではないかという結果なんですよ!』

「?!」


 声が出そうになった、やっぱり出なかったけど。

 どうやら脳ミソゼリーは海水にプカプカ浮いてプランクトンやミネラルを吸収出来るらしい。テレビからは『さすが母なる海』とか何とか、やたら盛り上がってる声がする。僕らと同世代の動ける奴らだもんな、なんかノリが良い。それにノせられてみようかなって感じになってる。

 そうか、海か。

 早速父さんと母さんにプスッとコードを挿しながら話してみる。ピコンとバーチャルなキーボードを出してやると、一文字ずつゆっくりゆっくりと打ち込まれていく。


『……i』

『……t』

『……k』

『……i』


 二人でバラバラに入力してるからアレだけど、これは『行きたい』がバラけたのかな? よし、善は急げだ。

 二人を浮かべた一番大きい洗面器を二つ、コンベアに乗せて海へルート設定、三人で運ばれて行くこの状況に少し笑えてきた。

 初めてじゃん、三人で出掛けるなんて。

 アチコチの家から同じように洗面器とヒト、ベビーバスとヒト、大きなゴミ袋とヒト、みたいな組み合わせがビューンとコンベアに乗って同じ方向へ流れていく。


 一番近い砂浜はごった返してる。ヒト、こんなに居たのか、こんなに存在してたのか。降りる場所が無さそうだから行き先を堤防に変更、ビューン。

 うん、やっぱり空いてる。

 気持ち的に親や祖父母を海にポイッと投げ入れる事を皆が避けてる。砂浜からソッと海に浮かべる方が大事にしてる感じ? でもウチは母さんが競泳選手、父さんはそのコーチ。海に飛び込むなんて朝飯前だと思う。

 僕からのメッセージを入力していく。今まで育ててくれた感謝と、多分海で暮らす方が生きた食べ物を摂れて父さん達の身体に良い事、困った事があったらメールでも送ってよとチップを二人に挿しておく。


 ポチャン、ボチャン、と飛沫しぶきを上げて二人はプカプカとソコに漂ってる。次はじいちゃん達だなと伸びた髪をかきあげて振り向くと、そこに青いワンピースの女のヒトがいた。


「もう、海に入れちゃった感じですよね?」

「……お?! あ、入れ、まし……た……」


 声、出た。何年ぶりだろう?

 そのヒトは曇り空に長い黒髪が潮風に吹かれて、膝丈のワンピースも揺れて、白いサンダルが眩しくて、もういっぱいいっぱいだ。


「ウチそんなに裕福な家じゃないのに、かなり早い時期に両親が溶けちゃって本当にお金が苦しくてエサが買えなくて、結構前に海に流したんですよ」

「……は、はあ……」


「さすがにチップは連絡用に必要かと思って両親のゼリーに入れましたけど、それを買ったら本当に苦しくてしばらく家中の通信が切られちゃって」

「……は……い」


「やっと受信できたのが今朝だったんです」


 多分ものすごく挙動不審な僕に、そのヒトはメールの受信画面を見せてきた。昭和という時代のドラマみたいに、目に入らぬかって感じで。

 しばらくはウチの両親みたいなアルファベットが並んでた。数週間で文字が、ウソだろ? 昨日も届いてるじゃないか、嘘だろ? 今も受信し続けてウインドウが新しく開き続けて延々と同じ文字が続いて、こんなの嘘だと冗談だと言ってくれ!


『痛い』

『助けて』

『殺して』

『痛い』


「脳ミソと少しの神経が残ってるみたいで、空気に触れてても水に入ってても生きてるだけで痛くて震えちゃうみたいです。全てき出しみたいな感じなんでしょうね」

「……」


「ゼリーがどれだけクッションになってるのか分かりませんけど、筋肉も無くなっちゃってアレは脂肪がどうにかなっちゃったゼリーみたいで、すごく痛いみたいですね」

「……」


「それをエサが無限にある海水に浸けちゃってるんですよね、動くプランクトンが身体に触れても痛いでしょうね」

「……あ」


「みんなにこれを伝えようと思って来たんですけど、向こうのヒト達は聞こえないフリをしてました。みんなも結構苦しいというか大変というか、もう面倒になっちゃってるんじゃないですかね」

「……あ」


「アナタは裕福で余裕があるんでしょうね、ご両親を心配してるみたい」

「……は、はい」


「羨ましい」

「……あ、あ」


「うふふ、ヒトに会うのは久しぶり、みたいな顔をしてますね」

「……は、まあ、は」


「私に慣れて下さい。それでもし良かったら結婚しませんか? ウルサい事を言う世代も今はいないし、私なら一緒に住んでも大丈夫ですよ」

「え?!」


「上の世代がいたら自分達の事は棚に上げてフシダラとか言われちゃったりするんでしょうけど、もういないし」

「え、い、いいん、良いんで、すか?」


 はい、と元気に答えたそのヒトは僕の端末をポケットから取り出して父さんと母さんからのメールを迷惑メールに振り分けた。されるがまま手を握られて、されるがままに僕の脳ミソも流されてるみたいな。

 母さん以外の女のヒト、手の温もり、柔らかさ、目の前に実物の女のヒトが、結婚、子供、してみたかった、ガビガビになるまで荒れた動画でしか見た事のないコトを、子作り体液を、子作り直接、精子を直接、このヒトに……つまずいた。足を上げなきゃ躓くよ、ハアハアしてたら嫌われる、それは困る、チャンス、したい、してみたい、もう今したい、でも嫌われないように深呼吸。

 二人でコンベアに乗り込んだ所で雨がポツリと落ちてきた。半分剥き出しで浮いてた、浮いてる父さんと母さんに雨が当たったらどれだけの……。


「幸せになれそうじゃないですか、私達の時代」

「あ、ああ、うん」


「私、これを黙っておくの犯罪になりませんかね」

「な、ならないよ! だって、だって向こうのヒト達に言ったんでしょ、ききき聞く耳ももも持たなかったのはアッチでしょ!」


「うふふ、良かった」

「う、うん!」


「よろしくね」

「こ! こちらこ、こそ!」


 心臓が破裂しそうだ、脳ミソが揺れてる、こんなチャンス、父さん母さんゴメン、本当にゴメン、色々とタイミングが悪かったよ、なんか落ち着いたら会いに来るから、本当に、本当に行くから、なんて言ったらいいのか、いやもうこの時代が悪い、悪かったんだよ、ホント……。



  おわり。

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