Episode❺ 筋肉と妖怪変化
東雲大学のサークル棟。その一階に百目鬼倶楽部の“事務所”はある。
東雲大学文化人類学教授の百目鬼國弘が顧問を務めるこのサークルは、界隈では有名だ。
都市伝説、街談巷説、怪談話にオカルト。あらゆる超常的な相談事を何でも聞き、そして時に解決するという彼らの噂はネットでもそれなりに評判であり、それ故に少なくない相談主がこの場所を訪れる。
そして最初に目にするものに驚くのも珍しくはない。
「ようこそおいでくださいました。メールでも連絡のあった、
「は、はい。そうです」
百目鬼倶楽部に足を踏み入れ、椅子に案内された宇豆彦は目の前にいる男を見て呆然とした。
口に白い髭を蓄え、綺麗な銀髪と年季の入った顔の皺から、その男がかなりの高齢であることが伺える。
だが、その下にある体の肉付きがあまりにも良い。黒いスーツの下にある盛り上がった筋肉が隠し切れていない。
アメフト選手かボディビルダーかと見紛う程の恰幅に、宇豆彦は圧倒された。
「どうぞ」
二人の前のテーブルに、小さな女の子がお茶とお茶菓子を運んで来た。
ここにいるということは大学の学生なのだろうが、背丈も低く中学生にも見える。お団子にまとめた髪型が、余計に彼女を幼く見せているようだと宇豆彦は感じた。
お茶を運んできたその女の子は、男の横の椅子にちょこんと座る。
「改めまして。私が百目鬼國弘。そしてこちらが尾々間くみ子、ウチの優秀な学生です」
「どうもっす」
やはり学生だったらしい。くみ子と紹介された彼女はぺこりとお辞儀をする。両手を膝の上に乗せているが、どこかそわそわとしていた。
「くみ子、お客様がいるからと遠慮しなくても良いぞ」
「え、な、何のことすか」
「菓子を食べたくて仕方ないんだろう。大丈夫だ。話は私がするからお食べお食べ」
「ふ、ふえ!? ……じゃ、じゃあ遠慮なく」
くみ子は國弘に促され、先程自分がテーブルの上に運んできたお茶菓子を手に取ると、口に放り込んだ。
何とか冷静を装おうとしているが、口元から笑みが溢れている。
「あの、よければ僕のものも食べる?」
くみ子のその様子に、宇豆彦はまるで姪っ子を見ている気持ちになり、思わずそう尋ねた。
くみ子は慌てて首を横に振る。
「い、いえ! 大丈夫っす! 宇豆彦さんも遠慮なくいただいてください。美味しいっすから」
「そうだな、私もいただこう。甘い物を口にするのは良い。リラックス効果もあるからな」
宇豆彦の目の前で、筋骨隆々の男が砂糖の塊を口に入れる。宇豆彦もそれに倣い、お茶菓子を食べた。
「あ、美味しいです」
お茶菓子は口の中でさぁっと溶けていく。糖分が口の水分を奪い、宇豆彦は自然に運ばれて来たお茶にも手をつけた。
宇豆彦の体全身にちょうど良い温かさが広がる。
「さて、緊張もほぐれたところで、改めて相談内容を聞きましょう。良いですかな?」
「はい、よろしくお願いします」
🍵
宇豆彦のバイト先であるコンビニに、幽霊の噂が広まり出したのは数ヶ月前の夏の頃からだった。
コンビニ周辺にただ道端で立ち尽くしている目の虚ろな女性が目撃されたり、姿は見えないのに子供の遊ぶ声が深夜に聞こえたりする。
コンビニ内でも幽霊を見たというものもおり、バイト仲間も漏れなく怪奇現象に遭遇。一人また一人とバイトを辞めていった。
宇豆彦も一度だけ、コンビニで接客をしていたはずが、レジ打ちを終えた瞬間に目の前から一瞬で客が消えるという現象を目にしたことがある。
そんな風なことが続き、今では店長とその息子、そして宇豆彦だけで店を回しているのが現状である。
流石に困り果てた店長を見兼ね、宇豆彦もこの状態を何とかできる人はいないかと除霊師などを探したが、どれもこれも胡散臭く、高額な依頼料を請求するものばかりで信用が置けない。
そんな中で、宇豆彦は相談料も無料で評判も良い百目鬼倶楽部の話を聞き付けた。
だが、上手い話には裏がある。ネットの評判なども当てにはならない。評判の全てがサクラで、実はおいしい話に寄ってきたカモを相手にする詐欺ではないとも言い切れない。
そう思った宇豆彦は、こうして実際に百目鬼倶楽部の事務所に足を運んだのだった。
そんな心持ちだったから、緊張と警戒のある中で國弘とくみ子に相対していたのだが、お茶とお茶菓子といただき、心に余裕のできた宇豆彦は困っている現状を素直に二人に打ち明けた。
國弘もくみ子も、宇豆彦の話に相槌を打ちながら真剣に耳を傾けていた。
「なるほど、話はわかりました」
一通りの話を聞いて、國弘はすっと立ち上がる。
「それでは向かいましょう」
「え、どこへ」
宇豆彦はまだ座った状態で國弘を見上げた。こうして見ると、その筋肉質な体が更に圧巻だ。
「決まっておりましょう、あなたの仕事先にですよ」
國弘は、何も心配することはないとでも言うように、カッカッカッと快活に笑った。
💪
「もうそろそろです」
深夜も過ぎ、客足も減ったコンビニのスタッフルームで待っていた國弘とくみ子に、シフトを終えた宇豆彦が声をかけた。
あの後、宇豆彦の車に乗ってコンビニまで来た二人は、コンビニ周辺を調査した後に、幽霊が現れるという時間まで待機したいと宇豆彦と店長に伝えた。それで、それまで長い間スタッフルームで待ってもらっていたのだが、いつも幽霊が現れるという時間になり、店長にもコンビニの仕事は良いから二人につくように言われて、こうして國弘とくみ子を呼びに来たのだ。
「店の様子は?」
「今はお客も全然。幽霊の噂は当然お客様にも届いていますし、ここ数ヶ月、特にこの時間は客足が激減してます」
「そうか」
「細井くん、細井くん!」
宇豆彦と國弘が話していると、店から店長が青ざめた様子で顔を出した。
「どうしたんですか?」
「いたんだよ、幽霊だ!」
「ほんとですか!?」
店長の言葉に、國弘とくみ子は立ち上がり、スタッフルームからコンビニの商品売り場まですっと出ていった。
「あれですか」
「あ、あれは」
宇豆彦も以前接客したことのある雰囲気の薄い女性が、店内を彷徨いていた。商品の会計を終わらせた瞬間に目の前から消えたあの客だ。
だが、客の様子がおかしい。店内をキョロキョロと見渡して、宇豆彦の姿を見かけると、目を見開き、レジ前まで走って来た。
「ひい!?」
店長が悲鳴をあげ、その場にうずくまる。
客は宇豆彦を睨みつけると、大声で怒鳴った。
「貴方ね一体どういうことこの間買った商品袋に何も入ってなかったんだけどお金だけ払わせて商品を出さないなんてそんなことがこの店では許されるの許されるわけがないでしょ弁償なさいよ代わりに私に何か渡しなさいよ!」
「い、いえ。あの時はお客様の方から……」
宇豆彦が客のクレームに何とか対応しようとしていると、宇豆彦の肩に筋肉質な手が置かれた。
「まともに相手をせずとも大丈夫だ。相手は悪霊。既に正常な認識能力もない」
宇豆彦の肩に手を置いた國弘は、そのまま宇豆彦を後ろに下がらせた。
「くみ子、構わないか?」
「大丈夫っす。メインはちゃんといただくんで」
「うむ。それでは──。ハアアアアア!」
國弘は思い切り腕を振り被り、宇豆彦に鬼の形相でクレームをつける客に向けて正拳突きをした。
その瞬間、國弘の拳の周りがピカリと小さく光る。急な眩しさに宇豆彦が目を閉じる。次に目を開けた瞬間、宇豆彦は呆然と口を開けた。
先程まで宇豆彦にクレームをつけていた客の姿がなくなっている。
「え、今のは」
「無論。悪霊を払ったまで」
國弘はきっぱりと断言した。
「──え、今ので?」
「そうだ。鍛え上げられた健康な肉体は霊に勝る! 毎朝両腕千回の正拳突き! 百八セットの筋肉トレーニングを欠かさぬ私の筋肉に敵う悪霊はそういない!」
「あの、宇豆彦さん。流してくださいね」
力説する國弘を横目に、くみ子が囁いた。
「筋肉がすごいわけじゃないすから。百目鬼先生が習慣的に行う筋トレがそのまま儀式になって、それで神通力が宿ってるだけ──いやそれだとやっぱ筋肉がすごいのか……?」
「と、とにかくあの人の力は本物ってこと、だな?」
宇豆彦は今目の前で起こった出来事に頭が追いつかず、ひとまずそう言葉でまとめた。
「そうっす。すみません、そしたら外も案内お願いします」
「わかった」
くみ子に言われ、宇豆彦は二人を連れて幽霊の目撃情報のあるコンビニ周辺の場所を案内した。
二人が一緒にいるからなのかどうなのか、確かに今まで噂には聞いたことのあった髪の長い幽霊の女や、およそ人間には見えないような肉の塊や黒い霧のような怪物など、信じられないような化物達がそこここにいた。
「悪霊退散!!」
そしてそれを見掛ける度に國弘は目の前に拳を突き出した。
空気は震え、拳が光り、次の瞬間にはそうした化物たちは姿を消した。
その様子を宇豆彦は、何も考えることなく、ただ呆然と見つめるだけだった。
💪
「くみ子、多分これだな」
「はい、そうっすね」
コンビニから少し離れた十字路。そこに小さな祠があった。
しかしその祠は何者かによって壊されていて、中にある石像も倒れている。
「夏の間にどこぞの馬鹿どもが何も知らずに阿呆をしたか。それだけなら何の問題もなかったが、それでこんな奴らが住み着いておればなあ」
國弘は祠の横に植わっている木の、てっぺんを見上げた。
今まではボンヤリとしか化物たちが見えなかった宇豆彦にも、しっかりと見える。
狐にイタチ、それと大きさの変わらない小人、妖怪変化と断定できるような不可思議な存在が、何体も木の上で走り回っている。
そしてその中央に一際目立つ、人一人分の大きさはあろう大きな目玉が、デンと鎮座していた。
「くみ子、任せたぞ」
「うっす」
國弘はくみ子の頭にポンと手を置き、宇豆彦の手を取るとくみ子から距離を取らせた。
くみ子は大きく息を吸う。
すると、くみ子の体が段々と膨れ上がり、遂には風船のように大きな破裂音と共に弾けた。
その夜、多くの理解の及ばぬものを見た宇豆彦も、そこに現れたモノには思わず息を呑んだ。
巨大な貘。
祠の横にある樹を覆うことができる程に大きな貘が、そこにいた。
「いただきます」
貘の口から、くみ子の声が漏れた。
巨大貘は大きく口を開ける。すると、見る見るうちに妖怪変化たちが貘の口に吸い込まれていく。
そして最後にはあの大きな目玉までもが貘の口の中に収まった。
「ご馳走様」
貘はくみ子の声でそう呟き、小さくゲップした。
風船が萎むように、巨大な貘の姿はみるみると縮む。そこには貘ではなく、お団子ヘアーの小さな女の子が立っていた。
「流石に熟成されてましたね。美味しかったっす」
そう言ってくみ子は、お茶菓子を食べた時のように、口元から隠しきれない笑みを漏らした。
🍵
あれからというもの、幽霊の噂はピタリとおさまった。
國弘が言うには、元々この辺りをよくないものから守っていた祠が壊れ、そのまま月日を経て色々なものがあの祠の周りに住み着いた。
それによって、悪霊や化物たちが現れやすくなり、それが近くにあったコンビニにも影響した、とのことだった。
「はあ、それじゃあどうしてウチの店だけ」
「夜中に電気つけて店開けてたのはコンビニくらいでしたからね。それで怪異も寄りつきやすかったみたいっすよ」
依頼が終わってから暫くした後に、近くに遊びに来たというくみ子が店に寄り、会計をした時にそんな話も聞いた。
「とにかく助かったよ。バイトも戻ってきて、店長も僕も助かった。全部君達のおかげだ」
「あたしも久々に気持ちいい人助けできて嬉しかったっすから。あ、これこないだ渡せなかったんで」
くみ子はすっと懐から名刺を取り出すと、宇豆彦に渡した。
東雲大学 文化人類学研究科
百目鬼倶楽部所属
尾々間 くみ子
「またいつでも相談してくださいね」
そう言って、くみ子は小さな体で手をヒラヒラと振って、店から出た。
「そうだな」
またの機会なんて来ないことを祈りたいが、そういう機会が来るなら、くみ子が舌鼓をうつような美味しいお菓子を持参しよう。
宇豆彦はそう決めて、今日も仕事に精を出すことにした。
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