Episode❻ 不運と幸運の御守り

「今日は本当にありがとう」


 アゲハのアパートで、用意された煎餅とお茶を口にしていたくみ子は、首を横に振った。


「いえいえ、頼りにしていただき嬉しいっす。ところでこの煎餅おいしいっすね」

「美彩知のから貰ったものだけど──大丈夫そう?」


 アゲハは心配そうにくみ子に尋ねた。


「全然」


 くみ子はもう一枚の煎餅の袋を開け、かぶり付いた。


「他のもらいものも大丈夫っすよ」

 パリポリ。

の匂いはしません」

 パリポリ。


 話しながらも煎餅を食べているくみ子の様子は、中学生くらいの女の子に見えるけれど、これでもれっきとした大学生らしい。


「そう。なら良かった」

 アゲハはホッとしたように息をついた。


 アゲハがくみ子を呼んだ理由。それは友達の美彩知の様子が近頃おかしいからだった。


 ──ホントに最近わたしはね、最高にツいてるの!


 美彩知はアゲハにそう言っていたけれど、明らかに様子がおかしかった。

 身体中、怪我だらけだし、服もヨレヨレ。

 だというのに、レストランでの食事や共通の友達へのプレゼントなど、金払いは目に見えて良くなっている。


 話を聞くと、どうもよく物にぶつかったり転んだり、この数日で服だっていくつかダメにしてしまったので、身につけるものは何かあってもダメージの少ない物にしているという。


 ──大丈夫大丈夫。確かに普段の生活では不運続きだけど、そういう不運を乗り換えた先に幸福があるから。


 美彩知はそう言っていたけれど、あの様子は友達として流石に見過ごせないと、アゲハは以前知り合った「百目鬼倶楽部」の尾々間くみ子に連絡したのだった。


 百目鬼倶楽部は、都市伝説や怪談噺など、不可思議な現象を調査、解決してくれるという大学のサークルだ。


 以前アゲハは、自分の幼馴染であるシンヤがその倶楽部に世話になった時に、その一員であるくみ子と知り合った。

 今ではシンヤもその倶楽部のメンバーらしい。


 アゲハとシンヤは、微妙な関係だ。

 二人は元々同棲していた仲だった。だが、シンヤが職場の上司の誘いを言い訳にキャバクラ通いをしていたことが発覚してからは、アゲハとシンヤは同じ部屋に住むのをやめて、今では離れて暮らしている。


 美彩知のことを誰かに相談しようにも、まともに聞いてくれる人がいないと困っていたところに、くみ子のことを思い出し連絡をすると、くみ子はためらうことなく、美彩知の調査を請け負うと言ってくれた。


「それで今、その問題の美彩知さんは?」

「今日、近所の喫茶店で会う約束をしてるの。その時に尾々間さんも来てくれる?」

「くみ子でいいっす。まずは彼女の様子を見ないことには何もわからないですからね。よろしくお願いします」



🤞🏿


 喫茶店で約束通り待っていた美彩知は、アゲハが先日会った時よりも更に怪我が増えていた。


 右手には包帯を巻いていたし、目元にも痣が出来ている。やっぱり明らかに様子がおかしい美彩知に、アゲハは胸を痛めた。


「美彩知、こちらはくみ子さん。幽霊とか都市伝説とか不思議なことを調査、研究しているんだって」

「どうもっす。尾々間くみ子です」


 くみ子はそう言って、美彩知に名刺を手渡した。


「アゲハさんとは共通の知り合いがいて、それで相談を受けたんす。親友の様子が最近おかしいから、調べてくれないかって」


「親友ってわたしのこと?」


 美彩知はキョトンとした様子で首を傾げる。そしておかしそうに笑った。


「やだなー、アゲハ。何にもないって言ったじゃん。だから、最近のわたしはツいてるんだって」

「そうは見えないから……くみ子さんを呼んだの」


 アゲハは心配そうに美彩知を見つめた。美彩知は気に入らなかったのか、大きく溜息をつく。


「大丈夫だって、わたしが言ってるでしょ」

「でも……」

 アゲハと美彩知の間に、ピリピリとした空気が流れる。

 くみ子はそんな二人の間に割って入った。


「最近ツいているっていうのは何のことを言ってるんすか?」

「何って。生きていて、よ。霊とかなんとかっていうなら、幸運の守り神がついてるわ」

「お言葉っすけど、たとえ美彩知さんが何かにツいていたとさて、その代わりに、別のところで不運が起きてるんじゃないっすか? だから体中そんなに──」

「──大丈夫だって!」


 美彩知はドン、とテーブルに拳を叩きつけた。

 周りの客も何事かと、美彩知達の方を見て、店内がしんとする。


 美彩知は懐から財布を取り出すと、中から一万円札を抜いて、テーブルの上に置いた。


「お釣り、いらないから」


 美彩知はそれだけ言って、荷物を持つと、店から出て行った。


「アゲハさん、すみません。お会計お願いします」

 美彩知が店の外に出たのを見て、今度はくみ子が立ち上がると、喫茶店にアゲハを一人残し、くみ子も外に出た。



🎰


『美彩知さん、場所わかりました』


 美彩知が喫茶店を飛び出し、くみ子がそれを追いかけた後、くみ子からアゲハに連絡があった。


 くみ子も一度、美彩知のことを見失ってしまったが、同じ百目鬼倶楽部のメンバーにも追跡してもらったらしい。


「こっちっす」


 くみ子は、先程アゲハ達がいた喫茶店から二駅分ほど離れたところにある駅前のコンビニの前にいた。

 くみ子は美彩知を見つけると、コンビニで買ったのだろう、手に持っていた肉まんを一口で飲み込んで、アゲハに向かって手を振った。


「美彩知、どこって?」

「あそこっすね」


 くみ子は肉まんの入っていた紙袋をくしゃくしゃに丸めゴミ箱に捨てると、コンビニから見える建物を指差した。


「パチンコ……」


 アゲハは頭を抱えた。美彩知がパチンコにハマっていたことは知っていた。ただ一時期生活費に苦労するくらいに美彩知は金をスってしまって、アゲハにも金を借りたことがあった。

 その際にアゲハは、次こんなことがあったら友達の縁切るからね、とかなりの勢いで怒り、これからは程々にする、と美彩知も申し訳なさそうに頭を下げていたのだけれど。


「じゃあ、美彩知の言うってのは」

「十中八九、パチンコのことっすね。美彩知さんはパチンコに大勝ちする代わりに、日常で不運を重ねてる」

「さっき美彩知に会った時、くみ子ちゃんは? 何か感じた?」

「もう、ムンムンと。良くないモノに憑かれてたっすよ。ただ、何が原因であんなに嫌な気を溜め込んでるのかまではわからなくて──あ!」


 くみ子が再び、パチンコ店の方を指差す。

 アゲハも改めてそちらを見ると、入り口から笑顔の美彩知が出てくるところだった。


 美彩知は少し浮かれた様子で、そのままパチンコ近くの景品交換所に入った。


「バレないようについていくっす」

 くみ子がそういうので、アゲハは頷いた。

「一応これ」

 くみ子が、いつの間に手に持っていた帽子をアゲハの頭に被せた。


「ちょっとは変装になるっすから」

「わかった」


 暫く待っていると、交換所から美彩知が出てきた。

 美彩知は今にもスキップでもしそうなくらいに浮かれている。

 すると、急に突風が吹いた。

 アゲハは強風に思わず目を瞑ったが、目を開けた瞬間──。


「あ」


 歩いている美彩知目掛けて、道路に落ちていたビニール傘が飛んできたのを見た。

 ビニール傘は美彩知の顔を掠める。


 遠くからでも、つうと美彩知の顔から血が流れるのがわかった。

 美彩知はピタリと立ち止まり、ポケットの中から何かを取り出した。


「あれだ」

 くみ子がボソリと呟いた。


「あれっす。美彩知さんを、不幸に合わせているの」

「あれって、今美彩知が持っているやつ?」


 ここからでは遠くて、美彩知が握っているものが何なのかわからない。あまり大きな物には見えないが。


「木彫りの人形っすね。あれをまずは美彩知さんから離さないと──あ」


 そうこうしているうちに、今度は美彩知の歩いている道路横の建物の上の階から、植木鉢が降ってきた。

 植木鉢は美彩知に直撃こそしなかったものの、欠片が美彩知の方に飛び散り、腕や脚を掠める。


「──見てらんない!」

「あ、美彩知さん!」


 アゲハは走り出した。美彩知にこんな数々の不幸を与えているのが、今彼女が手にしている人形とやらのせいなら、それを早く奪わないと、きっともっと酷いことになる。


「美彩知!」


 アゲハは美彩知に向かって叫んだ。

 美彩知が声に反応し、振り返りそうになったところで、アゲハの肩に誰かがぶつかった。


「ごめんなさい!」


 アゲハの後ろから、サラリーマン姿の男が急いで走り抜けて行った。その男はそのまま美彩知のいる方まで走り続け、今度は美彩知の肩にぶつかってよろけながら、走り去る。


 美彩知は足がもつれたらしく、バランスを崩して車道の方に倒れた。

 アゲハは美沙知を見て、心臓が破裂しそうになった。

 美彩知に向かって、トラックが走ってきている。トラックの運転手も、人が車道に倒れてきたことには気づいたらしく、目を丸くしているのが見える。だが、ブレーキが効くにはトラックと美彩知の距離は近すぎる。


「ダメ!!」


 アゲハは、自分でどうにかできる筈もないのに、美彩知を助けようと自分も車道に体を乗り出していた。


「──アゲハ!」


 また、アゲハは肩に体重がかかるのを感じた。

 誰かが肩に手を置いて、アゲハを歩道側に無理やり引き戻す。


 その誰かは、アゲハの代わりに車道に飛び出すと、美彩知を抱え上げ、反対側の歩道まで一気に駆け抜けた。


 アゲハはそれを見て、ホッとする。冷静になったところで、美彩知を救い上げてくれたのが誰かわかった。


 ──シンヤだ。

 以前、百目鬼倶楽部の世話になり、今は自身も倶楽部に在籍しているという、アゲハの幼馴染。


「アゲハさん、大丈夫っすか!」


 歩道に倒れるアゲハに、くみ子が駆け寄って来た。


「だ、大丈夫」


 くみ子はアゲハの無事を確かめると、車道の方に転がっていた人形を拾い上げた。

 すると、くみ子は大きく息を吸い込む。信じられないことだが、見る見るうちにくみ子の体にどんどん空気が溜まっていき、風船みたいに膨れ上がる。

 

 そのままパアンと、くみ子の体が弾ける。

 くみ子の体が弾けたそこに現れたモノに、目を丸くした。


 ──それは巨大な獏。


 アゲハもくみ子本人やシンヤから、話は聞いていた。

 尾々間くみ子。怪異喰い

 彼女はこの巨大獏の姿になることで、くみ子はこの世ならざるモノをことができる。


 くみ子は大きく口を開けて、手に持っている人形を口に運ぶ。


 その瞬間、閃光のようなものがくみ子の手元に走った。


「痛っ!」

 巨大獏が、人形から手を離した。

 人形から黒い液体のようなモノがどくどくと流れ出てくるのが、アゲハにも見えた。


 どくどくと。どくどくと。


 黒い液体は天に向かって盛り上がる。そして身体を形づくった。


「キー、キー、キー」


 大きなギョロ目で甲高い声を出す黒いは、手の長い巨大な猿のように見えた。

 巨大獏と巨大猿が相対している。


 だけど、それはアゲハたち以外には見えないようで、ついさっき美沙知を引きそうになったトラックの運転手が、トラックを停車させて外に出てきていたけれど、巨大獏になったくみ子たちを見る様子はない。

 ただ、美沙知には見えているようで、口をパクパクさせながら巨大な獏と猿を見ている。


「往生際が悪いっすー!」


 巨大獏はイラついた声音でそう叫ぶと、目の前にいる巨大猿の両腕をガッシリと掴んだ。

 巨大獏は、そのまま巨大猿の肩に齧り付く。


「ギー! ギーギーギー!」


 巨大猿の肩が、ドロドロと溶けていく。巨大猿はそれにも抗うように身体を揺らしたが、巨大獏になったくみ子は、肩から巨大猿をじゅるじゅると


 猿の身体は元の液体のようになり、そのまま巨大獏の口に吸い込まれていった。


「ごちそうさま……」


 巨大獏のくみ子は疲れたような声でそういうと、大きくげっぷの音を響かせた。

 すると、今度は獏の身体が萎むように縮んでいく。

 気付けばそこには、人間の姿のくみ子がいた。


「うう、お腹いっぱい……」


 くみ子はお腹を抱えると、その場に座り込んだ。


 そこまでの一連の様子を、美彩知はずっと呆けたように見ていた。



🎰


 トラックの運転手と、呼ばれた警察の事情聴取などの雑事を全て済ませた後で、アゲハたちは最初に美彩知と待ち合わせをしていた喫茶店に来ていた。


「センパイは何でそんな疲れてるんすか」


 くみ子は、注文した抹茶フロートのストローに口をつけて、あの後合流した倶楽部の先輩だという赤木ジョイに聴いた。


「このの奴に、くみ子がお前の幼馴染の依頼で仕事に行っているぞと伝えたら、自分も様子を見に行くというのでついていったら、しっかりお前たちを見つけてな。だが、猿の人形のせいで車道に倒れ込んだそいつを」


 ジョイは怠そうに、美彩知を指さした。


「すぐ、助けるというから、速攻で俺はこいつに血を提供したんだ。血を吸ったばかりのそいつは普段の数倍の力を出せるらしいからな。説明は以上だ」


 ジョイはそれだけ言うと、店のソファにぐったりと座り込む。


 吸血鬼、というのはアゲハの幼馴染、シンヤのことだ。

 何を隠そう、前にシンヤが倶楽部の世話になった、というのもシンヤ自身が怪異そのものだからである。


「ホント、ごめんなさい」


 ここに来るまでにも何度も謝罪の言葉を口にしていた美彩知が、また改めて頭を下げた。


「わたし、どうかしてた……。パチスロでさ、今日も次の日も、777が並ぶのを見ると他の不運なんて帳消しだなんて思っちゃって」

「猿には厄払いの効果がある、と言われている」


 美彩知の言葉に重ねるように、ジョイがぐったりと椅子に座り込み、目を閉じたまま言葉を紡いだ。


「そいつが拾ったという人形もその類いの呪具だろう。本来は、不運を退け幸運を呼び込むお守りだったのかもしれんが、人から人の手に渡るうちに、性質が変質したらしいな。持ち主が望む幸運を与える代わりに、それ以外の部分で不運を与える、という形に。あの人形は、いつからかわからんが、そうやって人から人へと渡ってきたのだろう」


 あるいは、とジョイは続けた。


「もはや有名どころ過ぎる“猿の手”の伝承が乗っかったのかもしれない。持ち主の願いをなんでも叶え、望むものを与えるが、代わりにそれ以外のモノを奪っている、というアレだ。まあどちらにしても、得体の知れんものを迂闊に拾っては駄目だという話だな」


「センパイは疲れてるんならウダウダ言わずとりあえず寝ててください」


 くみ子に言われたからかどうなのか、ジョイはそのまま一言も発しなくなった。


「シンヤくんも、ありがとう。わたし、あのまま死んでてもおかしくなかった」

「あんた、アゲハの友達なんでしょ。だったら、放っちゃおけねえよ」


 シンヤは照れているのか、コップを口に運んだが、もうその中身には何も入っていなかった。


「ホントにこれに懲りたら、もうパチンコなんてやめなよ?」

「パチンコじゃなくてパチスロ……」

「美沙知~!?」

「わ、わかった。反省してます!」


 結局、くみ子があの巨大猿を飲み込んでも、その場に残った人形は百目鬼倶楽部が保管することになった。

 美彩知も流石に、パチンコからは手を切って、今ではギャンブル依存症を克服すべく、病院に通っている。


 アゲハは、というとこの事件をきっかけに、同棲していた以前のようにとはいかないが、シンヤと会う機会が増えた。美彩知と遊ぶ時には、シンヤも一緒に誘い、三人で食事をすることも少なくない。因みに、たまにくみ子も一緒だ。


 痛い目を見て更生しようとしている美彩知を見ていて、アゲハはキャバクラ通いで大喧嘩したシンヤのことも場合によっては、許してやってもいいか、なんて思っている。

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