WORLD'S END SUPERNOVA

ムラサキハルカ

世界の終りの眩しさ

 寄せては返す波の気配を、暗がりの中で聞く。もはや、耳にたこができる慣れ親しんだ音だけど、不思議と心を落ち着かせる。

 月明かりと街灯の下。辛うじて足元が見える程度の状況の中、コンクリートの上をコツコツと歩く。闇夜の世界では、人の気配は一向に窺えない。それが……良かった。さびいけど。


 見上げる。夜空には満天の星。遠い、遠い煌き。何十何百年、あるいはもっと前の景色。手の届かない景色。どうしようもない、取り返しのつかない、決まってしまっていること。

 俺。高校生。その前は中学生で。更に前は小学生。その前はガキで、更に更に前は、赤ん坊とか母ちゃんの腹の中にいて、その前は……なんにもなかったんだろう。父ちゃんと母ちゃんの半分ずつとしてはあったかもしれないけど、それは俺の元にはなっていても、俺ではない気がする。

 俺はいつ俺になった? 母ちゃんの腹の中でできた時? お玉じゃくしが卵の中に潜りこんだ時? 父ちゃんと母ちゃんがやったとき? それともそれとも……。


 灯台の光。こんな夜中に帰ってくる船はないだろうに、誇らしげに立っている。いや、建造物にたぶん意思なんてないだろうし、そこに人間っぽい感情表現的な言葉を乗せるのは間違ってんのかも。

 そも、俺に意思はあるのか? 何かを考えているという錯覚しているだけで、考えるなんて機構は実のところ人間には存在していないんじゃないか? 中身は読んでないけど、そんな感じのタイトルの本がガッコウの図書館にあった気がする。

 だとすれば、人間と建物に本質的に違いはあるんだろうか? たしかにかたちも手触りも違うことは多いだろうし、材質も違う。けど、建物がそこにある、ということと、人間が一般的に生命活動と呼ばれるまでを終えるまでせかせか動くことは、大きな大きな目で見れば、両方ともただただそういうものだという自然現象の類ではないのか? 外から見た際の、そうなっている、という点において大差ないことであるのであれば、中身といわれる魂の有無と呼ばれるものもまた、冷静になれば電気信号がそういうものととしてあるだけで、これもまた自然現象でしかないのではないのか。ただただ、ある、という点において、我々人類と建物を初めとして無生物の間に違いはないのではないか。……さすがに強引過ぎたか。溜め息が漏れる。眠いのに歩いてるせいか、どうでもいいことばっかり考えてんな俺。

 テトラポットの上に腰を下ろす。黒々とした海。真ん中に月の明かりが差して道みたいになってた。昔、図書委員の女の先輩が見せてくれたムンクの画集に似たような光の柱があった気がする。あれと同じなのかな? いや、よくわからんけど、違うかもしれん。

 そういや、先輩ももう少しで卒業か。つまんなくなんなあ。ただでさえ、ガッコウってつまらんのに。

 いなくなったあとは、どうしようか? 先輩に倣って画集でも漁るか? いや、絵の良し悪しとかよくわからんし先輩と話してないと張り合いがなくてかなわん。

 てか、やっぱりさびいな。まだ、春にもなってないのに、じっとしてるから、当たり前だな。せめて、お汁粉とか紅茶家伝でも買っておけば良かったかもしれん。ただ、そういう気分でもない。

 

 とりとめのない意識の糸。細い意識らしきものを、冷たく冷たく張りつめさせておきたかった。一方で、焼き芋辺りを食ってぬくぬくしたくもある。

 一年前くらいの放課後に、東座ひがしざと一緒に食ったは、ほくほくで美味かったおぼえがある。あの時の石焼き芋を売ってた爺ちゃんは元気だろうか? 最近、ここらで見かないけど、はてさて。

 こうしている間も、体がかちこちになってきてる。立ち上がったあと、何度か飛んだ。高く飛んで着地したら膝がちょっといてぇ。

 やっぱり、考え事をするためには甘いものが必要なのかもしれんな。東座あたりバスケ部だからか、いっつもバクバク食ってたのを見るに、首がもげるくらい頷きたくなる。いや、あいつの場合は体を動かすために、食うのか。違う、食いたいから食うって言いそう。っていうか、今の俺もそんな感じだし。

 どっちかというと、今の俺の気分は屋台のラーメンか。温まりそうだし、東座ともいつか行こうって、口約束した気がする。つっても、ここら辺でラーメンの屋台なんて見たことねぇから、どっかの店ってことになりそうだけど……まあ、もう昔の話だしどうでもいいや。


 再び歩きだす。暗がりの中、潮騒の間に響くのは俺の足音くらい。こうやって真夜中に家を抜けだして歩き回ってると、ちょくちょく夜釣りに出くわすけど、今日はとんと出会わない。寒すぎるせいか、そもそも目ぼしい魚が釣れない季節とかなのか。釣りの楽しみ、よくわからん。

 そういや、釣りとのかかわりもなげぇな。一番最初は親父に付き合わされたけどじっとしてるだけでつまらんくて、その次は中学くらいになったら東座が強引に誘うもんだから付き合ったらあいつだけ爆釣で俺はおけらだったし。挙句の果てに、高校で妙にやる気な図書委員の先輩にずるずる引きずられて、やっぱり俺だけ釣れなかった。つくづく、なに楽しくてやってるか、まったくわからん。俺が釣れんから楽しくないだけ? そうだな。親父も東座も先輩もみんなみんな笑顔だったしな。呪いか?

 とにもかくにも、俺にとっちゃ楽しくない夜釣りに勤しんでるやつは今んとこ誰もいない。クソ寒いから当たり前っちゃ当たり前かもしらんが、いたらいたらで背中を蹴って海に突き落としそうだから、いなくて良かったな、うん。


 少し歩くと、海を境にした対岸のネオンが見える。あそこは、たしか、パチ屋か。

 たしか東座が部活の先輩と賭け麻雀して五万儲けたとか話してたな。釣りの面白いところって、もしかしたら、賭け事と似てるのかもな。魚が釣れた嬉しさと、自分がベッドした金が何倍に返ってきて嬉しさは、どちらも不確かなものの中から当たりが出た時の気持ちよさに由来しているとすれば、同じではなくとも通ずるものがある気がする。

 ……一時期、賭け麻雀の結果如何で百面相をしてた東座は、つまるところ魚が釣れている時と魚が釣れていない時の変遷をあらわしてるのかもしれんな。いや、強引に関連付け過ぎか。


 いい加減、海は見飽きて、道を曲がって陸の深くへと全身する。とはいっても無機質な道路とか、街路樹とか、くたびれた一軒家の並びが、薄暗い中で見えるだけだ。このクソ、どうでもいいところで生きてるんだな、俺。安心はあるけども、新鮮さは欠片もない。夜の散歩も慣れてくれば、もうマンネリだった。

 だったらと再び空を見上げる。多少、位置関係は変わってるかもしれんが、暗がりの中で星は輝いてる。手をかざした。米粒、どころか胡麻とか蟻とかシミみたいな大きさ。でも、実際は俺なんかよりもはるかに大きい。っていうより、この星よりもはるかに巨大であることも多いらしい。そんな星とかが銀河の中にいっぱい詰まってていて、更にいくつも銀河があるらしい。じゃあ、その外は? とか、そんな大きなものがどうやってできあがったのか? とか、そもそもどうやって宇宙、というよりも俺らが生きているここができたのか? みたいな中学生の内に、どうでもいいじゃん、と切り捨てておく問題の数々が頭に浮かんでは消える。ぶっちゃけ、気になっただけで本気で追求しているわけでもない。強いていうなら、そういう気分だった。

 先輩ならもう少し詳しく語れそうだ。図書館に入り浸ってるだけに、画集だけじゃなくて、色んなことを知ってたから。でも、受験が終わって気が抜けてるから案外、なんにもわからんくなってるかもしれんな。それに、もう話すつもりもないし。


 耳が痛くなりそうな音。ゆっくりと振り返る。爆発的な閃光。 

 避けなきゃ。そんな感想を抱いた時には、巨大な鉄の塊は目の前に迫ってきて、


 *


 超新星。星の終わり。

 俺らよりも圧倒的な大きな規模のものですら、いつか終わりが訪れるらしい。俺には、らしい、以上の何かはわからない。終わり、に触れられていないから。

 視界一面の眩さ以外のなにもかもが見えない。今体験しているのが終わり? あるいはその途中? 終わりの途中ってなんだよ。終わりは終わりだろ。

 世界にとっては生き物と呼ばれるものの中のごくごくほんの一固体が動かなくなったというだけに過ぎないかもしれない。しかしながら、俺という個人にとっては、世界の終わりに等しい。

 終わりとは、なんなのか? 何も無い、なのか? 何も無いってどういうことだ? 知るか、無いは無いんだよ。

 じゃあ、今のこれは。終わる前の最後の残り時間? あるいは、無い、なんてなくて終わりには先の先があるということだろうか?

 思考がこんがらがってくるにつれて、色々と面倒くさくなっていく。難しいことを考えるのは苦手だ。

 仮に、これで最後だとしたら。もうちょっと他に考えることがあるんじゃないだろうか。

 父ちゃんと母ちゃんには申し訳ない。勝手にふらふら歩いてこの様なんだしな。もしも、機会が与えられたら謝りたいな。祖父ちゃんと祖母ちゃんよりも先になってしまった辺り、完全に俺の不手際だ。

 近所のおばちゃんやおっちゃんたちや行きつけの人たちも心配させてしまうかもしれない。少ないながら友達を悲しませてしまうのも気まずい。

 東座には……謝っておけば良かったか。先輩と上手く行くといいな。いや、良くねえし。

 そんで先輩とは……卒業後にせめて、もっかい話ときたかった。一緒に歩くのは……東座の野郎と別れんかぎり無理かもしれないけど、また一緒に画集を捲りたかったな。先にいなくなりそうです。すんません。

 まあ、こんだけぐだぐだ考えたところで、この先はたぶんなんもないから関係ない。というよりも、俺個人から世界への関わりが途切れて『無くなる』んだろう。

 正直に言えば、色々面倒くさいことやしんどいこと、苛々することがあったあと、たまに、ごくたまに消えたいなんて思わなくもなかったけど、こうしていざ消えそうになると色々と惜しいな。

 眩さがより激しくなる。眩しすぎて、もうなにも見えない。白? 透明? いや、ただただ光。覆いつくされて、全てが薄くなっていく。ああ、これが最後の輝き




















































 

 目蓋を開ける。淡い光が空から降り注いでいる。

 全身がカチンコチンになっていた。くしゃみを一つ。背中が硬い。ここはコンクリートの上。

 ここは死後の世界か、って思いかけたけど、近くから車の走る気配がしたし、遠くからは海の音が聞こえる。とても慣れ親しんだ空気は、俺がいつも生きているところの感じがした。

 死に損なったか。そもそも、車とおぼしき鉄の塊が突っこんでくるところまでは記憶にあるが、ぶつかったかどうかまではわからない。ばきばきになった体の悲鳴からすれば、衝突したかもしれないしなかったかもしれない。とにもかくにも、俺個人の世界は終わらなかった、ということらしい。

 どっと力が抜ける。おおむね良かった、という気はするが、一方であのまま光に包まれたままでいればという気持ちもある。少なくとも現世の煩わしさからは逃げ切れたかもしれない。かといって、こんな軽はずみな思考につられるまま、車に飛びこんでみようなどは思わないけど。

 とにもかくにも、このまま転がっていたら邪魔だし、体も痛いままだ。奇跡的に凍死しなかったものの、間違いなく風邪は引いてるだろう。さっさと帰ってぬくぬくして寝たい。

 ぼきぼき悲鳴をあげそうな体を起こそうとする。その際、夜が明けたばかりの空の色に魅入られる。いまや、あの超新星のような眩さは遠く、雲の少ない淡い光を発する空ばかりが目の前に広がっている。

 ふと、先輩と東座のことや、現時点でやり残したことが頭に浮かんだ。今こそ数多くの宿題を片付けるべきではないかと思ったけど、すぐさまめんどくさいなとやる気をなくす。

 明日、明後日、一週間後、一月後……あるいは世界が終わる少し前に、気が向いたらやってみてもいいかもしれない。結論が先延ばしに傾いていく中で、大きく伸びをした。最悪な感じがして、これだったら眩さの中で世界が終わっていた方が良かったなと思い直した。

 

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