夜深き隣は何をする人ぞ

よなが

本編

 夜深き隣は何をする人ぞ。

 死の淵に片足を突っ込んでいた松尾芭蕉が詠んだという句をまねて、独り呟いてみた。そこに芭蕉の句にあるような憂愁はなく、私にあったのは諦念。

 隣の部屋が騒がしくて眠れない。

 秋の深き夜。午前一時だというのに、隣人はそれはもうパーティーナイトフィーバーなのだ。学生向けの賃貸だから、こういう事態が起こり得るとは覚悟していたが、しかしそうは言っても加減をしてほしい。

 記憶が確かなら隣人は大人しそうな女の子だった。

 半年前に入居の挨拶をわざわざしにきてくれたときは、髪だって染めていなかったし、肌だって過度に晒していなかった。後者については季節のせいとも考えられるが、とにかくそれから私たちは交流らしい交流もなく、夏にばったり部屋の前で見かけたときは驚いた。たまげた。

 端的に言って金髪日焼け痴女。

 何もそこまで肌を見せなくても。そんなに顔をいじらなくても。そう思ったのを覚えている。個人の感想に過ぎない。彼女がしたいようにすればいい。就活をする頃には元通りの姿になっているかもしれない。

 ついでに言うなら、顔はけっこう私好みだった。

 

 壁を貫き耳を害する音楽に、複数人の喘ぎ声が混ざり始めたところで、私は外に出ることにした。秋の夜長の散歩。

 向かうあてもなく。

 下手に人気のないところを歩いていると、危険な目に合うかもしれない、なんて考えながらも足はどんどん静かな場所へと進む

 やがて、がらんとした寂しい公園を見つけて入る。頼りない外灯。

 二つあるブランコのうち、比較的汚れていないほうに座って、夜空を仰いだ。

 綺麗な星空に一分ほどうっとりして、それから改めて正面を見やる。

 びっくりした。思わず肩をびくっとさせる。

 ベンチに誰か座っていた。たぶん、私が公園に入ったその時から既にいた。そんな雰囲気。湧き上がった恐怖は、瞬く間に別の感情に変わる。

 その人影に見覚えがある。

 隣に住んでいるあの子だ。今まさに矯正をあげているはずのあの子だ。

 秋の夜ゆえに気温は低く、さすがに低露出だったが、その髪色と顔は間違いなく彼女。顔については最初に出会った時に近い。つまりは化粧っ気がない。

 なぜ、ここに? じゃあ、今、隣の部屋には誰が?

 スマホを一心に眺めていた彼女が私の視線に気がつく。そして私に近づいてきた。


「隣のおねーさんだ」


 久しぶりに聞いた彼女の声は素朴で、遊んでいるふうではなかった。


「え、あ、うん。どういうことなの」

「うん?」

「だって、あなたの部屋で今……」

「あー……もしかしてうるさくて、ここまで避難してきたんです?」

  

 私が黙って肯くと、彼女は苦笑いしてみせた。


「ごめんなさい。いろいろあって、人に貸しているんですよね」

「ホテル代わりに?」

「まぁ、身も蓋もなく言えば。あ、ちがうんですよ。ノリノリで貸しているんじゃなくて、断り切れなくて。ははは……」


 彼女がもう一個のブランコに座る。

 そして、彼女が事情をこちらが聞いてもいないのに勝手に話し始める。芭蕉の生きた時代にはもっと別の語り口があったであろう、色恋と人情のもつれ合い。外身だけ飾った少女の、弱さが招いた悲劇あるいは喜劇。

 いよいよ彼女が嗚咽を漏らし、いたたまれなくなった私はブランコを漕ぎ始めた。

 長い話だったが、夜明けはまだ遥か遠くにあった。

 泣きはらした彼女の顔は妙に色っぽい。

 深夜に散歩なんてするものじゃないなと思う一方、傷ついた哀れな少女にどんな声をかければいっしょにホテルに入ってくれるかを考える私がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜深き隣は何をする人ぞ よなが @yonaga221001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ