第22話 人の価値


 私は人の価値について懐疑的だ。はっきりいうと、自分にも他人にも、価値はないと思っている。

 正確に言えば、価値がある人間は一握りである。だって価値とは相対的なものであるから。

 つまるところ、人類にとって有益で価値のある人というものは存在するが、それほど多くない。と、いうのが、私の頭の片隅にはある。

 ぶっちゃけ、人が死んだって問題なんか発生しない。人が一人いなくなっても、どうにかなっていくもの。

 なるようになっていくし、いなくなると困る! とわぁわぁ騒ぐ人もいるが、それはその人にとって都合が悪くなるというだけの話。

 実際に夫がいなくなっても、私達は生きていけたし、困ることもなかった。

 それでも夫が恋しかった。二度と会えないと解っていても、会いたくて堪らなかった。



 これが人の価値か、と、つくづく思った。

 ただ存在していて欲しい。それだけでいい。少なくとも、夫は私にとってそういう人だった。価値のある人だった。

 この理屈でいうと、価値のない人は存在しないのかもしれない。だって誰からも気に止めてもらえない人なんて、実は少数だから。

 他人の心の内は分からない。だからこそ、実は誰かから思われている可能性はけしてゼロではないのだ。

 ゆえに―たった一人でもいたのなら―価値は発生する。

 頭の片隅に、この考えは綺麗事だな都合の良い妄想だな、という嫌な感覚がずっとある。

 けれど夫に会いたいこの気持ちは、どうしたら説明がつくというのか。

 ただただ会いたくて。夜中はあの人の車の気配がしないかとリビングでいつものように待ってしまっていた。

 理屈ではないのだ。感情が、あの人を恋しがる。それを否定することは、誰にもできないはずだ。 



 朝、夫がリビングにいる夢を見た。その姿があまりにもいつも通りで、私は混乱して。

「病院行こう! 循環器科!! 危ないから! ねぇ!!」

 と、「何だ、何だ?!」と言う夫の背中を押して、車の鍵を持ちに行く。そんな幸せな夢だった。

 起き抜けの薄明かりの部屋で少し涙が出た。

 生活は順調に軌道に乗って忙しい毎日で、それでもあの人がいないという事実が、堪らなかった。

 価値のある人間になりたいならば、他人の心に根差すよう心を惜しまぬことだ。私の心には夫が住み着いていた。

 たぶんそれは、簡単なことじゃない。人間の心というものはとても厄介で、まして他人がどうこうできるものでもないから。それでも。

 もしも私が私の子供にとって、私が大切だと思っている人にとって、そうした価値ある人物になったなら。

 それはとても幸福な人生のように思えるんだ。










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