第32話 愛する人を守るため、愛する人を裏切って、他人と体を重ねる 2


 <獅子の月 7日>



 城塞都市アーガルムにある療養所。

 そこは精神病や寝たきりなど、長期の患者向けの施設。

 城塞都市内でも人気ひとけの少ない落ち着いた場所に建てられ、警備の者も最小限しか置かれていない。


 その日も、夕方までは特に変わったことは無かった。

 元々この療養所に訪れる者は少なく、最近こそ勇者ユーメィのお見舞いのためにそれなりに人が来ていたが、けして多い人数ではなかった。


 療養所の関係者に認知されるほどに付きっきりで看病していたのはフェイクト。

 対外的には元従者であり、現在は別のあるじがいるはずだが、そんなことは関係無いかのようにフェイクトはユーメィのそばを離れなかった。



 夕方になって警備の者が交代の時間となり、ちょうどフェイクトも着替えを取りに行くため帰宅していた頃、そのすき見計みはからっていたかのようにユーメィの病室に訪れる者がいた。


 その訪問者は、フード付きの外套がいとうに身をつつみ、顔を隠すようにしてフードを被っていた。


 静かに眠るユーメィのそばに立つ訪問者。

 そのフードの奥にある冷たい瞳は、冷徹さと残忍さをふくんでいた。


 そっとふところからナイフを取り出す。そのナイフはどこにでもある、ありふれた物。

 訪問者は躊躇ちゅうちょなくユーメィの胸にナイフを突き立てる―――が、突然ナイフの軌道がれてベッドに突き刺さった。ユーメィには当たらずに。


「ぐっ……がっはっ……」


 訪問者は忌々いまいまに胸を押さえる。


「いちいち邪魔をしやがって……クソっ……」


 身体がガクガクと震え、頭から被っていたフードがめくれる。

 ユーメィを殺そうとした訪問者は、勇者カズトだった。

 ここ数日の余裕のある態度とはうって変わり、カズトの顔にはあせりの色があった。


「まさかここまで妨害してくるとは……。しかも、徐々じょじょに妨害の頻度ひんどと強さが増してきている。早い段階でクラエアとシラソバを堕とせたのはよかったが、それ以降は思うようにいかない……」



 ――――――――――――――――――――


 カズトの身体を乗っ取った前世の人格である和徒かずとは、この城塞都市において着々ちゃくちゃくと準備を進めていた。強力な従者を手に入れ、この世界での知識を集め、自らの地位を確かなものにするために。


 和徒かずとにとってはこの世界の平和とか安定など、どうでもよかった。

 別にこの世界が滅んでも構わない。むしろ滅んだ上で、自分が支配者となる世界をつくってもよかった。


 たまたま乗っ取ったこの世界での自身―――つまりカズトが、勇者という地位にいたのでそれを利用したに過ぎない。

 勇者の責務を放棄すると、自身の力のみなもとである神核が消えてしまう可能性があるため、和徒かずとは表面的には勇者として振る舞っていただけ。

 前世でも外面そとづらは良かった。周囲から評判の人気者をよそおうのは、和徒かずとにとって造作ぞうさもないこと。


 ある程度態勢が整えば、その後はどうにでもなる。

 勇者アーガルムの代わりにこの地を治めてもいい、もしくはここ以外の場所で国を輿おこしてもいい。最終的にこの世界を支配する方法はいくらでもある。

 邪魔する存在はすべて滅ぼす。それが他の勇者だろうが、異種族や神であっても。


 その頃には、クラエアやシラソバも完全に従うだろう。

 今はまだ真意を知られると反発されるかもしれないから、慎重に対応している。

 だが、いずれは完全に堕とせる。

 たとえ信じた勇者の本性がどうであったとしても。



 和徒かずとにとって唯一の誤算は―――カズトの存在。

 この世界のもうひとりの自分。

 最初から相容あいいれぬ存在だった。

 成人の儀で前世の記憶を取り戻した瞬間から、カズトは和徒かずとを否定した。

 そして手に入れたばかりの神核の力の大部分を使い、和徒かずとを封印する。

 その時は何も対抗できずに和徒かずとは封印された。

 これは和徒かずとにとっても予想外の展開だった。

 なぜなら、カズトも和徒かずとも同一の魂であって、本来分けることなどできないもの。

 にもかかわらず、カズトは自分自身でもある和徒かずとを明確に拒否した。


 その後、紆余曲折うよきょくせつあって和徒かずとは身体のコントロールを奪うことができたが、カズトの扱いには頭を悩ませた。


 和徒かずとにとって、カズトは消すことの出来ない自分自身。


 大人しくしていれば、放置していてもよかった。だが、事ある毎に邪魔してくる。しかも徐々に強く。

 だからといって、カズトのように封印する気にはなれない。せっかくの神核の力を無駄にしたくないから。



 ―――そんな時、和徒かずと見出みいだした。


 きっかけは、クラエアから提供された

 聖遺物とは、勇者アーガルムがかつて手に入れた貴重なマジックアイテム。

 それをそれぞれの5大貴族が次代の勇者のために保管していた。

 クラエアを通じてベーゼルグスト家から提供された聖遺物の一つに、とある宝珠があった。その名は、『転移の宝珠』。


 この『転移の宝珠』は、魂を宝珠の中に封じ込め、別の身体に魂を転移させる効果があるという。


 元は、身体がちても別の身体に魂を移すという方法で、永遠の命を実現しようとした者が作り出した物であったらしい。


 マジックアイテムである以上、人間の作れるものではない。

 おそらく魔力を持つ異種族の誰かが作った物だろう。

 作成者がどうなったか、どうしてこれを勇者アーガルムが手に入れたかなどは、和徒かずとにとっては些末事さまつごと

 大事なのは、この『転移の宝珠』が和徒かずとの現状を打破だはできる可能性があるということ。


 ―――ただし、は慎重に決めなければならない。


 誰でもいい訳ではない。

 なぜなら、カズトは和徒かずとにとって始末できない存在。

 転移させた先の相手が死んだ場合、カズトがどうなるか分からない。

 もしくは、この宝珠が破壊された場合もどうなるか分からない。


 転移先が死ぬ、または宝珠が破壊された時、カズトも消えてなくなってくれるなら、それが一番望ましい結果ではある。

 だが、もし切り離したカズトが、和徒かずとの身体に戻ってくるとしたら―――。

 その可能性が捨てきれない以上、吟味ぎんみする必要があった。


 ―――そして、和徒かずとに白羽の矢を立てる。


 カズトが執着している相手に近い人物。あの女の従者。

 それは―――――。


 ――――――――――――――――――――



「誰だ⁉ 何をしている!」


 病室の入り口から大声がした。

 声を張り上げたぬしは、落ち着きのない様子で警戒していた。


 カズトはその人物を視界に収めると、ニヤリと笑った。


「遅かったな。お前が居なかったから、予定を変更していたところだ」


 カズトの動じない態度に、声を張り上げた主が困惑する。


「あ、あなたは―――カズト、さ、ま……?」


「そうだ。待ってたぞ、フェイクト」


 フェイクトがユーメィの病室に戻ると、そこにはカズトがいた。

 ユーメィのそばに立ち、フェイクトに邪悪な笑みを向けている。


「ど、どうして……。なぜここにカズト様が―――」


 フェイクトが言い終わる前に、カズトが飛び掛かり、フェイクトの首を掴んで床に叩きつける。


「がっ、はっ」


 うめき声を上げるフェイクト。

 カズトに首を掴まれたまま、仰向あおむけに倒されていた。


「なっ、なにを―――」


「用があるのは、お前の身体だけだ」


 フェイクトを組み伏せたまま、カズトが右手を上げる。

 その手には、鈍色にびいろに光る宝珠が握られていた。


「それ、は―――」


「お前が知る必要は無い」


 フェイクトの胸にカズトの右手が突き刺さる。

 吐血し、ガクガクと痙攣けいれんするフェイクト。

 カズトの右手をフェイクトの身体から抜くと、その胸には宝珠が強引に埋められていた。


「ユーメィ様を……どう……する、つもりだ……」


「この状況でユーメィの心配か? ははっ、そんなに大事ならアイナに乗り換えなければいいものを」


 ぜぇぜぇと息をしながら睨みつけるフェイクト。

 その暗くよどんだ瞳が、一瞬輝きを取り戻す。


「へぇ、これが魔力か」


 フェイクトの身体から不気味な気配が溢れていく。

 それは、神核や疑似神核の力とは違う何か。

 とっさに上半身をひねるカズト。すると、背後の壁がけたたましい音を立てて亀裂が走る。


「チッ、抵抗するな! アレを見ろ!」


 カズトがフェイクトの身体を持ち上げ、ベッドを指さす。

 フェイクトの目線の先には、ベッドに刺さっているナイフが映った。


「ああ、ユーメィ様……」


「元のあるじは死んだ。お前が目を離したすきにな」


「ぅ……ぁ……」


 実際にはユーメィは死んでいない。

 ナイフがベッドに刺さっているだけで、ユーメィの身体には傷一つけていない。

 だが、視界が薄れ、気が動転していているフェイクトにはそれが見破れなかった。


 力が抜け反応が無くなるフェイクト。

 カズトは再びフェイクトを仰向あおむけに寝かせると、胸に埋まっている宝珠に手を添える。


「案外、簡単に心が壊せたな。いや、既に壊れかけていたか。まあ、こちらとしてはその方がやり易い」


 触れた宝珠に意識を集中させるカズト。

 鈍色にびいろに光る宝珠が輝きを増していく。

 カズトはフェイクトに話し掛けながらも、それ以外の者に呼びかけた。


「カズト! 聞こえているんだろ! こいつの身体をくれてやる。精々せいぜい、アイナに可愛がってもらうんだな。まあ、こいつの姿でアイナの心までお前に向くかは分からないけどな。あーっはっは、ははははははは」


 強く光る宝珠がフェイクトの胸の中に溶けていった。

 カズトに突き刺さられた胸の傷がふさがっていく。


 それを確認すると、カズトを追い出して身体を完全に支配した和徒かずとは、満足した顔を浮かべて去っていった。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ふと目を覚ます。

 気が付けば、ベッドの上にいた。


 この部屋に見覚えが無い。

 ここはどこだ?

 俺は―――今まで、何をしてた……?


 ベッドの上で身体を起こすと、看護服を着た女性が近寄ってきた。

 その女性が安堵した様子で声を掛けてくる。


「目が覚めたのですね、よかった」


「―――ここは?」


となりの部屋です」


「とな、り……?」


「はい。ユーメィ様もご無事です」


 ユーメィ……。あの勇者の人か。


「これは、どういう状況ですか?」


「倒れていたのです。ユーメィ様が何者かに襲われて―――。警備の者が駆け付けた時には、あなたは倒れていました。幸いにも、あなたもユーメィ様も怪我はありません」


 意味が分からない。

 俺はなぜこんな所にいる?

 前後の記憶がはっきりとしない。

 何か大事な事を忘れているような。


「すまない。何があったか覚えていない」


「そうですか……。とにかく医師を呼びますね。このままじっとしていてください、さん」


 フェイクト……?


「えっ、フェイクト?」


 俺は目に掛かっていた邪魔な髪をかき上げる。

 その髪は、さらさらとしていて金色だった。―――俺のじゃない。

 違和感を感じて自分の耳を触る。

 その耳は、上の方が尖っていた。―――俺のじゃない。

 はっとして、横の壁に掛けられていた鏡を見る。

 その鏡には、フェイクトが写っていた。―――俺じゃない。



 俺こと、カズトは―――――フェイクトになっていた。






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