第8話 村を発つ 1 

 <カズト視点>



 成人の儀を終えた日の夕方。カズトはアイナと別れ、家へと帰る。



 両親に「神核」を得た、と報告した。

 両親は一瞬顔を曇らせたが、次の瞬間には俺を抱きしめてくれた。そして「つとめを果たせ」と一言。


 俺も力いっぱい抱きしめ返すと、父は悲鳴を上げて痛がった。


 最初は冗談で痛がっているのか、と思った。が、本気の様子だと分かり、慌てて離れる。

「大丈夫だ、気にするな」とは言っていたが、父はしばらく立てないほどだった。


 両親は冒険者で、父は屈強な肉体を持つ戦士だ。

 幼い頃は、無骨な手で頭を撫でられるのが好きだった。


 ―――そんな父が、今ではひどく弱い存在に思える。


 例えるなら、人間である俺が、他よりも一回り体が大きく立派なを見た気分。


 父は人の中では強い部類に入るだろう。鍛え上げられた身体は、服の外から見ただけで分かる。

 だがそれは、人という枠内において強い、というだけ。


 神核を得る、ということの意味を実感した。

 それは、ことなんだろう。

 しかも成人の儀が終わって以降、時間が経つごとにその力が増しているように感じられる。

 なんというか―――神核が身体に馴染なじんでいく感覚。

 あるいは、本来自分の物ではないナニカが、ゆっくりと体のすみずみにまで浸透していく感覚。


 ―――身体が変わる。別の何かに変わっていく。


 ―――では、心は? 心も別の何かに変わってしまうのか……?


 えも言われぬ感情にふたをして、夕食後すぐに寝ることにした。






 ガァ……ぁ……ぐッ……。


 胸が押しつぶされそうだ。突然の胸痛に俺はベッドから飛び起きた。


 就寝中に胸に激痛が走り、起こされたらしい。

 とっさに胸を手で押さえる。だが胸の痛みは、初めからそんなものは無かった、かのように消えていた。

 寝汗なのか、冷や汗なのか分からないが、全身に汗をかいていた。体中がべっとりとして気持ち悪い。服もびしょびしょだ。

 このままふたたび寝る気にはなれなかったので、汗を拭き、服を着替えた。

 喉も渇いていたので、台所へ向かう。水瓶みずがめを確認すると、残りが少なかったので、井戸に水を汲みに行くことにした。



 井戸は自宅の裏手にある。

 村の中心からだいぶ離れた所に、2軒の家が建っている。俺の家と、アイナ姉さんとその両親の家。

 村の外れに位置するため、周りには空き地が多い。互いの家の裏側には、柵で囲った箇所かしょがある。共通の庭のような扱いだ。

 庭には小さな畑を作れるくらいの広さがあり、奥に大きな木が一本立っている。その先に井戸がある。






 幼い頃からこの庭でアイナ姉さんと遊んでいた。追いかけっことかいろいろした。

 ただ数年前からは、一緒に剣を振る場所になっていた。

 最初は俺が両親の影響で冒険者を目指すようになり、一人で剣を振っていて、それをアイナ姉さんが見守るだけだった。

 だが、いつの間にかアイナ姉さんも剣を振るようになっていた。しかも真剣に。


 今考えると、俺が一人で剣を振っていた頃は、ただのの延長でしかなかった。

 一応、父からは剣の振り方を教わったうえでの素振りだったが、と呼べるレベルではなかった。


 だが、アイナ姉さんは違った。最初からアイナ姉さんの両親に教えをい、毎日厳しい訓練をこなすようになる。

 剣だこも、剣だこが潰れるのも、俺より酷かった。


 そんなアイナ姉さんに触発されて、俺も頑張った。

 俺の方が先に剣を振っていたのに、後から始めたアイナ姉さんに剣の実力が抜かれた時は、とんでもなく焦ったから。

 あちらの方が一つ年上で、身体の成長も一時期は負けていたが、そんなのは言い訳にならない。

 俺はがむしゃらに努力した。今頑張らないと、アイナ姉さんが遠くに行ってしまう気がしたからだ。

 その結果、最近になってようやく剣の実力で抜き返すことに成功した。


 アイナ姉さんとの模擬戦で5連勝した時、アイナ姉さんは、


「負けちゃった……。やっぱり男の子にはかなわないのかなぁ。最近のカズト、すごくたくましくなってて―――ちょっと私、悔しかったんだ」


 と悲しそうな顔をしていたのが忘れられない。


 たしかに俺の体はたくましくなっていた。

 アイナ姉さんは女の子の中ではかなり身長が高い方で、年齢差もあって物心ついた時から俺よりも高かった。

 でも、最近になってようやく追い着いた。もうすぐで抜けそうな気がする。

 俺は目線の高さが同じになって嬉しかったが、アイナ姉さんはそうではなかったのかもしれない。


 アイナ姉さんは俺のことを愛していると思う。昔から「カズト、愛してるよ」と言って抱きしめてくる。

 そのたびに、俺もアイナ姉さんの背中に手をまわして「好きだよ」と応える。


 身体を抱きしめ合い、言葉で心を通わせる。

 心も体も合わせているのに―――この一連の流れには、大きなへだたりがあった。


 アイナ姉さんのは、弟への愛。家族愛。

 俺のアイナ姉さんへのは、異性への愛。一人の女性に対しての好意。


「愛している」と言われた時、俺は「愛している」と言わずに「好きだ」と返すのは、そのに気づいてほしいから。


 アイナ姉さんにとって、俺は世話を焼きたい可愛い弟。いつまでも自分に甘えてほしい、と思っているのだろう。大切な弟としてしか見てなくて、俺からの好意にも気づいていないふしがある。

 だから剣の腕で負けたり、身長が追い付かれると、悲しむ。


 俺はアイナ姉さんに一人の異性として見てほしい。弟ではなく。

 対等に見てほしい。むしろ頼ってほしい。そのために立派な男性になりたい。

 だから剣の腕を必死で鍛え、身長が追い付いたことを喜んだ。


 ―――この想いに応えてくれる日はくるのだろうか。


 それは分からない。

 心配なのは、アイナ姉さんはとんでもなくモテるということ。

 この大きな村で一番の美人として有名だ。よく噂になっている。

 アイナ姉さんへアプローチをかけに来る男性は、村の中だけに留まらない。

 近隣の村にも噂は及んでいて、もしかしたら城塞都市にも届いているかもしれない。


 今のところ異性からのお誘いはすべて断っているが、いつかはアイナ姉さんの心を射止いとめる相手が現れるかもしれない。


 ―――そうなる前に、アイナ姉さんに振り向いてもらえる男性にならなくては。






 空の水瓶みずがめを持って、庭を突っ切る。

 まだ時刻は夜中で、辺りは暗い。月が出ているお陰で、歩く分には苦労しない。

 大きな木に近づいていく。それを超えた先が井戸だ。

 ふと見ると、木のみきに隠れた人影が目にまる。

 こちらの足音に気づいたのか、人影にも動きがあった。


「だれっ、誰かいるの?」


 その声は、家を空けがちな両親よりも、俺の人生で最もよく一緒にいる人だった。


「アイナ姉さん。俺だよ」


「カズト! ど、どうしたの、こんな夜中に」


「それはこっちの台詞せりふだって。俺は水を汲みに。アイナ姉さんは?」


 暗くてよく見えなかったが、アイナ姉さんは妙に色っぽかった。

 ほほは赤く染まり、吐息がはぁはぁと漏れている。

 少し息が荒く、胸がわずかに上下していた。

 寝間着ねまき姿で、布団から出たままの状態なのだろうか、少し服が乱れていた。






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