第33話 シャルメルの工房
『グォ』
「――――」
低い声で榮太郎をキッチンへ迎え入れたのは、天井に頭がつきそうなほど背の高い、茶色の熊だった。
なぜ天井に頭がつきそうか。
熊が、二足で直立しており、白のコック帽をかぶっているからである。
シャルメルは自慢げに、その足をポンポンと叩いた。
「こいつがワシの3食をまかなっとるシェフじゃ。腕前は一級品じゃぞ。まあ、たまに毛が入っとるがな」
『グォン』
あまりに想定外なシェフの姿を見上げ、榮太郎は感想に詰まってしまっている。
シェフと呼ばれた熊は直立で二足歩行をしているどころか、器用に調理器具を扱い、数種類の調理を同時並行でこなしていた。フライパンや包丁は熊が持つとまるでミニチュアサイズ。にもかかわらず、千切りされたキャベツは糸のように細かった。
「シェフや、今夜のメニューは?」
『グォア』
「はっは!! なんて言っとるか分からん。まあ、毎度美味いもんがでてくるから構わんのじゃ。すごいじゃろう。人件費もかからんのじゃ」
「す、すごいと言うか、なんと言うか……」
「ちなみにキッチンの横にはちゃんと食堂もある。夕飯はそこで食うぞ。の!」
『グォ』
熊は低い返事をして、調理作業へと戻っていく。
「さあて、夕飯までは今しばらくかかりそうじゃから……、上の工房を見せておいた方がよかろうな。どうじゃ、ノワール」
「左様ですね」
「よぅし、ついて来いエータロー」
シャルメルはそう言うと、階段の方へ駆けて行った。
榮太郎はノワールを振り返って尋ねる。
「あの……、この世界には料理ができるほど器用な熊がいるんですか。それとも、あれもまた亜人に属するものなんでしょうか」
「言ったろう、シャルメル様はこの塔にお一人で住んでいると」
「つまり、ペットの動物だと」
「いや、それも違う。この世界にも料理ができる野生の熊なんて存在しないよ」
ノワールは振り返り、熊の顔部分を指す。
何かが光るのが分かった。目だ。透き通った蒼緑色の目。
榮太郎は、この塔に来てからすでにいくつもその瞳を見ていた。
入り口の竜の石像と、小さな狐。それら全てが、全く同じ色の瞳をしていた。
……しかし、だから何だというのか。
榮太郎はなお分からず、首を傾げる。ノワールは分からなくて当然という風に頷いてから、階段の方向へ押した。
「次の階へ行けば分かるさ。説明するよりも見た方が早いし――、そもそも、私にもうまく説明はできないのでね。ただ、少しだけ心の準備をしておいた方がいいかもしれない」
「?」
○
ブゥゥン、バタン。
バスから降りると、迫り来るような山が出迎えた。
橋月高校から1時間バスを走らせたところに、藤見岳はある。
夏を控え真緑の葉を茂らせた木々。無数の虫の鳴く声。土の香り。
エーレンベルクの自然とは全然感じが違うな――、と双葉は思いながら、駐車場を見渡す。バスから降りてた生徒が順々にはしゃぐような声を上げる。
そこへ、ドンという衝撃があり、双葉は数歩よろけた。
後ろから来た女生徒の肩が、双葉の荷物へぶつかったのだ。しかし、胸元に『田沼』と書かれたその女生徒はチラリと双葉を横目で見たあと、仲間内で笑いあってから、謝りもせずに先へ歩いて行ってしまった。
双葉は早速うんざりした思いになりながら、仕方なくそのあとを追う。
分からない。
どうして、同じ班員としてこれから2日間一緒に過ごすのに、こんなことをするのだろう。
どうして、人をわざと嫌な気持ちにさせて、面白いと思えるのだろうか。
駐車場からなだらかに続く坂を歩きながら、双葉は数メートル先の女子たちを眺めた。
頭上から注ぐ木漏れ日が、彼女たちの派手な髪色をチラチラと光らせる。
茶色の髪にタヌキのような垂れ目なのが、田沼咲希。さっき双葉に肩をぶつけた生徒だ。
濃いめの茶髪で、派手で大きな赤い眼鏡をかけているのが、富房あい。
黒髪に一本銀色のメッシュを入れているのが、鷺沼光莉。
そして――、
金色のロングに小さな花の髪飾りをしているのが、山本壱花である。
林間学習における活動は、5人1班単位。
双葉は、4人でいつも行動している彼女たちの余りを補う形で、半ば強制的に組み込まれた。クラス中から向けられる「よりにもよって?」「大丈夫なのか」という視線に、鈍感な担任は最後まで気づかなかった。
少し距離を置きつつも、視界から消えないように坂を登る。
やがて木々を押し分けるように、オレンジ色の建物が見えてきた。
『藤見岳総合学習センター』と、入り口に大きく書かれている。背後にある山へ続くハイキングコースと、途中に見えるアスレチック。横には「キャンプ場はこちら」と書かれている看板もある。生徒たちはそれを見て、早速はしゃぎ始める。
双葉は晴れた空を見上げた。
太陽はまだまだ、真上にさえ到達していなかった。
○
階段の先にある扉は、開け放たれたままになっていた。
間近まで行って、異質な匂いが榮太郎の鼻を刺す。
油と、鉄と、木が混ざったみたいな。例えるなら、車屋とかガソリンスタンドに入った時のツンとした匂いに似ていた。
扉の中を覗くと奥は薄暗くて、よく見えなかった。
暗がりの中から、シャルメルの声が聞こえる。
「エータローにはまだ、ワシの職業を言っておらんかったじゃろう。ここは工房じゃ」
「工房?」
パチリ、という音がして、部屋の明かりが付く。
円形の部屋にぶら下げられたのは、電球のような形の何か。しかし、ガラスの中で光るのはフィラメントではなく魔鉱石だ。
灯りに照らされた部屋は、確かに『工房』と呼ぶべきものだった。
木材や、金属の板や、魔鉱石が散らばり、左右の壁には工具が何種類も用意してある。壁や床には傷や汚れが無数についており、何十年、あるいは何百年の時の積み重ねが感じられる。
「――――ッ!?」
しかし、榮太郎の視線はそれらには向けられなかった。
それどころではなかった、と言うべきか。
工房の天井は5メートルほどあり、かなり高い。
そこにフックが何十個も埋め込まれており、赤のケーブルが垂れ下がっている。
その先端に吊られているものを見て、背筋に冷たいものが走った。
動物だ。
犬。ネズミ。鳥。熊。蛇。虎。それぞれ、榮太郎の知るそれらとは少しずつ違ってはいたが、大小種類を問わず様々な動物が静かに吊られている。
何よりも不気味なのは、それらの瞳部分がぽっかりと空洞になっていることだった。瞳がないにもかかわらず、じっと見つめられているような光景。
榮太郎は、いつか何かのホラー映画で見た、精肉屋に豚肉が並べて吊るされているシーンを思い出した。
そんな榮太郎へ、ノワールは「大丈夫」と声をかけ、部屋の中央――、作業台の横へ立つシャルメルを指した。
その作業台にもまた、何かの動物が仰向けにのせられている。
猫、だろうか。脚を折りたたみ、尻尾をだらんとさせ、動かない。その瞳部分はやはり空洞だ。
一層表情をこわばらせる榮太郎を見て、シャルメルは申し訳なさそうに笑った。
「驚かせてすまんかった。しかしこの部屋を見てもらわんことには今回の話も始められんのでな。誤解を招かんように言っておくが、ワシは動物の死体をいじくりまわす変質者ではない」
「ほ、本当ですか」
「無論じゃ。ワシがそんな酷いことをするように見えるか?」
「つまり、僕がこの吊り下げられた動物のひとつに加えられることも……?」
「ないに決まっておろう! どこまで悪い方に想像をしとんじゃ。こっち来い」
そう手招きされ、榮太郎はおそるおそる作業台の方へと歩み寄る。
作業台はシャルメルが使いやすいように低く作られており、真上からの灯りで白く照らされていた。間近まできても、やはりそれは猫の死体のようにしか見えない。
シャルメルは「見とれよ」と言ってから、猫のお腹へ手を伸ばし、そのまま中に突っ込んで開いた。どうやら元々切れ目が入っていたらしい。榮太郎は思わず顔を顰めて――、そこで、
ハッと気づいた。
開いて見せられた腹の中にあったのは、生々しい内臓などではなかった。
木の部品とネジで組まれた複雑な機構だ。
例えるならば、絡繰人形の裏側のよう。当然、見たことなどないが。
くわえて、猫のかたわらに転がる二つの石を見つける。
それはちょうど顔の空洞におさまる大きさで、澄んだ蒼緑――、下の階で見たキツネや熊の瞳とまったく同じ色をしていた。
「ワシぁ、魔道具技師じゃ。しかもモグリのな。
真っ当な技師ならこんな僻地にこもったりせんじゃろ? ハッハ!」
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