第25話 領民の願い
騒動が収束し、ヴェルドワールン鉱脈採掘計画が始動して――、
2週間が経った。
ノワールやウィスタリア、ロップイヤーは、連日ほぼ外出しっぱなし。ブルガモンドを追い出したはいいが、得意先を失った穴埋めはしなければならないようだ。さらに面倒なことに、ブルガモンドが各所に悪評を流しているらしく、新しい取引相手探しは少し面倒なことになっているらしい。
一方で、出番を終えた榮太郎はすっかり手持ち無沙汰となっていた。
生徒がいなければ授業もできないし、政治の話にこれ以上首を突っ込むわけにもいかない。かといって、クローゼットがあちらの世界と繋がる気配はない……。
それならばいっそと、榮太郎は好きに時間を使わせてもらうことにした。高校教師というのはなかなかにハードで、まだ働き始めて1年と少しだが、まともな休日をとった記憶は数えるほどしかなかった。
そんな中で降って沸いた異世界バケーションと考えれば、この時間もだいぶ有意義に思えてくる。
書庫にあるソファに腰掛け、窓からの日差しを浴びながら読書に専念するのは気分がいい。
徐々にではあるが、着実にこの世界の知識も増え、既読の本も5冊10冊と積み重なっていく。あわせて、魔術練習も怠らなかった。防御術の反応速度は上々、浮遊術も分厚い本を浮かせられるくらいになった。
そんな折――、不意に声がかけられる。
「あんたにお客さん」
ぶっきらぼうにそう告げたのはロサだった。
「え?」
「客」
彼女はそれ以上言わず、書庫の扉を開けたまま、廊下の方へ歩き去ってしまった。せめて「誰が何の用事で」くらいは教えて欲しかったが、面倒なので自分で確認しろということなのだろう。初期の頃のような刺々しさこそなくなったものの、相変わらず扱いはぞんざいである。榮太郎は読書を中断し、正面玄関へ向かった。
「――よっ」
玄関扉の向こうで待っていたのは、潜水夫のキクルだった。
厳密に言うと、現在は洞窟採掘のリーダーを担っているはずなので、呼び方は変わっているのかもしれない。
「どうしたんですか? ノワール侯爵は外出中ですけど」
「いや、今日はあんたに用があってきたんだ。時間あるかい」
「僕に? はい、ちょうど暇してたところです」
「そりゃよかった。じゃあ、ちょっとついてきてくれ」
「?」
キクルは少し興奮しているように見えた。
しかし、どこに行くのかと尋ねても、採掘で忙しいはずではないかと言っても「いいからいいから」としか言わない。
榮太郎はわけもわからず、エーレンベルクの街まで降りてきた。
大通りに入り、街の食堂の横を通ると、泥で汚れた男たちが大勢でテーブルを囲んでいた。これまで水中採掘を行っていた者のみならず、エーレンベルク中の人々がこの新事業に手を貸しており、既に相当量の魔鉱石が地上に運び出されているそうだ。当然まだまだ課題は山積み。採掘、搬出、加工、輸送など考えるべきことはたくさんある。しかしながら彼らの表情は、希望とやりがいに溢れているように見える。
そんな風に眺めていた時、ふと――、足元を小さな影が通り過ぎて、榮太郎はつまずきそうになった。
「おっと!」
小さな影の方もブレーキをかけ、こちらを見上げて飛び跳ねた。
「ピォア!」
それは1匹のイワミミズクだった。
「びっくりした。誰かと思ったらイワオじゃないか」
『ピィピェ〜』
「久しぶり〜」と鳴きながら、榮太郎の足へ擦り寄ってくるのは、森で蔓に絡まっていた例のイワミミズクだ。洞窟へ迷い込んだ時から何かと縁があり、特別に人懐っこいので『イワオ』という個別の名前をつけることにした。ウィスタリアからは「ダサい、かわいそう」と不評だったが、イワオ本人は気に入っている様子だった。
「こらこら、あんまり擦り付くな。借り物の服なんだから。なんだ、ついてくるのか?」
『ピゥア?』
「いや、別にいいけどさ」
榮太郎がそう言いながら前を向くと、キクルがこちらを振り返って笑っている。
「街の連中にも人気だよ。うっかり蹴飛ばさないように気は使うが、慣れれば可愛いもんだ。餌でも売ればエーレンベルクの新しい名物になるかもしれん」
「それはいいですね。奈良の鹿せんべいみたいで」
「……どこだって?」
「あ、いえ。なんでもないです」
榮太郎はうっかり出た失言を誤魔化すように、イワオのふかふかの頭を撫でた。『ピ〜』と気持ちよさそうに目を瞑る姿は、確かに新たな観光名物としてのポテンシャルを存分に秘めていた。
しかしそもそも――、何故、街中でイワミミズクとばったり出くわすのか。
何故、当たり前のように街を歩き回り、人々にも受け入れられ始めているのか――。
これこそが、榮太郎とボスミミズクの間で話し合った結果だった。
2週間前、ウィスタリアと共に洞窟を訪れた榮太郎は、ボスミミズクと立ち退きについての交渉を行った。魔鉱石の採掘は100%人間側の都合であり、彼らにとっては寝耳に水に違いなかったが、結論から言うと、イワミミズクたちは要求を呑んだ。
しかし、それには交換条件があった。
・イワミミズクたちが外敵に襲われないように安全を確保すること。
・そして、安定した食料を供給すること
以上、2点である。
要するに、出ていけと言うならお前らが養ってくれよという訳だ。
そのくらいは当然だと、ウィスタリアは快諾した。
さらにそのあとで判明したことだが、イワミミズクたちは別に好んで洞窟に棲んでいるわけではないらしかった。
地上でも生活ができるにも関わらず、動きがのろく警戒心が薄いので、生き残るために狭く暗いところを選ばざるを得ないだけで、本当は苔ではなく、果実や青葉が好みだそうだ。
これは衝撃の事実だった。
さらなる相談の結果、イワミミズクたちはドロテア湖周辺の林に住んでもらうことになった。ここは人の行き来があるかわりに外敵になるような動物は出ず、広さも申し分ない。街からのアクセスがいいので、定期的な食べ物の補給も容易だ。
ボスミミズクは、最後に一つ言った。
『いきなり別の場所に連れて行かれたら、我々は納得できなかっただろう。人間を信頼しようと思ったのは、意思疎通が図れると知れたからであり、我々を尊重してくれたからだ』
もちろんこのセリフには脚色が多分に含まれている。こういうニュアンスを伝えたいのではないかという、憶測がほとんどだ。しかし、少なくとも榮太郎はそう受け取ったし、イワミミズク側もその通りに動いてくれた。
これが精霊の力であることはもはや疑う余地がないだろう。
異世界転移で目覚めた能力としては地味でパッとしないが、榮太郎はこの能力を歓迎した。何よりも、ウィスタリアやエーレンベルクの人々の力になれたことが嬉しかった。
「それで、どこまで行くんですか」
湖まで行き当たり、榮太郎は尋ねた。
キクルは足を止めて言う。
「安心してくれ、ここが目的地だぜ」
「ここですか?」
榮太郎は首をかしげる。もはやすっかり見慣れた湖畔の景色である。右手奥のヴェルドワールンの森入り口では今日も人々がせっせと出入りしていた。そこで反対方向の木陰へ首を振り……、目が止まる。
「――――」
木々が立ち並ぶ中、隠れるように残っていた廃墟がなくなっている――。
いや、違う。
廃墟では、なくなっているのだ。
榮太郎は思わず駆け寄った。
左半分が崩れていたはずの元マリア塾は、新しいレンガによって修繕され、天井の穴も塞がれていた。元通りというよりは、最低限雨風を防げるようにしたという感じだが、吹き曝しだった建物の中も掃除され、廃墟だった面影は完全に消え去っていた。
榮太郎は口をぱくぱくさせた。
足元のイワオが、狼狽える榮太郎を見上げて不思議そうにしている。
「な、なんで……? だって、まだ……」
その反応を見て、キクルは満足げに腰に手を当てた。
「まだ言ってないだろうって? いいや、兄ちゃんは最初会った時、俺に聞いただろう。フログが勉強できる場所があったらどう思うかって。それはつまりこういうことだったんだろ?」
「いや、あれはただ……」
「勘違いすんなよ。別に何かしろと頼んでる訳じゃねえ。屋根と壁を直したのも、俺が知り合いに頼んで勝手にやっただけだ。ああ、ノワール侯爵に許可はいただいたがな」
「ノワール侯爵も知ってるんですか?」
「建物の管理者はもういないのだから、好きなように使ってくれて構わないとさ」
「…………」
榮太郎はしばらく建物を見上げて、立ちすくんでいた。
正面にある窓からは、4つほど並べられた机と、教壇、その奥の黒板を覗くことができる。きっと新しく用意されたものだ。そして、使われる時を今か今かと待っている。
教壇の前に立つ自分の姿を思い描いた。
もう随分と教壇に立っていない気がした。
「ノワール侯爵は兄ちゃんを随分高く評価してたよ。今回、ブルガモンドを追い出せたのはほとんど兄ちゃんの功績だと。願わくば、これからもエーレンベルクに住み、恩を返させてほしいとさ」
「これがその、恩返しなんですか?」
「いいや、これは俺たち領民からの願いだ。ガキどもに少しでもまともな教育を受けさせてやりてえ。兄ちゃんなら信頼できる、そう思ったからみんな協力してくれたんだ。もちろん、無償でとは言わねえ。魔鉱石採掘で利益が上がれば、ちゃんと対価は支払えると思うからよ」
「……ズルいですよ、それもう。決定事項じゃないですか」
榮太郎が困ったように頭をかくと、キクルはガハハと笑った。
「別に暇を見てでいいさ。兄ちゃんだってこのエーレンベルクが気に入ったんだろ? これからもここで働くんだろ? じゃあ、いいじゃねえか。な?」
これからもここで働く――。
それは適当に答えられる問いではなかった。
そもそも、元の世界でまともに教師もできていなかった奴が、異世界で家庭教師をやっていることがおかしいというのに、さらにクラスを一つ抱え込もうなど馬鹿としか思えない。
そう思うのに、どうして心がソワソワするのだろうか。
「まあまあ、とにかく一回見ていけよ、家具屋から古いのを譲り受けて直したんだが、案外立派に見えるもんだぜ。知り合いの大工も快く引き受けてくれてなあ」
「分かりましたよ。拝見させていただき……、あっ、ちょっと待ってください」
「なんだい?」
「すみませんが、その入り口はキクルさんが開けてもらえますか。ちょっと、その、万が一のことがあるので」
「おいおい、俺らの欠陥工事を疑ってんのか? ちゃんと骨組みから直したぜ」
「いや、そういう意味ではなく。もう二度と変なタイミングで変な場所に飛ばされてたまるかという……」
そうおそるおそる中を伺う榮太郎の横を、イワオが「ピィア!」と鳴きながらぱたぱたと駆けていく。扉は勢いよく開き、教室の中へ榮太郎たちを招き入れた。
高い天井、明るい室内、整然と並べられた机と椅子。息を吸い込んで吐くと、なんだか懐かしい匂いが胸を満たすような気がした。
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