第24話 白羽の矢


ノワールが過去の契約書をチラつかせたのが効いたのか、ブルガモンドの撤収は速やかに行われた。この後に及んで、契約違反を取り沙汰されてはたまらないと、半分逃げ帰るような格好だった。


エーレンベルクには再び閑散とした雰囲気が戻ったが、住民の表情は一様にせいせいした様子だった。ノワールがドロテア湖の採掘計画を断ったという話は、人々に喜びを持って迎え入れられたようだ。

しかし、これではただ現状が維持されただけ。

悪くもなっていないが、良くもなっていない。

ブルガモンドが指摘した通り、エーレンベルクの経済状況は苦しくなり続けている。


だからこそ、今から何をするかが問題だった。





ブルガモンド商会が立ち去ってから、2日後。

再び食堂に人が集められた。といっても、テーブルを囲んでいるのはエーレンベルク邸の人間だけで余所者はいない。ヘリベルトが用意したお菓子が並べられ、午後のティータイムという風である。


「採掘にあたり、問題がもう一つある」


ノワールが腕組みをして言った。

フルーツジュースをストローで吸っていたウィスタリアが不思議そうな顔をする。


「問題? あいつらを追い払ったから、あとは洞窟の採掘を開始するだけでしょ?」


ノワールは首を横に振り、対面に座る榮太郎へ視線を向けて言った。


「先住民を無視するわけにいかない」


榮太郎はすぐにノワールが何について言っているか理解した。


「――あ、イワミミズクですか」


森の洞窟に隠れ住んでいた、静かで暗い環境を好むミミズクに似た生き物。

丸い目と友好的な性格で、榮太郎の恩人かつ、今回の洞窟発見の立役者でもある。


「あの洞窟は湖につながるほどの長大さを有しているが、比例して、相当数のイワミミズクが生息している。外敵にも発見されづらく、長い間密かにその数を増やしてきた、いわばイワミミズクの王国。あれだけ立派な群生地はかなり希少だ」


「彼らの棲家を守りつつ、採掘作業を進めることは難しいですか」


「残念ながら不可能だろう。森の中の道を整備し、洞窟の入り口拡張をし、崩れないよう補強もした上で、大勢の人間が灯りをつけて採掘作業にあたることになるからね」


「そう、ですよね」


今まで思い至らなかったことだが、考えてみれば当然だ。

採掘には人手も準備も必要だ。イワミミズクの平穏な生活を守ることは叶わないだろう。あちら側からすれば、寝耳に水、迷惑千万な話である。


榮太郎とノワールは低く唸った。

ウィスタリアもつられて、悩ましげにストローをずぞぞと鳴らす。


「うーん、じゃあ別のところに巣を移してもらうしかないのかしら。山の麓まで行けば、それなりの洞窟はありそうよね?」


「問題は、我々が勝手に棲家を決めてイワミミズクたちが納得してくれるかどうか……。他の動物たちに襲われず、餌も豊富な場所を用意しなければ、彼らは生き残れない。せっかく湖と森を守ったのに、結果的に生態系を崩してしまうのでは台無しだ」


そこへさらに、ロップイヤーが付け足す。


「捕獲し輸送する手間も馬鹿になりませんわ。あの森には、現在引いている以外の道はありませんから、一度森を出て迂回しながら山へ向かう必要があります」


考えれば考えるほど、簡単な問題ではないようだった。

食堂には沈黙が下り、レミンがクッキーを食べる音だけが響いた。というか、今この状況で平然とお菓子を食べているのはレミンだけだった。

しかもすごい勢いだ。一つ食べ切る前に、次のクッキーが放り込まれ、もはや冬眠前のリスのようだ。榮太郎と目が合ったレミンは一度手を止め、ぱちぱちと瞬きをした。


そして、ごくりと飲み込んでから言う。


「……イワミミズクさんが、引っ越しに納得してくれるかどうかが問題なのですか?」


「ん? うん。つまりそういうことかな」


「ご本人たちに相談すればいいのでは?」


「ご本人たちに?」


「そうですよ。ミミズクちゃんたちが住むんですから、どこなら引っ越してもいいか窺わないと」


「……いや、それが出来れば確かに話は早いんだが。でも、どうやって?」


「エータローさんがお話しすればいいのですよ」


「???」


榮太郎はレミンの言っていることの意味がわからず、ウィスタリアを振り返る。

しかし、ウィスタリアの頭の上にも、ノワールやロップイヤー、ロサ、ヘリベルトの頭の上にもひとしくクエスチョンマークが浮かんでいた。

レミンが不安そうに周りを見回した。


「……あれ、レミン何かおかしなことを言いましたか?」


代表してウィスタリアが応える。


「レミン、ごめんね。どうして先生ならイワミミズクとお話しできるの? だって、イワミミズクとは言葉が通じないでしょう?」


「――ああ!」


レミンはハッと声を上げ、納得したように頷いた。


「なるほど、皆さんご存知なかったんですか! それはそれは、失礼いたしました。あのですね、エータローさんは、精霊さんの力のおかげで動物ともお話ができるのです。森で迷子になった時、イワミミズクさんにお願いしてたのをレミンは見たのです。道案内してくれないか、って。それであの洞窟を見つけることができたのですよ」


今度は榮太郎へ皆の視線が集まった。

しかし、当の本人はあまりに唐突なことに、目を丸くして固まっている。


ど、動物と話ができる……?

確かに榮太郎が言ったことに彼らは応じてくれていたし、榮太郎もまた彼らがこう言っているのではないかとイメージすることができた。

しかしそれは、あくまで言葉を介さないコミュニケーションで、なんとなく分かったような気になっていただけなのだが……。


ひょっとして、あれは何か特別なことだったのだろうか――。





「どう思う?」


榮太郎はウィスタリアに尋ねた。


「分かんない。でも本当だったら面白いと思う」


「別にそういう感想が欲しいわけじゃないんだが」


榮太郎は、三度ヴェルドワールンの森を訪れていた。

すでにキクル達の手によって道も舗装され始め、初め迷った時とは見違えている。たまに丸太を抱えた男達とすれ違うと、彼らは驚いたように荷物を下ろし、ウィスタリアに挨拶をした。時刻は日没前――、作業を終えて家へ帰るところのようだ。


目的の場所へは20分ほど歩けば辿り着く。

洞窟の入り口周辺にはまだ手が加えられず、木々や蔓で隠されたままだった。


「精霊の力の目覚めは難しいの。というより、人それぞれで正解がない。精霊付きであることは分かっても、それがどのような形で作用するのか分かるには時間がかかる。でも大体の場合は、今回みたいにちょっとした違和感から始まることが多いんだよね」


そう言いながら、ウィスタリアは洞窟の中へ身を通した。

汚れてもいい格好に着替えているとはいえ躊躇がない。その度胸に感心しつつ、榮太郎はあとからついて行く形になった。


「そう言えば思い出したんだが、初めてここに迷い込んだ時、精霊が呼んでもないのに出てきたんだよな。その時は明るいからラッキーくらいにしか思ってなかったんだが」


「精霊をライトがわりにしないでよ」


「だから勝手に出てきたんだって。俺は奴とこそ意思疎通を図りたいんだが」


洞窟を下っていくと、少し広い空間に出る。

しゃがみ歩きの体勢から、腰を浮かすことができるようになった。


「ひょっとしたら、最終的にはできるようになるかもね」


「最終的には、ってのは」


「精霊魔術は使用することによって、洗練され、能力の幅が広がっていくものだから」


「なるほど」


「まあ、精霊の意思疎通が出来たら、この世界の常識がひっくり返っちゃうかもだけどね」


ウィスタリアはそう言ってフフフと笑う。

それが冗談かマジか今の榮太郎には分からなかったが、元の世界の神や仏に置き換えて考えればなんとなく分かるような気もした。


やがて、あたりが薄ぼんやりと青緑色に発光し、先に続く道も視認が出来るようになり始めた。ウィスタリアが「ちょっとラピュタっぽい」と呟いた。

榮太郎にしか通じない感想だ。


「ね、もしかしてあれ?」


ウィスタリアが、道の先からこちらを覗いている視線に気がついて振り返る。

榮太郎がその影に手を振ると、『ピァ!』『ピォル!』と鳴き声を発しながら、数匹のイワミミズクがこちらへ駆けてきた。もはやすっかり見知った顔という感じである。


『ピェア〜』


イワミミズクが榮太郎の顔を見上げて鳴く。榮太郎は目を瞑り、意識を集中してみる。

「また来たんかお前〜」とわれているような気がする……が、結局は気がする止まりだ。明確な言葉として伝わってくるわけではない。そのことを伝えると、ウィスタリアは首をすくめて言った。


「じゃあ、こちらの用件を伝えてみたら?」


「OK」


榮太郎はイワミミズクたちに向き直った。


「大事な話がしたいんだ。お前たちのボスを呼んでくれないか」


『ポルェ? ピォ!』


頼まれたイワミミズクは一度首を真横に捻った後、「いいよ!」的な鳴き声を発して、洞窟の奥へと消えていった。

そして、その数分後、暗闇の奥からのっしのっしという効果音と共に、飾りバネの大きなボスミミズクが現れた。


『ビァ?』


何用だ――? と、言っている気がする。

榮太郎はだんだんとその憶測が当たっているような気になってきた。少なくとも、イワミミズクたちは榮太郎の言葉を理解している。それに同意するように、ウィスタリアが榮太郎の肩をポンと叩いた。


「……すごいじゃん」


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