第23話 ノワールの答え


2日後。

決断の日が訪れた。


話し合いの会場は、エーレンベルク邸食堂。

テーブルの上にはもてなしの料理が並べられ、ウィスタリア、榮太郎、キクルたちも同席を許可されていた。


対面にはモゾフ・ブルガモンドを中心として、ギラギラと目にうるさい服飾の男たちがふんぞりかえって座っている。『これだけの席を用意するということはついに決心がついたのだろう』と勝利を確信している様子だ。


予定の時刻となり、ノワールが立ち上がった。

騒がしかったブルガモンド側が、おしゃべりを中断する。


「――まずは本日、ご多忙の中、我がエーレンベルク邸にお集まりいただき感謝を申し上げます。また、ブルガモンド商会の方々におかれましては、本議題について長らく結論を先延ばしにして申し訳ありませんでした。今回の席を以って、一つの結論をつけられるとお約束いたします」


モゾフはにやりと頬を持ち上げて言った。


「とんでもない。お得意様のためであれば、ブルガモンド商会は何度でも足を運びますとも」


榮太郎たちは、玄関先に集団で押しかけるような真似をしてよく言えたものだと思うが、当然言葉には出さない。

当のモゾフはそんなことももはや忘れた様子だった。


「有難い限りです。しかし、ちょうど昼食時。まずは当家のコックが腕を振るった料理を味わっていただきたい」


その合図によって、皆が手元の皿へと視線を落とす。同時に食堂の奥に立ったヘリベルトが深い礼をした。

シャンデリアに照らされたそれらはキラキラ光り、美味しそうな匂いが鼻腔を通り抜けて胃を直撃する。ヘリベルトの料理は常に一級品だが、今日は特に手がかけられているように感じた。


モゾフは待ってましたとばかりにフォークを握り、魚肉の塊を一口で頬張り、ワインをあおり、「ほっほ、これは美味ですな」と満足げに笑う。さながら勝利の美酒といった風である。他のブルガモンド側の人間も、同様に表情を崩していた。


ノワールは着座し、その様子を眺めて微笑んだ。


「お気に召していただけたようで何よりです。今回の料理に使っている食材は、ドロテア湖の魚、森で採れたキノコなど、どれもエーレンベルク産の新鮮なものです。このワインも美しい水から作り上げた一級品と自負しています」


「ほお、それはそれは」


「私たちは子供の頃から、これらを食べ、育ってきました。この国にはより上質で、珍しく高価な食材が出回っているでしょうが、結局故郷の味に敵うものはありませんね」


「かもしれませんなあ」


モゾフはノワールの言葉など上の空で、次々と皿を平らげていった。よほど味が気に入ったのだろう、皿に残ったソースまでも指でぬぐい口元へ運ぶ。気づけばモゾフの目の前から料理は消え失せていた。


「おかわりをお持ちいたしましょうか」


「ふうむ、是非いただきたいところですが、本題の前にこれ以上酔っぱらってもよくありません。一度此度の回答をお聞かせいただきたいですな。ドロテア湖底鉱石採掘の権利を、ブルガモンド商会へ委譲いただくお話は、成立という事でよろしいでしょうか?」


モゾフがそう言うと、横にいた商会員が鞄から紙束を取り出した。よくは見えないが、細かな取り決めや金額に関することが明記されているらしい。その最後の一枚を抜き取り、太い人差し指が一番下の部分を指した。


サイン欄が空白になっている。

そこに『ノワール・エーレンベルク』と書き足されれば、契約が締結されるのだ。


ノワールは一度窓の外に目を向ける。

食堂の窓からは、エーレンベルク邸前庭と、その向こう側にドロテア湖をかすかに見ることが出来た。空は青く、森は深緑、湖面は鏡のように輝いている。


榮太郎が横目で見るノワールの表情からは、既に迷いは取り払われていた。



「いいえ、お断りいたします」



ノワールは静かに、はっきりと言った。


「…………は? 何ですって?」


驚いたのはブルガモンド側である。

もうあとはサインだけいただいて、本格的に宴会を始めようかと思っていた鼻っ柱をグーで殴られたような表情だった。


「お断りすると、申し上げました。ドロテア湖の採掘権をブルガモンドに譲り渡すことは、今後決してありません」


「――はっ、今さら何をノワール候。散々、エーレンベルクの経済状態がどれほど悪いかについてご説明差し上げたでしょう。これは両者が幸せになる唯一の解決策なのですぞ。一体なぜ?」


「理由は、先ほど申しあげたとおりです」


「先ほど申しあげた? 聞いた覚えはありませんが」


「それほど料理にご満足いただけたと受け取りましょう。では、改めて申し上げる」


ノワールはナフキンで口元をぬぐい、再び立ち上がる。対面の席に注がれる視線は、普段の温厚なそれではなかった。


「我々はこの土地の自然とその恵みに、感謝し、愛している。これはエーレンベルクの命であり、それらが失われてしまえば、もはやエーレンベルクとは呼べない。外部からの労働者を大量に受け入れ、湖の水を抜いてまで資源を掘り起こす。そんなものは中身を入れ替えた別物だ」


「それの何が問題なのです。目の前に明確に発展への道があるのに、何故貧しく衰える道を選択するのですか。全く、理解が出来ませんな」


「では、価値観が異なるという事だ。これ以上話し合いの余地はない」


そう言葉を切るノワールに、モゾフは慌ててしがみつく。


「そういう訳にはいかない! 今回の件で、私たちがどれだけ骨を折ったとお思いか……! もう人も集めた! 資材の運び入れ準備も整っているんだ!」


「ああ、そのことだが」


ノワールの視線が一層厳しくなる。

右手を上にかざすと、背後に立っていたロップイヤーが前へ出て一枚の書類を手渡した。


「使用人に聞いたのだが、君たちは契約締結前に資材を堂々と搬入し、あまつさえ土地の伐採まで開始しようとしたそうだな。これは半年ほど前の書類だが、そういった行為が禁止であることは明記されている。無論、貴方の名前も書かれている。その上で、新たな契約書を差し出しておられることが半ば信じたいのだが」


モゾフの額から、汗がぶわっと噴き出した。


「っ! そ、それは――」


「さらに、商会側が斡旋した労働者が、我が領民を用なしだと侮辱したとも聞いている。彼らもまた、エーレンベルクの大切な宝だ。彼らの助力なしに、エーレンベルクの再興はあり得ないのに、何故それをないがしろにするのか」


テーブルの端に座ったキクルが、大きく息を吸い込んだ。

モゾフは慌てて弁明する。


「それは、大変失礼しました。私の預かり知らぬところで何か行き違いがあったかもしれません。しかし、それは今まで当方とエーレンベルク様方で築き上げてきた信頼あってこそで……」


「――無礼者と築く信頼などあるものか!!」


ノワールの一喝が、食堂に響き渡った。

テーブルに並ぶ食器や、シャンデリアがビリビリと震えるほどの声量だ。

驚いたモゾフは、口をパクパクさせて言葉が出せない。

しかし、これは今まで積もりに積もった怒りの発露に他ならなかった。


「土地に住む者のことを配慮せず、利益しか見ない卑しい商売根性も! 連絡もなく急に屋敷を訪ねてきて上がりこむ尊大な態度も! マナーさえ弁えず、用意した食事に感謝さえ述べない無礼さも、全て不愉快だ! あなた方はあまりに人や、命を馬鹿にしている!」


「――――」


凄まじい剣幕に慄き、返す言葉さえないブルガモンド側は、先ほどまでの赤ら顔が嘘のように蒼白だった。そこへ追い打ちをかけるようにノワールが呪文を唱える。


「フルアロ」


ノワールの胸の前に小さな火の玉が浮かび、そして蛇行しながら対面の席へと飛んだ。モゾフが「ぎやっ」と悲鳴を上げて、椅子ごと尻もちを搗く。その衝撃で食堂全体が小さく揺れた。

しかし、火の玉が向かった先はモゾフではなかった。その手に持っていた契約書だ。


ボッ、と音を立てて紙は燃え上がり、あっという間に灰になって消えた。

モゾフが宙を舞う灰に手を伸ばして間抜けな声を漏らす。


「あっ、あっ、な、なんという事を……!」


よたよたと這いつくばるモゾフに対して、ノワールは首を振った。


「……こちら側の答えは理解いただけたでしょう。お帰り下さい。もう、あなた方とお話することはありません」


モゾフは商会員に抱きかかえられるようにして、立ち上がる。しばらく呆然自失として虚ろな目を彷徨わせていたが、ハッと思い出したようにこちらを睨み返した。


「こ、これは大変なことですぞノワール候……! 今回の件だけではない、エーレンベルクはブルガモンドと、もはや一切の取引をするつもりはない。そう受け取ってよろしいのですな。我がブルガモンドは、この国でも指折りの大商会なのですぞ!?」


「勿論、そう受け取っていただいて構いません」


「――そうですか!! ならば結構!! これから先、財政難で苦しんだとしても当商会は一切の援助をすることはありません!!」


「結構だと、言っている」


酒に酔って赤くなり、ノワールに怒鳴られて真っ青になった顔を、再び恥ずかしさと怒りで赤くしたモゾフは、両脇を抱えられてあまりにも滑稽だ。料理の食べ過ぎでさらに膨らんだ腹と尻はボンレスハムのようである。


「馬鹿にしおって……! もう二度と、こんな田舎領主の土地には来んからな!!」


ノワールは、一度榮太郎やウィスタリアへ視線を向けてから、呆れるように笑った。



「今度エーレンベルクに来た時は、その尻を丸焼きにしてご馳走しますよ」


食堂に笑い声が響いた。

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