第14話 不在の間


「先生が帰ってない……?」


エーレンベルク邸門前。

馬車から降りたところで、ウィスタリアは驚きの声を上げた。


「ええ、昼前にお出かけになり、散策し終わったら帰ってくると言っておられたのですが」


「昼前からって、もうすぐ夜になっちゃうじゃない。迷子かな。――わかった、私探しに行ってくる」


そう言って、急ぎ坂の方向へ駆け出そうとするウィスタリアを、ロップイヤーは引き留めた。


「何をおっしゃるんです。お嬢様が探しに行くことはございませんわ」


「なんで。いいじゃない」


「ご自分でおっしゃったでしょう。もうすぐ夜になってしまうからです。領内といえど、夜の街を公爵令嬢が走り回るなど妙な噂が立ちますわ」


「別にそんなの……」


ウィスタリアは腕を引っ張って抗議の意を示すが、ロップイヤーは首を縦に振らない。


「エータロー様はれっきとした大人ですから、どこかのお店で楽しんでおられるんでしょう。帰ってきたらお小言は言わせていただきますが、お嬢様が迎えに行くようなことではございません」


「――でも、先生お金持ってないわよ?」


「?」


ロップイヤーは小さく眉をひそめた。


「……別に、ご自身の財布くらいお持ちなのでは?」


「んーん、先生は1ユリムも持ってない。私も渡してないし、少なくとも今朝の時点では間違いないわ。一応、お父様とか他のみんなに確認してもいいけど、多分手ぶらで行ってるはず。お金も持たずに、散歩したら帰るって出かけて、夜まで帰ってきてないのよ? 何かあったのかもって思うでしょ?」


ただでさえ初めて訪れる街、しかも慣れない異世界だ。何か榮太郎にとって予期せぬことがあったのかもしれない。とまでは言わなかったが、ウィスタリアの説明によって、引き留めるロップイヤーの手が少しだけ弱まった。もう一方の手が悩ましげに顎に添えられる。


「いいでしょ、ロップ。さっと行って、ぱぱっと見つけてくるから」


「お嬢様を向かわせるわけには参りません。……が、分かりました。日が落ちても戻らなければ、ヘリベルトに見てくるよう頼みましょう。それでよろしいですか?」


ウィスタリアは一瞬考えた後に、頷いた。


「分かった、ありがとう」





しかし結局その晩も、その次の晩も、榮太郎は帰って来なかった。


街の人々に聞いても、一昨日の昼頃に見かけたという声はあったが、そのあとどこかに行ったという情報はまったく出てこなかった。

いよいよ物騒な想像をし始めたところで――、ふと、エーレンベルク邸の呼び鈴が鳴った。


「!」


ウィスタリアは、メイド達が出迎えるよりも先に階段を駆け降り、扉を開いた。

ロップイヤーではないが、さすがに何言か文句を言ってやらないと済まないくらいには気を揉んでいたのだ。


「ちょっと、先生! 今、何日の何時だと思って――――」


朝帰りの夫を咎める妻のようなセリフが出かけて……、しかし引っ込んだ。


呼び鈴を鳴らしたのは、待っていた相手ではなかった。なんなら、真逆と言っていい。

ウィスタリアはその相手のことが、とにかく大嫌いだった。


「これはこれは、ウィスタリア様自らお出迎えとは光栄ですな。いやあ、それにしても春先というのに暑い暑い。水をいただいてよろしいですか?」


そう言いながら、勝手に敷居を跨ぐ男。

樽のような腹と、顎との境目が消えた首。鼻に乗った丸眼鏡は顔のサイズに合っていないせいでつるが歪んでおり、額を拭くハンカチはびっちょり濡れている。

汗の匂いを誤魔化すように付けられた香水の匂いがまた強烈で、ウィスタリアは鼻を摘んだ。



モゾフ・ブルガモンドは、南部地方に本拠地を置くブルガモンド商会の3代目だ。

取り扱う商品は、食品、加工品、木材、鉄鋼、魔鉱石と手広く、さらに規模を拡大しているらしい。


しかし、この3代目がとにかく評判が悪かった。やり方があくどく、強引で、安物を買い叩き高値で売るような商売をする。品質を落としても大量生産を優先し、売ったものはもう知らないというスタンスだ。

かと思えば、王宮関係者用に最上級品をただ同然で献上して、パイプを太くしていくという狡賢さも持っている。

開拓の1代目、発展の2代目、腐敗の3代目と呼ばれていた。


モゾフはエーレンベルク邸に上がり込み、案内される前に勝手に当主の部屋に入っていった。

事前連絡のない不躾な訪問に、ノワールは困惑し、ロップイヤーは憤慨した。


2時間も経った頃、扉が開かれてモゾフが納得いかなそうな表情で出てくる。

そして、最後に振り返って言った。


「結論を先延ばしにしても碌な事はありませんぞ。いいですか、侯爵。こちらはもう人を集めて準備をしているんだ。エーレンベルクのためにこれが最良なのです。またすぐにお答えを聞きに来ますからな!」





「――――」


5月14日金曜日の夕暮れ。

榮太郎は旧校舎を訪れていた。


あれから頻繁に旧校舎を観察していたが、例の青い光は見えなかった。

しかし、よくよく考えれば光った=扉が開いている訳ではないと思い至った。初めての時も開く直前に光は止んだし、帰りの時は予兆すらなかった。ならば直接確かめた方が早いと思い、また忍び込んだという訳だった。


2階最奥の教室にあるロッカーは、この前見た時と同じようにそこにある。

万が一にも人目がないことを確認してから、扉に手をかける。


「これで繋がってくれたらとても有難いんだよな。明日は土曜だし、勤怠も押したし……」


誰にともなく1人ごちる。


榮太郎の左手にはバックが持たれていて、中にはフログの教科書と、それ以外の本も数冊入れてあった。せっかくなら、エーレンベルクの人たち用に菓子折りでも持って行こうかと思ったが、余計な不審を買うだけなのでやめた。



――ガチャリ。



果たして、扉はたやすく開いた。


まるでずっと開かれるのを待っていたかのように、ロッカーの中には、旧校舎ではない風景が広がっていた。こんなに簡単につながって良いのかと思うが、気まぐれが良い方に働いたのだろうと納得し、榮太郎は足を踏み入れる。


しかし、その直後に違和感に気づいた。

ロッカーの中に見えた風景はたしかに旧校舎ではないが、エーレンベルク邸でも、廃墟でもなかったのだ。


「――――っ」


慌てて踏み止まろうとする。だが、既に榮太郎の体は世界線を超えており、扉は閉じていた。振り返った先に旧校舎はなく、そこは冷たい岩の壁があるだけだ。


「なん……だ、ここ……?」


振り返った先だけではない。

よく見れば四方八方が岩に囲まれていた。ぴちょんぴちょんという音が聞こえるということは、ここはどこかの洞窟だろうか。



何故??



榮太郎は飛ばされた場所があまりに思いも寄らなかったので、一周回って冷静になってしまった。これではそもそもエーレンベルクか、異世界かどうかも定かではない。とりあえず出口を探すしかないが、これでもし出られなかったら完全犯罪だぞ――、と、そこで榮太郎の耳が妙な音をとらえた。


いや、音ではない。

鳴き声だ。


「ピゥ、ピゥ」

「ピォェ?」「ピァ〜」「ピィィィィィ」


この薄暗い洞窟の中に何かいる。

しかも1匹ではない。


榮太郎は本の入ったバッグを抱え、身構えた。

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