第9話 魔法の話



レミンとの会話を終えた後、榮太郎は部屋で静かにウィスタリアを待った。

しかし如何せん、暇。一人になった途端、圧倒的に暇である。


部屋で一人、何もなく過ごすというのは現代人にとって相当に苦行だ。ついついスマホを求めてポケットに手を入れてしまう。

しかし悲しいことに、榮太郎のスマホは未だ没収されたままだ。

せめて本の一冊でも置いてないかと探してみたが、この部屋に娯楽品の影はない。今が早朝の何時かということすら分からない。


(まあ、独居房で3時間近く待たされるよりはマシか)


という悲しいプラス思考を働かせ、榮太郎はごろっとベッドに身を倒した。





「先生……、起きてる?」


「おっ」


ドアの向こうから小さく呼びかける声がして、榮太郎は起き上がる。

思ったよりも来るのが早かった。少なくとも榮太郎が天井のシミを数え終わりきらないうちにきてくれた。


「起きてるよ」


そう声を返すと、慎重にドアが開かれてウィスタリアが入ってくる。

まだ支度前のナイトドレス姿で、透き通った長い髪が左右に数本飛び出ている所を見ると起き抜けという感じだ。ウィスタリアは廊下の左右を確認した後、ガチャリと鍵を閉めた。


「なんだか随分警戒してるな」


「ロップがね、しつこく『私が朝、様子を伺いにまいりましょうか』って言ってたから。また入って来られたらまずいと思って」


「一応、俺の素性はもう説明してくれたんだろ?」


「まあ、一応ね。……あれ、何で知ってるの?」


「さっきレミンに聞いたんだ。窓を開こうとしたら急に降ってきてさ」


「うちの庭師を虫みたいに言わないでよ」


ウィスタリアは部屋の椅子に腰掛け、手櫛で髪や衣服を整える。

起きて一番にここへ来てくれたのはありがたい。榮太郎が倒れた後に彼女がどれだけ気を揉んだか想像できた。この家の人々への説明も楽ではなかっただろう。


しかし、事情の説明を誰よりも求めているのは榮太郎に違いなかった。

体を前に前傾させると、ベッドがぎしりと音を立てる。


「――それで、何が起こったんだ?」


「うん、説明する」





この世界には、『魔法継承』、

あるいは、『精霊様へのご挨拶』と呼ばれる儀式がある。


赤ん坊が生まれてから9日目。

親が子供と額を合わせて、魔力の一部を分け与える。

これにより、眠っている魔力が呼び起こされるのである。


『精霊様へのご挨拶』とも呼ばれるのは、魔力は精霊から借り受けたものと考えられているからだ。

ゆえに、素質のある者にはより多くの魔力が分け与えられ、さらに気に入られれば、小精霊が付いてくることがある。


それがいわゆる、精霊の加護である。


精霊に選ばれるのは10人に1人。

選ばれなかったから劣るという訳ではないが、何かを成し遂げる大人物には精霊の加護が付いていることが多い。ゆえに精霊の加護持ちは、それだけで少し特別視される。


では、精霊の加護があると何が変わるのか。


「普通の魔法は、主要5教科みたいな感じ。得意不得意はあるけどみんなに同じ教科書が配られる。でも精霊の加護による魔法はその人だけの専門教科。教科書も用意されてないから、独学で上達するしかないの」とウィスタリアは説明した。


なんとも教師にやさしい例えだった。





「本来なら赤ん坊の時に行う儀式を、俺は取り急ぎやったわけか。まあ、それは一旦ありがとうなんだが、結構おっかない儀式だな」


必要かつ神聖な儀式とはいえ、9日目の赤ん坊へ行うのは心配だ。この世界の文化に文句を言うつもりもないが、せめてもう少し大きくなってからでもいいのではないかと思った。


しかし、ウィスタリアはその感想を受けて「んーん」と首を振った。

そして一度榮太郎の体を眺め回してから言う。


「普通は気絶しないよ」


「えっ」


「普通は気絶しない」


「嘘」


「先生、何で気絶したんだろうね。お父様も分からないって言ってた」


「怖い怖い」


ウィスタリアが心底不思議な表情を浮かべているので、冗談ではないのだろう。

話を聞いている最中も、あれがすっかり通過儀礼なのかと思って聞いていたが、そうではないらしい。


「いや、でもね、先生くらいの年齢になって魔法継承をするって相当珍しいから普通と違ってもおかしくはないと思うんだよ。参考例が少ないの」


「え、じゃあ、ウィスタリアの場合はどうだった?」


「私の時は何ともなかったよ」


「ちょっとクラッと来たとか」


「全然ないね」


「じゃあやっぱりおかしいじゃん。そんな貧弱か、俺? 精霊もなんかフワフワしてるだけでよく分かんないしさあ……」


そう項垂れる榮太郎だが、今度驚いたのはウィスタリアだった。


「先生、精霊付いたの?!」


「――え? ああ、そう。あれだろ、蛍みたいな」


「へえ! すごいじゃんすごいじゃん。これで優秀な家庭教師としての説得力も上がるよ。もう、なんで早く言わないの?」


「そんなに喜ばしいことなのか。でも、10人に1人はいるんだろ?」


榮太郎が意外そうに尋ね返すと、ウィスタリアはちっちっと指を振る。


「10人に1人ってね、思ったより少ないんだよ。大人になる過程で精霊が離れちゃうこともあるから実際はもっと珍しいしね。この家でも、私とお父様だけ」


「ウィスタリアとノワール候もなのか」


「私とお父様の場合は血が繋がってないけど、本来遺伝とも関係なくて完全にランダム。だからこそ、精霊付きはひとつのステータスなんだ。就ける職業とか地位にも影響するし、極端な例だと名家で精霊付きが数代生まれなくて没落しちゃったり」


「でも、【精霊が付いてない=劣っているわけではない】ってさっき言ってたじゃないか」


「対面上はね。実際はそう綺麗事通りじゃないってこと。前の世界で言うと、東大出身ですみたいな感覚にちょっと近いかも。それだけで見る目変わるでしょ?」


なるほど、あちらの世界で言う選民思想やエリート思想に近しいものがあるらしいと納得する。いや、生まれた瞬間から目に見える差ができる訳だから、ひょっとすると数段過激かもしれない。

10人に1人。

40人学級に4人。

一クラスの中で4人だけが特別な魔法を使えますというのは、想像するだに争いの火種になりそうだ。いじめとかクラス内カーストとかえぐいんじゃなかろうか。


そんな想像で渋い顔になる榮太郎を見て、ウィスタリアは「もっと素直に浮かれていいんだよ?」と苦笑する。


「まあ、差し当たっての問題は精霊よりも基礎魔術だね。魔術は呪文を覚えて、魔力操作のコツを掴んで、あとは反復練習。何事もまず基礎から押さえなければいけませんからね」


「うわ、聞き覚えあるそれ」


「ロップの前で、先生が私に言ったセリフだよ」


「そうだ……。うわあ、こんな痛いブーメランになって返ってくるとは……」


「大丈夫大丈夫。ある一定のところまではすぐ出来るようになると思う。まあ、そこから先が大変なんだけど、誤魔化しが効くくらいまでは教えてあげるから。あ、その前に朝ごはん食べる? 今日は私もここで食べるから、何か用意してもらってこよう。ロップイヤーは多分、お父様と話している頃合いだから……」


ウィスタリアは半分独り言のように言いながら、華麗な忍足で部屋を出て行った。


そのあと、思い出したように榮太郎の腹が鳴る。

そう言えば、この世界ではまだ食事をしていなかったと今更気がついた。



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