第7話 額の温度


「それでは、緊急会議を行います」


どこから取り出したのか、指し棒を手にしたウィスタリアが言う。

榮太郎は部屋の中央に移動された椅子に腰掛け、正面に立つ少女を見上げた。


「まずは、現時点での懸案事項を挙げてみましょう。誰にしようかしら。じゃあ、松野君」


他にいねえだろとツッコみたいが、棒で叩かれそうなのでやめておく。

榮太郎は、先のロップイヤーとの会話を思い出しながら指を折った。


「この世界における身元と経歴が決まっていないこと。ノワール候との関係性が不明瞭なこと。精霊の加護ってのが分からないこと。咄嗟の言い訳で魔法が使えるという設定にしてしまったこと。それでもまだ怪しまれてること、かな」


「問題が山積みね」


「山積みっていう以前に、回避できたよなこのトラブル。屋敷の散策をする前にもう少し擦り合わせとくとかさあ」


「ごもっともな意見だけれど、お父様は責めないであげてほしい。私が『先生のことはまるっと面倒見るから』って啖呵切ったのが悪いんだから」


「うん、お父様は責めてないよ。お前を責めてる」


「マジでごめん。勉強見てもらお、としか考えてなかった」


「頼むぜ……。ただでさえ登場した瞬間からボロ出しまくりなんだから、これ以上はきついだろう。あのメイド長の権限で追い出されかねない雰囲気だったじゃないか」


榮太郎が渋い顔をすると、ウィスタリアも「ううん」と唸った。


「ロップはこの家の使用人でも最古参でね、特にお母様がお亡くなりになってからは家の管理を一任しているから頭が上がらないの。一回は納得してくれたと思っていたんだけれど、やっぱり不審に思ってたみたい」


「旦那様の意向には背かないが、自分の目で品定めはすると。さすがメイド長だなあ」


仮にそれらしい設定を用意したとして、一度不審に思った印象を覆すのは難しそうだ。

あちらの世界に帰るまでの一時的な滞在としても、どれだけの期間になるかが不明瞭な以上、居心地はよくしたい。

しかし、異世界にやってきて何も持たない状態から信頼を勝ち得ることができるだろうか。


「とりあえず――、お父様の旧友からのツテで、この国の最北『ネルロ』からやってきたということにしましょう。あそこならエーレンベルクから遠いし、ボロは出ないと思う。となると、架空の友人殿に師事していたって設定の方が都合いいわ。この世界だと、ちゃんと学校を出てる人の方が珍しいからね」


ウィスタリアはそう言いながら、書棚から大判本を取り出す。

そこにはこの国の簡略的な地図と、各地の特徴が図柄付きで載っていた。エーレンベルクとネルロは確かに真逆の場所に位置していた。


「まあまあ、いいだろう。それで架空の友人殿の名前は?」


「えーっと……。あ、クラウン・イングリッシュさん」


「おい、英語の教科書から取るな」


「むしろこの世界っぽくない方がいいでしょ? クラウン・イングリッシュさんは製本関係の職業をされていて、休日には公園に犬の散歩に出かけます。クラウンさんは軽い運動の後に飲むコーヒーが何よりも大好きです。犬の名前はマックスです」


「なるほど、反省してないな?」


ウィスタリアは小さく舌を出してから、話を戻した。


「マツノ・エータローは幼い頃から親元を離れて、クラウン氏に師事し、魔術関連の知識を教わっていたの。いずれネルロ以外の土地で働きたいと思っていたところへ、思いがけずお父様から私の話が出て、家庭教師を任されることになった。それ以前の面識は当然なし……。とりあえずこのくらい決めておけば、臨機応変にいけるかしら? お父様にはもう一度話を合わせておくから」


「ネルロ、クラウン・イングリッシュ、ノワールさんの旧友……」


榮太郎は目を瞑り、今聞いた人物設定を暗唱する。

正直本当に通用するものか不安しかないが、説明できないよりはマシか。そう納得したところで、ウィスタリアが咳払いをする。


「んんっ。それで、次の2つが問題なんだけど」


「精霊の加護と、魔法か」


「そう。精霊の加護と魔法は表裏一体で、分けて話すのは難しいの。人が魔法に目醒める瞬間、精霊がその人物を気に入って付いてくることがあるんだけど……。でも、説明するよりやってみた方が早いかな」


「……やってみるって?」


「ちょっとジッとしててね」


ウィスタリアはそう言うと、榮太郎のすぐ目の前に立つ。

急に何が始まるのかと狼狽えたが、彼女は構わず手を伸ばし、白く細い指先が榮太郎の前髪をあげた。


そして、彼女の額を榮太郎の額へと寄せる。


「……!?」


榮太郎の座った椅子がガタッと音を鳴らす。

ウィスタリアは眉を寄せ、責めるような顔をした。


「ちょっと、動かないでって言ってるでしょ。これはこの世界では神聖なことであって、いかがわしいことじゃないんだからね」


「いや、ちょっと、意味が分からないんだが。お前、何をするつもりなんだ……!?」


「しょうがないのよ。先生はもう魔法が使えるっていう設定になっちゃったんだから、遅かれ早かれやっておかないと――」


二人の額がそっと触れ合った。

ウィスタリアの透き通った髪の数本が眉を掠め、上品な花のような香りがする。

彼女の額は榮太郎よりも少しだけあったかかった。


「――――」


この世界の文化のことは知らないが、以前の世界の常識から言うとかなりまずい構図だ。ただでさえ昨今は教師と生徒の距離感について厳しく言われている。教師が生徒の肩に手を置いた、本で叩いたというだけでも保護者から電話がかかって来る時代なのだ。

こんなシーンを学校で誰かに見られれば、セクハラ問題で停職処分になりかねない。


しかし、これはこの世界では神聖な行いであり、魔法に関わる何かなのだ。

だが、それでも、いや、だって。

榮太郎の中にある、教職に就く者としてのモラルが計算エラーを起こし、火花をあげかけたところで、不意に、




ぶつり。




と、電源コンセントを抜いたような音が、頭の中で響いた。


視界が真っ白になり、音も聞こえなくなる。

額に触れた暖かさだけが余熱のように残っていた。

手足の感覚がない。意識だけが揺蕩っている。

まるで頭から上だけ、温度のない水に浸かっているような感覚だ。


何が起きたんだろう。

ひょっとして、死んでしまったのだろうか。

上がっているのか、落ちているのか。なんにせよ、どこかへ向かっているような気がする。とてつもなく巨大な茫漠とした奔流に飲み込まれ、一部になってしまったような。


分からない。

何も分からない。

どんどん、何も考えられなくなっていく。


今はただ心地いい。

そうして、榮太郎の意識は無限に白い光の世界へ溶けていった。





「…………」


瞼が開いて、視界が少しずつ輪郭を得はじめる。

天井を見上げている。ということは今、榮太郎は寝ているのだ。

カーテンの隙間から窓の外が見え、薄暗く紫色の雲が飛んでいる。

最後の記憶が昼過ぎだったから、夕暮れまで寝てしまっていたのだろうか。

いや、違う。あれは朝焼けだ。


(すくなくとも半日以上、寝てしまってたことになるな……)


榮太郎は身を起こした。

異変はない。むしろ、上質なベッドに寝かしてもらったおかげで調子がいいくらいだ。


(ウィスタリアの勉強を見て、ロップイヤーさんが来て、それで魔法の話になって……、そのあとに俺は気を失ったのか? だとしたら異世界初日から立て続けに二度も気を失った男という事になるな……)


情けない称号を獲得してしまった、と榮太郎が頭を掻いた時。


「ん?」


視界の端に、何か光る粒のようなものをとらえた。

追うと、蛍のような青い光の粒が榮太郎の肩にとまっていることに気がつく。それは呼吸をするように静かに明滅していた。


「……なんだこれ、異世界流の羽虫か?」


そう首を傾げた瞬間、光の粒はその発言に怒るようにぴゅっと飛び上がり、榮太郎のほっぺたをぺちぺちと叩いて、額から体の中へ潜り込んでしまった。

榮太郎は驚いて額を擦るが、もう出てこない。



精霊の加護と、ウィスタリアが言った言葉が蘇る。

『魔法に目醒める瞬間、精霊がその人を気に入って付いてくることがある』と。榮太郎はやがて、ぼんやりと理解した。


「俺、魔法に目醒めたのかもしれない……」


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