第6話 メイド長の詰問
私立橋月高校一年五組担任、松野榮太郎の専門教科は数学だ。
しかし、塾講師のバイトを経験していたことがあり、他教科についても教えられる程度の知識はあった。
まさかその経験が、異世界で活きようとは思わなかったが。
〇
ひとつのセクションを解き終わったウィスタリアが、大きな息を吐いて倒れ込む。
机の上にシャーペンがカラカラ転がった。
「ふ〜、終わったぁ。やっぱり横に人がいると進み具合が違うね。ていうか、担当教科外なのに教え方上手」
「そりゃどうも」
横の椅子に座った榮太郎が、解答に目を通しながら応える。
ウィスタリアはその横顔を眺めて不思議そうに言った。
「ねえ、なんで普段の授業だとあんなグダグダになっちゃうの? 声ちっちゃいし、生徒の方も見ないし。松野先生がこんなに話しやすいなんて初めて知ったよ」
「俺も、佐々木がこう明るい性格だとは知らなかったけどな」
「うわブーメラン来た。いいの。佐々木は佐々木、ウィスタリアはウィスタリア。私の中で二人は違う人物なの」
「何故。別に分ける必要ないだろう」
「だってこっちじゃ魔法が使えるけど、あっちじゃ魔法は使えないし」
「魔法とかの話じゃなくてさ。つまり、今話してるのが素のお前なら、あっちでも素を見せた方がいいんじゃないかって」
「うーるさいな、もう。生徒のプライバシーに干渉しすぎないで」
透き通った水色髪の少女は口を尖らせながら、冗談めかして言う。
榮太郎は「悪かったよ」と言って、また問題集に視線を落とした。
確認を待つ間、ウィスタリアは手持ち無沙汰に榮太郎を眺める。部屋の中は静かだ。窓の外を小鳥の囀りが通り過ぎていく以外、雑音はない。
「先生も私を待ってる間、なんか読んでたの?」
ウィスタリアが、机の脇に置かれた数冊の本を指して尋ねる。
榮太郎は問題集から視線を外さないままで言う。
「ああ、適当に」
「面白かった?」
「……そうだな。というか、文字が読めていることが面白いと思ったな」
「あー、不思議だよね。言葉も通じるし文字も読めるし。未来ロボットだって翻訳こんにゃくがないとダメなのに、私たちはクローゼットを通っただけ。もしかして、さらに未来の超高機能どこでも翻訳ドアだったりして」
「そりゃあ斬新な解釈だな」
コンコン――。
と、そこで不意にドアがノックがされる。
扉の向こうから女性の声がした。
「ウィスタリアお嬢様、遅れまして申し訳ありません。お茶をご用意して参りました。入ってもよろしいでしょうか?」
「やば!」
ウィスタリアはガバッと身を起こして、俊敏な動作で今まで机にあった問題集と筆記用具を引き出しへしまった。かなり手慣れた動作だった。
「ど、どうぞー?」
「失礼いたします」
静かに扉が開かれ、トレイを持った兎耳の女性が部屋に入ってきた。
榮太郎が地下の牢屋に囚われた折、ウィスタリアと一緒にやってきたメイド。たしか「ロップイヤーさん」と呼ばれていたはずだ。
ロサというメイドが若く新人ぽいのに対し、ロップイヤーからはベテランの雰囲気を感じる。熟練されたメイドの佇まいというか、やや厳格そうな空気感というか、榮太郎をじっと睨む氷のような視線というか……。
いや待て違うぞ、と榮太郎は気付いた。
これは彼女自身がそうというより、榮太郎に対する警戒がいまだ解かれていないのだ。サイドテーブルへ紅茶のカップを置く間も、横目でばっちり榮太郎を見張っていて、まるで点数でもつけるように顔や服装を眺めている。
「ちょっとロップ。あんまりジロジロ見たら先生に失礼よ」
ウィスタリアが咎めるように言うと、ロップイヤーはカチリと背筋を正した。
「大変失礼いたしました。ウィスタリアお嬢様のご教鞭を取られるとのことで、つい……。改めてご挨拶させていただきます。当エーレンベルク邸でメイド長を任されております、ロップイヤーと申します」
「あ、松野榮太郎と申します。以後お見知り置きを」
「――恐れ入りますが、いくつかお尋ねしてもよろしいでしょうか」
ロップイヤーがそう一歩前に詰めよってきたので、榮太郎はビクッとなる。
「は、ハイ?」
「本日エーレンベルクへいらっしゃったと伺いましたが、どちらから?」
「ドチラカラ」
「ええ、それと失礼ながら経歴をお伺いしてもよろしいでしょうか。学校を出ておいでか、あるいはどなたかに師事されたとか? 精霊の加護は受けておいでなのでしょうか? 旦那様は詳しくおっしゃられませんでしたが、どなたからのご紹介ですの?」
「――――」
たちまち怒涛の如く連射される質問に、榮太郎は硬直する。
目を逸らせば怪しまれる。
しかし、目が勝手に泳ぎ出してしまう。
榮太郎は横のウィスタリアに『ひとつたりとも答えられる質問がないんだが、どうすればいい』と必死でテレパシーを送った。
すると返ってきたのは(あちゃ〜)という呟き声だった。そうした詳細設定はまだ決めていなかったらしい。
ウィスタリアは一度額を押さえた後、息を吸い込んでから立ち上がる。
「あ、あ、あのね、ロップ! あの、先生はね、違くて、えーっと」
「申し訳ございません、お嬢様。できればエータロー様ご自身から説明いただきたいのです。まがりなりにも、エーレンベルク邸でこれから共に働く者同士ですから人となりを知っておきたいと……。何かおかしなことでしょうか」
ロップイヤーの眼差しが今度は自分に向けらた途端、ウィスタリアは身を縮こまらせて「ごめんなさい、おかしくありません」と着席した。
何をやっているんだと榮太郎は睨むが、逆に助けを求めるような視線が返ってくる。
どうやら、エーレンベルク家の力関係は体面通りではないらしい。
「いかがされました? それとも、何か答えにくいような理由がおありですの?」
ロップイヤーの視線がさらに鋭利に突き刺さる。
質問の時点からやけに冷たい視線だと思っていたが、返答に時間をかけるほどにさらに温度が下がり、もはや氷点下の領域に達し始めた。
榮太郎は、厄介なことになったと思う反面、これは彼女の優秀さの表れとも言えるだろうと思った。
いきなりお嬢様の寝室、
しかもクローゼットの中から現れた、
怪しい服装の鼻が低い黒髪の男。
主人がどう取り繕おうとも怪しいものは怪しい。
万が一何か情報が誤っていて実はやっぱり不審者だったという場合、主人たちに危害が及ぶかもしれない。だからこそ、自分の目で素性をはっきりと確かめておきたい。
それは危機管理の話であって、悪意からではないのだ。
榮太郎だって本来なら「免許証でも見せてこういう者です。あそこの高校で働いてまして〜」と説明をしたい。しかし、場所が異世界では意味がないし、そもそも財布は置いてきてしまっている。
ならば今、納得させられるだけの理由を拵えなければ。
せめてこの場をやり過ごせるくらいの。
榮太郎は、ウィスタリアが勉強をする間に目を通していた本を思い出した。
「すみません――。初めのご挨拶があのような形では心配になられるのも無理はありません。ただ……、ゴホン、また後ほど改めての説明とさせていただけませんか」
「後ほど?」
「ええ、すみません。実はこれから授業をするにあたってのデモンストレーションとして、いくつか魔術の実演をしておりまして。ああ、もちろん室内でも危険がないようなささやかなものですが。しかしご存知の通り、魔術には体力を消耗するでしょう。つまり」
「……なるほど。それで今しがたちょうど休憩をされていたんですの。さようにお疲れのところへ質問攻めは、流石に不躾でございましたわ」
「いえ、体力不足でお恥ずかしい限りです」
ゴホン、と榮太郎はもうひとつ咳をしてみせる。
これは手に取った本に書いてあった情報だった。
この世界には魔法があり、魔力を一定量消費すると疲労感に見舞われる――、と。
咳はわざとらしく映ったかもしれないが、残業明けという事実がここで思いの外作用した。顔色が白く、目の下には薄く隈がついており、全体的にくたびれた印象が漂っていたのだ。それが魔術の使用による困憊と重ね合わせられたのは、ひとえに幸運だったが。
ロップイヤーはしばし無言で考える。
そして少し後、「ではひとつだけ」と言った。
「どのような授業をされたのかくらいは、お伺いしても?」
「ええ、もちろん」
榮太郎は大きく頷き、横のウィスタリアを見る。
「ではウィスタリアお嬢様、簡単な復習です。覚えておいでの限りで結構ですから、授業の内容を言ってみてください」
「………………へっ?」
そう尋ねられたウィスタリアは鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべた。
しかし、やがて意味を理解したらしかった。
「……! ああ!! ええと、わかりました、じゃなくてもちろん覚えてます! さっき実演して見せてもらったのは、三大基礎魔術で、浮遊術、守護術、治癒術、とその一部応用でした、……よね?」
「その通り。何事もまず基本を押さえねばいけませんからね」
そこまで言って、榮太郎はロップイヤーの方へ視線を戻す。
正直、内心バクバクだった。こんな覚えたての知識と三文芝居で納得してもらえるだろうか。ひょっとして余計に怪しく映ってはいないだろうか、と。
結局、ロップイヤーの表情に疑いの色は残ったままだった。
しかし、一応ノワール候に招かれているという建前のためか、あとで改めて説明をするという約束をしたためか。
彼女は最後に一つ深いお辞儀をし、「詮索するような真似をいたしまして、誠に申し訳ありませんでした」と謝罪をしてから、部屋を去っていった。
扉の隙間から、ロップイヤーの背中が階下に消えたのを見届けて、ウィスタリアが振り返る。じとりとした視線を榮太郎へ向けて言った。
「……なんか、咄嗟のウソが巧みすぎて怖かったんだけど」
「いいか、大人になるにはこういう術が必要なんだ。覚えておきなさい」
「嫌なこと教えられたなぁ」
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