第5話 家族の肖像
「ほぁっ!! お嬢様の家庭教師さんですか!! これはこれは、こんな汚い格好で申し訳ありません!! レミンと申します!! このお屋敷で庭師をさせていただいております!! よろしくお願いいたします!!」
そう勢いよく挨拶するのは、ピンク色の髪をツインテールにした女の子だ。身長は140センチ程と小さいが、分厚いオーバーオールを作業着としており、手には身長よりも大きな枝切り鋏を持っている。
頭を激しく上げ下げするたびに、鋏の切先が榮太郎の鼻先をかすめて危なっかしい。
「よ、よろしく」
「レミンは働き者でね、お屋敷の庭を一人で管理してくれてるの」
横に立つウィスタリアが言う。
「えっ、一人で?」と、榮太郎が驚きをもって広い庭園を見回すと、レミンは誇らしげに小さな胸をそらした。
「むっふー! レミンの体が小さいからといって侮ってはいけませんよ。こう見えてとっても力持ちなのです! 腕相撲してみましょうか?」
「やめといた方がいいよ先生。骨が粉々になるから」
「骨が粉々になるのか」
思ったよりもかなり物騒な子らしい。
以前の世界の常識からすると想像し難いが、既に魔法らしきものや獣人らしき人物を垣間見ている榮太郎は、案外すんなり納得した。
「腕相撲は遠慮しとくが、握手くらいはさせてもらいたいな。これからしばらく厄介になると思う」
「はい! はい! 是非是非よろしくお願いいたします! あ、ちょっとお待ちください、手がばっちいので拭いてから……」
「粉々にしちゃダメだからね、レミン」
「しませんよ!」
榮太郎はレミンと無事に握手を交わし、屋敷の散策を再開した。
先の会話で驚いた通り、エーレンベルク邸の敷地は相当に広大だ。正直、橋月高校よりも広い。
敷地の柵の外を見るとなだらかな丘陵が広がっており、坂を下ったところに大きな湖と、それを取り囲むような街並みが見えた。目に映る全てがキラキラしている。空気の透き通り方が違うのだ。
排気ガスにも生活排水にも汚染されていない剥き出しの自然は圧巻だった。
「あの街に下りてもいいのか?」
榮太郎が柵から鼻を出して言う。
「できるけど、明日以降がいいんじゃない? せっかくの異世界ならじっくり味わいたいでしょ」
「おっしゃる通りだな」
○
二人は庭園から、屋敷の横手を通り、裏庭側へと回る。
折れて角のところに勝手口があり、ウィスタリアが扉を開いて中を覗き込んだ。しかし、すぐに振り返って手でバツ印を作る。
「ここがキッチンで、いつもなら料理人のヘリベルトっていうのがいるんだけど、今はいないみたい」
「へえ」
「買い出しに行ったのかな。まあ、あれは挨拶が遅れても別にいいわ」
「……なんか扱いがぞんざいじゃないか?」
「ヘリベルトはね、ちょっと気持ちわる……、変わってるの」
「気持ち悪いって言ったな」
「ちょっとね、ちょっと。基本的にはいい人」
榮太郎はキッチンを覗き込んだ。
綺麗に整頓された調理器具と、保管された食材。見慣れないものもあれば、リンゴやバナナなど向こうの世界と変わらないものもあった。壁には茶色のエプロンがかけられている。
ウィスタリアの話ぶりから察するに男性のようだが、あまり心象はよくないらしい。一週間以上滞在するのなら、間違いなく顔を合わせることになるだろう。
裏庭は、表の庭園ほどの規模はないが、うねるように煉瓦道が敷かれ木々が等間隔で植えられている。ここもレミンの管轄だということなのだから、確かに凄腕だ。
ぐるりと道沿いに歩き、やがてまた屋敷の正面へと戻ってくる。
「これがうちのお屋敷。どう、なかなかでしょ」
「まったく、とても個人邸宅とは思えない。自分の安アパートを思い出して泣けてくるよ」
「一応貴族だからね。さて、お父様とは話した、ロップイヤーとロサも一応了承済み、レミンにも会った、ヘリベルトは今いない……。うん、これで一旦全員ね」
「そうか」
主人と娘と使用人が4人。少ないと言えば少ないが、案外こんなものだろう。
と、そこでノワールとの会話の折から気になっていたことを思い切って尋ねてみる。
「もし失礼に当たったら申し訳ないんだが、奥さんはいらっしゃらないのかな。つまりウィスタリアのお母さんにあたる方は」
「ああ」
ウィスタリアは、そう言えば話していなかったという風に声を上げる。
「じゃあ、ちょっとこっちに来て」
ウィスタリアはそう言って、正面玄関から屋敷の中へと案内する。
階段を上って辿り着いた先は2階の廊下の突き当たり、豪勢な木製の両開き扉だ。
入ってすぐ、そこがどこか分かる。
最初に迷い込んだ、例のお嬢様の寝室だった。
榮太郎は自然と疼く後頭部をさすりながら、おそるおそる部屋に入った。
すぐ左手側に、例のクローゼットが置いてある。開けて中を確認してみたいところだが、ウィスタリアの言では繋がっている時以外はただの衣装入れのようだから意味がないのだろう。
無論、勝手に開けたりなどしない。
なぜなら変態ではないから。
「これ」
寝室の真ん中に立ったウィスタリアが奥側の壁を指差した。
縦横2メートル幅ほどの大きな肖像画がかかっている。金色の額縁、ルネサンス美術を思わせるような素晴らしい絵画だ。
描かれているのは3人の人物。
中央がウィスタリア。今よりもずっと幼い。
後ろで、ウィスタリアの肩に手を置いているのがノワール候。これも少し若い印象で、体格もがっしりしている。
そして、その横で微笑んで立っている白い髪の女性――。
説明されずとも分かった。ウィスタリアの母親だ。
目鼻立ちといい、立ち姿といい、本当によく似ている。父親の髪が紺色で母親が白なので、ウィスタリアの髪が水色というのも分かりやすい。
しかし不思議な雰囲気を感じる人物だった。一番端に立っているはずなのに自然と視線が誘導されてしまう。美しい翠色の瞳は、逆にこちらを覗き込んでくるような気がした。
「マリア・エーレンベルク。
ウィスタリア・エーレンベルクの母にあたる人物だけれど、5年前に亡くなってしまわれたんだって。だから私も会ったことがないの」
「ここに描かれているウィスタリアも、お前じゃないんだろう?」
「そう。本当のウィスタリア・エーレンベルク。でも、自分でもびっくりするぐらいそっくり。異世界にもドッペルゲンガーってあるのね」
「…………」
ウィスタリアは、肖像画を見上げたまま静かな口調で言う。
まるで榮太郎の心中を見透かすように。
「分かってる、何故佐々木双葉がウィスタリア・エーレンベルクに成り代わっているのか。使用人にさえ真実を隠して……。意味わかんないでしょ? でも、それを話す前に、もう少しこの家のことを知ってもらった方がいいと思うの。これは、エーレンベルク家の人たちの奥深い部分に関わる話だから」
気にならないと言えば勿論嘘になる。
しかし、別に説明を急かす必要もないように思った。
以前の世界がそうだったように、異世界にだって人々の歴史や関係があるだろう。
ノワールとウィスタリアが、他の使用人には内緒にしなければならないような事情があるのだ。願う願わざるにかかわらず。
「分かった、話すべきタイミングは任せるよ」
○
最後に案内されたのは、他に比べるとややこじんまりとした私室だった。
といっても、当然のように榮太郎のワンルームよりはでかい。
両脇に書棚。裏庭が見下ろせる窓。そして正面に一人用の机。
「ここが私の勉強部屋。用事がない時はここにいることが多いかな」
「へえ」
榮太郎が書棚の本を興味深く眺めていると、ウィスタリアが机に座り、なにやらゴソゴソし始めた。
引き出しから取り出したのは冊子の束。
よくよく見ればそれは、この世界のものではない。
榮太郎も見覚えのある、高校生用の問題集だった。
「……なんだ、これは?」
「へへへ、なんでしょうね」
「うちの高校で用意してるやつだな。こっちに持ってきてたのか。しかし国語、数学、英語……。結構な量があるじゃないか。普段の授業の課題にしては多いみたいだが?」
「ほら、ちょっとこっちの生活にかまけてたらさ、あっちで思いの外休んでることになっちゃって。他の生徒との差分を埋めるためって、特別課題が出ちゃったんだよね。次帰ったら出さないといけないの」
ウィスタリアがいたずらっぽく首を窄める。
榮太郎はそこでようやく腑に落ちた。
「家庭教師って案が出た時に妙に乗り気だと思ったんだよ。成程、そういう訳かぁ……」
「いいじゃんいいじゃん、家庭教師のフリより実際何か教えてる方が説得力が出てさ。私は課題が捗る、先生はこの家で信頼性が高まる。WINWINだね」
「WINWINかなあ……。後出し感がどうにも気になるが」
そう呆れながらも榮太郎が問題集をめくり始めたのを見て、ウィスタリアは嬉しそうに小さく拍手をしていた。
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