四週目――金曜日――
すっきり、綺麗さっぱり終わりにしようと思ってたんだ。
僕から言い出したことを、僕が疑問に感じたり、後悔してはいけない。
美恵が今日をもって高校からいなくなるとしても、悲しい素振りを見せてはいけないんだ。
ちゅんちゅん鳴いているスズメが急に止まる事はない。
カッチコッチ動いている時計の針が止まる事もない。
何もしてなくても太陽は上がり続けるし、時間は進み続ける。
抗うことは出来ない、出来る事は彼女を笑顔で送り出すこと、それだけだ。
僕が出した決断に美恵は素直に従い、この一週間、一切の涙を見せずに過ごしてきた。
先週の告白した時に流した涙が最後、それ以降、僕との別れを寂しがる素振りすら見せない。
独りよがりかもしれないけど……それが、何だか寂しかった。
おはようって言いながら隣の席に座る時も、もうほとんど空っぽの机の引き出しを見る時も。
笑顔を絶やさないままに彼女は僕の横にいて、当たり前のように授業を受けるんだ。
もうこの学校のテストなんて受けることはないのに、綺麗な字でノートに板書を写している。
そんな時間があるのなら僕の手を握っていて欲しい、黒板なんか見ないで僕を見て欲しい。
こうして何もせずに一秒、また一秒と過ぎていく時間が、とても悲しくて、辛くて。
「――――ね、奏音君、聞いてる?」
「……ん、ごめん、聞いてなかった」
昨日から一睡も出来ていないからか、とても眠い。
気付けば休憩時間なのだろう、美恵の横に川海さんもいて、何か雑談でもしてたのかな。
「次のお昼休みにね、一番で談話室に行こって言ったの」
「……談話室? あそこってご飯食べるの禁止じゃなかったっけ?」
「うん、だから、誰もいないんだって。ひよりが教えてくれたの」
ふふんって顔で僕達を見るひよりちゃんこと、川海さん。
他の子には内緒なんだからねって言ってたけど、既に知っているという事は。
……いや、あの二人を考えればなんでもアリだな。
ひと眠りした頭で数学の授業を終え、美恵に引っ張れるように談話室へと向かった。
図書室に併設された談話室には、大きめのソファや沢山の本。
生徒がのんびりとくつろげる空間として、食休みに利用する生徒が多数いるのだけど。
「……確かに、誰もいない」
しんとした談話室、普段からは想像も出来ないぐらいに静かなこの部屋に入るなり。
美恵はそれまでの笑顔を見せない様に、僕に抱き着いてきた。
「美恵」
「……ちょっとだけ」
ぎゅっと抱き締められたまま、小さな彼女の頭をゆっくりと撫でる。
人が入って来るにしても、まだ十分くらいは時間あるかな。
誰かに見られても、今日の僕達ならきっと許してくれると思うけど。
「……ん、大丈夫」
「……泣いてたの?」
僕の制服についた涙の跡。
今日が終わったら、もう僕達は会うことはない。
いや、会いに行こうと思えば会いに行けるけど、それだって毎日とはいかないんだ。
一緒にいれない不安は、多分以前よりも強い。
両想いになったが故に、離れたくないという気持ちが、何よりも増してしまっているんだ。
「――――」
美恵とのキスは、これで何度目だろうか。
初めてした時も何度もしたし、早朝迎えに来てくれた時も、カラオケの時も。
会うたびに増えていく回数は、もう数えることが出来ないくらい積み重なっている。
触れるたびに安心する、キスをした時だけ香る美恵の頬や、鼻頭に触れる彼女の肌。
美恵はキスをする時に目を閉じてるけど、僕はたまに目を開けて間近にいる彼女を見るんだ。
長いまつ毛、綺麗な眉、狂おしいほどに愛おしく想える彼女の全てが、至近距離にある。
そして、今日だけは目端にたまっている雫を見て、僕も瞼を落とす。
何をするにしても、今日で終わりなんだ。
悲しいのは一緒……だからって、傷の舐めあいみたいな終わり方じゃダメだな。
――
「では、次はLHRの時間です。皆さん、準備をお願いします!」
山林君の号令で皆が一斉に準備に取り掛かる。
隣に座っていた美恵も「またね」って微笑むと、川海さんに連れられて教室からどこかへと行ってしまった。
「ほんじゃ、奏音も準備するか」
「ひよりが準備した衣装があるから、奏音君はトイレで着替えちゃおっか」
「新郎がトイレで着替えるって、多分世界初だよな」
園田君たちと笑いながらトイレへと向かい、純白のタキシードに袖を通す。
文化祭の時にサイズは伝えてあったから、袖口も襟首もバッチリだ。
「そういえば、これのレンタル料金っていくらだったの?」
「いくらか知らねぇけど、奏音が出す必要はねぇぞ」
「そ、今回の衣装費用は有志によるカンパだからね。美恵さんがそれだけ人気者だったって思ってくれれば、それでいいよ」
「いや、そういう訳には」
お金のことだ、そこはちゃんとしないと……って思ってたんだけど。
山林君が腕組みして、若干僕を睨みながら語る。
「……だから、彼女を泣かすんじゃないよ? 今日の奏音君見てると、まるで自分が世界で一番不幸なんだって言ってるみたいでさ。今のままで美恵さんを笑顔で送り出せると思っているの? 何のために談話室を教えてあげたと思ってるのさ」
「……山林君」
「君が決めたんだから、君はそんな顔をしちゃダメだ。少なくとも、美恵さんの前じゃね」
痛いことを言ってくれる。
でも、確かに山林君の言う通りだ。
誰よりも悲しいのは美恵なのに、僕が悲しんでちゃ意味がない。
「……ありがとう」
「それと、僕は山林君じゃなくて、千次郎でいいって、前に言ったよね?」
「……そうだったね。千次郎」
「ん、美恵さんの最後なんだ、胸を張ってね」
くっそ、想像以上にカッコいいじゃないか。
ひよりさんもイイ男を見つけたもんだな、千次郎、ヤバイくらいにカッコいいぞ。
「千次郎、談話室って、なんだ?」
「……健斗君には内緒にしておくよ」
「は? 俺だけ仲間外れか? おい奏音、談話室っていったい何なんだよ!?」
今日だけは使わさせてもらったけど、明日からは千次郎が使うんだろうからね。
園田君……いや、健斗には内緒にしておいた方が、きっと無難だろうさ。
「教室の準備出来たって。奏音君」
「……うん、行こうか」
LHR、他のクラスは自習だったり、先生監督の学級委員会だったりするこの時間。
僕達のクラスだけは、文化祭の延長の様な、僅かながらの装飾された教室へと早変わりしていた。
後ろに積まれた机に、真ん中を開け、左右に正面を向くように置かれた椅子。
教会のチャペルを意識した間取りは、もはや感動すら覚える。
カーテンも天幕みたいに飾られ、黒板には黄金の金や沢山の花々が描かれていた。
高校生の僕達で出来る最善の努力、その集大成みたいなこの教室で、僕は一人佇む。
――似合ってるぞ奏音!
――奏音君、かっこいい!
――リラックス! リラックスだぞ!
クラスメイトが笑顔で声掛けしてくれる。
本当の結婚式になったら、絶対に全員呼ぼう。
きっとこのクラスの皆なら、数年後の未来でも同じように祝ってくれるだろうから。
「奏音、一枚撮るぞ」
「うん」
「……OK、こんな感じだけど、どこか直したい所あるか?」
最新式のカメラは、その場で確認が出来て本当に凄い。
タキシード姿の僕を見ると、正直ちょっと恥ずかしいけど。
「大丈夫」
「うし、奏音と高橋さんの晴れ舞台、バッチリ残してやるからな」
――花嫁がいる!
――きゃー! 綺麗!
――どこのクラス!?
――なになに⁉ 撮影!?
多分、数人の女子生徒と共に、花嫁衣裳のまま廊下を美恵が歩いてるんだろうね。
他のクラスから様々な声が聞こえてきて、美恵が顔を真っ赤にしてるのが想像できる。
「お、来たな! じゃあ奏音は後ろ向いて!」
「え、なんで」
「目の前に来たら合図してやっからよ!」
普通、新郎が新婦を出迎えるんじゃないのかな。
しょうがない、後ろを向いて一人掲示板を眺めるか。
――きゃああああああああああぁ!
――美恵! 綺麗ーーーーー!
――結婚おめでとうーーーーー!
――かわいいいいいいいいいいいいい!
――きゃあああああぁ! すっご! いいなあーー!
教室に入ってきた瞬間、一斉に皆が叫び出す。
他のクラスが既ににぎわっていたけど、多分その比じゃない。
そっと横を見ると、廊下には他クラスの生徒に加えて、先生たちの姿もあるじゃないか。
でも、それを校長先生が必死に宥めているのも見える。
美恵がオリンピック強化選手じゃなかったら、速攻で中止だったろうな。
それを思うと、ふっと口元が緩んだ。
「奏音君」
美恵の声、それを耳にして、僕はようやく振り返ることが出来た。
「……私、綺麗、かな?」
思わず、息を飲んだ。
純白のドレスは、僕の想像を遥かに超えていた。
肩から胸元に大胆に開けたドレスは、腰の辺りできゅっとしぼみ、そこからふんわりとスカートが広がっていて。スカートには花柄が刺繍され、後ろには大きなリボンが腰の所にあって……もう、何もかもが綺麗で、可愛くて、語彙力が消滅してしまうくらいに綺麗だった。
「……美恵」
「うん」
「結婚しよう」
「え? う、うん」
思わず口走ってしまった、そして承諾されてしまった。
もう、これが本当の結婚式でもいいんじゃないのかな?
これから市役所に婚姻届けを出しに行ってもいいんじゃないのかな?
あ、ダメか、僕まだ十六歳だ。くそ、法律なんか無視したいくらいだ。
「奏音君」
「……あ、そっか」
このままどこかに行こうかと思ってしまった。
違う違う、あまりにも美恵が綺麗で、頭がどこかに吹っ飛んでしまったみたいだ。
彼女の手を取り、二人で正面を向く。
そして僕はもう一度驚くんだ。
「……え、国見さん?」
国見さんが教壇……いや、祭壇か? そこに黒い衣装で立っているじゃないか。
「(私が今日までって聞いてね、わざわざ海外から戻って来てくれたんだって)」
「(そうなんだ、でも、なんで神父役を?)」
「(それは、ちょっと分かんない)」
小声で教えてくれたけど……美恵も知らないのか。
国見さん、日本に戻ってきてるなら連絡くれればいいのに。
というか、国見さん的に見て、これってどういう状況? って感じなんじゃ。
「新郎新婦、前へ」
ともあれ、進行役の千次郎の合図で、二人ゆっくりと前へと進んでいく。
本当なら、中央に赤い絨毯があるんだろうけど。
今日は教室だから、そんなものはない。
その代わりに、周囲をクラスメイトが見守っていてくれて。
僕達はその中を、二人ゆっくりと歩を進めた。
BGMも何もない、ただただ静かな空間……だけど、幸せいっぱいの空間。
赤いテープが貼られた場所まで行くと、僕達は顔を上げた。
「……国見さん」
「二人とも久しぶり、驚いた?」
「……うん」
「ふふっ、その顔が見れただけでも、来たかいがあったかな」
黒い背の高い帽子をかぶった国見さんは、コホンっと咳払い一つ。
「では……新郎、空渡奏音さん。あなたは新婦、高橋美恵さんを妻とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り心を尽くすことを…………」
……? なんで、言葉を止めたんだ?
手にしたノートは、ひよりさんが用意した誓いの言葉のカンペだ。
それをそのまま読めばいいだけなのに。
止まってしまった彼女を見て、僕達は目を合わせる。
数秒後、もう一度咳ばらいをした彼女は、誓いの言葉を繰り返す。
「その命のある限り心を尽くすことを、
言い終わった後、国見さんはするどい視線を僕へと向けた。
クラスが一瞬ざわつく。
普通そこは、神に誓いますか? だと思う。
でも、国見さんは自分に誓えと言っている。
神様なんていう抽象的な存在ではなく、かつてエナとして僕達と共に時間を過ごした、自分に誓えと。
これは、国見さん自身の誓いの言葉なのかもしれない。
まだ、ほのかに残る恋心へと見切りをつける為の、彼女なりのやり方。
あの件以降、美恵と国見さんは仲が良かったけど、僕とは一切の会話をしていない。
それらが意図的にしていなかったのだとしたら、もしかしたら彼女はまだ――――。
美恵とつないだ手に僅かな力を込めて、僕は目を逸らさずに誓約の言葉を返した。
「誓います」
クラスメイトが、廊下にいた他クラスの生徒達が一斉にどよめく。
だけど、僕達にはこれが何よりも重い、一番大事な誓約なんだ。
国見さんは僕の言葉に対して瞼を閉じてゆっくりと頷き、その視線を美恵へと移した。
「新婦、高橋美恵さん。あなたは新郎、空渡奏音さんを夫とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、死がふたりを分かつまで命の続く限り、これを愛し、敬い、貞操を守ることを、私に誓いますか?」
「……誓います」
美恵も国見さんに誓約の言葉を返すと、国見さんはにっこりと微笑んだ。
手にしていたノートをパタンと閉じて、目を伏せながら最後の言葉を口にする。
「では、誓いのキスを」
美恵の顔にかけられた薄いベールを捲り上げると、以前の時とはまた違う。
恥じらいながらも笑顔を浮かべた美恵が、僕の眼に飛び込んできた。
教室が静まり返る。
それまでどよめいていた廊下も、何もかもが静寂に包まれ、そして。
「……愛してるよ、美恵」
「うん、私も……」
誰にも聞こえないように囁き合った後、僕達は唇を重ねた。
――うおおおおおおおおおおおおおおぉ!!!!
――おめでとおおおおおおおおおおおおぉぉ!
――きゃあああぁ!! すごーーーーい!!!
――結婚おめでとおーーー!
――え、これマジ⁉ マジで結婚したの⁉
――きゃああああああぁぁ!!!
――すごーーーい!!
教室で、学校中の先生と生徒に見守られながらのキスは、正直ちょっと恥ずかしかった。
でも、それ以上に嬉しくて、そして、喜びに包まれたものになってくれたんだ。
黄金の金が鳴り響く代わりに、LHRの終わりを知らせるチャイムが鳴り響いたのには、ちょっと苦笑しちゃったけど。
それでも、僕達は間違いなく幸せだったんだ。
この愛が未来永劫、変わらないモノだと信じて。
――――
「もう、行っちゃうんだ?」
「ええ、役目は果たしたと思うしね。そうそう、二人にこれ渡しておくわ」
結婚式が終わったあと、着替えた僕達は正門に向かっていた国見さんを呼び留める。
どうやら、本当に帰国できたのは僅かな時間だけだったみたいだ。
「名刺……? ENAって書いてあるけど」
「芸名、もうその名前は空いてるんでしょ?」
美恵がエナを名乗ったのは僅かな時だったけど。
空いていると言えば、空いている。
「今度CMやる事になってね……と言ってもテレビじゃなくてネットコマーシャルの方だけど。そこでイメージソングを歌うことになったの。そこまで来ると、やっぱり本名じゃダメだって斎藤さんに言われてね、だったら使おうかなって」
「うわぁ、凄い、撮影とかどこでするの?」
「オーストラリアのシドニー、タスマニアにも行く予定なんだ」
そんな場所で撮影するんだ……よく綺麗な砂浜でのPV撮影とかあるもんな。
てっきり合成かと思ってたけど、国見さんの顧客ならあり得そうだ。
「え! 私も海外遠征でシドニー行くよ! いつ行くの⁉」
「十二月十日に行って、しばらく滞在する予定だけど……嘘、みえぽんもシドニー来るの?」
「だって、金メダル獲った選手がタスマニア出身でね、シドニーで教えて貰えるって……嘘、すっごいね! 奇跡だ! 予定ではね、来週からは引っ越しして直ぐに遠征に行く予定なんだけど――」
……嘘だろ、二人ともシドニー行くの?
え、そこに僕も行けば三人一緒になれるんじゃ。
「という訳で、私達はどうやらしばらく一緒に行動出来そうだね」
「あはは、予想外過ぎて驚いちゃった」
「ふふっ……奏音君、早く頑張らないと置いてかれちゃうよ?」
いつの間に抜かれてたのかな。
二人とも前に進んでるんだ、僕が立ち止まる訳にはいかない。
「大丈夫、すぐに追いついてみせるよ」
「……期待、してるからね」
「僕を誰だと思っているのさ……美恵」
気付けば、国見さんの迎えの車だけじゃなく、美恵のご両親の姿もあるじゃないか。
僕達三人のお別れの時が、ついに訪れる。
でも、それは単なるお別れじゃない。
「奏音君」
「……またな」
「……うん、またね」
僕達はもう、完全に心で繋がってるんだ。
だからもう、何があっても大丈夫。
ずっと、大丈夫だから。
――
「頑張ったじゃん」
「煤原先輩」
二人を乗せた車は、もう既に見えなくなってしまった。
それでも僕は一人、まだ二人がいるような気がして、校門から離れることが出来ずにいる。
楽しかったんだ、この一週間。
ううん、高校生活が始まってから、今日までずっと。
当たり前のように美恵がいて、国見さんがいて。
二人と一緒に過ごしてきた時間の全てが、楽しかったんだ。
「男の子でもさ、泣いてもいいんだよ」
「……すい、ません」
「いいよ、相棒なんだからさ」
「すい、まぜん……」
寂しくない訳がない。
どうあがいても悲しい。
でも、それが僕達の選んだ道だから。
ずっと愛してる、どんなに離れても、どれだけ時間が経っても。
でも、今だけは。
今だけは、別れを悲しまさせてください。
――お知らせ――
なんと、まだちょっとだけ続きます。
エピローグを書いたのですが、嫁に「これじゃダメ」と言われましたので、書き直し中です。
近況報告にヒロインたちの絵を載せてありますので、良ければ見て行って下さい。
ではまた明日……!
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