四週目――火曜日――

――――火曜日


 オリンピック強化選手の我儘は、どうやら先生にも通用するらしい。

 教室の席を勝手に変えたことも許されたのには、本当に驚いた。


「愛野ちゃんとも一緒に過ごせたら良かったのにね」

「国見さん、今は撮影で海外に行ってるからね」

「海外かぁ、凄いな」

「美恵だって行くんでしょ?」

「行くけどさ、愛野ちゃんは既に成し遂げてる感じがするじゃない? 私は遠征だもん」


 最近の二人は本当に仲が良かった、聞けば、僕のことについても二人で相談してたのだとか。

 国見さんのことを考えると、正直胸が痛む。

 僕達が仲良さそうにしている所を見られないで済むのは、逆に良かったのかも。


「負けないようにしないとね。奏音君がインタビューしに来てくれるんでしょ?」

「当然、今の内に水泳マニアって呼ばれるくらい調べておかないとかな」

「知識がないとインタビュー出来ないもんね。では問題です、私の夏総体のタイムは?」

「…………二、分?」

「ダメだなぁ、二分一秒一一、一位が二分〇秒〇八だから、まだ一秒も差があるんだよね」


 その一秒の差って、多分僕の想像の数倍大きい差なんだろうな。

 

「ちなみに、金メダルって何分なの?」

「一分台だよ。一分五十三秒五〇、二十歳の海外の選手だよ」


 美恵との差が八秒!? 高校総体ぐらいじゃどうにもならないくらい差があるんだな。

 そんなに差があるのか……え、美恵が挑む世界って、そういう世界なの?


「……凄いな」

「うん、凄い。憧れちゃうよね」

「……でも、負ける気がしないって感じだね」

「当然、だってまだ私、伸びしろしかないから」


 目が輝いてる、本当に楽しいんだろうな。

 八秒の壁か、随分と厚い壁に感じるけど、美恵ならいけるかも。


「あ、いけない、お昼なのに、いつまで会話してるのって感じだよね」

「楽しそうにしてるから、別にいいかなって」

「ダメだよ、せっかく早起きして作ってきたんだから」

「作った? 作ってきてくれたの?」

「うふふっ、やりたいことリストその六、だよ」


 やりたいことリスト、一回見てみたい。どこまで書いてあるのかな。

 よいしょって言葉と共に出されたのは、よくある二段重ねのお弁当箱。


「とはいえ、奏音君ってそんなに食べないでしょ?」

「まぁ、一応、身体作ってるからね」

「だから、これの上が私で、下が奏音君ね」


 二人仲良く半分こ、手のひらサイズの一段のみ。

 確かにこれくらいなら食べても太らないかも。 

 

「開けてもいい?」

「いいよぉ、その為に作ったんだから」

「じゃ、じゃあ、開けるよ」


 正直、あまり期待はしてなかった。 

 美恵って積極的ではあるものの、家庭的とは言えない所があったりしたから。

 宿題やってこなかったり、忘れ物あったり。


「……あ、可愛い。海苔で作ったネコみたいなおにぎりだね」

「サッカーボール、だったんだけどね」 

「え? サッカーボール? ……あ、うん、そうだね。お、タコさんウィンナーだ」

「切れ目が深すぎて、タコになったウィンナーが正解、かな」


 確かに、斜めにザク切りになっただけだ。


「あ、凄い、結構辛いんだね」

「味付けは塩コショウだけなんだけどね、その、濃い方がいいかなって」

「……う、うん、美味しいよ」

「ほんと?」

「うん、大丈夫。卵焼きは――――」 

「目玉焼きを作ろうとしてね、間違えて混ぜちゃったから、厚焼きにしたの」


 口の中にガリッとした何かがある。 

 多分、殻だ。そうか、なるほどね、そうかそうか。


 白米は美味しかったな、多分お母さんが炊いたんだろうね。

 お母さん、娘さんのお弁当作りには是非とも協力して頂きたい。

 独り立ちにはまだちょっと早い様子です。


「ありがとう、美味しかった」

「えへへ、本当? じゃあ明日も私が」

「いや、僕が作る」

「え」

「美恵は昨日も朝から家に来てくれたし、今日はこうやってお弁当を作ってきてくれたでしょ。してもらってばっかりじゃ悪いから、明日と明後日は僕が作ってあげるからね」

「奏音君……ありがと、大好き」

「いいよ、僕も愛してる。ちょっとトイレ行ってくるね」

 

 しかし驚いたな、まさかこれ程までとは。

 大人になって一緒に住むようになるまでに、僕が料理の勉強をしておこう。 

 和洋中、全ての料理の基礎くらいは作れるようになっておかないと、子供たちが心配だ。


「空渡君、ちょっといいかな?」

「山林君……それに園田君も、どうしたの?」


 決意新たに洗面所で口の中の掃除をしているところに声を掛けられる。

 園田君と山林君って、結構珍しい組み合わせだな、なんだろ。


「実は、クラスの皆で話し合っててね。高橋さんの卒業式をやらないかってなってるんだけど」


 美恵の卒業式? ……確かに、全然アリだ。

 あと三日で美恵の栗宮高校での学校生活は終わる。

 そんな美恵を思えば、卒業式をやらないなんて選択肢はどこにも見当たらない。


「……やろう、何をすればいい?」

「実は、寄せ書きはもう埋まってるんだ。あとは花束の準備と催し物くらいかなって」

「撮影は俺がするからよ。集合写真は当日撮影するとして、後は卒業アルバム的なものを当日までに作成しないといけないんだけどよ。奏音、何かいい写真持ってねぇのか?」

「写真って言われると、全然ないんだよね。プールに行った時とか、写真撮影しておけば良かったんだけど……花火大会も一緒に行ったのにな、思えば、何で撮影してなかったんだろ」


 こうして思い返してみると、なんとも勿体ない事をしたもんだ。

 思い出に浸る、なんてこと、想像もしてなかったもんな。


「あと、催し物について……これは高橋さんの承諾も必要になるんだけど」

「……うん?」

「川海さん、文化祭の時に衣装レンタルしてたの、覚えてる?」

「覚えてるけど……それが?」

「その中にね、あるんだよ。花嫁衣裳が」


 何が言いたいのか、全部理解した。

 

「そのこと、美恵には」

「多分、今頃川海さんたちが伝えてると思う。二人一緒の時に聞いても良かったんだけど、そこまでかどうかは、やっぱり個人的に聞かないと分からないだろうし」


 無駄に気が利く奴等だな、本当に。

 

「あ、今メッセージが入った……OKだって、ということは」

「決まってるだろ、絶対にやる」

「分かった、じゃあ当日の流れを組まないとだね」


 あと二日しかない、今日を入れてももうほんのわずかだ。

 美恵の最後の一日を笑顔で埋め尽くしてあげるんだ……その為なら、惜しむものは何もない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る