四週目――月曜日――
幸せな時間だった、一秒でも離れるのが苦痛なくらいに幸せだったんだ。
家に帰るだけなのに悲しいって、どれだけだよって二人して思わず笑ってしまう。
でも、恋人ってそういうものなんだね。僕も初めて知った。
ロミオとジュリエットの気持ちが、今ならより鮮明に理解できる。
……もちろん、その悲しみも。
土日は会えないのか聞いたけど、挨拶回りで時間が作れないらしい。
オリンピック強化選手に加えて転校、更には引っ越しだから、やる事は山盛りなんだろうな。
手伝いたいって伝えたけど、僕に出来ることは何もないんだとか。
そもそも、土日は僕も撮影がある。
そんな暇は最初から無かったって事でもあるんだけどさ。
「はいお疲れ様、奏音君も七夕さんも、今日も可愛くてかっこいいね!」
「田中さん、ありがとう」
僕達の専属マネージャーの田中さん、奇しくも名前は美恵だ。
とてもじゃないが名前では呼べない、絶対に彼女が頭にちらついてしまう。
「あははー、美恵っち差し入れありがとー! そらっちは飲まないの? 厳選特別ヨーグルトだって書いてあるよ?」
「僕はいい、プロテインにしてるから」
「お、肉体改造部は違うねぇ! そんじゃ、残りは茉莉と雛にあげよかな」
「スタッフさんにも配ったら?」
「にひひー、私がしないと思う?」
誰よりも気配り上手な煤原先輩は、撮影現場でも人気者だ。
撮影前に必ず全員に挨拶して、撮影後も全員に挨拶して回る。
色々な機材も気になるみたいで、誰のどんな話でも興味津々なのだから、自然と人気が出てくるのも納得だ。彼女のそんな所が読者にまで届くには、やっぱり時間が必要なんだろうね。まだモデルやり始めて一か月弱、認知度で言ったらまだまだも良い所だ。
「モデルさんでもクールな人とかいてね、絶対に挨拶しない人とかいるんですよ? 良かったわ、私の担当が君たち二人で」
「愛嬌って大事だと思うんですけどねー!」
「愛嬌か……そういえば煤原先輩、国見さんの記事、出てましたよ」
「お、愛野ちゃんの記事!? 読む読む!」
国見愛野と煤原七夕、どちらを選ぶのか……この選択があってから既に一か月。
国見さんのソロ活動は、僕達の予想を遥かに大きく超えていた。
ネットショッピングの顔、今ではスマホを起動すれば国見さんの顔が出てくる。
「うはー、愛野ちゃんスゲー! Eコマースっていうんだっけ? これの担当って最強なんじゃないの? 着てる洋服の種類も何着あるのこれ、凄くない?」
「その分、撮影の時間も大変よ? 雑誌と違って頻繁に入れ替わったりするから、学校に全然いけてないでしょ?」
「それでもいいよぉ、私だってもっと売れたいの! 田中さん、営業ガンバ!」
「はいはい、言われなくても大丈夫よ。この後もずーっとスケジュール埋まってるからね」
「うきゃー! やったー!」
そう、僕達のスケジュールは年末どころか来年まで埋まっている。
長いと思われた二年も、意外とあっさりと過ぎてしまうのかもしれないね。
「あ、でも田中さん」
「分かってる。でも、マスコミにだけは注意してね」
「……ありがとうございます」
どんなに忙しくても、来週一週間だけは空白にしておいて欲しい。
彼女との最後の一週間は、誰にも邪魔されたくないから。
――――月曜日
「おはよう、奏音君」
「……美恵?」
「来ちゃった」
目が覚めると、そこには天使様がいた。
いやいやいや、今何時? え、ここ僕の部屋だよな?
来ちゃった? 来ちゃったって、え?
「私がこの街にいられるの、あと一週間しかないから。だから、出来ることは全部しようかなって」
「……それが、これ?」
「うん。彼氏を起こすのとか、やってみたかったの」
彼氏って響きに、思わずにんまり。
いやいや、そうじゃないよ、僕まだ洗顔も何もしてないのに。
「ほら、おはようのチューは?」
「いや、まだ、歯磨きもしてないけど」
「いいの、ほら」
こんなに積極的だったのか、でも、悪い気はしない。
寝起きで臭いが絶対に伝わらないように、口を真一文字に閉じてキスをする。
してたのに。
「
「
なんなんだ朝からこの攻防戦は。
キスでバトルとか、聞いたこともないよ。
「もう! なんで口開けないの!」
「だって口臭とか気になるし!」
「好きな人の匂いなら、どんなのでも気にならないんだよ!」
言いながら、美恵が僕の口周辺でくんくんしてる。
本当かな、匂いの相性って結構重要だって聞いたことあるけど。
「……その顔」
「ダイジョウブダカラ」
「いま、絶対臭いって思ったでしょ!?」
「思ってなーい! 大丈夫なの!」
いいや違うね、絶対に臭いって思ってた顔だ! だから朝一番の口の臭いとか嗅がせたくなかったんだよ! 一秒でも早く歯磨きしないと、それとモンダヨンで口の中磨き上げないとだ!
「ダメ、どこにも行かせないから」
「いやいや、歯磨きくらいさせて」
「……ふふふっ、奏音君、ぽかぽかだ」
「そりゃ、起きたてだからね」
「起きたてぽかぽか、えーい」
もぞもぞしてた美恵は、そのまま僕のベッドに片膝を乗せて、ぎゅーって抱き着いてきた。
いや、抱き倒してきたが正解か、僕の身体がまたベッドに戻ってしまったのだから。
「倒れてどうするのさ……」
「やりたいこと、その二」
「その二?」
「一緒にお布団入るの」
にひひって顔でピースサインしたかと思えば、脇で丸くなってた毛布を掛け直してる。
「美恵、制服シワが付いちゃうよ」
「いいの、どうせあと一週間も着ないんだから」
「そうかもだけど……」
「ほら、腕枕してくれないの?」
「……はいはい」
右腕を伸ばすと、子犬みたいに頭を乗せてきた。
厳密にいうと首の辺りかな、美恵の顔がちょうど目の前に来る感じ。
目を閉じて、それまでが嘘みたいに静かになる。
どうしようかとも思ったけど、僕的にも初体験だから、悪くはない……かな。
軽く唇を重ねて二人で微笑んだあと、静かに目を閉じる。
数十分後、二人して本当に寝付いてしまって、母さんに叩き起こされたのは内緒だ。
――
「そんで、二人で通学してきたのか?」
「そういうこと」
園田君がやや呆れた顔をしている。
二人で手をつないで通学してくれば、そんな顔にもなるかな。
「高橋さんの自転車は?」
「僕の家にあるよ。だから今日は二人で帰って、僕も自転車に乗って彼女の家まで行く予定」
ちなみに朝は美恵と二人、バスでの通学になった。
バス通学にも憧れてたし、二人で乗るのにも憧れてたのだとか。
二人席に座れなかったのが残念って言ってたけど、朝の通勤通学バスは絶対に座れない。
車庫発の人たちでほとんど席が埋まってるから、これまで座れた試しがないよ。
「帰りは絶対に二人席に座ろうね」
「おわ、高橋さん、って、机持ってどうしたの?」
「川海さんにお願いしてね、奏音君の隣にしてもらったの」
行動力が、凄すぎる。
川海さんも「山林君の横に行けるから嬉しい!」って顔してるけどさ。
「いやいや……」
「だって、微妙に遠かったんだもん」
「そりゃそうだけどよ。っていうか、確認させてもらってもいいか?」
「うん?」
「二人、付き合ってるの?」
そういえば、クラスメイトに公開はしていなかったっけ。
女子の方はこの土日で、なんとなしに広まったみたいだけど。
結構みんな気になってたのか、教室内が一瞬静まり返る。
「……えへ」
「いや、そこは返事ごまかすんかい!」
「だって、なんか付き合ってるとか言うの恥ずかしくない? ねぇ、奏音君」
「いや別に」
「ほらね、奏音君だって恥ずかしいってさ」
「いやいや、別にって言ってなかったか? まぁ察したわ。おめでとさん」
ありがとー! って園田君の手を握って美恵が喜んでる。
……なんだろう、嫉妬なんかしちゃいけないのに、その手が憎い。
「おう、じゃあよ、面と向かってお願いしてもいいか?」
「……何を?」
「高橋さんの友達を俺に紹介してくれ!」
パンッって両手を合わせて、まるで神頼みみたいにしてる。
そういえばそんな約束あったな……何が最初だったっけ? もう覚えてないな。
「だって、美恵、どうする?」
「えー? どうしよっかなー?」
「色々してやった仲じゃねぇか、頼む!」
「うふふっ、っていうか、園田君って結構人気者だよ?」
へ? 園田君が人気者? 絶賛僕の人気者ではあるけど、女子からも?
「根っこが真面目だしさ、正直者なのに隠し事は絶対に守り通してくれてるでしょ? 顔広いし愛嬌もいいし、現れないだけで園田君のこと好きな女の子って、結構沢山いると思うよ?」
「いや、現れて欲しいんだけどよ? そんな遠慮なんかいらねぇんだけどよ?」
「がっつく態度取ってたらダメじゃないかなぁ? ねぇ、樋口さん」
急に話題をふられた樋口さん。
私!? って感じで自分を指差しして、ぶんぶん顔を振って拒否してるぞ。
「あはは、ダメだよ、園田君は私の玩具だから」
「あ、煤原先輩、おはようございます」
「ん、おはよ。なーに? ようやく素直になった感じ?」
相も変わらず園田君の背後から覆いかぶさるようにして、煤原先輩が僕達を見る。
そしていつも通り園田君の顔がにやけるんだ。彼女が出来る日は、まだまだ先かな。
「はい、ようやくです。私の彼氏、相方として宜しくお願いしますね」
「はいはい任されました。でもそらっち、自分でスキャンダルどうこう言ってる割には、随分と大胆じゃないの」
「……一週間だけだからね」
「一週間だけ? どういうこと?」
「美恵、転校するから」
一週間したら、美恵はこの学校からいなくなってしまう。
だから、こんな幸せもあと一週間……いや、あと四日だけだ。
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