三週目

 わかった、そう返事を書いたものの、僕の中ではまだ何も決断出来てはいない。

 残された時間は少ないのに、相も変わらず教室では僕達は無口なままだ。


 会話の一つすら出来ていない。

 有意義に過ごすためにも一秒でも早く答えを出して、エナとの時間を楽しめればいいのに。


 なのにまだ、僕は迷い続けているんだ。



――――月曜日。


  

 樋口さんから聞いた内容は、どうやら本当らしい。

 エナの将来を考えたら、間違いなく編入の一択だ。


 金メダルなんて獲れる方が間違ってる、ハッキリ言って奇跡に等しい。 

 結果を残せなかった選手がどうなってしまったのかなんて、調べればすぐに出てくる。


 一般社会に馴染めず落ちぶれていく人だっている。

 エナはプライドの高い人だから、そんな姿は決して人には見せないだろうけど。

 ダメだった時の方が確率的に高いんだ、そっちを考えて行動するのが間違いなく正しい。

 正しいんだけど……その場合、彼女はこの学校からいなくなってしまう。


「……僕は、なんて言えばいいんだろう」


 今だって離れてる様なものだけど、それでも近くにはいるんだ。

 手の届く場所で見ていられるのと、全然いなくなるのとでは、やっぱり違う。


 エナから届いたメッセージには、いつものフレーズだけが残されていた。

 LIMEで届いたのだから、間違いなくエナからだ。樋口さんの時とは違う。


 側にいて欲しいと願うことは、間違いなのかな。

 そもそも僕達は恋人じゃない、引き留める権利すらないのかもしれない。


 だけど、エナは僕と二人きりで会ってくれるんだ。

 決断を出さないといけないのは、きっと僕だ。



――――金曜日



 翌日が休みの今日は、クラスメイトの引けが随分と早い。

 もしかしたら僕達の為に裏で誰かが動いたのかもしれない、そんな気がする。

 

 HRが終わるなりものの数分で生徒のほとんどが退室し、僕と彼女だけが教室に残った。

 今この時になってまで、僕はまだ悩み続けている。 

 

 樋口さんから話を聞いた後、僕は強化選手、そして編入先の学校についても調べつくした。

 調べれば調べるほど、絶望が圧し掛かってくる。 


 編入先は関西の高校、関東圏の僕が簡単に行ける場所じゃない。

 しかも頻繁に海外遠征もあるとまで書かれている。


 距離だけがどんどん遠くなっていく……手厚すぎるだろ、なんなんだよこの学校。

 国内でも数えるほどの人間しか入学出来ない、レベルが段違いすぎる。


「……みんな、いなくなるの早いね」


 黙ったまま動かないでいると、痺れを切らしたのかエナの方から話しかけてきてしまった。 

 僕の頭の中はまだ何も決まっていない、いや、半分以上決まっている。

 でも、言葉にしてはいけない、絶対に僕の我儘わがままだって分かるから。

 

「教室で話するのも久しぶりだね。前、いいかな」


 手の届く距離にいる彼女を、見ることが出来なかった。

 無言のまま俯いていると、返答を待たずして彼女が席に座る。


「いっぱい悩んでる感じだね」

「……そりゃ、悩むよ」

「全部、樋口さんから聞いたんでしょ?」

「聞いた、自分でも調べた」

「……私もね、悩んでるんだ」


 エナの言葉のトーンが下がった感じがして、ようやく僕も顔を上げる。

 眼鏡は外していない、つけたままだ。


 二学期の初めに耳がちょっと隠れるほどのショートカットにしたエナは、長かった時とは違い、綺麗にととのった輪郭に、形のいい耳、すっと伸びた首筋がこれまでよりも露わになっていて……なんていうか、とっても大人に見える感じがした。


 以前斎藤さんが言っていた、失恋は人を強くすると。

 もしかしたら、エナも僕との失恋を経て、強く、綺麗になったのかもしれない。

 そんな彼女を見た後に、またちょっとだけ首をたれる。

 

「このままこの高校にいても、長期合宿も海外遠征も行けるんだよ。別に無理する必要なんてない。もしかしたら、何もしなくとも最善の結果が得られるのかもしれない。……でもね、私はそれで一回失敗してる。ううん、それが原因かも分からないけど、原因だと考えてしまう私がいるの。そんな自分が本当に嫌いだった。結果が出せなかったのも、それを選択したのも、全部自分だって分かってるのにね」


「……」 


「最近は、体育館で空渡君に宣言したことを、ちょっと後悔してる。あんな意地っ張りなことを言わずに、素直に告白を受け入れた方が幸せだったんじゃなかったのかなって。そう考えたらね……答え、出せなくなっちゃったんだ。あんな事を言ったんだから、何もかも無視して編入すべきなんだって頭で分かってる。また後悔するのかって、また責任を他の人に押しやるのかって、分かってるんだけどね――――」


 エナの声が、だんだんと震え始める。

 

「――――空渡君の存在が、思っていた以上に大きかったの。とっても大きくなっちゃってたの。何をしてても、どんなに冷たい態度を取ったとしても、貴方は私を想い続けてくれてるって、分かるから。分かっちゃうから、そうしたらね、私、結果と空渡君、どっちなのかって、全然、決められなくて」


 流れ星のように落ちる涙、イヤと言う程に伝わってくる彼女の本心。

 迷い、決められない、その意味。


 ぼろぼろと零れ落ちる涙がついには両手で押さえきれなくなり、指の隙間から零れ落ちる雫の一滴一滴に込められた想いを、僕は両拳を握り締めながら理解する。


 ――エナの想いが嬉しかった。

 ――僕の側から離れないで欲しい。

 ――一緒にいた方が、絶対に幸せだから。


 幾つもの言葉を彼女の涙が落ちるたびに妄想し、そして雫と共に砕かれる。

 幸せにしたい、エナがいない人生なんて考えたくもない。

 僕の見知らぬ土地でもし君が死んでしまったらと妄想するだけで、息が苦しくなる。


 二年、その二年でどれだけの想い出を作る事ができ、どれだけの幸せを作る事が出来るのか。

 今更だよ、ホントに今更だ。

 なんでもっとこんな大きなバカみたいな感情に気づく事が出来なかったのか。

 いなくなるなんて耐えられない、でも、不幸になることなんてもっと耐えられないんだ。


 ――幸せにしたい。

 ――誰よりも、世界中の誰よりも、君一人を幸せにしてみせる。


 だから、だから、僕はこの選択をしなければならないんだ。


「ありがとう」

「……奏音君」


 僕のことを想っていてくれて。

 好きになってくれて。

 今もこうして思い悩んでくれて。


 言葉と共に彼女の手を握り引き寄せ立ち上がると、力ないままにエナは僕の胸の中に包まれる様に、その身を僕へと預けた。あの日の化粧水の香り、感じられる体温、細くて抱き締めたら壊れてしまいそうな彼女を、僕は優しく、それでも力強く抱き締めた。


 温かくて、側にいるだけで安心する。

 前世からの付き合いがあったんじゃないのかなってぐらいに、心が温かくなるんだ。


 運命の赤い糸がもしあるのなら、きっと今頃僕達を包み込んでいる。 

 二度と離れないように、何重にも何重にも巻かれているに違いない。


「美恵」


 これまで呼んだことのない彼女の名前。

 美しさに恵まれた彼女の名を呼ぶと、胸の中にいた美恵が可愛い素顔を見せてくれた。

 涙で瞳が潤み、宝石みたいに見える……世界で一番綺麗、そう、感じれる程に。


「どこにも行ってほしくない」

「……うん」

「僕の側にずっといて欲しい、誰よりも幸せにしてみせる」

「……うん」

「そう、考えてたんだ」


 大好きだから、愛してるから。

 だから、送り出さないといけないんだ。


「行った方がいい、美恵が目指してるものは、そう簡単には手に入れられるものじゃない」

「……」

「夢を追いかける方が、美恵は絶対に幸せになれる。そして、そんな美恵のことを、僕も追いかけ続けるから」


 抱き締めたまま美恵の頭を撫でながら、優しく語り掛ける。

 静かに、なんの反論もせずに、美恵は相槌だけを僕へと伝えてくれた。

 それはまるで、僕に全部決めて欲しいと思い願っている、そう感じ取れてしまう程に。 

 

「モデルとして、美恵にインタビューできるぐらいに成長してみせる。あと二年、有名になって密着取材とかできるぐらいになってみせる。世界一の美恵の側にいるためなら、僕だってどんなこともする、絶対に美恵を諦めない。ずっと側で応援する」


 胸の中にいた美恵が一瞬だけ頭を下げて、そして一歩だけ離れ僕を見る。


「……私、本当に世界一になるよ……?」

「僕だってなってみせる。そうじゃないと美恵に相応しくない」

「……もし、私がダメだったら?」

「その時は僕が慰めてあげる。何時間でも、何日でも、何か月でも、何年でもだ」

「……逆の時だってあるよ?」

「逆はあり得ない、僕を誰だと思っているのさ」

「…………ふふっ、わかった」


 そう返事をすると、彼女は目をつむったまま唇をツンと上げた。

 結婚式でも、キスは誓いのキスと言うらしい。

 二人だけで何かを誓う時、キスという儀式は役目を変える。


 瞳を閉じた美恵の美しさと可愛さに、思わず躊躇してしまった。

 それほどまでに可愛くて、愛おしくて……多分、一生僕は彼女の為に生きるんだと思う。


「――――」


 後頭部に手を回して、包み込むように二人でキスをする。

 火傷しそうなくらいに熱を持った唇は、美恵の優しさのような感じがして。

 離れることも出来なかったし、今だけは離さなくてもいいと思った。

 

 ずっと二人、どんなに遠く離れていても絶対に変わらないって、このキスに誓う。

 胸の前にあった美恵の手が、僕の背中へと回ると、より一層僕達は密着する。

 少しでも距離を縮めたい、一ミリだって離れたくない、極限までゼロに。


 重なっていた唇を外すと、彼女は恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 でも、そんないじらしい美恵も可愛くて、好きだ。


「……愛してる」

「私も……」


 もう一度深く唇を重ねると、もう離れるなんて気持ちにはなれなかった。

 大好きだから、愛してるから……だから、今は別れを選択する。

 例えぼやけた視界の中でも、君だけは見つけ出してみせるから。 







――――お知らせ――――


 シリアス展開、今後一切ありません。

 明日以降も数話続きますが、単なるお惚気で終わるのを覚悟して下さい。

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