四週目――土曜日――

 斎藤さんに指定された場所は、都内某所にある超高層ビル群の一つだった。

 中層階から高層階まで、途中で乗り換えなくてはいけない程のビル。

 

 平日だと何万という人が出入りするであろうビルの入口に、僕の姿があった。

 煤原先輩が同行したがってたけど、二人でわざわざ行く必要はない。

 報告だけなのだから僕一人で十分だ。


『外に出たところに喫茶店があるだろう? そこで待っててくれないか』


 このビルの何階かに、斎藤さんの勤める編集部があるんだろうな。

 契約の時も家まで来てもらってたし、斎藤さんの職場って一度も行ったことがない。

 ちょっと気になるけど……忙しいのに邪魔しちゃ悪いよね。


「待たせたね」

「いえ……土曜日なのにお仕事だったのですか?」

「学生を相手にすることが多いからね、むしろ土日や夜が本番さ」


 聞けば、今もグラビアアイドルとの打ち合わせを行っていたのだとか。

 どんな子か名前を聞いたら、雑誌で見かけるほどのアイドルさんで驚く。


「相手もこれから面談するのが君って聞いて驚いてたよ。時間があえば一度会ってみるといい。もう同じ会社で働く仲間なのだからね。さて、そろそろ本題に入ろうか」


 コーヒーが届くタイミングで、斎藤さんはそれまでとは雰囲気を変えてきた。

 本題、今日のこの返答は、斎藤さんから僕へと与えられた試練のようなものだ。

 膝の上においた手に、力がこもる。


「それで、空渡君は、国見愛野と煤原七夕、どちらと一緒に仕事をするつもりなのかな?」


 二人と一緒に仕事がしたい、これが本来の答えだ。

 でも、それはこの世界では甘えにしか過ぎない、切り捨てるべきは切り捨てる。

 どちらを選んでも正しい選択とは言えないだろう、どちらも正解であり、どちらも不正解だ。


 だけど、僕にはもう迷いはない。

 この人なら推せると、そう感じたのだから。


「煤原七夕さんに決めました」


 この場で口にした以上、取り消すことは出来ない。

 人生の伴侶を決めたかのような覚悟と共に、斎藤さんへと名を告げた。

 なのに。

 

「なるほど、分かった」

「……え、終わり、ですか?」

「ああ、終わりだよ?」

「もっとこう、どうして煤原さんなのか、とか、そういう質問は」


 想像以上に軽い、まるで工場の機械のパーツを入れ替えた報告みたいに軽すぎる。

 自分を売るモデルとはいえ人なんだ、そんな軽く終わらせていいはずがないだろ。


「何もない、なぜなら君の顔に書いてあるからね」

「僕の顔、ですか?」


 届いたコーヒーを一口、ふぅと息を吐いてから、斎藤さんは長い足を組んだ。

 

「僕から出題されたこの一週間、何も行動せずにただ一人で頭を悩ませて出した答えだとしたら、もっと根深く質問したと思う。そして何を言われても君を否定するつもりだった。でも、空渡君は違う。二人に正直に伝え、二人に関して納得の出来るまで話し合いをし、そして結論を出したんだ。その答えに僕がとやかく言う必要はないと判断した……これではダメかな?」


 ダメじゃない、ダメじゃないんだけど。 


「とても、何か言いたそうな顔をしているね。選ばなかった理由、選んだ理由、それを伝えないと国見愛野の未来がなくなる……とでも言いたげだ」

「……当然じゃないですか。彼女だって僕の大切な仲間の一人なんです」

「だが、選ばなかったのも君だ」


 斎藤さんは意地悪だ、何も言い返せない返答ばかりしてくる。

 

「ふっ……分かったよ。ネガティブキャンペーンは不要だ。煤原さんを選んだ理由だけ伺おうか。僕がこのコーヒーを飲み終えるまでの間だけね」


 見れば、カップの既に半分くらいは減っている。

 くそ、こんなことならビッグサイズに何もかもモリモリで頼んでおけば良かった。


 絶対飲まないだろうけど。

 一瞬頭の中を整理して……よし、いくぞ。


「煤原さんは早くにお父さんを亡くしています。病気で亡くなったとお聞きしました。その後、お母さんは悲しみの底に沈み、働きにいくもそれは家族を満足に養えるほどのものではなかったそうです。まだ高校二年の煤原さんですが、彼女には下に二人の妹さんがおります。小学四年生と中学二年生、実際に会ってきましたが、とても可愛らしいお二人でした」


 斎藤さんの表情に変化はない、それはそうだ、身の上を伝えただけだから。


「高校二年生にして彼女は、一家の大黒柱になろうとしています。ですが、モデルを目指したのはお金が目的ではありません。以前斎藤さんが僕に教えてくれました。僕はもう、他の人からしたらあり得ない存在なのだと。彼女もそうなりたくて、諦めていた夢を再度追いかけ始めたんです。自分に残る可能性、既にモデルとしは遅いかもしれないスタートを、彼女は僕というきっかけと共に踏み出したんです」


「……なるほど? それで、決め手は何だったのかな?」

「彼女は人から推される子になれる、そう感じました」

「人から推される子……とは?」


「もしかしたら自分も煤原七夕になれる、そう思わせてくれる可能性を彼女から感じる事が出来るんです。僕は彼女との面談の中で、恥ずかしながら彼女の中に自分を見つけました。女性であるはずの煤原さんなのに、彼女の中には僕がいるんです。多分、これを感じたのは僕だけじゃありません。文化祭でのモデル、その時にも人一倍、老若男女問わず歓声が上がったのは煤原さんでした。皆が皆、彼女を通して自らの可能性を感じたんだと思います。……自分も、ああなりたいと」


 うまく言葉にできただろうか? あの日感じたものは、言語化するには少々厄介だった。

 どうやって伝えればいいか悩み、一人ネットを調べたりして作った文章だったけど。


 斎藤さんは、手にしていたコーヒーをテーブルへと置いた。

 中身はまだ僅かに残っている。


「なるほど、君は煤原七夕の中に類似性の法則があると、そう思っているのかもしれないね」


 類似性の法則?


「感触的にはあっている、だが、僕から言わさせてもらえば惜しいと言ったところか。モデルとは人から認められて初めて成り立つものだ。いくら僕一人が推薦した所で結果が伴わなければ意味がない。そしてその結果を決めるのは読者であり、蓋を開けるまで未知数のものとなる。だが、君が言った通り【誰かの推し】になるには、自分の中の何かと当てはまらなければならないんだ。君も耳にした事があるだろう? 推しに救われた、推しがいるから生きていける。この言葉は元々あった感情を【推し】を通して引き出しから出したに過ぎない。ではなぜ推しなら出せるのか? それはその人から見て【推し】を通して、自分を見ているからなんだ。推しになりたいんじゃない、元々あった自分を見つめ直す存在、それが【誰かの推し】だ」


 斎藤さんの言葉に、ぐっと引き寄せられる自分がいる。

 僕が言いたかった事と確かに似てる、似てるけど非なるものだ。

 憧れる存在は一過性に過ぎない、でも斎藤さんの言う推しは違う、未来永劫残り続けるものだ。

 なぜなら自分自身だから、ふとした瞬間にでも蘇る存在、それが斎藤さんの言う推し。

  

「無論、例外もいる」

「例外ですか?」 

「君だよ、君は類似性の法則も、推しの法則すらも外れている。それをカリスマと呼ぶんだがね。ふふっ、まさか君がここまで考えてくれるとは思いもしなかった。どちらかと言うと消極的な所を感じていたからね、これだけでも問題を出した甲斐があったというものかな」


 そう言うと、斎藤さんはカップに残っていた僅かなコーヒーを飲み干した。

 伝えるべきことを伝えられたのだろうか……いや、伝えた所で何も変わりはしない。

 僕の自己満足に過ぎない、何を言おうが国見さんの引退は確実で、それは僕が決めた事なのだから。


「さて、思いもよらぬ長話をしてしまったせいで、次の子が来てしまったみたいだね」

「……次の子、ですか?」


 振り返ると、そこには見覚えのある一人の女の子が立っていた。

 余り着飾っていない黒いドレス調の洋服は、どこか冷たさすらも感じさせる。


「……国見さん?」

「まぁ色々とあってね。どうせなら同席するかい?」


 無言のまま二人を見る。

 なぜ、この場所に国見さんを呼ぶ必要があるんだ?

 僕の決断は斎藤さんを通して連絡が行くはずなのに。


 僕の横の席に彼女は座ると、澄んだ佇まいを見せる。

 清冽せいれつさを感じさせるほどの黒髪、それに合わせたドレスは、彼女を一段系上へと押し上げる。


「それでは、答えを聞こうか。国見愛野、君の判断はどうする?」


 国見さんの判断? 僕に出した問題とは別に、彼女に何か出していたのか?

 訳が分からないままに国見さんを見ると、彼女はしばらく表を向かなかった。

 けど、ややもすると顔を上げ、瞳に何かを宿しながらこう言った。


「……お受けしたいと、思います」

「OK、それでは今から君のことは、僕が専属のマネージャーとして動こうか」


 え? 一体、何の話だ? 斎藤さんが国見さんの専属のマネージャー?


「すいません、斎藤さん、これは一体」

「難しい話じゃないさ、君にそこまでの権利は無かったというだけの話だよ」

「権利が、ない?」


 くっくっくっとニヒルに笑う、斎藤さんが笑ったところなんて初めて見たぞ。


「いや、悪いね。元々、選ばれなかった方を僕がマネージャーとして育てるつもりだった。国見愛野も煤原七夕も、モデルとしての条件は既に満たしていたからね。だからこそ僕も悩んだ、どちらも欲しい、だが比翼になれるのはどちらか一方だ。推しのカップルは受け入れられても、三角関係は望まれないからね」


「……そう、だったんですか」


「何を安心しているのかな? 断っておくが、この世界は仲良しこよしとはいかない。国見愛野は手ごわいぞ? 頭脳明晰に加えて演技派だ、君の語る推しとして足りない部分も、あっという間に補完してしまうことだろうね。そして、彼女のバックアップには僕が付く。全力で君たちを潰すつもりで挑むから、そのつもりでね」 


 これ、君たちのマネージャーだから。

 そう言うと一枚の名刺を差し出して、斎藤さんは席を立った。


 国見さんの僕を見る眼はとても冷たいものだった。

 けど、その眼を見て、僕はどこか安心する。

 彼女はまだまだ戦える、天高く舞い上がれることが出来るんだ。


「ふふっ」


 気付けば微笑んでしまう自分がいる。

 間違いなく強敵なのに、どこか嬉しい。


 ……さてと、煤原先輩に連絡いれないとかな。

 まごう事なき強敵が出現しましたよって、念を押しておかないと。

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