四週目――木曜日――③
「えっと……面談を行いたいと思うのですが」
「はい、大丈夫です!」
やる気満々の煤原先輩が正面に座っているんだけど。
僕の両サイドには二人の妹さんがくっついてるんですよね。
そしてキッチンではお母さんが物静かに夜ご飯を作り始めている。
聞けば、こんなに上機嫌なお母さんは久しぶりなのだとか。
事情が事情だし突っ込む訳にもいかず、黙ったまま今に至る。
「……本当に、このままで平気?」
「これが私の素の状態だから。むしろ私の家族を見て欲しくて、今日は来てもらったの」
家族を見て欲しくて……育った環境とか、そういうのかな。
一家の大黒柱としてモデル業に就きたい、っていうのは感じ取れるけど。
「収入に関しては、先の説明がそのまま煤原先輩の収入になるとは思わないで下さいね」
「嫌だなぁそらっち、さすがにそれは分かってるよ。……二十万くらいでしょ?」
「……」
「冗談、そんな睨まないで。あとそらっちさ、私のこといつまで先輩って呼ぶつもりなの?」
「先輩は、先輩でしょうに」
「七夕って名前があるんだから、七夕って呼んでくれればいいのに」
「私、私も雛って呼んで下さい!」
「茉莉も! 茉莉も!」
両サイドの妹二人は、とりあえず頭ぽんぽんしておいてと。
「モデルという仕事をしていく上で、スキャンダルは命取りになります。下の名前で呼ぶのはそれだけで親しい間柄を疑われますから、苗字呼びのままにしておいた方がいいと思いますよ」
「……はーい、そういえば国見っちのことも、ずっと国見さん、だったもんね」
「愛野ちゃん!? 愛野ちゃんもお姉ちゃん知り合いなの!?」
「そだよー、今度連れて来てあげるねー」
「――――、ちょ、ちょっと、友達に連絡してくる!」
雛ちゃん、スマホ握り締めて玄関から飛び出して行っちゃったぞ。
「外行っちゃったけど、大丈夫なの?」
「ああ、平気、家で電話すると聞こえちゃうから」
「へぇ……」
国見さんも人気あるんじゃん、やっぱり辞めるのは勿体ないよな。
「そういえばなんですけど」
「んー?」
「本当なら、不戦勝で煤原先輩が僕の相方確定してたんですけど。国見さんにも可能性、残してありますからね?」
「……え、マジ?」
「だって、自分で言ってたじゃないですか。不戦勝なんて認められないんだ、アタシはちゃんとこの子に勝ってからモデルをやりたい。って」
「ん、まぁ、ね」
目を泳がせながら頬を掻くんじゃない、完全に失敗したって顔じゃないか。
「でもさ、決定権はそらっちにある訳じゃない?」
「そうですけど」
「逆に聞くけどさ、そらっちは私と国見っち、どっちと仕事したいと思ってる?」
どっちと仕事したいかと言われると、何とも言えないんだよな。
それがイコールで優柔不断な所とも言えるし、斎藤さんが言う「二人だけではソロは出来ない」に該当するんだろうけど。
「前に私が言ったよね。迷ったら諦めるって」
「……そうだね」
「今そらっちが迷うってことは、やっぱり私達は何かが決定的に足りてないんだよ。それが分からない限り、私も国見っちもこれ以上になれない気がする。一生空渡君のバーターで終わる。そんなの、私としても悔しい限りだし、国見っちだって納得がいかないと思う。教えて欲しい、そらっちから見て、私達って何が足りないかな」
何が、足りないか?
ルックス、センス、性格、全て兼ね揃えていると思う。
雑誌に掲載されている女の子たちと比べても遜色ない可愛さだ。
国見さんも煤原先輩も、間違いなく需要ある可愛さを保持している。
足りないもの、この人なら推せるという何か、か。
考えたこともないし、想像したこともない。
逆に考えれば、なぜ僕はこんなにも人に推されているのだろう?
「ただいま……隣、失礼します」
「ああ、ちょうど良かった、雛ちゃん」
「――――っ! ひゃい!」
「雛ちゃんは、どうして僕のことを推してくれるの?」
ファンのことはファンに聞くのが一番だ。
顔を真っ赤にしながらしずしずと僕の側に座り込むと、じぃっと顔を見つめる。
「か、かっこいい、からです」
「……他には?」
「ほ、他ですか? え、えと、なんていうか、雰囲気が神々しいというか、ルックスも知性も兼ね揃えてるスーパーアイドルといいますか、うぅ、ごめんなさい、お役に立てそうにありません!」
ごめんなさい! って言いながら座ってる僕の腰辺りにしがみついてきた。
結局、推す理由ってそういう事なのかな。
見た目百パーセント、あとは妄想が補完する。
んー、違うような気がするんだよな……。
「……ねぇそらっち」
「ん?」
「私って、可愛い?」
「え?」
わずかに頬を赤らめながら、ふんすって感じで僕を見る煤原先輩が可愛いかどうか。
そりゃ可愛いに決まってるでしょ、街中で何人振り返ったことか。
「可愛い、ですよ?」
「うん、そうだよね。つまりそういう事なんじゃないかな」
「……どういうこと?」
「可愛いっていう個性、それがそらっちの場合はずば抜けて凄い個性になってるんだよ。つまり他にはない個性、普段メガネかけてるのに外した時のギャップ、そういうのが推しにつながるんじゃないのかなって」
……ギャップ推し?
「だから、私の可愛いは個性になりえてないんだよ。もっと他が必要なんだ。今で言うと三姉妹のお姉ちゃんとか、お父さんいない薄幸の美少女とか、そういう感じの」
「……貧乏ギャルでいいんじゃない?」
「そうそれ! そんな感じの! あ、この子推せるって思わせる何かって、多分個性なんだよ! って、貧乏ギャルって酷くない!? そらっち私のことそんな風に見てたわけ!?」
「だって、財布事情がかなりエグかったから」
「あれは、バイトの給料が入る前だったし」
貧乏ギャルって、ひと昔前になんかあった様なネーミングセンスだよな。
斎藤さんに伝えた所で「却下」って言われて終わりそうだけど。
「盛り上がってるとこごめんなさいね、お夕飯、食べていくでしょ?」
「あー! カレーだー! 茉莉、カレー好きなの!」
香ばしいカレーの匂いが漂ってるこの部屋で、これ以上の面談は出来そうにないね。
既に七時か、いつの間にこんな時間になっちゃってたんだろ。
「ほら茉莉も手伝って、お水ぐらい自分で出来るでしょ」
「空君の分は私がよそるからね」
「あ、雛ー、スプーンとお箸、忘れずにねー」
ぱたぱたとにぎやかになる食卓、三姉妹だとこんなに賑やかになるものなのかな。
美味しそうなカレーを前にして、皆揃って「いただきます」と頬張り始める。
「召し上がれ……空渡さんって、ご兄弟はいらっしゃるの?」
「いえ、僕、一人っ子でして。こんな賑やかな食卓は生まれて初めてです」
「……良かったら、また遊びに来て下さいね。やっぱり、そこに殿方がいると落ち着くんです」
お母さんがそこというのは、テーブルの上座。
多分、お父さんが座ってた場所だ。
妻である女性を一番近くで見て、娘三人を確認できる場所に座る。
毎日をどんな気持ちでこの場所に座っていたのか、僕には分からない。
分からないけど……最後は悔しかっただろうな。
「……大丈夫だよ、空渡君がそこに座ってるだけで、皆元気になれるから」
いつ間にか止まってしまっていた手を、煤原先輩が握り締める。
この家族にとっての僕は、一体どういう人間なんだろうか。
場合によっては、煤原さんを裏切るかもしれないのに。
「空渡君」
「……え?」
「信じてるぞ」
握った手に力がこもる、彼女の笑みが突き抜けるほど愛おしい。
ドクンって、心臓が鼓動を始める、なんだこれ、なんだ、これ。
「……分かった」
「……え?」
「あ、いや、なんでもない。カレー美味しいですね、これなら毎日でも来たいくらいです」
分かったぞ、人が人を推す、その原点ともいえる感情が。
――――
「本当に大丈夫? 家まで遠いんじゃないの?」
「タクシー使って帰るから、大丈夫だよ」
「タクシー! さ、さすが空君……あの、今度遊びに行ってもいいですか!」
「あはは、うん、大丈夫だよ」
雛ちゃん可愛いな、ファンとの交流会とかやったら楽しそうだ。
茉莉ちゃんもさっきからぎゅーってなって離れないし、愛されちゃってるね、これは。
「ほら、茉莉」
「……パパ」
「パパじゃないよ、この人は私のお友達なの」
僕にはまだその経験がないから、茉莉ちゃんたちがどれだけ辛いのか、薄っぺらい感情でしか理解できない。
でも、そんな僕でも出来る事があるんだ。
それをついさっき、煤原さんから教わった。
「茉莉ちゃん」
「……」
「君の中で僕がパパじゃなくなるまで、パパって呼んでもいいよ」
「…………パパ」
「うん」
「……パパぁ…………うぅ、ひっく、うえええぇ……」
多分、人は自分に似た何かを感じた時に、その人が推せるんだ。
煤原先輩が僕を信じたあの時、僕は高橋さんを信じた自分を見た。
いま茉莉ちゃんは、茉莉ちゃんの中に眠るお父さんを、僕を通して見ているのだろう。
お父さんに似ている何かがあったから、茉莉ちゃんは僕を離せなくなっているんだ。
カッコいいとか可愛いとか、そんなのはきっかけに過ぎない。
その中から感じ取れる自分と似た何か、自分が求める何か。
それになれなければ、人の推しにはなれない。
それを踏まえた上で、国見さんか煤原さんか、どちらかを僕は選択しなければならないんだ。
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