第四週――木曜日――②

――――放課後。


 煤原先輩の家は学校から自転車で一時間ほど。

 学校から南に位置する巨大団地の中にあるのだとか。

 

「そらっち体力ないねぇ」

「はっ、はっ、べ、別に、運動部、じゃ、ないから、ね」

「はい頑張ってー、あと電柱三本いったら交代してあげるからねー」


 一台しか自転車ないからね、鞄をカゴに入れられるだけマシだけどさ。

 自転車で一時間って、十km以上? 運動不足の僕が走れる距離じゃないよ。


「はい交代、自転車乗っていいよ」

「…………はっ、はっ、はぁ……」

「さぁーってと、それじゃあこのまま家まで走ろうかな」


 このまま家? まだ三キロくらいしか走ってないのに?

 ウィンドブレーカーを脱ぐと、ツンとはった体操着が目に飛び込んできた。


 煤原先輩のボディラインは国見さんのような女性らしい丸みのある曲線美ではなく、女性らしさは残るものの細くて引き締まった感じのスタイルをしている。


 ふくらはぎのヒラメ筋も形しっかりしてるし、細い白ギャルのイメージしか持ってなかったけど、こうして見てみると以外にも鍛えられているんだよね。 


「煤原先輩って、運動か何かやってたんですか?」

「中学まで陸上やってたよ、高校で辞めちゃったけどね」

「色白で、スポーツとは無縁かと思ってましたよ」

「あはは、スポーツ無縁は酷いなぁ。日焼けしても赤くなるだけで、すぐ真っ白になっちゃうんだ。だから、真っ白で羨ましいって、昔はよく言われたっけ」


 たんっ、と走り出すとすぐに分かる。

 腕の振りもしっかりしてるし、走り方も綺麗だ。

 呼吸も落ち着いてるし、リズミカルな足も心地よさそう。

 歩道橋の階段も一段一段降りてるし、信号で止まっても呼吸が乱れてない。


 もしかして、相当な選手だったんじゃないのかな。

 なんで辞めちゃったんだろ。


「私が陸上辞めた理由? お金かかるからだよ」

「陸上ってお金かかるんですか?」

「うん、ユニフォームにシューズ、防寒着とか諸々込みで六万円くらいって言われたかな。他にも遠征費用とか参加費とか。別に大会で成績残せるほど走れてた訳じゃないから、だったらそのお金を妹たちに使ってもらおうって考えたの」


 妹さんが二人いるって言ってたっけ。

 

「中学の時まではさ、パパいたからお金に困らなかったんだよね」

「そういえば、片親なんでしたっけ」

「うん、死んじゃった。病気って怖いよね」


 片親の理由って、死別か。 

 

「……すいません、失礼な言い方をしてしまって」

「なんで? いいよ別に、何を言われたって変わらないんだし。私達三姉妹のことをちゃんと可愛がってくれてたし、ママもパパのことが大好きだったんだ。だから、ママ相当落ち込んじゃってさ。毎日毎日泣いてて……私、お姉ちゃんだから。私がしっかりしないとって考えたら、陸上なんてやってられないよね」


 人生山あり谷ありだな……。

 何の苦労もしてない様に見えるのに、芯が強いのはそこら辺が関係してるのかも。


「私、バイトもしてるんだ」

「バイトですか?」

「うん、近所のスーパーでレジ打ち。十八時から二十二時まで。だから昨日も明日も面談は出来なかったの。出れる日は極力出るようにしてるから。結構稼げるんだよ? 多いと七万円くらいになったりしてね」


 七万円……夏休みに僕が稼いだ金額って、もしかして破格だったのかな?


「ちなみになんだけどさ」

「うん」

「モデルって、お金どのくらい貰えるの?」


 斎藤さんから、収入に関しては言わない方がいいって言われたけど。

 一緒に働く可能性があるのなら、伝えても問題ないよね。


「えっと、この前僕が斎藤さんと専属契約を結んだ時の条件が……確か、月額二十万だったかな。それとは別に撮影ごとに五万円、anyanの時だけは無料で参加したけど、次のnonnonの時からお金は貰うようにしてるんだ。あ、あの時は確か他誌の撮影もしたから別かな? だとすると先月だけで三十万くらいかも」

「…………あ、ごめん、もう一回言って? いくら稼いだって?」

「三十万」

「………………え、私のバイト代、多くて七万円だよ?」

「美容室でバイトしてた時も日給一万円だったから、結構驚きの金額だよね」


 ――え、うそ、そんなのあるの? 写真撮るだけだよね? ううん、ある訳ない、だって私毎日ニコニコしてレジ打ちして一時間千円なのに。たまにセクハラ親父もくるし、怒られることだって一杯あるのに、三十万? 三十万って、なにそれ? 三十万もあったら妹たちに美味しいご飯食べさせてあげられるし、欲しかった服もコスメも全部買えちゃうよ? それを毎月? え、私もしかして物凄い損してる? 美容室のバイトも日給一万? いち、一万円? 十時間分――


 小声でつぶやいてるけど、全部聞こえてるんだよね。


「煤原先輩」

「うぇ? あ、あ、あは、あはは……もしかして空渡君、凄い人?」

「斎藤さんからは、僕は既に他からしたらあり得ない存在、って言われた事もあります」

「……うん、納得。そっか、凄い人なんだな……」


 落ち込んでる? たはーって感じで、俯きながら鼻頭からぽたぽた汗を垂らしてるけど。

 

「そらっち」

「うん」

「私、いつでも結婚していいからね」

「……完全に金に釣られてるじゃないですか」

「しょうがないな……妹とセットでもいいよ」

「いらないです」

「姉妹丼だよ?」

「結構です」

「もう一人付けちゃう!」

「妹を簡単に売らないで下さい!」


 おかしいな、結構最近はシリアスなはずだったのに。

 煤原先輩と一緒にいると、なんか調子が狂う。

 

 栗宮南第一団地南、2号棟301号室、三階の角部屋が煤原先輩のご自宅。

 平成初期からありそうな古い団地は、聞けばお父さんが亡くなってから引っ越したのだとか。


「保険にさえ入っていればね、ローン全部肩代わりする保険とかもあったみたいなんだけど」

「……たらればの極致ですね」

「そ、全部たられればだよ。ただいまー! ひなー! 茉莉まつりー!」


 雛ちゃんと祭ちゃん、妹さんかな? 二人合わせて雛祭りか。

 七夕に雛に祭、女の子につける名前としては、可愛い所を取った感じかな。


「七夕お姉ちゃんお帰りー! あれ? 誰その人」

「お姉ちゃんの友達、空渡君っていうの。茉莉、雛は?」

「雛お姉ちゃん、まだ帰ってきてないよ」

「そっか、中学の部活って長いもんね。そらっち紹介するね。この子私の妹の茉莉、今年で小学四年生。茉莉って結構難しい漢字書くんだよ? そらっちでも書けないんじゃないかな?」


 眩しいくらいに純粋な瞳だ、おかっぱ頭も可愛らしい。

 

「マツリって、お祭りの祭じゃないんだ?」

「んふふ、違うよ。後で教えてあげようねー」

「ねー」


 それじゃお邪魔しますと廊下を歩くと、途中で煤原先輩の足が止まる。


「……ママ、ただいま」


 わずかな隙間から声を掛けるも、返事は返ってこない。

 多分、この先に仏間があるのだろう。

 そしてそこには煤原先輩のお母さんがいるんだ。

 亡くなってしまったお父さんを想って、ただ一人でいる。


 やるせないな、でも、どうする事も出来ない。


「茉莉、テーブルの上にお菓子の袋とか出したままじゃん。ソファーはランドセル置き場じゃないよ? 宿題も途中で放置してるし、これ終わらせないとオヤツ食べちゃダメって言ったでしょ」

「えへへー、ごめんなさい」

「お姉ちゃんお友達と大事なお話しないといけないのに。この部屋使うんだから、宿題早く終わらせるよ」

「はーい、算数難しいんだよ……」


 本当、家だとお姉ちゃんなんだな。

 玄関の途中にお母さんがいる部屋があったけど、他には一部屋しかないのか。

 大きなリビングの横に寝室がある感じ? そこに三人で寝てるのかな。


「茉莉ちゃん、問題を解く時は一から順番に終わらせないとダメだよ?」

「……はーい」

「あと、ここ、計算間違えてる。六とゼロを間違えちゃってるよね」

「あ、本当だ。茉莉の字が汚いからだなー」

「分かってる問題なんだから、間違えてたらもったいないよ?」

「……はーい、なんかお兄さん、お父さんみたいだね」


 ……っぐ、そんなつもりは無かったんだけど。

 ちょっと気になっちゃったから見ただけなんだけどな。


「……そらっち」

「え、煤原先輩、なんで涙目」

「パパ、いないから」

「……ああ、うん」


 面談、どころの状態じゃない気がする。

 なんかどことなくしんみりとした空気の中、茉莉ちゃんの勉強を見る。 

 そしてすぐ横には煤原先輩が座り、僕の側で覗き込むようにして見てるんだ。


 なんだこの状況。

 

――――十分後。


「ただいまー」

「おかえりー、あ、雛、この人お姉ちゃんの友達で――」

「空君……え、空君がなんでウチにいるの!?」


 空君? 空君って、僕?

 鞄とか持ってたもの全部放り投げて、ばたたたって駆け足でやってきた。


「うはぁぁぁぁ……ヤバイ、本物の空君だっ……やばい、ヤバ過ぎる、え、ヤバくない?」

「え、えっと? 僕の名前は空渡なんだけど?」

「あ、あの、空君って、空渡奏音君のことを、私達呼んでまして、あの、ええぇっと、私、お姉ちゃんが買ってきた雑誌で空君見て、ファンになっちゃって、それで、あの、え、ええ、えええええ、っと、あの、きょ、今日はなんで、家に、あ、あの」


 物凄い顔真っ赤にしながら、わたわたしながら落ち着きのないままに語る雛ちゃん。

 セーラー服にポニーテールという中学生の基本スタイルだけど、煤原家は可愛い揃いだね。

 どうせならと、手を握って微笑んでみたりして。 

 

「僕のファンだったんだ……ありがとう、そんなこと言われるの初めてだよ」

「いひいいいいいいいいいいぃ! 手、手、も、もう私、この手を洗わないですから!」


 いや、洗おうか、汚くなっちゃうだろうし。

 

「……どうしたの、何をそんなに騒いで……」

「あ、ママ! この人、空渡君って言って――」

「ママ! この人お父さんみたいなの!」

「お母さん、ウチに空君が、空君が来てるよ!」


 賑やかすぎてすみません、煤原先輩のお母さんにまで迷惑かけちゃダメだよね。


「……貴方」

「あ、ごめんなさい、うるさかったですよね」

「…………いいの、ゆっくりしていってね」


 ……なぜ、お母さんまで頬を赤く染めるのでしょうか。

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