四週目――木曜日――①

 さすがに国見さんとのことは、高橋さんには伝える事が出来なかった。

 失恋の悲しみは僕も理解できる、どうしようもない程に、苦しくて辛い。


 でも、その選択をする側も、それなりにダメージを負うんだって、始めて知った。

 あの日の高橋さんがどれだけの決意で僕との別れを選択したのか、今なら理解できる。

 

「……おはよ」

「うん、おはよう」


 教室に国見さんが入って来た時は、一人ちょっとホッとした。

 もしかしたら来なくなるかもしれない、高橋さんだってしばらくは教室に来なかったし、国見さんも来ないかもって思ってたから。


「お、モデル同士挨拶しちゃって、仲がいいやねぇ?」

「……園田君」

「お? どしたい?」

「いや、園田君って、いいよね」

「なんだそれ?」

「これからも友達、頼みます」

「なんか、気持ち悪いな……鳥肌立っちまうよ」

 

 事情を知らないクラスメイトは相も変わらずな感じだ。樋口さんは僕を敵視してるし、園田君はひょうきんなまま、山林君と川海さんは仲良さそうにしているし、高橋さんも笑顔で会話をし、国見さんも一人本を読みふける。


 ……このままじゃ、ダメなんじゃないか?

 国見さんが一人でいる理由なんて、もう何もないんじゃないのか?

 彼女はモデルでいることを辞めたんだ、なら、クラスメイトの輪だけでも。


「空渡君、二年の煤原先輩が呼んでるよ!」


 ちょうど動こうとしたのに……タイミングが悪い。

 呼ばれた方を見てみると、煤原先輩が笑顔でこっちに来いって手招きしていた。

 

「そらっち、今日の面談、私の家でしようと思うんだけど、大丈夫?」

「ああ、その件なんだけど……もう、大丈夫になったんだ」

「大丈夫って、なにが?」

「国見さん、辞退するって」

「……辞退? 不戦勝って訳?」


 相手がいなくなってしまったんだ、今更面談した所で意味なんてない。


「そのこと、斎藤さんにも伝えたの?」

「いや、まだ伝えてない」

「ふぅん……まだ朝礼まで時間あるよね、ちょっと失礼するよ」


 僕の肩越しに教室を眺めていた煤原先輩は、ひょいと隣をすり抜けると、一人教室へと入っていってしまった。既に文化祭でウチのクラスのパリコレに参加していた手前、クラスメイトも「久しぶりですね先輩!」程度で終わってしまうのだけれども。


「国見っち、アンタ、モデル辞めるって本当?」


 本を読んでいた国見さんの前に仁王立ちして、煤原先輩が皆に聞こえる声量でこう言った。

 賑やかだったクラスが、一瞬で静まり返る。 


「……そうだけど」

「私、国見っちにどんな事情があろうが、一歩も引かないからね? アンタが退いた分、私は前に進むけど、本当にいいんだね?」

「別に、いいよ」


 半ば投げやりな態度の国見さんに対し、煤原先輩は来るものがあったのだろう。

 周囲の眼なんか一切気にすることなく、徐々に彼女の言葉はエスカレートしていく。


「嘘だね。国見っちはモデルが好きでやってたんじゃないの? クラスで一人ぼっちを演じてるのもモデルの為でしょ? そらっちとのゴシップ記事とか、タレコミとかにならないように、そういう気配りから演じてただけの普通の子なんじゃないの?」


 煤原先輩の眼には、国見さんが演じてることまで筒抜けだったのか?

 僕がどうやって皆に知らしめようか悩んでた事を、煤原先輩は一言で伝えてしまった。


「……何を根拠に」

「私、国見っちが出てる雑誌は全部買ってるから。雑誌に映る国見っちの笑顔こそが、そらっちの横にいる笑顔こそがホントの国見っちなんじゃないの? クラスで何を言われようがやめない、独りぼっちになってでも、それでも続けたかったのがモデルなんじゃないの!?」

「勝手な妄想だよ」

「アタシの夢なんだよモデルは! それを色恋沙汰程度で諦めるような物にするんじゃねぇ!」


 物凄い音を立てながら煤原先輩は机を叩いた。

 本気だからこそ、諦めて欲しくない。


「…………簡単に、諦めた訳じゃないよ」

「じゃあ私の納得できる説明、出来る?」

「……嫌だよ、もう、必死になって泣くの我慢してるのに、どうして」

「泣きたきゃ泣けばいい、私ならそうする」


 若干声のトーンを下げ、ついていた手を離すと、煤原先輩は元の仁王立ちに戻った。

 国見さんはもう、溢れる涙を止めることが出来ないでいる。


 やりすぎだ、思わず止めに入ろうとした僕の手を、高橋さんが掴む。

 無言のままに彼女を見ると、高橋さんは僅かに首を横に振った。


「無理しすぎなんだよ、自分を追い込み過ぎだ」

「なによ、ひっく、それ、貴女が追い込んだんじゃない!」

「国見っちが無理を演じてたからね、アンタこのままじゃ生きていけなくなるよ」

「……大丈夫だよ、全部、大丈夫だったのにぃ……」

「同じ夢を追いかける友達になったんだ、見捨てる訳にはいかないよ」

「……なによ、それ、なに…………うっ、うっく、うううううううぅっ、うぅ」

「ほら、おいで」


 両手を広げた煤原先輩は、泣き始めた国見さんのことを包み込むようにして抱きしめた。

 優しく頭を撫で、慈愛の瞳で彼女を見つめる……その姿に、気付けば涙している自分がいた。


 国見さんは一人だったんだ、今の僕じゃ煤原先輩のような事はできない。

 支えてくれる人、理解できる人が今の国見さんには必要だった。

 嗚咽する国見さんを抱き締めたまま、煤原先輩は燃えるような瞳を僕へと向ける。


「そらっち」

「……うん」

「今日の面談、予定通りやるからね」

「……」

「不戦勝なんて認められないんだ。アタシはちゃんとこの子に勝ってからモデルをやりたい」


 国見さんを辞めさせるつもりはない、煤原先輩の眼がそう語っている。

 だけど、モデルとして生き残れるのはどちらか一人なんだ。 

 二人が納得できる理由、それをきちんと説明する責任が、僕にはある。


「……国見さん、演じてたって、本当?」


 二人に近づき声を掛けたのは、誰でもない樋口さんだ。

 煤原先輩の胸の中で泣きはらしていた彼女は、そのまま樋口さんの胸の中でも泣き続けた。

 本当は国見さんも、樋口さん達と一緒に居たかったんだ。

 嘘のせいで壊れてしまった人間関係の全てを、彼女の涙が全て洗い流す。

 

 そして、この場を作ったのが、煤原先輩だ。

 ……単純に、凄いと思った。

 僕が動いたことで、ここまで丸く収める事が出来たのだろうか。

 

「あれが、嫌われる事を恐れない人の強みだよ」


 高橋さんがそっと小声でつぶやく。

 煤原先輩からまだまだ学ぶものがある……今日の面談は、僕の為にもやるべきなんだ。

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