四週目――水曜日――②

「私がここに来たのは、空渡君に告白するためだよ」


 国見さんは頬を赤く染め、細まった視線をわずかに逸らした。

 しん……とした室内、何を語ってイイかも分からずに、ただただ茫然とする。


「あのね」


 戸惑う僕をよそに、国見さんは一人語り始めた。


「私ね、空渡君と会話するようになってから、嘘ばっかりついてきたんだ」

「……嘘?」

「一番最初、メガネが壊れちゃった時のこと、覚えてる?」

「一応、覚えてる」


 五月の初め、まだ高校生になったばかりの僕達には、お互いの距離感が分からないまま教室という箱に詰められて、新しい環境になんとか馴染もうと切磋琢磨していた時のこと。


 体育祭も終わった直ぐの授業で、僕のメガネのフレームは突然破損してしまい、そのまま何も見えなくなってしまっていた。園田君も今ほど仲が良かった訳じゃなく、なんとなくノートを見せてとか、見えませんって言葉が出せなかったあの日。


「空渡君すっごい睨むような眼で周囲を見てるから、みんな怖がっちゃっててね。あ、見えてないんだなって気付いたけど、周りが誰も助けてあげないから……だから、私が助けてあげようって思ったの。あの時の私が、本来の私かな。それまで男の子って存在が、結構怖かったんだ。大きいし、乱暴だし……でも、何も見えなくなってる空渡君を見て、なんだか可愛いって思えちゃったの。何とかしてこの空渡君と一緒にいたいって……だから、嘘をついちゃった」

「嘘……?」

「私に好きな人がいるって嘘」


 ……え? だって、文芸部の三年生の先輩が好きなんじゃなかったの? 嘘?


「空渡君知らないでしょ、文芸部が全員女子なの」

「……知らなかった」

「ふふっ、懐かしいな。視力検査みたいなのしたりさ、額を見ながら語れば喋れるとか……好きな人にいきなり告白はしたらダメだとか。全部楽しかった。映画館にも目が見えないのに一緒に行くとか言われた時は、空渡君どれだけ私と一緒にいたいんだろうって思ってたんだからね?」


 あの時は、エナとしての国見さんに完全に惚れてたと思う。

 紡ぐ言葉の一つ一つが僕達の軌跡であり、彼女の僕への想い。


「でも、私も早とちりしちゃったんだよね。みえぽんと一緒、変わらないよね。名前が出てきただけで意識しちゃってさ。二人で教室で仲良さそうにしてたのを見た時に、もう身を引こうって決めちゃったんだ」

「……どうして」

「嘘ついてたから」


 薄っすらと溜まった涙を拭いながら、国見さんは微笑む。

 

「怖かったんだ、男の子が。どんなに仲良くなっても、空渡君でさえも私には怖いままだったの。そんな私が嘘をついていた事実を、空渡君に打ち明ける事が出来ると思う? 出来ないんだよ、私は弱いから、どうしようもなく弱いから……だから、黙ることに決めたんだ」


「そんなの、別に僕は全然気にしてなかったのに」


「そうだって分かるよ? でも無理だったの。それから私はエナという事がバレないように、また別の人間を演じるようになった。特にみえぽんとの距離は徹底して取ってたんだ。これまでは輪に入って語り合ってたりもしたけど、そういうのも全部断ってたの。次第に距離が遠くなっていくとね、意外と誰も接しなくなってくるんだ。そうして、今の国見愛野が出来上がったの。教室で誰とも語らずに、ずっと本を読んで一日を終わる寡黙な女の子。教室でみえぽんと仲良くなっていく空渡君を見てても、何も言わないまま一人でいるの……結構、辛かったんだからね?」


 せき止めきれずに頬を伝う彼女の涙は、それだけで言葉の全てが真実だと理解させてくれる。

 国見さんが……エナが僕のことを好きだったってこと? なんで、そんな……。


「美容室で空渡君と再会した時は、心の底から驚いた。そして咄嗟に違う私を作っちゃったの。あんな風にたどたどしく喋った事なんてないのにね……だから、ボロが出ちゃったのかな。でも、モデルとして空渡君の側にいる私は、とても楽しかった。また一緒にいる事が出来る、エナとしてではなく、国見愛野としていることが出来たんだよ」


 震える声のまま語る彼女に、無言でタオルを差し出す。


「自分のがあるから、大丈夫」


 そう言って鞄から取り出したハンカチは、あの日僕の服を拭いてくれたのと同じもの。

 心があの日に戻りそうになる、純粋にエナが好きだったあの頃に。


「花火大会も、本当なら行くつもりはなかった。でも、教室でずっと一人でいた私を樋口さんが誘ってくれたの。最近輪に入ってないから、今日くらいおいでって。面倒見のある人なんだろうね、だから嬉しくなって、付いていっちゃって……そして、全部バレちゃった。空渡君、知ってる? 女の子って怖いんだよ? 一回敵に回したら最後、絶対に優しくしてくれないし、誰も助けてくれないの。もともと一人を演じてたから、それがより一層悪化しちゃった感じ。強がっちゃって、本当は輪の中に入りたいのに……バカみたいだよね、私、一体何がしたいんだろう」

「……今からでも本当のことを伝えれば」

「ううん、いい。そんな事がしたい訳じゃないから。覚えてるよね、体育館で私が言った言葉」

 

 ――じゃあ、私が彼を奪ってもいいのね?

 

「……覚えてる」

「あの言葉は、嘘だらけの私の中で唯一、本当の事を伝えた言葉だよ」

「…………国見さん」

「空渡君、私は、君のことが好き……大好きだよ」


 潤んだ瞳から溢れ出ていた涙は消え、星屑のような眼差しで僕を見つめる。 

 五月、まだエナがエナでいた時にこの言葉が聞けていたら、どれだけ幸せだった事だろうか。

 なんの迷いもなく受け入れた僕達のことを、クラスメイトも祝福していたに違いない。


 自分の手で口を塞ぎ、視線を国見さんから逸らす。

 純粋な彼女の瞳を見続ける事が出来る程、今の僕は優しく出来そうにない。


 妄想のままに受け入れられていたら、どれだけ良かったことか。

 簡単に受け入れるには、僕達には色々とありすぎてしまっている。

  

「………………ごめん、なさい」


 ついた言葉は謝罪の言葉だった。謝ることしか出来ない。

 輝いていた瞳を一瞬で曇らせて、国見さんはそのまま一人俯く。


「…………」

「……国見さん」

「あーあ、やっぱりダメか!」


 下げていた頭を突然持ち上げると、右手を上げてストレッチするように伸びをした。

 んー! と声を出していて、ややもすると軽いため息のように息を吐く。

 

「泣き落とし、通用すると思ったんだけどなぁ」

「……まさか、これも演技なの?」

「……どうだと思う? あはは、大丈夫だよ。全身全霊で告白して、玉砕しただけだからさ」


 さすがに、演技なはずがない……か。

 

「じゃあさ、色々とスッキリしたし、教えてよ」

「……何を?」

「誰の入れ知恵か。私の知る空渡君だったら、こんな面談なんて方法取らないもん」


 そんなにかな? とも思ったけど、煤原先輩にも教えて方がいいって言われてたし。

 伝えていいものか悩んだけど、国見さんならきっと大丈夫だろう。

 

「……高橋さんだよ」

「…………え、ウソ? 本当? まだ繋がってたの?」

「実は、繋がってた」

「……そっかぁ」

「あ、でも、本当に終わってたんだよ? LIMEだけが残ってて、既読にはならなかったけど僕が未練がましく日記みたいにずっと高橋さんに送ってたんだ。それを通知欄だけで彼女読んでたみたいで、月曜日に心配してくれて相談に乗ってくれてて。だから、今までもずっとって言われると、そういった訳じゃなくてね」

「早い、早口すぎるって」


 分かったからって言うと、国見さんはすっかり渇いた目にハンカチを再度当てる。

 部屋の雰囲気がガラリと緩くなった気がする、でも、これから面談っていう空気でもないな。


「……面談、どうする? 金曜日の休憩時間とか?」

「いいよ、私、空渡君のこと好きだから、迷惑かけたくない」


 迷惑かけたくない? なんの事だろうと思って見ていると、国見さんは立ち上がって僕の方へとトコトコとやってきて、目の前にすとんとしゃがみ込んだ。


「私が棄権する、それで大丈夫でしょ?」

「……え、でも、だって」

「世界一になれても、君の横にいれないんじゃ意味ないからさ」


 言いながら、国見さんは僕の頬に両手を添え、自分の唇を僕へと重ねる。

 避けるべきだったのかもしれない、でも、避けちゃダメだと思った。


 唇の柔らかい、けど、少し硬い感触は、生まれて初めての経験だ。

 涙で濡れた唇は、どこかしょっぱい……でも、どこか甘い感じがする。


 時計の針の音を感じる部屋、今だけは二人きりのこの部屋で、互いの好きを確かめ合う。

 間違いなくそこにあったはずの感情が、確かにあったんだって。


 一分にも満たない時間、ゆっくりと彼女の方から離れる。

 照れた、でも寂し気な表情のまま、彼女は自らの髪を指で梳いた。


「……ありがと」

「……ううん」

「初恋は実らないって、本当だね」

「…………うん」


 最初は、間違いなくエナのことが好きだった。

 その正体は国見さんであり、僕は彼女と添い遂げる為に努力してきたのに。


 いつの間にか、全てが変わってしまっていた。

 もう戻れないあの日は、既に何もかもが過去になってしまっている。



――――



「じゃ、また学校でね」

「……うん、駅まで送ろうか?」

「大丈夫だよ、失恋で電車に飛び込んだりしないからさ」


 強気な国見さんは、最後までずっと強いまま。

 弱かったり、可愛かったり、優しかったり。

 きっとどれも本当の彼女なんだ、そんな彼女のことが、僕は好きだった。


「バイバイ……もう、君は十分強くなったよ」


 最後にそういうと、国見さんはバスへと踏み出す。

 もう僕の方を見ようとはせずに、一人でいる国見さんへと、深く深く頭を下げた。


 僕も、国見さんのことが大好きでした。

 本当に……心から。






――――国見愛野


 生まれて初めての告白だった、絶対に成功しないとも何となく分かってた。

 もっと時間をおいて、それこそ一年や二年経ってから告白すれば違ったかもしれない。


 でも、多分、どんなに時間が経っても、もう遅かったんだ。

 六月のあの日、私は自ら可能性を否定してしまった。

 誰がいても、どんな困難があっても、彼を追い求めていれば良かったのに。

 

 頭の中からたらればが消えない、多分ずっと消えない。

 せめて友達関係のままで居続けられたら……友達としてでも、側にいてくれたら。


「…………うぅ、えっ……えっ、っっ、うっく、うぅぅ…………」


 包み込んでくれる人は誰もいない、私に優しくしてくれる人は誰もいないんだ。

 全部自分のせいだって分かってる、分かってるけど……分かってる、けど。


 バスの中で泣き崩れている所を、運転手さんに心配されてしまった。

 大丈夫ですって言ったけど、やっぱりそれでも心配だったのかも。

 

 大丈夫じゃないよ、全然大丈夫じゃない。 

 失恋がきつすぎて、このまま消えてしまいたい。

 

「…………?」


 もう、鳴ることは無いと思っていたスマホが、ブルブル震えてる。

 空渡君の同情だったら、ちょっとキツイな……。

 だけど、ディスプレイに表示された名前は、全然違う人だった。

 

「……はい、ひっく、国見です、けど」

『――――』

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