二週目③
インタビューから撮影まで、一通りの事が終わると、体育館はいつもの静けさを取り戻す。
先程まで設営されていた台や、横断幕も既に取り外され、沢山いた大人達も誰もいない。
「俺は顧問に報告しないといけないからな……部外者がいても、話しづらいだろ?」
上手くやれよ、そう言い残して、園田君も体育館を後にする。
無駄に広い空間に、僕と国見さんの二人きり。
彼女は一人、体育館奥のステージに腰掛け、足をプラプラさせながらスマホをいじっている。
なんとなくだけど、一緒にいない方がイイような気がして、僕は体育館の壁に寄りかかった。
時計を見ると、既に午後五時四十五分。
下がり始めた太陽が朱に染まり、西日が差し込む体育館は無駄に明るい。
あと少ししたらこの眩しい西日も沈み、夜のとばりが落ちてしまう事だろう。
それでも、何時間でも待つつもりでいた。
高橋さんが僕に伝えたい事があるって言った以上、絶対に聞かないと。
「お待たせ、お二人さん」
体育館の入口、腰に手をあてながら彼女は現れた。
いつもの感じだ、弾む声に、優しい雰囲気。
まるで何もなかったみたいに振舞う、そんな彼女を見て、僕はどこか安心する。
「高橋さ――」
「ダメ、喋るのは私から」
人差し指一本を前に出されて、僕は言葉を止める。
近くで見ると、高橋さんは少しやつれている様に見えた。
「二週間ぶりか……君の顔を見るのも、なんだか久しぶりだね」
「……うん」
「こうして顔を見ても、私は大丈夫なんだなって、改めて分かったよ」
大丈夫って、どういう意味なんだろう?
ちらりと国見さんを見ると、彼女もステージから降り、黙ったまま高橋さんを見やる。
「桜から……ああ、樋口桜さんね。彼女から君がここに来るって教えられた時は、正直どうしようかって悩んだ。だって君、夏休みの最後、毎日のように家に来たでしょ? お母さんもお父さんも私がストーカーに狙われてるって、物凄い心配してくれてたんだからね?」
途中から玄関を開けてくれなくなった辺りで、なんとなく察してた。
ストーカー行為……そうか、そうだよな。
「でもね、その時くらいは、まだ君のことが心に残ってたんだ。次来たら顔を出そう、次来たら話を聞こう、次来たら……でも、そう思う度に、胸が苦しくって、悲しくなっちゃってさ。私って強そうに見えるけど、本当は物凄く弱いの。とんでもなく弱いの。ちょっと失恋したくらいで学校に行けなくなっちゃうくらい、弱い女の子だったんだよ。自分でも驚いちゃうくらいにね」
自分の胸に手を当てて、高橋さんは語り続ける。
それを僕はただ黙って、静かに聞き続けた。
「そんな弱い私が、二人の笑顔が沢山載ってる雑誌を手にしたら、どんな想いを抱くと思う?」
「……ごめん、事前に伝えれば良かった。僕としては仕事の一環として」
「ダメだよ、まだ喋っちゃダメ」
一歩だけ後ずさった高橋さんは、やっぱり指を立てて僕を制するんだ。
そして僕が沈黙したのを確認すると、再度胸に手を当てる。
「苦しかったなぁ、あの時は。そのまま消えていなくなりたかった。でもね、そんな私を助けてくれたのは、子供の頃から続けてきた水泳だった。今回の話を最初に知った時にね、真っ先に思い浮かんだのは、君の胸で泣いたこと。本当に悔しかった、涙が止まらないくらいに悔しかった。でも、その時に気づいたんだ」
胸に当てていた手を下ろし、下げていた瞳を僕へと向ける。
「私は不器用だから、欲しい物は一つか手に入れられないんだよ」
なんとなく、彼女の言わんとすることが、理解出来てしまっている自分がいた。
聞きたくない、それだけは聞きたくないと切に願う。
「私は、金メダルが欲しい。その為なら、君を諦める事だっていとわない」
だってそれは、僕と彼女との完全なる決別を意味しているのだから。
謝るとか、もうそういう段階じゃなかったんだ。
高橋さんはこれと決めたら絶対に変えられない女の子だ、絶対に変えない。
僕と二人で過ごす今よりも、競泳選手としての今を選択する。
言おうとしていた言葉の洪水が、喉元で全て止まる。
何を言っても無駄、絶対に何も変わらない。
「ちょっと待って美恵、それ本気で言ってるの?」
「みえぽんでいいよ、急に呼び方変えないでよ」
「……だって、私は」
「エナ、だったんでしょ? それも分かった上で今ここにいるの」
自身の肘を抱え、国見さんはわずかに視線を逸らした。
でも、すぐさま面と向かい直し、高橋さんへと近づく。
「……分かった。みえぽん、誤解の無いように伝えるけど、私と空渡君は本当に何もなかった。付き合ってもないし、好きっていう感情も何もない。今回の件は完全にみえぽんが早とちりしちゃっただけで、私達は何もないからね?」
「その割には、始業式の後も二人きりでいたみたいね」
始業式のあと、見られてたのか?
「なんでも相談できる相手、つまりは心を許してるって事でしょ?」
「……どこで見られてたのかは知らないけど、別にアレは」
「でもね、そんなのも全部関係ないよ。さっき言った通り、私は水泳を選んだ。それだけを伝えたかったの。明日からは普通に教室に行くけど、あんまり親しくしないでね」
終わる、高橋さんと僕の全てがこれで終わる。
そう思った途端、閉じていた口が開き、想いを言葉にした。
「僕は、高橋さんのことが好きだ! 大好きだ! 花火の時に本当は告白しようとしてた!」
いま伝えないと、絶対に後悔するから。
元に戻って欲しい、夏休みの時みたいに。
「僕は、優しくて、カッコ良くて、強くて、泣き虫で、可愛い高橋さんのことが、世界で一番大好きんだ。僕に出来ることならなんでもする、高橋さんの望む空渡奏音になる。だから、だから……だから、僕のことを、君、なんて、呼ばないでくれよ……」
初めてだったんだ、カッコいいって褒めてくれたの。
メガネをかけたままの僕でも、高橋さんは側にいてくれた。
花火大会の時、僕からのプレゼントで涙を流して喜んでくれたのだって覚えてる。
プールの時だって、一緒に笑って、頬にキスをしてくれたよね。
もっと続くと思ってた、何をしても高橋さんは側にいてくれると思ってたんだ。
「――――、ごめんなさい」
ぽつ、ぽつと、雨が窓を叩く音が聞こえてくる。
「もう、君の告白に、私は応える事が出来ない」
「……な、んで」
「理由はさっき説明した」
「そう、だけど、でも」
膝から力が抜けて、崩れるようにその場に座り込む。
段々と強くなる雨音が、うるさいと感じられない。
視界が滲む。
「これ、返しておくね」
「化粧、水」
「もう、使おうと思えないから」
僕があげたプレゼントは、全部いらないって事なの?
それほどまでに、僕のことが。
「ちょっと待ちなさいよ」
国見さんの声が聞こえてくる。
「……なに?」
「本当に、空渡君を諦めるの?」
「そうだって、何回も言ったけど」
「じゃあ、私が彼を奪ってもいいのね?」
……? 国見さん?
「……別に、いいよ」
「本当に? 私、容赦しないよ? 教室でいちゃついてもいいのね?」
「なんでもいい、私がそう決めたんだから」
「……分かった。じゃあ行けば? その化粧水は私が処分しておくから」
なんで、こんなことを言うんだ。
これじゃ高橋さんの誤解が誤解のままで何も変わらないじゃないか。
とてもじゃないが受け入れられない。
絶対に無理だ。
高橋さんはもう僕達を振り返る事もせずに、体育館を後にする。
追いかけるべきなのに、僕はまた追いかけられずにいるんだ。
だけど、今回は。
「……やっちゃったかな」
ぽつり国見さんはつぶやくと、頭をぽりぽりと掻いた。
先の言葉は、本心からの言葉じゃなかったのだろう。
どういった感情からあんな言葉が出たのか、僕には分からない。
分かるのは、高橋さんと僕の関係が、完全に終わったという事だけだ。
頬を伝う涙が、無駄に熱く感じる。
――――美恵
感情がぐちゃぐちゃになりそう、直接見て、会話をしただけで夏に戻りそうになる。
だけど、それじゃダメだから、ダメ、だったから。
体育館を出た途端に押さえていた感情が、涙と共に溢れて出てきた。
「うっ、ううううぅっ、ひっく、うぅっ」
まだ、空渡君に聞こえちゃうから、聞こえちゃうかもしれないから。
でも、立ってられない、座って泣くことぐらい、許してくれるよね。
別れたくない、私も空渡君のことが好き、大好き、怖いぐらいに好きなのに。
「美恵」
桜……待っててくれたの? でもね、もう、涙で声が出ないの。
崩れるように地べたに座り込んでいた私を、桜が抱き締める。
「いいよ、いっぱい泣きな」
「……うっ、うううぅ、うっ、う、ぁ、ぁ、あああぁああああああああ!」
「うんうん、頑張ったね」
「桜、桜! 私、私、間違っちゃったのかなぁ!」
「大丈夫、美恵は何も間違ってないよ」
「私、好きだった、好きだったの! 全部、全部ッ!」
「うん……そうだね」
「でも、でも……うぅ、あああああああああああああああぁ!」
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